第三場 イミテーション・ゲーム

「朝ですよ、早苗様」

 散らかったベッドで眠っていた早苗は、メイドの声で目を覚ました。まぶしさに薄目をあけると、開かずのカーテンが開き、さんさんと朝日が差し込んでいる。

「あんた誰……?」

「シャロンです。早苗様も記憶喪失ですか?」

 「くす」という軽やかな笑い声で、早苗は昨夜の出来事を思い出した。

 記憶喪失の捨てメイド、シャロン。ゴミ捨て場から拾ってきた右も左も分からない彼女は、見た芝居を完コピするという稀代の才能を持った少女だった。いわば模倣モノマネの天才だ。

 起き上がって、改めてシャロンを見る。化粧いらずのきめ細やかな肌と淡い金髪が、日の光に照らされて柔らかく煌めいている。その美しさを「きらきら」というオノマトペでしか表現できないセンスのなさを早苗は呪った。

「早苗様?」

 あまりにまじまじと見ていたからか、シャロンの注意を引いてしまった。慌てて「なんでもない」と言ってごまかし、時計を見る。朝八時。今日の授業は昼過ぎ、三限からだ。映画を一本見るくらいの余裕はある。

「早苗様、お聞きしたいことがあるのですが、構いませんか?」

 衣服を退かせて作った定位置に正座をして、シャロンが尋ねた。起き抜けのあまり回っていない頭で頷くと、聞き入れられたことがよほど嬉しかったのか、シャロンは前のめりで続ける。

「映画とは、どのように作るものなのでしょう!」

「あー……」

 映画はどのように作るのか。漠然とした質問に答えるのは難しい。

 興業成績を重視するならマーケティングに始まるし、世間に一石を投じたいなら大衆の価値観を揺るがすべく話を作っていく。つまるところ、映画に定石はない。映画監督が百人居れば、百人とも違う創作論を語ることだろう。

「監督によりけり、かな」

「はあ」

 ぼんやりした答えには、ぼんやりした返事が返ってくる。映画――ひいて創作は自由なもので、明確な方法論はない。「映画にオチなど必要ない」と語る監督も居れば、自身を「過激派」と語る監督まで居る。

 とはいえ、未来の主演女優に「Don't think, feel考えるな、感じろ」はあまりにも無責任だ。早苗は実際の映画制作に的を絞って説明することにした。

「映画はいろんな要素が絡み合っていてね、完全に区別することは難しいんだけど」

 前置きをしてから、早苗は続けた。

「まず、映画作りにはシナリオが必要。どういうお話にするか大まかに決めたら、脚本ホンを書くの」

「脚本……! 昨日見た映画に出ていたものですね!」

 早苗は頷いた。昨晩観た『プロデューサーズ』には、あえて脚本を選び出す風変わりなシーンが登場する。あの脚本自体はミュージカルのものだが、基本的な部分は映画でも変わらない。主人公の行動がドラマを生み、結末に至る。それが脚本だ。

「で、脚本を元にしていろいろ決めたら、それを演者に渡す」

 いろいろの部分には、イメージボードの制作に始まり、コンテを描いたり演出を決めたり、ロケ地決めや音効など映画にまつわる様々な部分が含まれている。だが、今のシャロンに説明してもちんぷんかんぷんだろうから省略した。

「演者ですか?」

「脚本を読んで、その通りにお芝居する人のこと」

「ええ? じゃあ昨日見た映画も、お芝居だったんですか? 本当のことじゃなくて……?」

 シャロンはわたわたと慌てていた。どうやら彼女は、役者という仕事を、それどころか創作物フィクションの概念すらすっかり忘れてしまっているらしい。

「そこからなんだ……」

 あまりのことにしばし呆然としたが、とりあえず映画製作の話に戻ることにした。

「とにかく、演者さんは脚本の通りにお芝居をする。その様子を撮影して、あとは切ったり貼ったり足したり引いたりすると、映画ができる」

「ふむふむ……」

 最後の方はかなり駆け足になってしまったが、撮影の後には編集が必要だ。秒間24フレームの映像を1フレーム単位で調整し、収録した音声を調整し、別録りの効果音を調整し、VFXや画面効果を調整し、画面の明るさを調整し、またフレーム単位で調整し、と調整に次ぐ調整を繰り返して製作されたラッシュをさらに調整し、ようやく初号試写に辿り着く。

「すごく、大変そうですね……」

「実際、とんでもなく時間がかかるしね」

 一般的な120分尺映画の完成までには、撮影開始クランクインから数えても最低一年は時間を費やしている。企画や脚本構想からだとそれ以上だ。つまり映画は、莫大な時間と資金を元手に繰り広げる大博打ばくち。そのため、映画製作からはやや逸れるが広報活動プロモーションも重要になる。どんな名作を生み出しても、劇場に足を運んでもらわなければ意味がない。とかく、映画界は忙しいのだ。

「早苗様の部屋が片付いていない理由が分かりました」

「いや、それはまあ、忙しい以外にも理由はあるんだけど……」

「そうなんですか?」

「私の映画はそんなに時間もかかってないからね」

 そんな商業映画に比べ、自主製作映画はかなり小規模だ。尺は短く、ロケ地も近場。VFXなどなく、宣伝広告はSNSクチコミだけ。これが学生映画ともなると、お財布事情は輪を掛けて厳しくなる。『炬燵で男達が鍋をつつきながら駄弁るだけ』という低予算映画が、毎年どこかの映画学科で製作されていると噂されるほどだ。

 突き詰めて考えると『莫大な資源を投じてヒットを狙う』のが商業映画とすれば、『限られた資源の中で、どれだけ突き抜けたモノが創れるか』が学生映画の本質かもしれない。

 そして、その才能が早苗にはなかった。


「なるほど……映画って本当に素晴らしいですね……」

 どこぞの映画評論家のようなことを言って、シャロンは息を吐いた。

「納得しました。それだけ手間暇かけて作っているから面白いんですね!」

 そう言って、シャロンは楽しげに笑う。映画を知らない少女に初めて見せる作品が『プロデューサーズ』でよかったのかと思っていた早苗は、とりあえずほっと胸をなで下ろした。

「気に入ってもらえてあたしも嬉しいよ」

「ええ、ええ。とっても! 私、早苗さんの作った作品も観てみたいです!」

「あたしのは観なくてもいいかな……」

 とても見せられるものじゃない。才能がないゲロみたいな作品を観て、シャロンに変な癖がついたら困るのだ。シャロンに見せる映画は、なるべく一流の、洗練されたものにしなければ。果たしてどんな映画にするべきか。

 その時、早苗の脳裏にひとりの女生徒の顔が過ぎった。

「そうだ、築島さんに相談してみよう」

「築島さん?」

 シャロンの返答もそこそこに、早苗は同ゼミ生の築島に連絡を取った。どうやら大学図書館アーカイヴの映画を観ているらしく、会おうと思えばすぐにでも会えそうだった。

「あたし、ちょっと大学行ってくる。あんたは」

 きょとんとした様子のシャロンの顔はやはり美しい。こんな美少女が、被写体モデルに餓えている芸術学部に乗り込んだらどうなるかなんて想像するまでもない。

「……留守番、頼んでもいい? 食べ物はおせんべいとかクッキーがあるはずだから」

 だから、シャロンの存在はしばらく秘密だ。早苗の作品で電撃デビューを飾るまでは、しばらく外出も控えてもらうことになる。

「もちろんです。私は早苗様のメイドですから」

 そう言ってころころ笑う顔が綺麗で、早苗はついついスマホで写真を撮った。好きなものをスクラップするというのは芸術系学生の癖みたいなものだ。

「じゃ、行ってくる。呼び鈴鳴っても出なくていいからね」

「はい。行ってらっしゃいませ、早苗様」

 まるでメイドカフェの見送りのような玄関ドアに鍵を掛けて、早苗は鼻歌混じりで東長崎駅までスキップした。昨日の合評でたっぷり塩を塗り込まれた心の傷は、ウソみたいに塞がっていた。


 *


 築島つきしま恵那えなは、大学構内のオープンカフェで封切られたばかりの映画パンフレットに見入っていた。流行トレンドを意識した清楚めのファッションに身を包む彼女は、美人というよりはキュート系で、学部の内外を問わずそこそこ評判がいい。密かな隠れファンが多いという噂もなんとなく頷ける。

「面白かった? その映画」

「ひゃっ!?」

 『ラーメン食いてぇ!』と書かれたパンフレットを落として、築島恵那は背後から近づいた早苗の存在に気づいた。

「びっくりしたぁ……」

「ごめんごめん」

 築島恵那。早苗と同じく監督コースに在籍する二年生。早苗とは入学以来の仲――という訳ではなく、二年の後期に同ゼミになり、共通点が見つかって急接近した程度の日が浅い関係だ。

 恵那の隣に座って、早苗は再び尋ねる。

「で、どうだった?」

「すごく面白かったよ。ラーメン食べたくなったし!」

「一番の感想がそれ?」

「浅いのは分かってるよ? でも食べたくなったんだもん」

 いつもの恵那だ、と早苗は思った。

 早苗と恵那の共通点。それは、互いに低空飛行の成績を取り続けているということだった。補講に出向けば恵那が居るし、課題のやり直しリテイクを最後まで繰り返すのはいつでも二人。合評で叩かれるのは早苗か恵那か、その両方。一蓮托生の才能ゼロコンビの片割れ、それが築島恵那だ。

「つまり、ラーメン欲求を刺激するいい映画ってことですよ。4DXで観たい~」

「座席からとんこつラーメンの臭いがするとか?」

「それ面白い!」

 恵那は鞄から取り出したメモ帳に『劇場でラーメンの臭いがしたら面白い』と書き込んだ。他には『聖なる手榴弾VS邪なる手榴弾』だとか『ハリー・ポッターと七人の侍』だとか、珍妙なワードが躍っている。ホグワーツ魔法学校を守護する侍達のチャンバラなら、正直ちょっと見てみたい。

「あ、そういえば何か用事だった?」

 恵那に問われた早苗は、わざわざ午前中に学校まで出てきた理由を思い出した。

「築島さん、生まれて初めて映画を見る人に作品をオススメするとしたら、どんな作品がいいと思う?」

 ほんの少し前のめりになって、早苗が尋ねた。要は、シャロンをするための作品を一緒に選んでほしいのだ。

 早苗が恵那にこんなことを頼むのには、ちゃんとした訳があった。


 一念発起して上京した早苗がまず心を折られたのは、学生達の恐るべき映画鑑賞本数だった。早苗の年間百本など最低水準で、多い者だと年間五百本は下らない。その多い者グループの中に恵那は居た。

 入学初年度のある日、一年に何本映画を見たかで不毛なマウント合戦を繰り広げている生徒達が居た。彼らに鑑賞本数を問われた恵那は、目をキラキラ輝かせながらこう答えた。

『私、映画を見るのが大好きなんです! 一日三本くらいですかね、少ない日で!』

 最低でも年間千本見ている計算になる。日本で一年に公開される映画がおよそ千本程度なので、恵那は――やろうと思えば――その年の公開作品をフルコンプしてしまえるのだ。これには生徒達も一瞬で沈黙した。そして「量より質だ」と手のひらをひっくり返して、今度はどれだけ優れた観察眼を持っているかのマウント合戦に戻っていった。

 鑑賞本数だけで言えば右に出るものは居ない。恵那は生粋のなのだ。


「えっと、質問の意味わかった?」

 ぽけっとした恵那に、早苗は質問を復唱した。

「うん! それ、すっごく面白いよ内古閑さんっ!」

 恵那は早苗の質問をメモ帳に書き殴ってから、腕を組んで「う~ん」と唸った。それと同時に恵那のお腹の虫が鳴る。

「……ラーメン食べながら考えていいかな?」

 ミーティング場所は、大学近くのラーメン屋さんになった。


「生まれて初めて映画を見る人にオススメするなら、かあ……」

 昼前でガラ空きのカウンター席で、醤油ラーメンを待ちながら恵那は呟いた。

「築島さんは最初に見た映画覚えてる?」

「『クレしん』かなあ、戦国のやつ。子どもの時は、話の内容なんて全然理解できなかったけど」

「あれね。あたし達が四歳くらいの頃だ」

「そう、私の地元って映画館なくてさ、いつも松山まで車で観に行ってたの。八幡浜やわたはまって分かる? 愛媛県の南の方で、ミカンが有名なんだけど」

 恵那の地元は、早苗の地元と負けず劣らずの田舎なのだろう。映画館どころかゲームセンターもカラオケもほとんどなくて、あるのは大自然と田畑とパチンコ屋くらい。

 早苗は曖昧に首を傾けて、微妙な顔をした。

「だよねえ」

 恵那はにへら、と表情を崩して笑った。

「でも、それからずっと『クレしん』は好きかな。子どもの頃に見た映画って、オトナになってからもワクワクしない? 内古閑さんはそういうのないかな?」

「あたしは『インディジョーンズ』がそうかも。今見ても楽しいんだよね」

「『インディジョーンズ』私も好き! テーマソングがカッコいいよね、やっていくぞ~って感じがするもん。やっぱり巨匠だよ、って」

 その巨匠の名前を間違って覚えていることは指摘しないことにした。

 本題を無視して典型的な映画オタクトークに花を咲かせていると、ラーメン屋の店主が醤油ラーメンをカウンターに置いた。醤油ラーメン、750円。

「いただきます」

 ご丁寧に手を合わせてから、恵那は割り箸を割った。琥珀色のスープの中に浮かんだ大ぶりの叉焼を箸で摘まんで、愛おしそうに語り出す。

「この叉焼にも、職人さんの手間暇が掛かっているんだねえ……」

「さっきのラーメン映画の影響?」

「ラーメンはね、血のにじむような努力と汗と、涙の結晶なのですよ。内古閑さん……」

 また始まった、と早苗は思った。恵那に欠点があるとすれば、すぐに影響を受けてしまうことだ。『ディープブルー』を見てスキューバに興味を持ったと思ったら『ジョーズ』を見て怖くなって辞めたり、『スーパーサイズミー』を見て何故かマクドナルドの全メニュー制覇を決意して体重が3キロ増えたりといろいろおかしい。

「この煮卵もメンマも、何回も試して辿り着いた究極のもので、これじゃなきゃダメ……。ラーメンはワンコインとちょっとで食べられる芸術品なんだよねえ……」

 うっとりと語る恵那の向こうで、ラーメン屋のおじさんが瞳を潤ませていた。そしてそっと、味玉と叉焼を乗せた小皿をふたつ、カウンターに置く。

「嬢ちゃん。そいつは少ないがオマケだ……」

「いいえそんな、受け取れません……! この味玉も叉焼も、おじさんが辿り着いた至高の一品! そんなものをタダで戴くなんて私にはとても……!」

「いいんだ、嬢ちゃんは俺の苦労を分かってくれた……苦労を分かってくれる人にこそ、俺が辿り着いたラーメンを味わってもらいたい……!」

「おじさん……!」

「嬢ちゃん……!」

 ひし、と手を取り合って見つめ合う二人を無視して、早苗は長い横髪を耳までかき上げてラーメンを啜った。何の変哲もない、ごく普通の醤油ラーメンだった。

「そういや嬢ちゃん達、もしかして扶桑大の映画学科か?」

 ラーメン屋のおじさんが、カウンターの向こうから早苗を見て尋ねてきた。

「はい、そうですが」

「だったら、アレに作品出すのかい? 学生映画フェスティバルってやつ」

 おじさんがちょいちょいと指さした先に、チープな出来のポスターが貼ってあった。

 『第一回 学生映画フェスティバル』。映画のまちを目指す区が主催する学生映画のコンクールらしく、今年が初開催らしい。ポスターを見ただけの受け売り情報だ。

「区の担当者が常連でチラシも預かってんだがなあ、興味を持つのが嬢ちゃん以外に一人しか居なくて、余ってしょうがなかったんだよ」

 おじさんは、早苗と恵那にポスター同様チープな見た目のチラシを差し出した。

 応募規定は15分尺のショートムービーでテーマは不問。ロケ地は区内に限定されるが、申請すれば区の施設をタダで利用してもいいと書いてある。懐の寂しい学生には、これほど嬉しいことはない。ただし――

「〆切は今月末かあ。春休みだけど結構厳しいねえ、内古閑さん……」

「だねえ……」

 映画祭の応募〆切までは二十日しかない。二十日で映画を作るのは、かなり難儀だ。脚本で詰まってしまうと二十日なんてあっという間に過ぎてしまう。

 あいにくだけど、見送ろう。そう思った早苗の脳裏に、シャロンの顔が過ぎった。


『映画って、本当に素晴らしいですね……』


 その時、

「待って。やれるかもしれない」

 どれだけ祈っても出てこないくせに、ふとした拍子に降りてくる、はた迷惑な神が居る。それがアイディアの神だ。冴えない発明家エメット・ブラウンがシンクに頭をぶつけてタイムトラベル理論に気づくように、あるいは二時間サスペンスドラマの主人公が、何気ない日常のひとときの中で事件解決のヒントを閃くように、偶然出逢ったような顔をして近づいてくるセレンディピティ。

「やれるって、映画撮れるの? 二十日で……?」

 恵那の問いかけに、早苗は笑って頷いた。

「主演女優はもう決まってるからね」

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