Episode 20 epilogue

111・そして

 青白い光に包まれ、ディックたちが辿り着いたのは、ES飛空挺の操縦室だった。狭い室内に四人と一体が現れると、操縦士たちは慌てて窓際に避難した。

 力が抜けて翼をたためずに気を失った天使の身体は重く、床が軋んで陥没、銀翼の両端が室内の様々な機械にあたり、あちらこちらで火花が上がる。このままでは戻るに戻れなくなると、そこいらの大人が必死で翼を持ち上げる有様だ。


「これ、一体何なの」


 翼に押し潰されそうだったリザ・タナーをかばいながら、ロックはジュンヤに尋ねた。


「エスターだよ。マザーと同化して、こんなんになっちゃったけど」


「冗談、だろ」


 持ち上げた翼は、鋼鉄のように硬く、重い。こんなものをバタバタはためかせていたというのは、あまりに非現実的だ。

 と、翼のあちらこちらに亀裂が入っていることに気付く。亀裂は徐々に細かくなり、終いには砂糖菓子のように脆くなる。あっという間に、翼は白銀の砂鉄になって、支えていた大人たちの手の中からこぼれ落ちていった。

 エスターの身体を覆っていた装甲さえ、やはり同じような銀の砂鉄になり剥がれ落ちていく。白く透き通った肌が姿を現し、手足も、胴回りも、胸も、頭に覆い被さっていた兜さえ、粉々に砕けた。

 男たちは思わず頬を赤らめる。

 銀の砂の山の上で横たわった、一糸纏わぬエスターの美しい裸体。


「全て、終わったと解釈して、いいの、かな」


 その傍らにかがみ込み、ジュンヤはゆっくりと彼女の髪を撫ぜた。


「いや、未だわからない。死んではいないようだが……、その身体の中で何が起こっているのか判断するには、未だ時間が要る」


 リザがどうぞと渡したバスタオルを、ディックは優しく彼女の身体に被せてやる。

 見る限り、全てが始まる前の、エスターの姿には違いない。しかし、『“E”を復元できると、未だ思っているのか。甘いな』というマザーの言葉が、どうしてもディックの頭の片隅に引っ掛かって、離れなかった。



 *



 ネオ・ニューヨークシティの生存者はゼロ。

 ドーム内の炎は数週間消えなかった。

 他、幾つかのドームでシステム異常、回線異常を確認。復旧作業には数ヶ月必要だ。

 ドーム間移動に利用していた空間転移装置も、システム異常で使用不可となったため、各ドームの壁面一部を切り取り、外部との連絡・物資運搬が出来るように工事を進めている。

 EUドームからの定期的な物資提供がほぼ不可能になり、各ドームから軍用ヘリがひっきりなしに飛んでいる。ドームからドームへリレーして、物資を届ける。

 また、ドーム周辺の探索が盛んになり、一部では食材確保、一部では資材や天然のガスや油を確保したという噂もある。



 *



 また一機、軍用ヘリが飛び立った。

 アンリはドームの影に消えていく黒い機体に目を細め、ふうっと白い息を吐いた。

 北半球は冬に向かっている。しばらくすれば、冷たい風と一緒に、雪の季節がやってくる。

 赤や黄色に色づいた蔦が未だドームを覆っているが、全部取り払うには何年かかるかわからない。正直なところ、せっかくの綺麗な色、取り払う必要すら無いと思ったが、どうやらドームの外壁は太陽光発電用のパネルで覆われているらしく、これを正常に稼働させることが出来れば、高濃度エネルギー溶液並みのエネルギーが確保できるのだとか。

 マザーが電子の海から消えて二ヶ月、そろそろ悲しみも癒えた頃だろうと他人は言う。が、そんなことはない。いつだって、アンリは彼女の影を追っている。

 ディック・エマードの力をもってしても、エスターの中からマザーの意識だけ引きはがすことは出来なかった。悔しいかな、それが現実だ。

 マザーの暴走を止めただけでも称賛に値するなんて、どうでもいいことを、意味もわからずに口走るヤツも大勢いる。マザーは暴走したかったわけじゃない。狂ったあの男のせいで、そうなってしまっただけだというのに。

 着慣れないコートの襟を立て、アンリは肩をすぼめ、身を縮めた。合成繊維のマフラーでは、まともに寒さをしのげない。大昔はこれが当たり前だったらしいと、それこそ誰もこんな寒さ感じたことない癖に、他のヤツらは平気で言う。冷蔵庫の中で暮らしてるみたいになるらしい。全く、考えたくもないが。

 ドームの外へ自由に出入りできるようになり、物好きな人間は、木を切り倒し草をなぎ払い、土地を開拓して家を建て始めている。何百年もの間、暑さも寒さも感じない温室でぬくぬく育っておきながら、今になって外で暮らすことなんて出来るのか。多くの人間は、苦労を知らない。本当の自然の驚異ってヤツも、文字や映像で知るだけだ。知識としてそこにあるだけじゃ、生き抜くことなんか出来ない、馬鹿らしいと思う。

 ドームの外壁を伝い、出入り口から機械室へ戻っていく。二ヶ月前に戦場になった場所も、今はすっかり復旧した。

 あの日から一週間は、とにかく思い出すだけでもぐったりする、トラブルの連続だった。

 その頃の自分が、この結末を知っていたとしたら、恐らくディック・エマードなんて男とは接触したがらなかったはずだ。


「アンリさん、マザーが例の場所で待ってますよ」


 すれ違いざま仲間に言われ、右手を挙げた。

 “マザーが”と言われれば、機械室なんかに戻ってる場合じゃない。中央監視ドームに作られた、彼女のための特別室へと足を向ける。

 真っ直ぐ延びた通路の先、ドームとドームを繋ぐ連絡通路を抜けると、住宅街に出た。

 ヨーロッパの町並みそのまますっぽりと覆われたその場所は、アンリの目を癒した。やっぱり、自分にはこれくらい窮屈な風景が丁度良いと思う。

 何も、新しいことを始めるだけが人生とは限らない。今ある生活、暮らしを続けていくことも必要だ。

 人工太陽の光は柔らかかった。中だって寒くない。首に巻き付けていたマフラーを取って腕にかけ、客待ちのエアタクシーに乗り込んだ。これで、中央監視ドームの入り口まで行く。


「お客さん、随分疲れてるみたいですね」


 すっかり顔なじみになった運転手が、バックミラー越しに話しかけてきた。


「まぁね。何かとさ、気苦労が多いんだ。窓の外に流れる風景はいつもと変わらないのに、自分の立ち位置や状況はどんどん変わっていく。そういうのって、自分にはどうにも出来ないだろ。で、ぐったりね……。ドームの外に出てみたけど、寒いだけで何も面白いものなんて無かった。僕にはやっぱり、このドームの中で機械いじりをしてるのが性に合ってると、今更のように噛みしめているところだよ」


 街を走り抜け、指定した場所まで辿り着くと、アンリは運転手に、


「釣りは要らないから」


 と、チップ込みの現金を渡す。


「毎度」


 走り去るタクシーを見送って、更に歩いた。

 中央監視ドームの入り口を潜って、マザー・ルームへ。以前は資材置き場だったのだが、マザーの居場所を確保しなければと、改築した場所だ。

 ゴシック調の屋敷には、小さな庭もある。枯れにくいバイオフラワーだけれども、彼女はそれなりに喜んでいると聞いた。

 チャイムを鳴らし、古めかしいドアに手をかける。鍵などかける気配がないのか、自分が来るのを知っていて解放しているのか。アンリは家人の了解得ず、中へと入っていった。

 屋敷の内装は、彼女が好みそうな淡いピンク色で纏められている。僅かながらも、旧時代の絵画や家具、調度品などもしつらえてある。

 ドアを開けてすぐ、甘い香りが。焼きたての菓子と紅茶、ここに来て彼女が気に入ったものの一つだ。


「アンリさん、いらっしゃい。彼女なら、いつもの場所ですよ」


 入り口でメイドに言われ、アンリは奥の部屋へ進んでいった。

 リビングを抜け、廊下を通って無機質なドアの前で止まる。屋敷の中でそこだけ、内装も何もかも違うのだ。

 ノックを一つ、


「入るよ」


 返事はやはり無い。また、勝手にドアを開けた。

 白く丸い、柔らかな椅子に腰掛けた金髪の少女が視界に入る。白く透き通るような肌、凛とした顔。この身体があの男の娘のものでなければ、もう少し気持ちも違ったのだろうが。彼女の身体には、たくさんのコードが繋がれている。部屋の中にギッシリと置かれた機械や計器で窮屈そうにも見えたが、彼女には居心地が良いらしい。


「マザー、気分はどう」


 アンリの問いかけに、少女はニコッと静かに笑って答えた。


「悪くは無い。D-13は相変わらず、私とEの分離を試みているらしいのだ。お前からも無駄だと一言、忠告してやって欲しい」


 彼女の目線が動いた先に、ディックがいた。

 事件後に新調した銀縁眼鏡に白衣姿。手元の電子ペーパーとモニターに表示された分析結果を見ながら、部屋の隅でブツブツ呟いている。


「お前もD-13も、私は私、EはEとしてすっかり離れてしまえば良いと、今も思っているのだろうな。それが出来るなら、私もそうしたいと思う。しかし、どうにもならないことも世の中にはある。諦めて受け容れることも、時には必要だ。……お茶の準備が出来たようだ。D-13、お前も一緒に休んだらどうだ」


 開け放したままの入り口から、メイドが顔を覗かせているのを見つけ、彼女は自らコードを抜きはじめた。アンリも彼女の側まで寄って、手助けをする。

 花の刺繍が美しい白のドレスは、彼女が好んで着ているものだ。レースの付いた裾は、椅子から降りると空気を含んでふんわりと揺れた。装飾品はあまり好まない、色の付いた明るい服も、彼女は着ようとしない。色のない世界にいた彼女は、出来るだけ目に刺激のない色だけを選ぶのだ。


「いくら分析を続けても、意味が無い。私は彼女に、彼女は私になってしまった。何度も言うが、私の意識とEの肉体が残った、それだけではよしとしないのだな、お前たちは」


 綺麗な彫刻を施したテーブルと椅子は、この部屋には不釣り合いだ。アンリは遠慮無く、いつも彼女の隣に座らせて貰っているが、ディックは茶を受け取ったとしても、決して座ろうとはしなかった。今日もまた、立ったまま受け取った紅茶をすすっている。


「人間ってのは、諦めることを知らない生き物だ。悪いな」


「確か、お前は生物学的にヒトではなかったと記憶しているが」


「……余計なことをエスターの声で喋るな」


 ここ二ヶ月ほど、同じような会話を何度か繰り返したのを、アンリは知っている。知っていて、面白がって放置している。ディック・エマードもやはり自分と同じ。何一つ受け容れたくなくて抵抗し続けている。


「諦めが悪いと言えば、ジュンヤはどうしてる。あいつ、エスターのこと好きだったって聞いてたけど」


 と、アンリ。二ヶ月前会ったっきり、音沙汰がない。


「彼は、母親と共にネオ・シャンハイへ戻ったと聞いたが」


「折れた足引き摺ってまで助けに行った女を残して?」


「さあ、私が彼女でないことに幻滅したのだろう。人間の愛ほど、不確かで危ういものはないということか」


 ジュンヤの話を始めた途端、彼女の顔が曇った。まぶたを伏せ、テーブルにティーカップを置くと、ゆっくり息を吐く。


「Eは未だ、ジュンヤ・ウメモトを信じている。私を止めたのは、あの男の強い意志かも知れない。まだ私と同化していないとき、彼女はあの地下実験室の中でこんな会話を耳にしていた。『外部から深層心理に影響を及ぼす何らかの事象が発生した場合は、ダウンロード後に人格崩壊を起こす恐れもある』と。発言した人物は、どうやらジュンヤ・ウメモトがそれに関わるのではないかと推測していた。九十九%私になるという予測だったにもかかわらず、Eの記憶や感情が私の中に息づいているのは、彼の存在が影響した可能性が高い。それでも彼が、彼女の身体を奪った私と決別する選択をしたのは、それなりに理由があったのだ」


 恋をしている少女の目だ。

 切なさが滲み出て、それを見ていたアンリまで息苦しくなってしまう。

 やはり、この少女の中に居るのはマザーだけではないと、そんなことはとうにわかっていたはずだ。


「それより、何だ。休憩時間くらい、そんなもの、手放しておけば良いのに」


 目線をぐいと上げて、少女はディックの持っていた電子ペーパーに手を伸ばした。触れようとした手から、彼はひょいとペーパーを引き離す。


「お前が手に触れた端末の情報を読み取るのを、俺は知ってる。残念だが、許可した端末以外でアクセスしようとすると、ウイルスが移るよう仕掛けてあるんだ。触らない方が身のためだ」


「……フン、どこまでも周到な男だ。それにしても、お前の秘密主義はどこまでも徹底していたようだな、D-13。Eは嘆いていた、何も知らされなかったと。肉体を持って初めて、彼女の気持ちが身に染みてわかる。情報が手に取るようわかったあの頃が懐かしい。人間は不便だ。相手の心が見えない、何もかも憶測で、本当のことなど何一つわからない。『電子の海の中に帰してやる』という言葉を信じて、ずっとここに居るのだが、お前はいつ、それを実現してくれるのだ」


 テーブルの中央に置かれた焼き菓子は、マドレーヌとクッキー。どれもメイドのお手製だ。

 彼女は文句を言いながら、口にたっぷり菓子を頬張り、紅茶で流し込んだ。たまらなく幸せそうな顔で、おいしそうに食べる。


「肉体を失ったら、このお菓子、食えなくなるけど」


 アンリは彼女の顔を覗き込み、いたずらっぽく言ってやる。


「確かに、……それは困る」


 飲み終えたティーカップをテーブルの上のトレイに置き、ディックは一人、計器の前にある椅子に腰掛けた。楽しそうな彼女を見ているのは、決して悪い気分ではない。遠目に二人を眺めるディックの口元も、少し緩んでいた。

 マザーに見られそうになった電子ペーパーをもう一度広げ、彼はそこにある文字を、無言で追い直した。

 それは、手紙だった。差出人は今、遠くにいる。






≪――親愛なるディック・エマード


 理由も言わず、お世話になったあなたと別れてから、もうすぐひと月が経とうとしています。

 ネオ・シャンハイの町並みは昔と何一つ、変わりません。破壊プログラムの影響も殆ど受けず、普段通りの生活を送っています。政府系の企業や組織が消滅し、一時期混乱があったようですが、今はそれも収まりました。

 エスターとあなたのことは、ジュンヤから聞きました。

 あなたの過去は、私も少しは知っていたけれど、全てを聞いてやっとつじつまが合い、胸のつっかえが取れた気がしています。出来るなら、あなたの口から全部聞きたかったのだけれど、それは恐らく叶わなかったでしょう。あなたが全てをさらけ出すために、どれだけ苦しんだのか、胸が痛みます。

 本来ならば伝えてから去るべきだったことを、最後に書いておきます。

 大切なメッセージを送るのに、こういうやり方は危険だと、ジュンヤにも言われたのですが、他に方法が浮かびません。今回は詳しい人に頼んで、あなたの端末以外で再生すると消滅するように仕込んで貰いました。

 今、ネオ・シャンハイの街に、“ティン・リー”を名乗る男が現れています。

 ただ、その姿がどんなか、未だ確認は取れていません。私が過去に出会ったリーや、あなたを苦しめたリーと、同一人物なのかもわからないままです。

 ジュンヤの話によれば、彼は記憶をどんどん新しい身体に移して生きながらえているそうですね。となると、今、ネオ・シャンハイに現れたリーも、やはり、彼なのでしょうか。

 彼がまた、何らかの方法を使って世界を支配する可能性は、ゼロではない気がします。

 そもそも、彼が本当に死んでしまったのか、あなたたちが見た恐竜型のロボットは、本当に彼だったのか、今となっては確認の取りようがありません。

 リーの出現を仲間から聞きつけ、ジュンヤと私は確認のためにネオ・シャンハイに戻ってきました。

 ジュンヤは今も、エスターのことを気にかけているようです。確実な情報でない以上、彼女にはまだ、このことを伝えないでやってくれませんか。ジュンヤも言っていましたが、未だ不安定な彼女には、余計な心配はかけたくないのです。

 遠くの地から、あなた方親子の幸せを願っています。また、情報が入り次第、同じ方法でメッセージを送ります。

 どうか、お元気で。


  ネオ・シャンハイ メイシィ・ウメモトより≫






「また、難しい顔をしている。私と居るとき、彼はいつもああなのだ。Eと居るときも、やはり難しい顔をしていたようだ。アンリ、お前はどう思う」


「どうって、何が」


「彼は何を考えていると」


「それは、難しい問題だな。せ、世界を憂いている、とか」


「他には」


「やっぱり、娘の身を案じている……かな」



 ディックは思いきり、読み終えたばかりの電子ペーパーを握りつぶした。グシャッと音がして文字が消えた。

 何とも言えない、もやもやが胸に湧く。

 憤り、握りしめた拳が、フルフルと小さく震えた。



<終わり>

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虚空の惑星 天崎 剣 @amasaki_ken

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