遺聞奇譚<ロストロア>探偵局 鷹野ロアの事件簿
糾縄カフク
01:Lost - Lore
「あたしメリーさん……あなたは今、どこにいるの?」
消え入りそうな声が闇に木霊し、その声を追うように足音が響く。
「僕は今、ここにいる! どこだ? メリー!」
「わからない……あたしはあたしが、どこに……いるのか」
だが返事への返事は酷くか細く、声を追う青年の足は、否応なく急いていく。
「まだだッ!! まだ消えるなッ! 君は其処に居る! 今ッ! 僕がッ!」
青年の腕が伸び、周囲を覆う闇を僅かに穿つ。闇に空いた穴が広がりを見せ、やがてそこは一つの空間となった。
「あなたは誰……? あたしはメリー……メリーさん……きっと、たぶん……」
ぽっかりと空いた空間の、その中央に横たわるのは痩せこけた少女。青年は慌てて駆け寄り、少女を抱き起こし、告げる。
「無事だったか、メリー……良かった、君が消える前に、間に合って」
抱きかかえられた少女の四肢には、球体関節めいた何かが見える。ギシギシと軋む音を立てながら、少女は口を、かすかに動かし答えた。
「あたし……メリーさん……なの? 誰も、もう誰も、電話に出てくれないの…… だから……あたし」
だが青年は、その少女の言葉を遮るように返す。
「だから僕が応えた。ロストロア・メリー。君が消えて、なくなる前に」
今にも手折れそうな手を握りしめ、力強く紡がれる言葉に、安堵したように少女――、メリーは、安らかに瞼を閉じた。
「あたしメリーさん……あたし今、あなたの腕の中に……いるの」
* *
――
携帯電話が無く、公衆電話のあった時代。液晶テレビが無く、ブラウン管のあった時代。LINEが無く、メールすら無く、ポケベルの番号が各人の居場所を知らせた時代。日本が戦争に負け、一家に一台も無い白黒テレビに近所の子どもたちが群がり、紙芝居屋の前に列が出来て、三丁目に夕日が沈んだあの時から、歴史はまだ半世紀と少ししか進んでいない。だけれども人は、現代に生きる全ての人は、そう過ぎ去った日々を忘れずにいられるだろうか。流れ行く時の中で、襲い来る情報の濁流の中で、古い記憶は常に上書きを余儀なくされ、ある日解体されたビルの場所に、かつて何があったかなど、誰も思い出せはしない。
神話に非ず、童話に非ず。長い歴史の加護の無い物語は、だから時代と共に朽ち、そして消えていく。――
* *
「目が覚めたかい?」
優しい声を目覚まし代わりに、穏やかな春の午後、持ち主の腕の中で微睡むような夢を見ながら、メリーは目覚める。
「ん……おはよう……ご主人様……」
ギリギリと動く関節。ゆっくりと起き上がる身体。以前は大分軋んでいたように思いもするが、不思議と今は、痛みもなく心地いい。
「おはようメリー。体調はどうだい?」
体調も何も、そんなものは初めから無かった筈だがと訝しみながら、メリーは手を握る。――手はある。持ち主に捨てられ、ボロボロになった筈の四肢は、確かに実体を伴って、メリーの意志で動いている。
「これは――」
浮かぶのは疑問符。そもそもメリーとは、ゴミ捨て場に遺棄された人形が、持ち主の元へ執拗な電話を掛け、少しずつ身辺へ近づいていく復讐譚の一つだ。
「君がまだ、伝説であるうちに救えてよかった。僕の名は鷹野。鷹野ロアだ。よろしく」
そう告げる青年の顔をまじまじと見つめて、メリーは現在自分が置かれている状況を冷静に分析する。かつてとは何かが変わったのだ。それだけを認識しながら、メリーは記憶の糸を手繰ってみせる。
「――あたしはメリー……ご主人様に捨てられた人形……電話をかける……お家に帰る……そしてご主人様が振り返った所で――」
だけれどそこで頭が痛む。そんな結末、もう長いこと目にしていない。だって、だって電話は……メリーの掛ける、電話は。
「……繋がらない。誰にも、誰にも。昔は誰かが応えてくれた。でも今は、掛ける電話が無い。受け取ってくれる受話器もない。だから、あたしは、ひとり……ぼっちで――」
思い出す。誰も思い出してくれないから、メリーはきっと忘れ去られて、消えてしまう寸前だった。そんな中で誰かの名を叫んで、いや……名前すらもなく足掻いて、そうして差し出されたのが、一本の手だった。
「大丈夫。キミはもう一人じゃない。世界中の誰しもがキミの事を忘れたとしても、僕だけはキミの事を覚えていよう」
色白の、細面の青年が……新しいメリーのご主人様が、そう言って微笑む。ああ、ご主人様。何年も何年も何年も待ち続けて、ようやっと自分を拾ってくれたご主人様。俄に湧き上がる熱い気持ちを隠しきれずに、メリーは飛び上がって抱きつく。
「分からないけれど……今のあたしには身体があって、自由に動けて……ご主人様。あたしは、メリーは、今あなたの、腕の中にいます」
終わりかけの
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます