04:Talking about Teke - Teke

 ――カシマレイコ。

 優しく振り返って微笑む少女の下半身は、彼女が物語として生まれ落ちたその瞬間から、存在していない。


 俗に言う「テケテケ」

 昭和の末期に北国から広まった、上半身だけのお化けである。


 曰く、電車事故。曰く、世界大戦時の亡霊。例によって類型は数多あれど、共通するのは下半身の欠損、および、この怪談を聞いた者の元に現れるというサプライズ。――そして現れたからには、時速百キロを超えるスピードで追いかけてくる、物理的な恐怖。


 そんなテケテケを、なぜ鷹野が配下に置いているかと言えば、偶合にもこのテケテケを手なづけてしまったのが、鷹野その人だからである。


 そもそも鷹野にとって、怪談とは救うべき存在で、恐れるべき相手ではない。だから下半身がないまま校庭を見下ろすテケテケ――、もといレイコを、放っておけず声をかけたのが不幸中の幸い・・・・・・だった。


「大丈夫かい?」


 いたわるような鷹野の声に、涙目で見上げる少女。まさかそんな可憐な女の子が、世間を脅かすビーレフェルトだとは露も知らず――、結果として鷹野は、テケテケ調伏の功績を以て、政府認可の探偵事務所として活動を続けられるに至っている。


 最も政府――、法務省対占事略决せんじりゃっけつ対策課、通称「ホウセンカ」から支給される給金はごくごく僅かで、職員の給料・・・・・までは十分に手が回らない。なにせ鷹野の事務所のメンバーは、鷹野を除けば全員お化け。要するに「人」数としてカウントされないのである。そのくせ、姫乃のVRモデルやら、ニノの住処となる新型タブレット、レイコの義半身・・・に車椅子と、出費だけは馬鹿にかかる。


 だから姫乃を始めとした探偵局の面子は、皆が皆日銭を稼ぐ方法を模索しているし、それはこのカシマレイコとて例外ではない。


「わたくしとお兄様がいれば十分でしょう? ビーレフェルトの一つや二つ、文字通り切り捨てて差し上げますわ」


 なるほど穏健なる武闘派ならではの貴重なご意見、痛み要ると鷹野は頷く。つまりカシマレイコこと令嬢レイは、その膂力で以て賞金稼ぎバウンティハントをしようと言っているのである。 


「まあまあ、そう事を荒立てずに、僕たちは怪異を狩ろうって目的では動いていないんだから」


 それを言ってしまえば、当時連続高校生襲撃事件の犯人だったカシマレイコは、あと一歩間違えばビーレフェルトとして狩られる立場にいた訳だ。


「それでまた女の子が増える訳ですわね? ハエみたいにブンブンブンブン、五月蝿いったらありゃしませんわ」


 しれっと言い放つカシマレイコに、鷹野の耳元でぐぬぬと歯ぎしりする姫乃の声が聞こえる。


「とにかく、僕はレイちゃんに危険な目にあって欲しくないんだよ。今回も穏便に行こう」


 とは言えそこはそこ。さしあたっての剣呑を回避すべく、鷹野は無難な言葉で乗り切ろうと策を練る。


「あら、お兄様は優しいですのね。大丈夫ですわ。わたくし、お兄様の事だけは命に代えてもお守り致しますから」


 そう呟いて手を握るレイコの、体温は酷く冷たい。それもその筈、この身体は本来は死者。動いて喋って良い手合ではない。とどのつまり身元不明の少女の遺骸に憑依する事で、カシマレイコは(見た目は)人として生きている。


 その辺りは毒を以て毒を制す。すなわちビーレフェルトにはビーレフェルトで対抗しようというホウセンカ側の意図と、年間三万人に及ぶ身元不明遺体の偶然が一致したという事になる。


 通常、下半身の無いカシマレイコは、義体の上に本体を乗せている・・・・・。長めのスカートを履き、ブランケットでも膝に掛ければ病弱な令嬢はここに完成。仮に戦闘ともなれば胴から下を捨てて跳び上がればいいだけなのだから、理屈としては単純である。


 ぱっと見は薄幸の、儚く哀れな深窓の令嬢。そんな彼女にナンパでも仕掛けた日にはどうなるのか、鷹野は過日、これを身を以て知らされていた。




*          *



 あの日。へいカノジョという、それこそ遺聞奇譚ロストロアめいた口説き文句で言い寄る男の、肩に置かれた手を握るカシマレイコは、穏やかな口調で返していた。


「何か御用ですか?」


 カシマレイコはいつだって平和主義者だ。その事を鷹野は深く自認している。一見すれば悪漢が美少女に絡むという光景の裏で、ミシミシと軋む男の手の

壊れる音を、鷹野は冷ややかな目で見つめ突っ立っていた。ああナンパする相手を間違えたなと、内心で弔いながら。


 男の顔に脂汗が浮かび、次の瞬間には踵を返して一目散に逃げ出していた。このとき鷹野は、だから自衛に武力は必要なのだと確信した。――戦っても勝てない相手には、普通の人間はかかっていかない。


「お兄様、五月の陽気に誘われて、五月蝿いハエが参りましたわ」


 カシマレイコはそう微笑んで、握れば折れてしまいそうな細指を鷹野に差し出す。このお兄様という呼び名も、姫乃に対抗しての事だというのだから、鷹野としては頭が痛い。だがそんな三角関係だけを別にすれば、カシマレイコは戦力として欠くべからざる枢要な存在だった。


 それから後、振られた男が舎弟を連れてお礼参りに来たというが、事の顛末まで語るのは残酷に過ぎるだろう。なにせ素っ首並べて、全員が彼岸にて参られる側に回ってしまった訳だから。




*          *




「到着しました。目的の商店街です」

 

 と、鷹野が雑考を巡らす間にも、気がつけば一行は目的地の商店街に足を踏み入れていた。


 ――岐阜柳ヶ瀬。

 数年前から口裂け女ムーンマウス絡みのイベントを催しているここは、ある意味では遺聞奇譚ロストロアからは最も遠い位置にあると考えられる。


 なにせロストロアとは、語られなくなった都市伝説フォークロアの終焉である。かつてあった物語が、忘れ去られるがゆえに死に至る。それを救い保護するのが、鷹野に与えられた使命であると、彼自身は理解していた。


「柳ケ瀬商店街か……やっぱりシャッターが多いな……」


 この時点で時計は二十時を回っていて、街灯以外に灯りの無い町並みは、駅からほど近いとはいえ寂れて見えた。何の変哲もない、どこにでもある閑散とした商店街だ。


「以前はデパートなどがあったようですが、ここ二十年で次々と撤退。客足は郊外の複合型商業施設に奪われ、過半数の商店は経営に苦しんでいるようです。――まあ、駅前が栄えているというのは、車が要らず娯楽に満ちた、大都市圏に限るという事ですね」


 得意げに語るニノに、鷹野は謝意を述べつつ歩きだす。ここから先は姫乃の出番だが、彼女の曰く、未だその手の反応は見つかっていないらしい。


 端的には、物理的にナビゲートを担うニノ。ビーレフェルト、或いはロストロアの実地探索を行うのが姫乃。そして相手がビーレフェルトだった場合、これを実力で以て排除するのがカシマレイコ、という具合に鷹野のパーティーは分担が決まっている。まあ観測手なしでは、如何な大砲といえ役には立たないという証左だろう。カシマレイコというカノンをぶっ放す為には、ニノと姫乃のガイドがどうしたって要る訳だ。


「しかし不思議だね。むしろ都市伝説としては息を吹き返している筈なのに、なんだってまたビーレフェルトなんかに」


 とは言え解せないのはそこである。お化けなんてのは所詮は死人。生きている人間のほうが余程怖い事は鷹野とて知っているし、本当の本当にお化けが犯人だなんて事は、そうそうめったにあるもんじゃない。――その芽を未然に刈り取っている政府側の努力があるにしてもだ。


「あらお兄様、動物だってそうでしょう? 普段は人を襲わない獣も、山に食べ物がなくなれば降りてきて獰猛になる。都市伝説が人間に牙を剥く事情なんて、誰にも分かる訳じゃありませんわ」


 ここで、かぶりを振りながらレイコが応える。唯一ビーレフェルト候補生だった彼女の言い分は、相応に重みがある。だがその当人すら分からないというのだから、余人である鷹野に検討がつかないのも無理からぬ所だろう。


「ま、会ってみれば分かるって事か。ニノ、振興組合の本部に行こう。そこで会長さんが待ってくれてる筈だ」


 姫乃のレーダーに反応が無い以上、事前の打ち合わせ通り依頼主と会うのが定石だろう。だが鷹野がそう言ってニノに目を落とした瞬間、人気のない商店街の片隅から、闇を切り裂くような悲鳴が聞こえた。


「なんだ??」


 俄に明かりの灯る商店街の二階を横目に、鷹野はレイコに別れを告げ走り出す。レイコ自身、車椅子での高速移動もできぬではなかったが、そこは人の目というものがある。だから衆目に触れそうな所では、ギリギリまで病弱のお嬢様として振る舞う擬態は、鷹野とレイコの間に結ばれた、暗黙の了解だった。


「ニノ! 悲鳴の方角に移動地点を修正! 姫乃、ビーレフェルト反応エフェクトは?」

「OKマスター。ルートを修正します」

「あった! 多分神社のほう!」


 確か道中に、肝試し会場になる神社があった筈だと事前情報を思い返しながら、鷹野は全力で疾走を始める。怪談が人の命を奪ってしまったら、それこそ本当に狩らなければならない。鷹野はその血みどろの結末だけは避けたかった。


 商店街の路地にうずくまる少女がいる。声をかける。少女は指をさす。口裂け女がと、震えながら答える。怪我はない。ならそれで善しと肩を叩き、鷹野は示された方角に向かう。――金神社。ビンゴだと鷹野は思う。口裂け女を彩る噂の一つといえば、彼女のねぐらは神社だと決まっていたからだ。


 かくて石段を一気に駆け上がった鷹野の息は切れかけていて、夏の訪れを告げる梅雨の湿気が、じっとりとシャツに汗を滲ませている。――果たしてそこには、無人の境内に、こちらに背を向けて立ちすくむ女性の姿があった。


 この季節だというのに、装いは真っ赤なロングコート。髪は腰元まで伸びていて、それは巷に溢れる口裂け女の、典型的な外貌だった。


「すまないが……キミは」


 耳元で注意を促す姫乃の声を他所に、鷹野は歩み寄って声をかける。人間の物理的な暴力は苦手な鷹野だが、お化けの類いにはめっぽう強い。だから恐れる筈はないと高をくくり、一歩一歩近づいていく。すると背は向けたまま、顔だけをこちらに向けて、推定口裂け女は口を開く。


「ワタシ……キレイ?」


 ああ……どうやらロストロア探偵局らしくなって来たぞと、鷹野は内心で呟きながら、眼前のこの怪異との対峙を、心を決めて選んだ。

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