05:The moon mouse is beautiful tonight.
想定通りの口裂け女の問いに、予習はばっちりと鷹野は言祝ぐ。なにせここはお綺麗ですねと返すだけで事足りるのだ。彼女の自尊心を損なわぬように、最小限度の労力で以て籠絡する。それで今回の依頼は恙無く終わるのだと自らに言い聞かせ、鷹野は今まさに口を開かんとする。
「もうやめて下さい!! あなたが綺麗な訳、ないじゃないですか!!!」
だが響いたのは、真っ正直というべきか、然し鷹野にとっては最悪の一言。姫乃でもニノでも、もちろん鷹野本人ですらない声色に困惑しながら、鷹野は目を見開いて後ろを向く。
「どうしてあんな事するんですか! わたしたちは同じ口裂け女なのに!」
同じ口裂け女? 呆気に取られる鷹野の眼前には、白いコートを羽織った少女が佇んでいる。二メートルには迫ろうかという赤コートの口裂け女とは対照的に、こっちはごくごく平均的な身長の、マスクを付けただけの女の子といった風貌だ。
「ワタシが……醜い?」
しかるに背後で轟くのは、赤コートを纏う口裂け女の怨嗟。一体どういう事だと状況の分析を試みつつも、鷹野は二人(?)の口裂け女に挟まれた現状を回避すべく横に飛ぶ。
「口裂け女が二人……」
そうなれば、考えられるケースは一つだ。都市伝説とは語られ、恐れられ、信じられた怪異の数だけ、異なる物語が存在する。口裂け女にしてもそうだ。僅か数年の流行にも関わらず、現れる場所、好物や苦手なもの、手にする獲物に追い払う為の呪文に至るまで、日本各地で様々な口裂け女が生み出されては消えていった。だから、とどのつまり。今ここで鉢合わせているのは、別の場所で産み落とされた、異なる体系の口裂け女という事なのだろう。
「赤いほうからビーレフェルト反応。でも白いほうからは何も感じないよ!」
耳元で囁かれる姫乃の声に、鷹野は妙な安堵感を覚えつつ頷いてニノに繋げる。せめてあの二人の口裂け女の、バックボーンだけでも知った上で対策を練りたい。
「赤コートは
ニノの素早い分析に謝意を述べつつ、鷹野は距離をとって二人の様子を伺う。両者の身長差は実に頭数個ぶん。神社の境内、月下に睨み合う赤と白のコントラストは異様でもあり、漂う殺気には並々ならぬ憎悪を感じる。
「ワタシハ……醜くナイ……お前が、オマエがッ!!!!」
言うや腕を振り、鎌状の獲物を出す赤コート。対する白コートは、振るえる手で覚束ない戦闘態勢に入るだけだ。
「ヒメ……もしかするまでもないが、白いほうの口裂け女に戦闘能力は無いな……?」
「うん、お兄ちゃん。白いほうの口裂け女は、本当にただの
アーバンレジェンドとビーレフェルトの違いは、端的に言って個体の持つ殺傷能力によって分けられる。人を驚かせたり怖がらせたり、そんな悪戯で済むうちは十分に都市伝説だが、そこから人を冥府に引きずり込み、怪我や死に至らしめるとなればいよいよ以てビーレフェルトだ。こうなれば後は政府によって、正式に駆除の対象となってしまう。
「レイが来るまで時間はかかるか……ちっ、仕方ない」
「待ってお兄ちゃん、ヤバイって!!!」
静止する姫乃を振り切って突入する鷹野。その視線の先では、鎌を振り上げた赤コートが、鬼気迫る表情で白コートに襲いかかる。その気になれば時速100キロは優に出せるという口裂け女の手前、逃げた所でどうにもなるまいと腹をくくり、鷹野は呪文を唱えながら割って入る。
「ポマード! ポマード! ポマード!!」
その叫びに僅かだが赤コートの動きが鈍り、鷹野は既の所で白コートを抱え、鎌の初撃を躱してみせた。――ポマード。口裂け女が苦手とする整髪料の名は、彼女を執刀した整形外科医が、自身の髪に塗りたくっていたものだという。以来それがトラウマになった口裂け女は、ポマードという言葉を聞いただけで一目散に逃げ出すと……wikipediaにはあった。
「逃げないじゃんか……」
だが血走った目をこちらに向ける赤コートは、一向に逃げる気配を見せない。肩で息を切らしながら、鎌を掲げひたひたとにじり寄ってくる。
「キミ……柳ヶ瀬の口裂け女だろ……早く逃げるんだ」
「駄目です……ここで人が死んでしまったら、夏のお祭りが出来なくなっちゃう」
ふるふると首を振る白コートが、鷹野の腕を振り払うように立ち上がる。
「駄目だッ……キミには戦う力なんて!」
「それでもッ!!! 事件を起こさせる訳には行かないんですッ!!!」
境内に響く幼い声。そして煌めく一閃。その一閃をかき消すように唸る刃。
「――駄目じゃあございませんか。わたくしのお兄様に、こんな鎌を振り下ろすなど。月夜に三日月は、たった一つで十分でございますわ」
鷹野と白コートを庇うように乱入したのは、誰あろうカシマレイコ。上半身だけで駆けつけた「テケテケ」たる彼女は、自らの掲げる日本刀でこれに応じる。
「ギギ……ナンダ……オマエ……」
「人語すら失って落ちぶれたアヤカシに、語る名などはございませんが……敢えて申し上げるなら、テケテケと……Take somebody's life、ご覚悟を」
紫の焔を上げるレイコの太刀に、さしもの赤コートも跳躍して距離を取る。
「足は要りますか? 手は要りますか? その御大層に長い胴は? 綺麗な首は? 醜い顔は? ――ああどれもこれも要りませんねえ。ではわたくしが切り刻んで差し上げましょう。その赤い外套のように、血に塗れた遺骸のように」
言うや跳躍するレイコは、手から離した刀を口に加え赤コートに襲いかかる。足の無い彼女は、その移動に両手を使わざるを得ない為、必然的に獲物は口に加える。
「ギイィッ!!!!」
カシマレイコの反撃を辛うじて受け止める赤コートだが、跳躍時に回転し、遠心力で以て打ち付けられるレイコの回天剣舞は、その重さからして桁違いだ。石畳を凹ませながら圧される赤コートは、僅かに苦悶の表情を浮かべる。
「顔がなくなれば、誰かに見せるなんて真似も出来ませんわね?!」
宙空で刀を手に握ったカシマレイコは、上天から唐竹割りの姿勢で赤コートを狙う。だが回避は不可能と踏んだのか、赤コートは自らの腕で一撃を受けると、顔面への直撃だけは辛うじて避けてのけた。
「ガアアアアッ!!」
「やっぱりあなた、本当はご自分の顔が大事で大事でたまりませんのね……」
着地の寸前でもう一度刀をくわえるレイコ。だがその眼前の赤コートはすでに満身創痍で、裂けた口の上で虚ろな目をこちらに向けると、諦めたように闇に消えた。
「ふむ、まあこんな所でしょうか? お兄様……お怪我は?」
既に興味は無いと言わんばかりに納刀し、刀を背負ったカシマレイコは、安堵したように鷹野の元に
「大丈夫。ありがとうレイちゃん。助かった」
「当然ですわ。お兄様の窮地に駆けつける事こそ、正妻たるわたくしの責務でございますから」
両手を足代わりにしたまま、にこりと微笑むカシマレイコ。この一等級の笑顔が先刻まで死を告げて戦場を舞っていたかと思うと、そのギャップに些か困惑する所ではある。
「それじゃ、とりあえず振興組合の本部に向かうか……怪異の原因は概ね分かった。――これは
* *
「はい……確かにわたしは、ここ数年で生まれたばかりの口裂け女です」
神社の階段をとぼとぼと歩く白コートの口裂け女は、そう呟いて項垂れる。
「じゃあ、あの赤コートの口裂け女は、別の地域の口裂け女って訳だね?」
とかく、岐阜県は口裂け女発祥の地とされているだけあって、伝承の幅が広い。ニノの言っていた
「そうなんです。今年になって突然……でももし事故が起きてしまったら、口裂け女のお祭りは中止になってしまうから、わたしはそれが嫌で……なんとかこれまでも妨害に徹してきたんです」
どうやらこの界隈で物理的な被害が発生していないのは、彼女が結界で以てオリジンの行動を抑制しているかららしい。少なくとも柳ヶ瀬周辺に限って言えば、白コートのホームグラウンド。相手に対し優位に立てるのも頷ける話だ。
「なるほどな……
「お力になれずすみません……元はと言えば、口裂け女同士の内輪もめだというのに……」
尚のこと項垂れる白コートの肩に手を置いて、鷹野は慰めるように勇気づける。
「大丈夫、あとの事は僕たちが何とかするから。ところで、僕はキミの事をなんて呼んだら良い? 流石に口裂け女じゃあ、申し訳が立たないかなって」
「あ……でしたら、
そう言ってマスク姿のまま柳那が微笑む頃、一行の足は振興組合の本部に至っていた。
* *
「そういう、事でしたか」
商店街の外れにある振興組合本部で、事の委細を聞いた会長は、沈痛な面持ちで目を伏せる。
「はい。ここ一連の騒動は、別の口裂け女による凶行でした。信じて頂けるかは別として、柳ケ瀬で生まれた口裂け女は、その凶行から市民を守り続けていたとお考えください」
ここにいるのは、会長と鷹野、それに車椅子上のレイコだけ。他の面子もいるにはいるが、当然のごとく余人の目には映っていない。
「正直ほっとしています。もし一人でも怪我人が出ていれば、今年の夏祭りは中止せざるを得なかったでしょう。なんとか話題で済んでいるうちに、事件が解決する事を願っていました……」
疲れ切った声を出す会長に、鷹野は同意の相槌を打つ。とかく今日日は世間が厳しい。ちょっとでも問題があれば誰かが騒ぎ、それで以て大規模なプロジェクトが中止に追い込まれてしまう。だから会長の困憊も当然の事だと鷹野は頷き、胸を叩いて大言を吐く。
「任せて下さい。あとはこちらで恙無く処理します。今晩中にはケリがつくでしょう。では明日、吉報で以て」
会釈をし本部を出る鷹野とレイコ。そうして始まるのは、
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