親と子

いくつも季節が巡り、あれから十年以上が経ち、神守将成こうもりしょうせいは立派な青年になっていた。白いタキシードを着て真っ直ぐに立つその姿は、自分の人生を自ら切り開いていこうとする凛々しい若人そのものと言えた。そして今日は、彼にとっても人生の晴れ舞台とも言うべき日だった。


小さなチャペルで、本当に親しい人間だけを招いた小さなものだったが、彼は今日、結婚式を挙げることになったのである。


新郎の控室で、いかにも精悍な男性といういでたちではあったが、実は慣れない格好して固まっているだけでもあった将成に、柔らかい笑顔を向ける者がいた。主役の邪魔をしないように控えめではあるが清楚なドレスをまといながらも、その大きな胸の存在感だけはどうしても誤魔化し切れない嶌村ほの姫しまむらほのきであった。彼女の隣には、柔和な顔をした人の好さそうな男性が立っていた。林貝りんかい、いや、今はほの姫と結婚して嶌村姓となった、嶌村弘徳しまむらこうとくだった。弘徳は三人兄弟の末っ子だったので、一人娘だったほの姫の嶌村姓を継ぎたいと自ら望んでそうしたのだ。


そんな弘徳に寄り添いつつ、ほの姫は嬉しそうに話しかけた。


すっかり一人前の顔をしている将成に向かって。


「…あの日、あなたのお母さんとあなたに会ってから、まさかこんな日を迎えられるとは正直思ってなかった。最初はただの同情と成り行きだったというのも正直なところだったと思う。だけどあなたと一緒に暮らしてきて、あなたを育てさせてもらって、私もあなたと一緒に成長できた気がするの。


もし、あなたと出会ってなかったら、私は今の私とは全然違う人間になってた気もする。彼とも巡り合うこともなくて、結婚もしてなかったかも知れない。今の幸せはなかったかも知れない。私の幸せはあなたがもたらしてくれたものなんだよ、将成」


その言葉に、将成は面映ゆいという感じで目を逸らしてしまっていた。だが、その口からは落ち着いた大人の男の言葉が紡がれたのだった。


「俺の方こそ、母さんには感謝してる。いや、感謝なんて言葉じゃ足りないな……


俺みたいな危ない奴を引き取って受け止めてくれて、散々迷惑掛けたのにそれでも見捨てないで今日まで育ててくれて…。この恩は、一生かかっても返せない気がするよ……」


『母さん』。将成の口から当たり前のようにその表現が出ていた。そうなのだ。養子縁組などはしてこなかったが、将成にとってはもうほの姫は間違いなく<母>なのだった。


「恩だなんて……私は恩を売っただなんて思ってないよ。むしろ私があなたに対して恩を感じてるくらいだよ……」


将成の言葉に、ほの姫の目には涙が溢れてくる。


そんな二人のやり取りを見て、嶌村弘徳も鼻をすすってしまっていた。その弘徳に向かっても、将成は話し掛けた。


「弘徳さんにも、迷惑掛けてしまって申し訳ないって思ってます。特に、あの日、母さんを守ろうとしてくれてたのに、俺、早合点してしまって……


本当に申し訳ありませんでした」


体を正面に向けて、背筋を伸ばしてから、将成は深々と頭を下げて謝意を示した。<あの日>とは、ふらついたほの姫を弘徳が支えたのを勘違いして襲い掛かってしまった日のことだろう。そんな彼の姿に、弘徳が慌てたように応える。


「いやいや僕の方こそ紛らわしいことしてしまって申し訳なかったと思ってる。それに僕がほの姫さんに告白しようと決心できたのは、あれがきっかけだったんだ。僕がはっきりさせなかったのが悪かったんだって思って。それにあの時は結局、誰も大きな怪我はしなかったんだ。むしろ将成くん自身の怪我が一番大きかったくらいだし、今から思えば必要なことだったんじゃないかな」


そう。あの日の事件の直後、弘徳は決心してほの姫に交際を申し込んだのである。ほの姫もその時はすんなりとOKしてくれたのだが、その後、多少の紆余曲折も経て、ほの姫と弘徳は五年前に結婚したのであった。そして二人は、いまだに周囲が呆れるくらいにラブラブだ。


その時、控室のドアが不意に開けられた。


「おかあさん! しょうおにいちゃん! およめさんのよういできたよ、すっごいすっごいきれいだったよ!」


ぷっくりとした赤いほっぺの真ん丸な顔をした少女が嬉しそうにそう言いながら入ってきた。ほの姫と弘徳の娘、麗良れいらだった。


「もう、麗良、ちゃんとノックしなきゃダメでしょ」


突然入ってきた娘をそう諫めながらも、ほの姫のその顔は、フワッとした柔らかい、母親そのものの顔であった。そんな母親に、少女は「てへっ」と頭を掻いた。


それからほの姫は将成に向き直り、言った。


「あなたの本当のお母さんにも、その姿を見せてあげたかったな……」


そうなのだ。将成の母親の消息は、あれ以来、杳として知れなかった。少し悲しそうな表情になったほの姫に彼は応えた。


「あの人が見付からないのは、まだその時期じゃないからじゃないかな。いずれお互いに受け入れられる日が来たらまた会える気がする……


俺、あの人のことは、たぶん、一生許すことはできないと思う。だけど同時に、あの人が俺を産んでくれたから今の俺があるんだっていうのも分かるんだ。だからそのことについては素直に感謝したいと思ってる」


そう言った彼を見て、ほの姫は眩しそうに目を細めた。それは実際に、彼のことが眩しかったからかも知れない。立派な大人の男の顔になった彼が輝いてみえたのだろう。


そんな控室のドアがノックされ、ドアが再び開き、チャペルのスタッフが、


「それでは、式を始めたいと思います」


と声を掛けてきた。


控室を出た将成の前に、純白のウエディングドレスに身を包んだ花嫁の姿があった。


「綺麗だよ」


「……」


彼にそう言われて頬を染める花嫁と共に、神守将成は自分の人生を歩み始めたのであった。



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サバイバーの少年が幸せを掴むだけの、ほんの小さな物語 京衛武百十 @km110

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