二話 神様ドラコカルド登場


「少し待て」


(そんなこと言われても動けるわけないしっ)


 と心の中でツッコミを入れる。目の前に巨大なドラゴンがいるのだ。仮に必死に走り出したところで、ビルくらいのサイズであるため一歩も動かずに橙也たちを捕まえることができるだろう。


「あ、あの……」


 橙也が意を決して声を出すと、ドラゴンの巨体が光り輝き、その光がみるみるうちに小さくなっていった。


 光が収まると、そこにはまるでデフォルメされたようなミニドラゴンがいた。

 なぜかハットを被り、蝶ネクタイをして、ベストを着込んでいる。一言で言えば、紳士のような格好。ワイルドにパイプを咥え、煙を吹いている姿は貫禄があるというよりも悦に浸る若者のように見える。


「オレ様、変身だぜっ」


 声もしゃがれたハスキーボイスではなく、少し若返った感じがした。

 唐突な展開についていけない橙也は、呆然としながらも姿を変えたドラゴンを眺める。


 デフォルメされて小さくなったためか、先程より見やすい。大きいときはどうしても恐怖が先に来てしまったが、彼(?)はこちらを害そうとはしていなかった。

 しかし、小さくなったのはいいとして、なぜいきなりハットとベスト、そしてパイプなのか。

 橙也には、なんだかもうよくわからなかった。


「か、かわいい……」


「かわいいか?」


 思わず漏らしたような桃香の声に、橙也は首を傾げる。

 改めてチグハグなドラゴンを見る。……かわいいか?

 確かにぬいぐるみっぽくなってだいぶ怖さは軽減されていたが、かわいいかどうかは個人的には微妙なところだ。


 まあでも、女性の「かわいい」はよくわからないことも多いしな、と思い直す。それこそ、もっと形容し難いようなキャラクターも、かわいいとくくられているのを見たことがある。

 そんな風に気の抜けた橙也たちを見て、ドラゴンが少し機嫌良さそうに再び口を開いた。


「やっぱりこの格好の方が話しやすいか。脅かして悪かったな」


 ハットを人差し指でくるくると回しながら、ミニドラゴンは呟いた。


「オレ様の名はドラコカルド。わかりやすく言えば、神様だ。よろしく! 呼ぶときはドラコでいいぜ」


「……」


 妙に気さくなノリというのも、いきなりすぎてついて行くことができない。


「おいおい、オレ様が神だって信じてないのか? 次元の壁を越えてお前を連れ出した張本人だぜ?」


「ど、どうして連れ出したんだ?」


 声を震わせながら橙也は尋ねる。


「お前の世界は様々な世界と密接にリンクしながら存在している。ま、目に見えている世界だけが世界じゃないってことだ。そして、そこにはバランスがある。人とか物とか……魂とか」


 ドラコは続ける。


「そのバランスを整えるため、お前を別の世界……異世界に転送しようということになった」


「どうして俺なんだ?」


「エーテルやマナ集合体との物質連鎖や魂の形成に関することなど、説明することはできるんだが、まあ……わかりやすく言うと――たまたまだ」


「は、はぁ……」


 橙也は曖昧に頷く。突然そんなことを言われても、正直よくわからなかった。

 普通なら戯言だと切って捨てるところだが、突然異様な世界に連れてこられたことや、目の前で縮んだドラゴンを目にしているので、一概にありえないと言うことはできなかった。


「えっと……拒否権は……」


「ない。一言で言えば“運が悪かった”だが、神的な観点から見るときちんとした理由があるからな」


「ちょっと待ちなさいよっ!」


 異議を唱えたのは桃香だった。


「何が“運が悪かった”よ!? 神様か何か知らないけど、あんたの都合でわたしたちの人生をめちゃくちゃにされたらたまったもんじゃないのっ」


「……」


 ドラコは桃香を見て、目を丸くさせた。


「おいおい、なんで妹ちゃんも来てるんだよ!? あちゃー! オレ様としたことが一緒に連れてきてしまったのか」


 さっきからおかしいなと思っていたがドラコは桃香に気がついていなかったのだ。


「かぁーやっちまったぁ! あー面倒なことになるぞ。えっと、こういう場合ってどうすればいいんだっけ……? 問い合わせてから返答もらえるのにどれくらいの時間が――」


「わたしを無視するなぁっ!」


 ドコっという音が聞こえたと思ったら、桃香がドラコの顔を殴っていた。そして、シャツの首元を掴み、


「これからどうなるか、ちゃーんと説明してくれるよね?」


 黒い笑みを浮かべながら、ドラコに顔を近づける。


(ひ、久々に見たぞ、桃香の悪魔の笑顔)


 巨大なドラゴンからも目をそらさなかった橙也だが、桃香の黒い笑みを見ると、思わず顔を背けてしまう。

 というか、神様相手でも普通にやるんだな、と驚く。だが、これでペースは桃香のものとなった。


「異世界に転送するって言ってたけど、どんな世界!?」


「オレ様のオススメは、ドロドロとしたモンスターたちがうごめく悪魔のような――」


 ドコっと再び音が鳴った。ドラコが腹を押さえているところを見ると、どうやらそこが殴られたらしい。


「そんな物騒な世界でただの人間であるわたしたちが生きていけるわけないでしょ!? 生きていけたとしてもかなり危険だからイヤ。それよりさ、転送される世界を選ばせてよ?」


「え、選ぶ……? そ、そんなこと言ってきた人間、今まで一人もいないぞ!」


「残念でした。わたしはそういう人間なの。わたしを連れてきたあんたの不手際を呪いなさいっ!」


「くそーっ! なんでこんなことに!?」


 ドラコの能力を使えば、簡単に桃香を従わせたり、消すこともできるのだろう。そんなことをしないというのは彼なりの良心なのかもしれない。単純に抜けているだけなのかもしれないが、良心ということにしておこう。


「まず、絶対条件は安全な世界ね。街から出たらモンスターがウヨウヨいるような世界はパス。あと、適度に文明も進んでいる方がいいな。お風呂やトイレがないのはイヤだから。あとは、兄さんの美味しいごはんを食べたいから調理するのに困らない環境でお願いね。あと、一番大事なのは――お米があることっ!」


 指を突き出しながら桃香は言うのだった。


「やっぱり一日に一回はごはんを食べないと死んじゃうからね。他には……」


 それから十分間、ドラコは桃香のリクエストを聞かされ続けたのだった。


「も、もういいか?」


「いいよ♪」


 言いたいことを言えたのか、桃香はすっかり満足げな様子だ。

 ちなみに、言葉や環境への適応はドラコがすべてやってくれるらしい。要は桃香の注文はすべてオプションサービスということだ。


「これだけ言うことを聞くんだから、大人しく転送されてくれるな?」


「断ることもできそうにないからな」


「わたしも――」


 桃香がそう言おうとした時、ドラコが言葉を遮った。


「散々リクエストをしてくれた手前申し訳ないが、モモカ……お前は元の世界に戻ることができる」


「え……?」


「だが、トーヤはどうあっても異世界に行くことになる。悪いな」


「待って。なんでわたしだけ戻されるの?」


 桃香の問いに、ドラコは申し訳なさそうに答えた。


「お前を連れてきたのはオレ様のミスだからな。元のターゲットであるトーヤさえ転送できればオレ様の仕事は完了したことになるんだ」


 ミスをしっかりと認めるあたり、そう悪い人――ドラゴンでもなさそうだ、と橙也は思った。

 あくまで異世界へ送られるのは橙也、ということらしい。


 結局のところ、そのバランスとやらの詳細は橙也達にはわかりえないことだ。説明を受けたとしても、神と人ではそもそもの視点も違うし、理解できないだろう。

 重要なのは、自分が異世界に送られる、ということ。

 橙也が異世界で生きていれば、バランスとやらには好影響を与えるらしい。


「なるほど。食事も世界もバランスが大事ということだな」


「兄さん、別にうまくないからね?」


「そ、そんなつもりじゃ……」


 だからドラコから橙也にお願いされるのは「異世界で暮らすこと」だけらしい。「魔王を倒してこい」というような大層な使命を押し付けられないのはいいが、突然異世界に行けと言われてもそう乗り気になれるものでもない。


 幸いというべきか、桃香は元の世界に戻れるらしい。


 まだ学生である彼女を残していくのは心配でもあるが、ドラゴンが目の前に現れた時点で、自分が犠牲になって彼女だけでも逃がそうと思っていたのだ。それが達成できるのだから、及第点と考えるべきだろう。寂しくはあるが、どうすることもできない。


「桃香、お前は戻れ。元の世界には友達がたくさんいるんだし、やりたいことだってあるだろ?」


「兄さん……」


「俺は大丈夫。お前と離れ離れになるのは寂しいが、いつか会いに行けるだろう」


 橙也がそう言うと、桃香は下を向いたまま黙ってしまった。


「さて、別れも済んだようだな」


 ドラコが言う。


「トーヤにはバランスを踏まえた能力を渡す事になっている。まったくの丸腰で異世界を生き抜くのは難しいだろうからな。……とはいっても、世界の均衡を崩すようなトンデモ能力は付けられない」


 要は圧倒的なチート能力は授けてもらえないということらしい。


(仮に、無敵の能力があったとしても戦いはしたくないから宝の持ち腐れになるだけだろうけど……)


 ドラコが指を横に滑らせると、そこから大きめの本が出てきた。

 赤い表紙に金の刺繍が入った、豪華で分厚い本。表紙には百三十と書かれていた。

 本を手にした彼は、橙也へと手渡す。


「それが選べる能力の目録だ。表紙に書いてあるスキルポイントの範囲内で好きに選びな」


 分厚い本を開いて眺めながら、橙也が呟く。


「選ぶ、といっても、どれがいいんだろう」


 様々なスキル――チート級のものからちょっと便利なもので――が必要なスキルポイントとともに並んでいる。時間止め、無限魔力、一撃必殺など派手なスキルが目についた。もちろん、それらは高ポイントだ。


「時間はまだあるから、しっかりと選ぶといい。自分の適性やしたいことを考えながらな」


「適性やしたいことか……」


 そう言われて、橙也は考えてみる。自分がしたいこと。異世界でどう生きていきたいか。

 考えてみると答えは簡単だった。橙也は早速本のページを捲り、スキルを選んでいく。


「俺が選ぶのは……」

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