三話 魔法使いの料理
厨房に戻った橙也は考える。
(ストレスで痛む胃に優しいもの……)
胃酸過多と見られる状態では、まず胃の中が空というのは良くない。自分の胃酸で粘膜がやられてしまうからだ。
かといってなんでも詰め込めばいい、というわけでもない。弱った胃をいたわることも大事だ。
そこで刺激の少ないもの、消化のいいものを、食べすぎないよう軽めにとっていくのがいいと考える。
刺激の少ないものにするのは、すでに弱っている胃壁にこれ以上のダメージを与えないため。
消化のいいものにするのは、弱っている胃に過度の働きをさせないためだ。
さらに、朝ということで用意できる食材から考えると――。
「兄さん、何をつくるの?」
答えを出そうと思ったタイミングで桃香が話しかけてきた。
「ちょうどいいところに来てくれた。だいたいのイメージはできたんだけど、桃香に確認したいことがあるんだ。シンディと仲がいいからね」
「兄さんの力になれるの? なになに?」
興奮ぎみの桃香。橙也のためになにかできることが嬉しいらしい。
「シンディは米を普通に食べていたよね?」
「うん。そんなに抵抗ないみたいだよ。クールだけど、いろいろなことに興味ある人だし、役人として知識を広げるためにもいろんな国の食文化を体験したいって言ってた」
すでにこの街にも普及しつつある米だが、やはりパンのほうがいい、ご飯はあまり食べたくない、というお客さんもいる。リゾットやピラフ、ライスサラダのように味を付けて食べるのが主流で、炊いただけのご飯は味がしないから嫌だ、という人もいるくらいだ。
そのため、健康食堂では通常、ご飯がセットになっているようなメニューでも、無料でパンに変えることができる。
しかし、シンディは日頃から普通にご飯も食べているという確認もできたので、
「……あれがいいな」
橙也の中でイメージが固まった。
「メニューが決まったみたいだね、兄さん。どんなものができるのか楽しみだよ」
「先に副菜となる小鉢から進めようと思う」
「たしか今日は……モロヘイヤのおひたしだったよね?」
「幸いにもな」
「幸い?」
よくわからないのか桃香は首をかしげるのだった。
「ぬめりのある食品は胃粘膜の働きを助けるからモロヘイヤはちょうどいいんだ。だけど、このまま出すより一工夫させた方がいい」
「一工夫って?」
「温めるんだよ」
「それだけ? って、思ったけど普通は冷たくしてあるもんね」
通常、小鉢として出すモロヘイヤのおひたしは保存の都合や、色が悪くなるのを避けるために冷たくしてある。コンロ同様冷蔵庫のようなものも魔道具として存在しているため、良い状態で提供できる。
しかし今回は、あまり冷たいのも胃に刺激を与えてしまうので、シンディに出すために少し温めておくことにした。
「いつもは色味を考えてつくっているけど、今回は見栄えよりも彼女の体調に合わせる方を優先させるべきだと思うんだ」
「いいと思う。味や栄養価が落ちるわけじゃないんでしょ?」
「ああ」
小鉢が終わると、今度はメインの作業へと取り掛かる。
「桃香、土鍋を持ってきてくれ」
「土鍋ってことはもしかして……」
「ああ。食欲がない人でも美味しく食べられるアレだよ」
桃香が持ってきた土鍋をコンロに置き、まずは別の鍋でつくってあった鶏がらスープをこぼさないよう気をつけて移す。これだと少し濃い目の味付けになってしまうので、そこへ水を足して火にかける。
味付けの濃さは食べる人の好みや状態によるが、シンディは特に濃い味付けが好きというわけではなかったし、刺激を減らすためにも今回は薄めの方がいいだろう。
スープを温める間に卵を割り、菜箸で溶いていく。手慣れた動作なので半ば無意識に箸を動かしていった。
卵黄と卵白を切るように細かく混ぜていく。
透明な部分が徐々に黄色と混ざっていき、程よいところでかき混ぜを止めた。
どのくらい混ぜ合わせるかも好みの問題だ。橙也はバランスをとって、ほどほどにすることが多い。
「黄身から出ている白いものってカラザっていうんだよね? どうして取り除かないの?」
「生で食べる時はともかく、火を通せば食感の違いはさほど気にならない人が多いと思っているからね。それにカラザにはシアル酸を含め栄養があるから、料理と共に摂取してしまったほうが弱った体にはいいんだよ。まあ、カラザに含まれるシアル酸の量は大したものではないけど」
「そうだよね。ただでさえ、この世界の人って健康に気を使わないから」
栄養と健康というのは単純なものではない。健康食を食べればすぐに元気になるわけでもなく、普段からの意識や継続が大事になる。
(このことが少しでも多くの人に、この世界でも伝わってくれれば……)
魔法のように、これをしたからすぐ治りました、摂取した瞬間に調子が良くなりました、というものではない。しかし、だからといって疎かにしていいわけではなかった。
栄養のために味を犠牲にすることはしないが、逆もまたしかりだ。
いくら健康のためとはいえ、美味しくない料理を食べるのはつらい。
「そろそろ完成かな」
卵を混ぜているうちに温まったスープの入った鍋にご飯を投入し、さらに加熱していく。ややかために炊かれたご飯にスープがゆっくりと染み込んでいった。
スープを吸い込んだご飯は少し膨らみ、柔らかくなっていく。
(このくらいまで柔らかくなれば、食べやすそうだ)
その様子をしばらく眺め、ご飯を含め温まったところで、溶いておいた卵を投入する。
元気な時ならもう少し塩で味を整えてもいいが、今回はこのまま薄味でいこう。
そう判断して、卵に火が通るのを待った。
「すごくおいしそう! わたしも食べたいなっ」
「桃香にはあとでつくってやるから」
「やった!」
卵がふんわりとした仕上がりになったところで火を止める。半熟くらいの艶やかな黄色が輝いている。
お盆の上に鍋敷きを置き、土鍋を移す。
温めておいた小鉢と椀をお盆にのせ、シンディの元へ運ぶことにした。
(これを食べただけで完全に良くなるわけじゃないけど、少しでもシンディが楽になれば……)
健康食というのは薬ではない。
だが、食というのは毎日食べるもので、人間が生きていくうえで欠かせないものだ。
医学や薬学と同じくらい人を助けることができると考えているし、身近な生活という観点では食はかなり重要と言えるだろう。
「お願いね、兄さん。シンディって私よりも年下だけど、すごいしっかりしているし、この街のこともたくさん教えてくれた。この世界の数少ない友達の一人だから助けてあげたいんだ」
「大丈夫だよ、桃香。シンディは重症というわけではなさそうだから。気持ちの面でやられているだけだろうし」
「兄さんの料理が心も癒やすんだね」
「それはわからないよ。だけど、俺は俺にできることをやるだけだから」
そう言って橙也はシンディのところへ向かったのだった。
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