獣が最初の真の日本の天皇となる歴史小説です。
獣が成した新たな国創りが内面から描かれています。
飛鳥時代7世紀、日本の大きな変換点である乙巳の変、大化の改新、壬申の乱を経て、ようやく世の中は安定する直前までを描いた歴史小説である。この時期は日本が国としての基礎が形成され、天皇という最高権威が生まれたことにより、その後の日本が成長していくことになる。
「第一部 天の智」は後の天智天皇の話である。天智天皇は百人一首で「秋の田の かりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」が選ばれており、民衆の生活や気持ちをある程度理解していると思っていたので、獣は葛城なのか疑問を抱えながら読み進めた。やはり獣なのか。しかし猫も鎌もいる。
「第二部 天の武」は後の天武天皇の話である。獣はまだ残っている。それは葛城や鎌の亡き後も遺伝しているのか。それとも新たな獣が成長するのか。誰だという疑問より、タイトルの「雷獣の牙」の牙が気になってくる。
ここで現れた獣こそが日本の将来を決定づけた。この獣はサブタイトルにあるように「ただ吠え、喰らうだけ」ではない。他人はおろか親兄弟子供までも喰らい、本当の国家を作るための光を持ち合わせていた。
その光が牙に宿っているのか、獣が雷のごとく吠える時、牙から国を導く光が発せられる。
獣は王となり代々続いていく。
葛城と鎌――中大兄皇子と中臣鎌足の名で誰もが学び知る二人の出会いを、これほど鮮やかに描き出した作品が過去にあっただろうか。
――見下ろすな、俺を。
葛城を、蘇我入鹿の誅殺へと駆り立てた強き思い。
大化の改新を為し、新たな時代を築き上げた彼の聡明さと、激しさ。
それを作者は、獣と称した――雷電を纏った獣であると。
獣に王の器を見出した鎌は、その牙を恐れつつも御し、時に手に余らせながら、忠臣であり続けた。
鎌もまた、烈々たる獣だった。
そして、葛城に従うもう一匹の獣――猫。
本作は史実だけでなく、作者による個人的考察と創作を大いに含んでいる。
しかし、まさしくこのような事があったのではないか、と錯覚するほどに登場人物たちは生き生きと物語を紡いでいく。
遠く知らぬ時代と嫌厭されることなかれ。
教科書をさらっただけでは決して伺い知る事のできない、思惑と激情の交錯がそこにはある。
獣らが目指した、新たなる国の形。
その目でしかと見られたし。
物語の舞台は、歴史に疎い私でも知っている大化の改新。
教科書にはほんの僅かな情報が記載されたのみでしたが、それでも皇子が時の権力者を打ち倒すという革命に心が躍ったのを今も鮮明に覚えています。
見下すな、と見上げるばかりだった青年、葛城。
彼はその時、沓を履かせてくれた鎌なる人物によってその夢を叶える一歩を踏み出します。
けれどもこれは、魔法使いにガラスの靴を与えられ、不遇から抜け出し幸せを掴むシンデレラストーリーではありません。
御伽話のような優しさも都合の良さもない、人が獣となり世を喰らい破り、我々が生きる『今』に繋がる生々しい創世の物語なのです。
敢えて淡々とした文章で綴られておりますが、王となる器をただいたずらに持て余していた葛城が、雷獣の本性を剥き出して咆哮する様は圧巻!
また彼の素質を見抜き、己が履かせた靴で王の道を歩ませんと策を巡らせる鎌もまた獣。
他にも葛城を取り巻く者達が、呼応するように獣に目覚めていく姿には鳥肌立つほどの狂気と狂喜に震えました。
一人の人間が、どのように王と成るのか。
一人の人間を、どのように王と成すのか。
王とは?
国とは?
民とは?
普段我々が気にも留めずに通り過ぎている『国家』というもののの存在をしかと突き付けられ、雷に打たれ獣に牙突き立てられるような心地を覚える、珠玉の歴史小説です。
かの政権交代劇、ことその後に続く改革は、教科書でも取り上げられるほどに著名だが、反面それを取り上げた作品はあまりに少ない。
本作はその一連の事件、すなわち乙巳の変と大化の改新の詳細と前後の事情を描いた意欲作ですが、何より象徴的なのはその登場人物のキャラクターでしょう。
その歪みと激しさにより雷獣になぞらえられる天才、葛城。彼の気性を恐れつつも、彼を天皇にせんと智略をふるう鎌。
現代においてはより有名な名で知られている彼らの、教科書の字面で追っていては決して知れない貌。
それは妖しくもどこか危うげで、ゆえにこそ強烈な魅力を持ち、馴染みの薄い世界に没入させてくれます。
時々差し挟まれる作者様によるこの時代に対する考察も、非常にわかりやすく、物語に深みを与えてくれます。
この時代のことを知らない人にも優しい、歴史物としても純粋に小説としても、引き込まれるほどの面白さがある、異色の傑作。