「うつす」は写す? それとも映す?

 最近はめっぽう暗いニュースが続いて、なんとも出来の悪いフィクションのような毎日です。事実は小説より奇なりと言いますが、小説に事実のようなことを書いても「リアリティがない」と言われるオチなのはなんとも納得のいかないものです。


 かの江戸川えどがわ乱歩らんぽ氏は、生前こんな言葉を好んでいたというエピソードがありますね。


現世うつしよは夢、夜の夢こそまこと」

 

 現実というのは夢みたいなもので、夢の中のことこそが本当のことなのだと。

 そういう意味だそうですね。



 さて、「現世うつしよ」とは現代語にすれば「この世」のことですが、「うつす」も同音異義語の多い単語です。

 いくつか並べてみましょう。


 うつ

 うつ

 うつ

 うつ

 感染うつ


 どれも漢字を見れば、何となくは意味合いが分かりますが、それぞれの漢字の使い分け、ちゃんと説明出来るでしょうか。

 「うつす・うつる」について用法・用例を見ていきましょう。

 今回も参考にしたのは「NHK漢字表記辞典」です。


うつす】

 「写真」「写実的」などの表現から分かるとおり、この「うつす」は、映像や文章などを「静止画や紙の上」に複製する場合に使われます。

 このため写真に関する文章の場合は、「写真しゃしんうつりが良い」というように、同じ漢字が続いてしまうことがちょっと悩ましいところです。

(例)・答案を丸写まるうつしにする。

  ・お分かりいただけただろうか。顔のようなものがうつっているのが。


うつす】

 「映画」「映像」などのイメージが分かりやすいですが、こちらの「うつす」はおもに「動きがそのまま見えるもの」に使われます。

 映像とは別のところでは「影が障子にうつる」や「鏡にうつる」などの現象もこちらになります。

 また、「世相をうつし出す」や「美しい景色が瞳にうつる」など比喩的な表現もこちらの「うつす」がメインで使われるため、「うつす」よりもやや広い範囲で使われると考えてもいいでしょう。

(例)・鏡に映ったあなたと2人。懐かしさとたくましさを感じる。

  ・水面にうつり込んだ僕は、何も身にまとっていなかった。


【移す】

 こちらは上記2つとは全く異なり、一つのものが別のところに移転、移動するような場合に使われます。

 とはいえ、冒頭の「現世うつしよ」の言葉からも分かるとおり「うつす」は「現れる」の意味合いがあるため、「うつす」「うつす」などの言葉とも、根っこの部分では似通ったものがあるのではないでしょうか。

(例)・ここじゃ何だから、ちょっと場所をうつそうか

  ・君もスマホか。時代のうつり変わりを感じるね。


うつす】

 「移す」に近い言葉ではありますが、こちらは明確に「遷都せんと(首都の場所を変えること)」以外には使用しないため、非常に限定的な用語です。常用漢字でもないため、使用するときには読み仮名を付けるのが適当でしょう。

 また、別の辞書などでも用例としてわざわざ「首都をうつす」が「うつす」の方で記載されているため、よほど雰囲気を出したいときなどでなければ「うつす」を使う必要性は薄いと考えられます。

(例)・王の命令のもと、都は三度もうつされた。


感染うつす】

 病気や癖、あるいはあくびなどがうつる場合はこの漢字になりますが、明らかに当て字であり、通常は使用しません。従って、この意味で使うときにはひらがなの「うつす」が適当かと思います。

 個人的には、この当て字の知名度が上がった要因のひとつとして「感染うつるんです」という漫画があるかと思うのですが、今の若い人はさすがに知らないでしょうね。

(例)・おいおい、変な病気を感染うつさないでくれよ。



 以上が、「うつる」の漢字の使い分けの大まかな説明でした。

 ここからは長い長い余談の始まりです。



 さて今回、なぜ「うつる」を題材にしたのでしょうか。

 そう、実は最後の「感染うつる」について、何か書きたいと思ったのがきっかけでした。

 この文章は、2020年の4月に書かれました。


 あなたがこの文章を読んでいるのはいつでしょうか。私が書いたときからそう遠くないかもしれません。はるか未来かもしれません。

 今、世界は新型コロナウイルスによる災禍の真っただ中です。世界各国の感染者が何人、死者が何人、と連日連夜の報道が続いています。


 海外のいくつもの国で渡航が禁止され、東京もロックダウン間近、などと言われつつ先日ついに「緊急事態宣言」が発表されました。


 未知の感染症を前に、人類はあまりにも無力です。まるで出来の悪いフィクションのようなありさまです。


 "「人類の敵」が現れても、世界は一致団結なんかしない"


 フィクションではさんざん言われた言葉ではありましたが、確かにこの局面になってそれが本当であると、まざまざと感じます。人類は、共通の敵に対しても全く一つになりません。


「あの国はやられた、せめて自分の国だけは」

「あの町はやられた、せめて自分の地元だけは」

「あの家はやられた、せめて自分の家族だけは」

「せめて自分だけは」

「せめて自分だけは」

「せめて自分だけは」


 あなたがこの文章を読むとき、世界はどのように変わったでしょうか。前と同じかもしれません。全く違うかもしれません。

 人類は無力で愚かなままでしょうか。災禍を経験して、少しは賢くなったでしょうか。


 そうした世界の【うつり】変わりのさなかに、何か文章を残したい。

 そう思って、こんな題材にしてみました。

 私に、今の世の中のためにできることなどありません。

 しかし、市井しせいの人々が残した何のことはない文章こそが、いずれその時代を【うつす】鏡になるのでは。

 私はそのように思っています。


 全く、人類って困ったものですね。

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なんとも困った日本語講座 たはしかよきあし @ikaaki118

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