結 : Ending

 限りある儚き生を謳歌するべく大合唱するセミの声の遥か後方でじんわりと溶けるように届く生活音。

 夏の暑さが年々激しく纏わり付く様に感じ始めたのはすっかり恒例と化した地球の温暖化によるものなのか、それとも年齢を重ねた事による老化のあらわれなのかはまだ分からない。


「じゃあ…僕はもう一人、会いたい人がいるからさ――先に車に戻ってて」

「あぁ、うん。了解。私達の事は気にしないで」


 三歳程年上の妻に子供を預けて、僕は蒸し暑い霊園を一人で歩く。

 あの頃は何度となく通った場所だけど、それなりに時間が経過してなお当時の面影を少なからず残しているのは場所柄ゆえだろうか? 少なくとも田舎町の国道沿いなんかはこうは行かないだろうな。


 顔も知らない先祖と共に眠る母親の墓石のすぐ近く――そんなに広くも無い敷地内なので、大して思索に耽る間も無く、あの人のいた筈の花崗岩カコウガンの前に到着。


 墓碑の表面に刻まれた見慣れぬ姓を指でなぞる。


 建てられてからそれなりの年月を過ごしているからか――月日の経年における些細な痛みは見受けられるが、それにつけても小綺麗な見た目をしている御影石は彼の子供が――或いはその後の血脈に連ねた子孫達が先祖を敬い、定期的に手入れをしている証。その事実に、少しだけ…頬が緩む。


 基本的に霊園内ならば超常現象的に浮遊可能だと豪語していた彼の本質的な根城に、線香と煙草を数本捧げる。

 信仰する宗教は聞いてないが、紙巻き煙草を供物にする慣習はきっと無いと思う。けれど、それでも多分、中学生にすら煙草を要求する人物だから喜んでくれるだろう。


 由来の異なる二種類の煙が曖昧に絡んで混じりながら夏空に溶けて行くのを横目に僕はおっちゃんに近況を報告する。


「何年ぶりかな? おっちゃん…ああっと、元気してる?」


 余りにも拙く芸の無い問いかけに、我ながら苦笑が滲む。合コン初心者の大学生だってもう少しマシで気の利いた問いを投げ掛けるよ。


 心中で動揺による軽い失望を――いや、そんなに上等で格好いいものじゃない。

 不甲斐無い自分に再びの苦笑を羞恥を備えて滲ませながら、独白に似た言葉を箇条書きで自分勝手に紡いでゆく。


「前みたいに直接お喋り出切れば、それが一番なんだけど…まあ、ね。ちゃんと、おっちゃんが聞いてる体で話すから」


 勝手かな?と御意見を改めて伺うものの帰ってくるのは蝉の声。岩にすら染み入るその大合唱は反響し倍音して、寂しく鼓膜を揺らすだけ。


 自己を慰めるだけの自家発電みたいな禅問答にいい加減嫌気が差してきて。断片が逡巡や緊張と共に喉を鳴らし、声無き声が口内をエコーする。


「そう言えば、おっちゃんが消えた後だけど、結構びっくりしたんだぜ?」


 幾度と無く顔を合わせて言葉を交わした者が眼の前から文字通り消え失せるという驚異の体験をしたのはあの瞬間だけであり、ついでに言うならばオカルト的な存在と邂逅したのもおっちゃん以外に無い。

 そういう種類の――ありふれた俗世を離れた良くないものに一度行き合ってしまえば、惹かれやすくなってしまうというのが良く聞く通説だと思うが、実際はそんなことは無い。その事実の幸不幸や良否、その根の善悪なんかは全然分からないけどね。


 そんな与太話はともかく、浮遊霊に説教された僕は反論やその他の意見を返す手段を持たなかった。対象の存在そのものの消失という形で物理的に遮られた。当て逃げみたいでタチが悪い。


 しかし、それなりに感銘を受けた少年はとりあえずこの世のものでは無い中年の言葉に従って「納得」を求める事にしたのだ。


「でもさ、それからは手当たり次第にがむしゃらにやったよ…。やれることは全部やったし、やりたいことは幾らでもあるから」


 その中で沢山の人を好きになったし、同じくらい嫌いになった。死ぬ程迷惑を掛けられたし、死にたくなる程迷惑を掛けた。数え切れない位に傷付いて、信じられない位に傷を付けた。


 めちゃくちゃ道に迷って、色んな旅をして。そのくせ全然光明なんて見えなくて。

 それでも懸命に、時には怠けたりしながらもずっと、後退したりしながら「納得」を探し続けたらこの歳になった。気が付くことなくなっていた。


 おっちゃんみたいに中年と呼ばれるのはまだ先だけど、今の僕を見て少年扱いしてくれる人はこの社会にはいないだろう。職場で小僧扱いはされても、社会人には変わりないのだから。


「あとさ、僕も結婚したんだ…息子もいるよ。奥さん似でイケメンなんだ」


 おっちゃんは自分の子供をなんと称していたかな? 申し訳ないけど忘れたよ。多分ブラッドピットと同列には語っていなかったよね。


 そんなテイストで極めて薄い薄情さに後ろめたいとまでは言わないが、気持ちのレベルが一瞬マイナス方向に振れたので何かを誤魔化す様に「今度は一緒に連れてくるよ」と慌てて付け足した。


「あとは…えっと、あとは。あっと、ああ――駄目だな。もっと色々言いたい事があった気がしたけど、全部忘れちゃったよ」


 定石通りに空く筈の間を嫌い、火急な感じの矢継ぎ早に…イイ感じに続きを重ねようかと思ったが、アドリブ力の無さが露呈する悲しいシーンになってしまった。


 前持って話そうと用意した話題は何処に行ってしまったのか。それとも用意したつもりで言うつもりは無かったのか。どちらでも良いよ。どっちにしたって同じ事だ。


 余りにも取り留めの無く、その挙句にセンスと理知が皆無な散文詩は、流れ行くまま運命の気紛れに――案外気分次第で千切れたりくっついたりするものさ。


「あのさ、おっちゃん」


 その一言だけで、思春期の自分を端とする様々な青い感情が潮騒みたく押し寄せてしまい、脚に絡んで二の句を次ぐことを躊躇ためらいそうになる。

 けれど、僕はを伝えに来たのだから、今更尾を引いて言わない訳にも行かないよ。


「僕…教師になったんだ」


 気候由来の茹だる熱気と天体が有する重力の尻尾を振り切って、ようやく絞り出したのは何てこと無い近況報告。

 それでも僕にとっては何よりも勇気のいる一言だった。妻へのプロポーズよりも決意を固めて、自分と向き合った末の行動だよ。


「駄目な奴ばっかり気になって、あんまり良い先生とは言えないけど――まあ何とかやってるよ」


 昔の僕みたいなクソガキがどうして気になるんだと苦笑いが自然に出てきた。


 思えば「昔の僕」は本当に子供だった。知る事と知らない事、心と頭の理解の区別すら出来ていない様な…そんな種類の普遍的な賢しく愚かな少年だった。

 その地続きである今の僕が立派な大人であるかは別問題だけれど、それを理解し慮れる程度には成長したと言えるだろう。


「賢いだけのバカや人生捨ててるヤンキーとか。この世界の絶望を全部見た風な…そんな知ったかぶりのお姫様とか。そういう子供を何とか導きたいとか思ってるんだよね」


 かつての自分と重なる部分を持った青少年をなるべく良い方に導きたいと思っている。かつて、貴方がそうであった様に。そうしてくれた様に。

 まだまだ生まれたての子供達がまだ見ぬ将来に向けて少しでも良い方向に歩き出せる様に手助けをしたいから。


 だから、僕は教師になった。短絡的かな?


「そういう偽善じみた押付けがましい感傷がおっちゃんの言う『納得』に繋がるのかは分からないけどさ」


 僕は何とかやっていくよ。


 短くなった線香が燻って蛍を思わせる。

 人の一生もそれと同じなのかなって漠然と感じた。

 見る人から見れば、流れ星みたいに一瞬で消え行く、儚くて切ない存在なのかもしれない。


 だったら、そんな短い時間の中で「存在意義」とか「意味」とか、曖昧で無形の憧憬を求めて足掻く事に一体どれほどの価値があるというのだろう。


「…なんてね。そんな物思いは思春期の頃に通り過ぎたよ」


 立ち上がり、一息を入れてから墓石に向かって軽く頭を下げた。

 そこに含めた意味と感情は誰にも分からない。謝意か感謝かそれとも儀礼か。知らないし、意味は無いよ。きっと。


「じゃあね。母親の時みたいに頻繁って訳には行かないけど…また来るよ」


 そう告げて僕はおっちゃんに背を向ける。男の別れなんてこれくらいアッサリで良いんだよ。普通に照れ臭いし、何より気恥かしいしさ。


 霊園を通り抜けて愛する妻と子供の待つ駐車場へとゆっくり歩く。

 ここで背後からおっちゃんが現れて良い感じのセリフを僕に囁いてくれたらラストシーンとして珠玉なのだろうけど、生憎世界はそこまで都合良く出来ていない。エキセントリックで想像以上に良い感じにイカれていようとも現実は現実なんだ。つまんねぇよな。本当。


 そもそも課外授業なんてものは大概つまんなくて、味気無いもんなんだよな。

 身に付くものなんて本当に些細なもので、得られるものは本筋以外が大体を占めるのが常である。


 凡人たる僕はその例からはみ出すこと無く綺麗に枠内に収まるから、結末だってきっと味気無くてありきたりなんだ。


 僕は全然天命とか天啓とか。

 そういう大仰なオラクルは一向に訪れないままに大人になって、おっちゃんの示した納得なんかは全然見つけられないままに夫になって――その挙句に父親になった。


 こうして列挙していくと本当に、何一つ成長していないみたいだけど。

 不貞腐れて、懺悔の為に霊園ここに通っていた頃とは違うものも僕の精神なかには確かにある。


 自身に贖罪と断罪を求めるのでは無く、外の世界との納得とそれに纏わる意味を求める様になった。


 それは課外授業の成果って言えないかな?


 何処かで鳴ったはずの終業のベルを背中に僕は納得を探す為の長い旅路の中へと戻る。

 終わりなんかは全然見えなくて、現在位置がどの程度なのかは皆目見当が付かないけれど、そういった不完全さをひっくるめた出来損ないの泥人形の集合体が人生って呼ばれるものだから。


 見えないものに従って、見えない何かを求めて歩いていくんだ。

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おっさんと僕 本陣忠人 @honjin

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