第16話 博物館
心地よく晴れた土曜日。
休日の五番通りの比較的賑やかな往来を縫って、類は『カロ屋』に向かっていた。
時刻は午前11時少し前。
“OPEN”のプレートが下がった『カロ屋』のガラスドアを開ける。
カラコロと上部のドアベルが鳴った。
「おはよー。アリサいるか?」
類は薄暗い店に入るなり、店内を見回して言った。
「類!昨日は大丈夫だったのか?」
作業台の前で何やら作業をしていた茂が、類を見るなり立ち上がって言った。
「ああ。大丈夫だよ。疲れがたまってたんだ」
「そ、そうか……。何もないならいいんだが。まったく……、何が何だか、異世界絡みのことはわけがわからんからよ」
茂はそう言って、作業台の前の椅子に再び腰を下ろし、老眼鏡をかけた。
その傍らに、特注品の杖が置いてある。
類はその杖に目が留まった。
「そう言えば、杖、まだ取りに来ないの?」
「ああ。ルルアさんが取りに来る予定なんだ。昼前って言ってたから、そろそろ来る頃だとは思うんだけどよ……」
「ふむ……」
類はレジカウンターに寄りかかって、作業台を見た。
「あ、ルイ兄!」
その声に振り返る。
休憩室と店側との間に、アリサが驚いた顔をして立っていた。
アリサは半そでTシャツと黒いノースリーブのジレに、やや短めのスカート、ニーハイのソックスを穿き、背中にはいつもの黄色いリュックを背負っている。
おろした髪のせいか、いつもとは少し違う雰囲気だ。
「アリサ、今日はありがとうな。よろしく頼む」
「ルイ兄がパーカーじゃない!」
「へ?」
類は黒いズボンに、おしゃれなボタンの付いたブルーグレーのシャツをはおり、中に爽やかなVネックの白いカットソーを着ていた。
「ルイ兄が、パーカーじゃないなんて!」
「お、俺だって、たまには違う服くらい着るさ……」
類はそう言ってムッとした顔をした。
「うわー……、信じられない」
アリサはそう言うと類の横に立ち、類を上から下まで眺めまわした。
「な、なんだよ。いいだろ別に……」
アリサの視線に、類は少しムッとした顔をした。
「類、明日なんだけどよ……――」
茂が老眼鏡を外し、作業台から類を見て言った。
「――店、手伝ってくれないか?」
「あぁ、アリサから聞いたよ」
「この前、青空市で仕入れてきた物の整理が終わってなくてな。それに……」
茂は言葉尻を濁すと、視線を棚の奥に向けた。
その先には、ルイが退治してきた魔物の羽が通路を塞ぐように置いてある。
「あー、それか。とりあえず戦利品として持って帰って来たけど、よく考えたら“どうしよう?”って感じの代物だよな」
類は苦笑いをした。
「そうなんだよな。何か利用できないかとは思うんだが」
茂はそう言うと立ち上がり、棚の間に腰を屈め、羽の先を触った。
青味がかった黒いその羽の表面は、植物の鶏頭のような質感があり、見た目よりも非常に軽い。
「ルイ兄。その羽って、前に夜に見た魔物のやつだよね?」
アリサがカウンターの内側から羽を見て、頬杖をついて言った。
「うん、そうだよ。3匹退治したから、あの時見た3匹の魔物で間違いないとは思うんだけどね……」
「青空市で見たやつと違うのかな?」
「うーん、どうだろう?形はほぼ同じだったけど、大きさが全然違うんだよな……」
類はそう言うと首を傾げた。
「ね、ルイ兄。それよりこれ見て!」
アリサはそう言って、何やら黒い毛糸玉を取り出し、カウンターの上に置いた。
「へ?何これ」
それは黒い毛糸で作られた、3センチほどの編みぐるみで、フェルト地で作られたコウモリにも似た羽が付いている。4本の腕が、青い毛糸で表面に張り付けるように表されていた。
「もしかして……、あの魔物?」
類はそう言って、その編みぐるみに付いた紐を摘まみ上げた。
「そ!お母さんにね、青空市で見た魔物の話をしたらね、作ってくれたの!似てるでしょ?」
アリサはそう言ってニコッと笑った。
「へー(叔母さん、相変わらず器用だな)」
「アタシが絵を描いて、それでね、こんな感じって言って、そしたらストラップにしてくれたんだ」
「そうなんだ……」
類はアリサに魔物のストラップを返した。
「結構かわいいと思うんだよね。カロ屋のネットショップで売ったら売れないかな?」
アリサはニコニコしてそう言いながら、黄色いリュックにそのストラップを付けた。
「うーん、売るのはいいかもしれないけど、それじゃ、叔母さんばかり作るのが大変だろ」
類は困惑気味に言った。
「ガハハ!その編みぐるみの羽、本物の魔物の羽で作ったら面白いかもしれんな」
「お、叔父さん!」
類は焦って言った。
「ガハハ、冗談だって!」
茂はそう言ってニヤッと笑った。
「そう言えば、叔父さん。今日ルルアさんが杖を取りに来るんだよね?」
「お?おう。何かあるか?」
類は、少し困った顔をした。
「あ、あのさ……。俺の……、アバターのルイの方の俺のことなんだけどさ……」
そう言うと、難しい顔をして頭に手を当て、視線を落とした。
「ルイちゃんか?どうした?」
「ルルアさんには黙っていてくれないかな?」
「おう?」
茂はキョトンとした顔をした。
「あー!それあたしも賛成」
類の後ろから、アリサが言った。
「なんでだ?」
茂が二人を不思議そうに見る。
「だってー、ルイ兄にあんなド変態な趣味があるって知られたら、アタシ身内として恥ずかしいもん!」
アリサがニヤニヤして言った。
その言葉に類は顔を引きつらせ、強く言う。
「ち、違う!断じてド変態じゃない!ってか、あれは趣味じゃねー!」
「違うのか?」
茂が言う。
「ち、が、う!」
類は目を吊り上げて茂を見た。
「ガハハ!じょ、冗談だ!(別に、いいと思うんだけどな)」
茂は焦ったように笑って言ったが、どうやら類に女装趣味があると本気で思っていたようだ。
「と、とにかく。誰にも言わないでくれ!ルルアさん以外にも!」
類は内心穏やかではない。
(まったく冗談じゃない!女装して夜な夜な出歩いているなんて思われたら……。最悪だ!俺のモテない人生が、ますます詰んでしまうわ!)
「じゃあ、こいつを別の場所に動かさないとな……――」
茂はそう言うと、通路を塞いでいた羽を手に持った。「――ここに置いてたら、ルルアさんから“どうした?”って聞かれそうだしな」
「叔父さん、大丈夫?」
「ああ。軽いんだよな、これ。大きいけど片手でも持てるくらいなんだ」
そう言うと、羽を片手で軽々と持ち上げ、組子障子の前に運んだ。
そして、いつも丸い椅子が置かれている後ろの壁にある、小さな倉庫の扉に手をかけた。
「とりあえずここに入れておくか……」
その様子を横目に、類にアリサが話しかけた。
「ねえ、ルイ兄」
「うん?」
「アタシさ、前にも異世界で魔法っぽいの、使えたことがあるんだよね」
アリサは不思議そうな顔をして言った。
「そうなのか?」
「うん。昨日ほど光が強いわけじゃなかったけど……。でもさ、それって杖で魔力が覚醒する前の話なんだよね。どうして使えたんだろう?」
類は、カウンターを挟み、アリサに向き直って言った。
「うーん、覚醒前と後とでは……、なんて言ったらいいだろうな――」類は考えるように首を傾げ、宙を見た。「――場所?魔法が発動するときに使う魔力の場所が違うというか……」
「どういうこと?」
アリサも首をかしげて類を見た。
「覚醒する前は、異世界の中に流れる魔力が体の表面にくっついたものを使うイメージかな。だから、表面的でたいした力は出ないし、魔力をため込むこともできないんだ。アリサが、前に魔法が発動したんなら、たぶんその表面的なものを使ったんだと思う――」そう言ってアリサを見る。「――予想じゃ、すぐに魔力が尽きたんじゃないか?」
「うんうん」
アリサは何か掴み取ったように頷いた。
「覚醒後は、その流動する魔力が身体の中まで通るイメージだな。魔力の強い人間は、身体の中にいくらでもその魔力をため込めるって感じかな……。ただそれを、自由に使えるかどうかっていうのは、また別の話みたいだけど」
「じゃあさ、お父さんも杖を持ったら覚醒するのかな?」
アリサは真剣な顔で言った。
「うーん、叔父さんは、もうあれ、たぶん覚醒してるんじゃないか?」
「え?」
アリサは驚いた顔をした。
「いつ覚醒したのか知らないけど。特殊能力?叔父さんの場合は“クラフター”か。あれって、覚醒しないと発動しないはずなんだ――」類はそう言うと、アリサを向いたままカウンターに後ろ向きに寄りかかった。「――昨日、杖のおかげでいろいろ知ったけどさ。俺も、魔力を魔晶石に補充できる力が使えるようになったのは覚醒したからだし」
「ふーん」
「お前たち、そろそろ行かなくていいのか?」
倉庫から出てきた茂が、カウンターで話し込んでいる類とアリサを見て言った。
「ん……」
類はズボンのお尻のポケットから携帯電話を取り出すと、時間を確認した。
「11時21分!?やばい!アリサ行くぞ」
混雑する原野中駅。
人々が改札を引切り無しに往来し、西口や二番通り方向に流れてゆく。
原野中駅の東口のタヌキのモニュメントの前。
類とアリサは、息を切らせて、待ち合わせ場所であるそのタヌキの像に走っていた。
タヌキ像の前に、像に背を向けて何人かが立ち止まっている。
その中に、ひときわ目立つガタイのいいタンクトップの男がいた。
「(南だ!やっぱもう来てたか。って、今日もタンクトップかよ!)アリサ、急げ!」
「えぇー」
駅前の往来を縫って走る。
往来の中に南が、隣に同じように立っている誰かと話をしているのが見えた。
(佐々木さん?じゃない……、男?誰だ?)
「よう!瀬戸」
南が類を見つけ、手を上げて呼んだ。
息を切らせ、ようやく待ち合わせ場所にたどり着くと、類は南の横に並んで立った。
「よ、よう!南。はぁ、はぁ……、今日はよろしく」
「先輩!僕も来ましたんで!」
「へ?」
その声に、見れば翔太がエリと一緒に南の横に並んで立っていた。
「しょ、翔太!なんで?」
「類先輩、こんにちは。この前はありがとうございました。今日はよろしくお願いします」
エリがぺこりと頭を下げ、笑顔で挨拶をした。
可愛らしいピンクのブラウスに、柄の入った濃い目のベージュのフレアスカートを穿いている。
この前は、ただ一つに結っていただけの髪型が、今日は髪を下ろし、横に花の飾りのついたヘアピンを着けていた。
「あぁ、佐々木さん、この前はどうも。今日はよろしく……。って、なんで翔太まで……」
驚いた顔の類の後ろから、ようやく追いついたアリサが3人を見て、息を切らせて言った。
「こ、こんにちは。はぁ、はぁ……。アリサです。よろしくお願いします……(ルイ兄のバカ!いっぱいいるじゃん。あたし来なくても良かったじゃん)」
「アリサちゃん!久しぶり!」
翔太は満面の笑みでそう言うと、すぐにアリサの近くに寄った。
「あ、翔太さん。はぁ、はぁ。お久しぶりでーす……」
アリサは少し疲れた顔で言った。
(翔太のやつ……。そうか、アリサが狙いか)
類がムッとした顔で翔太の様子を窺っていると、エリがスッと類の近くに寄ってきた。
そして少し恥ずかしそうに小声で言う。
「類先輩……。エリです。名前で呼んでくださいって言ったじゃないですか」
「あ……、あぁ」
類は気まずそうに頷いた。
「瀬戸。今、梅原とも話しをしたんだけど、予定変更で、先に博物館に行こうぜ」
南が、張り切ったように言った。
「お、おう」
目指す県立博物館は、原野中駅前の大通りを南に徒歩15分ほど行った距離にある。
大きな白い近代的な建物と、敷地内に付随する復元された江戸時代の庄屋屋敷からなる観光スポットだ。
南を先頭に、エリと類が、翔太とアリサが並んで歩く。
「ね、翔太さん。あの先頭の変わった感じの人って……」
アリサが隣を歩く翔太に小声で訊ねた。
「あぁ……、南さんね。……なんて言うか、前の職場の先輩なんだけど、瀬戸先輩と同期の人だよ」
翔太はそう言って苦笑いをした。
「類先輩。今日はすみません。強引についてきてしまって……」
エリは、申し訳なさそうに笑って言うと、目の前を歩く南に視線を向けた。
「南さんも、すみません」
エリのその声に、南が振り返って言う。
「いえいえ。人数は多い方が楽しいじゃないですか。それに、久々に梅原にも会えたんで、俺も良かったですよ!はっはっはー」
「……」
エリは、変に暑苦しい笑顔の南に、困惑した笑みを浮かべた。
県立博物館の正面入り口、チケットを買い求める客が数人並んでいる。
「入館料、一般は五百円だな。企画展は……」
南がそう言いながら、チケット売り場の上部に表示された料金表を見る。
「アリサちゃん、高校生は常設展、無料みたいだよ」
翔太がヘラヘラ笑いながら紺のジャケットをはおり直し、アリサの横に立って言った。
「企画展を見るんですよね?――」そう言ってエリも料金表を見た。「――あ、特別展以外の企画展は常設のチケットで大丈夫みたいですね」
エリは料金表を確認すると、肩から下げたカバンに手を当てた。
「ということは、アリサは無料か。特別展じゃないから、あとは一人五百円だな」
類が言う。
「アリサちゃん、学生証持ってきた?」
翔太がアリサに言った。
その距離が妙に近い。
「うん。いちおう持ち歩いてるからね」
アリサはそう言うと、リュックから学生証を取り出した。
「あ、アリサちゃん、学生証の写真も可愛いね!」
翔太のその言葉に、アリサは白い目で翔太を見た。
いつの間にか南がチケットの列に並んでいる。
「南、人数分を購入してきて」
少し離れた位置から類が言った。
その声に南が手を振る。
「アリサちゃん、配置菓子はその後どう?量は足りてる?」
翔太が積極的にアリサに話かけている。
「うん、大丈夫だよ。……あー、でも“クランチョコ”はもうちょっと量があってもいいかも。週末に入るお客さんが結構買っていくみたいで」
アリサは少し考えたように言った。
「じゃ、今度アリサちゃんがいるときにカロ屋に量を調整しに行くよ!」
翔太はニコニコと笑った。
「じゃ、一人五百円徴収で!」
戻ってきた南は笑顔でそう言うと、五百円と引き換えにチケットを渡した。
ミュージアムショップの前を通り過ぎ、ホールを進む。
「南、どっちから見る?」
類が言った。
展示室はホールを挟んで、左が常設展示室、右が企画展示室になっていた。
奥に特別展示室があるが、今の時期は何もやっていないようだ。
企画展示室前の入り口に、『発掘速報展』と書かれた簡易な看板が置いてある。
「まずは、やっぱ中島さんが言ってた企画展からかな!」
南がそう言って先陣を切って展示室に入って行った。
類たちもその後を追う。
ガランとした企画展示室内は、それほど広くない。
中央に4つほど、長方形の島展示のケースが置かれている。
数人がポツポツと、壁面に展示された資料を見ていた。
「去年発掘された物らしいよ」
類が、入り口から入ってすぐにある壁面の平置きされた展示資料を見ながらエリに言った。
グレー味を帯びた素焼きのような焼き物の破片が、パラパラと展示してある。
「そうなんですね」
エリは類のすぐ横に並んで、類と展示を交互に見ている。
しかし展示資料よりも、類を見ている時間の方が長い。
アリサもエリの横に並んで展示資料を見る。
(えーん、ナニコレ?全然面白くないよー……)
アリサは展示を見てはいるが、キャプションもその展示品自体も、全く頭に入っていない様子。
「アリサちゃん、あとでミュージアムショップ見てみない?」
翔太がアリサの横に並んで、にやけた顔をして言った。
「ミュージアムショップ?あ、さっき入り口のところにあったお店?」
「うん。いろいろ歴史関係のグッズを売ってるんだよ。僕は前に、土偶のピンバッジを買ったことがあるんだ。他にもハニワのぬいぐるみとか、結構可愛いのもあるよ」
類は、翔太の様子を横目でチラッと窺った。
翔太の、アリサの手を今にも握らんとするその距離間に、類は内心穏やかではない。
(翔太のやつめ……)
アリサを気にしつつ、展示室を少し奥に進んで中世陶器の破片を見ていると、
「おぉ!これは!」
後ろで南が驚いた声を上げた。
振り向けば、南が興奮した様子で島展示のケースを覗き込んでいる。
「どうしたんだ?」
類は壁面展示から向きを変え、南が見ている島展示のケースを覗き込んだ。
「これはっ!(やばい!)」
南が見ていたのは、縄文時代の石棒の展示だ。
類が、発掘現場で見たものよりさらに大きく、デフォルメされたものが2本ほど、横に寝かせられて展示してある。
類はすぐに向きを変えて、再び壁面展示の続きを見た。
「どうしたんですか?」
壁面展示の解説を読んでいたエリが、不思議そうな顔をして言った。
「な、なんでもない……」
類はそう言うと、壁面をなぞるように、そそくさと奥に進んだ。
出口に近い展示室の奥角で、展示された木簡を見ていると、アリサが類の横に並んだ。
そして小声で類に耳打ちするように言った。
「ルイ兄、つまんないんだけど!」
その声に、類は顔を引きつらせ、今度は類がアリサに耳打ちするように言う。
「我慢しろって。この後、スイーツパーラー行くんだろ?」
「うん、そうだけど……」
アリサは口をへの字にして頷くと、類の横で不貞腐れた顔をして展示を見た。
その様子を、二人の後ろで翔太とエリが見ていた。
(おのれ先輩……!アリサちゃんと……)
(何その距離間!従妹だからって、近すぎなんだから……)
翔太とエリはそれぞれ湧き上がる嫉妬の感情に、若干目が吊り上がっている。
そこへ、石棒を見ていた南が、不意に類に近づいた。
そして後ろから類の首に腕を回す。
「うへっ!?」
驚いて類は声を上げた。
南はニヤつきながら、類に密着して言った。
「瀬戸おぉ!そこの石棒、中島さんが担当した遺跡らしいぞ!」
そして類を引きずるように、島展示のケースの横に移動した。
「うおぉ……(や、やめてくれ!南)」
その突然のことに、アリサとエリはポカンとした顔をし、二人を見た。
「あはっ。やれやれ、先輩たち相変わらずだなー」
翔太はそう言うと、あきれたような顔をした。
「相変わらずって?」
アリサが翔太に訊く。
「あぁ、あの二人、前の職場では結構噂になってたんだよね」
そう言ってニヤリと笑う。
「……噂!?」
アリサとエリは引きつった顔をした。
「ど、どんな噂?」
アリサが続けて言った。
「そりゃ……、見ての通り?(たしか津田先輩と三角関係?だったような)」
南は類の肩に左腕を回し、いちゃついたバカップルのように妙に密着してニヤニヤしている。
類は顔を引きつらせてはいるが、まんざらでもない様子に見える。
「ルイ兄……。やっぱド変態だ!」
アリサはそう言うと、顔をしかめて、怒ったように展示室を出て行った。
「あ!待って、アリサちゃーん!」
翔太が後を追う。
「…………」
呆然と立ち尽くして類を見ているエリの視線に、類はハッとして、慌てて南の腕を振り払った。
「え、エリさん!なんか誤解してない?」
類は焦ったように言った。
「……」
エリは引きつった笑顔で類と南を見ている。
「み、南はこういうやつだから!俺は違うから!全然、ノーマルだから!誤解しないでよ!?」
「そ、そうですよね……。あはは……」
エリは笑って頷いたが、目は全く笑っていない。
(まずい!!!エリさんに誤解されたかもー!おのれ南めー!)
類は南をキッと睨んだ。
それに対し、南がニコッと笑顔を返し言った。
「瀬戸、いいじゃないか!仲良きことは美しきかな」
そして再び絡んでこようとする。
「(ひぃぃ!)い、行こう!」
類は、慌ててエリの手を取り、企画展示室から出た。
エリは、類と、類とつないだ右手を見て、類に引っ張られるようにホールを進んだ。
「あ、あの……。類先輩……」
エリは少し照れたように言った。
「あ、ごめん!」
類は慌てて手を離した。
(うっかり、アリサのように手をつないでしまった……)
「い、いえ!いいんです。……それより――」
(いいのか?)
類はエリを見た。
エリが企画展示室を振り返る。
「――展示、まだ途中でしたけど……」
「あ、うん。そうだね。ごめん……」
類は、困った顔をして言った。
「じゃ、もう常設展の方、見に行きます?」
エリがニコッと笑って言う。
「あ、そうだね……」
類とエリは、南を企画展示室に残したまま、向かい側にある常設展示室に入った。
「アリサちゃん、これも可愛いよ」
ミュージアムショップのキーホルダーコーナーで、翔太がハニワのストラップを手に取って言った。
「へー、可愛いかも。でもあたし、向こうにある馬の絵が描いてあるハンカチもいいかなと思って」
アリサはそう言うと、翔太から離れるように馬型ハニワの絵が描かれた、そのハンドタオルが置いてあるコーナーに移動した。
その後を翔太がついてゆく。
「ハンカチか。結構いろんな絵柄のハンカチがあるね」
翔太は、棚に並べられたハンドタオルを見て言った。
「あ、これも可愛いかも!」
アリサはついてくる翔太に戸惑いながらも、遮光器土偶の絵柄が書かれたハンドタオルを手に取った。
「あ!それ、有名な土偶だよね」
「うん。馬のやつと、どっちにしようかな……」
迷っているアリサの横顔を見つめて、翔太が言った。
「じゃ、僕がプレゼントするよ!そのハンカチ」
「え!?」
アリサは驚いた顔をした。
「アリサちゃん、絵柄、その土偶で良い?」
翔太はそう言ってニコニコと笑う。
「えー、いいよ。大丈夫、自分で買うから」
アリサは困惑して答え、そそくさとレジに向かった。
会計の様子を、翔太はアリサから少し離れた後ろ側に立って見ていた。
ふと、アリサの黄色いリュックに付けられた魔物のストラップが目に留まる。
(あれ……?あのキャラ、たしか……)
会計を終えたアリサは、ミュージアムショップの横の通路に移動した。
その後ろを翔太が付いてくる。
すかさず、アリサが言った。
「翔太さん、アタシに構わずに展示を見てきてくださいよ。まだ常設展示、見てないんだし」
アリサは苦笑した。
「アリサちゃんは?」
「アタシは……。いいかな」
そう言うと、通路の壁際に置いてあるベンチに腰を下ろした。
「じゃ、僕も……」
そう言って、翔太もアリサの横に並んで座った。
「……(なんなの、この人)」
アリサは困惑した笑顔で翔太を見た。
「ねぇ、アリサちゃん。そのアリサちゃんのカバンに付いてるストラップ、コウモリダンゴだよね?」
翔太はアリサの黄色いリュックを指して言った。
「え?これ?」
アリサは驚いた顔でそう言うと、リュックを背中から降ろし、手に持った。
「ちょっと見せて」
翔太は魔物のストラップを手に取った。
「……翔太さん、このキャラ知ってるの?」
「うん。へー、よくできてるなー。先輩が作ったの?」
「ううん。お母さんが……」
翔太はストラップから手を離すと、にっこり笑って言った。
「お母さんか、そうなんだ。そのコウモリダンゴは、前に先輩と一緒に働いていた会社で作ってたゲームに出てくる敵キャラなんだけどさ。結構レベルの低いやつ。いわゆるザコ敵ってやつ」
「えっ?そ、そうなの?(どういうこと?なんで異世界の魔物が?)」
アリサの頭の中を疑問が駆け抜ける。
「唯一、まともに出来上がった敵キャラでね!結局、そのゲームは完成しないうちに会社が潰れちゃったみたいだけど、僕はその前に転職してたからね」
翔太は、どこか引っかかるような笑顔で言った。
「……コウモリダンゴ」
アリサはそうつぶやいて魔物のストラップを手に取った。
「先輩もそのモデリングデータ、持ってるんじゃないかな?僕がまだ会社にいるときに、どこぞのチームの操作ミスで、開発に関係のない社員にまで全員にバラ撒いてたから」
「そ、そうなんだ」
アリサは困ったように笑って言った。
「うん。僕も今でも記念に取ってあるし。著作権があるだろうから外部には出せないだろうけどね」
そう言うと、翔太はアリサを見つめた。
常設展示室、薄暗い照明の中に様々な資料がスポットライトを浴びて並ぶ。
「あの……、類先輩……」
エリが類の横で、もじもじした様子で言った。
「うん?」
「アリサちゃんって、先輩の従妹、なんですよね?」
「そうだよ」
類は、目の前に展示された一昔前の原野中市を再現したジオラマを見て言った。
「なんか、恋人みたいって言ったら変ですけど、仲いいですよね……」
エリは少しうつむいて、類の様子を窺うように言った。
「んー(一番通りってのが今の駅前の南北大通りか……。五番通りは?微妙だな。昔から二番通りの方が大きいんだもんな。三番通りなんて、今じゃ名前のない裏路地だよな……)」
「見ていて羨ましいっていうか……」
エリは類を虚ろに見た。
「うん?(何が?羨ましいって?)」
類はチラッとエリを見た。
エリは類と視線が合うと、恥ずかしそうに目を逸らした。
(そう言えば、アリサはどこ行った?)
類は薄暗い展示室内を見回した。
「(むっ?……翔太のやつもいない!まさか……)エリさん、アリサと翔太、どこに行ったか知らない?」
「えっ?そ、そう言えば先ほどから見当たりませんね」
エリは困惑して言った。
「うん、探しに行こう」
類はそう言うと、展示室を足早に出口に向かって進んだ。
「る、類先輩!」
エリが慌てて追いかける。
そして、類の腕を軽くつかんだ。
「おっ?」
類が振り返る。
「あ、す、すみません……」
エリはすぐに手を離し、そう言うと、困惑したような顔をして視線を落とした。
「うーん……(エリもほっとけないよな。仕方がない)――」類はエリの右手を取った。「――……行こうか」
エリは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにニコッと笑って「はい」と頷いた。
残りの常設展示を類はエリと手をつなぎ、さらっと見つつ、出口に向かう。
常設展示の出口、ちょうど向かい側の企画展示室から南が出てきた。
手をつないでホールに出てきた類とエリを見て、南は引きつった笑いを浮かべた。
「俺を置いていくなよな!瀬戸」
南はそう言うと、エリと類の間に強引に割って入り、類の肩に腕を乗せてエリに向けてニヤリと挑戦的な笑顔を向けた。
つないだ手が離れる。
エリは一瞬ひるんだ顔をしたが、すぐに南に笑顔を返した。
しかしその目は、挑戦を受けて立つ戦士のようだ。
「南さん、常設展示はご覧にならないのですか?」
エリが笑顔で言った。だが目は笑っていない。
南がエリに向きを変えた。
類はそのすきに南の腕を払って、ホールから小走りにエントランスに向かった。
「俺は、企画展が目的だから。それに常設展はいつでも見に来れるからな、はっはっはー」
南が腰に手を当て、目をギラっとさせてエリに言った。
「そうなんですね、ふふふ」
エリは冷たい笑顔で言った。
類のあずかり知らぬところで、南とエリの類をめぐる冷戦が始まった。
ミュージアムショップの角を曲がった通路のベンチに、アリサが翔太と並んで座っていた。
「アリサ!」
類はアリサを見つけ、急いでアリサのもとに駆け寄った。
「ルイ兄」
アリサが立ち上がる。
「あ、先輩(ちっ)」
「こんなところにいたのか。展示は見たのか?」
「えー、だって。面白くないんだもん。それよりおなか空いたよ。スイーツパーラー行こう」
アリサは不機嫌そうな顔をして言った。
「スイーツパーラー、僕も行きたいですね!」
翔太も立ち上がり、話を合わせるように言った。
「翔太さんも?」
アリサは少し嫌そうな顔をした。
類が翔太に冷たい視線を向ける。
その視線に翔太は焦って言った。
「い、いいじゃないですか?お昼まだだし、みんなで行きましょう、ね」
「でも、スイーツパーラーのメニュー、スイーツ系がメインで、食事系は軽食しかないよ」
憂鬱そうにアリサが言った。
「僕は、スイーツ系好きだから、大丈夫」
翔太が笑顔で言う。
その答えに、アリサは曇った顔をして軽くため息をついた。
ホールを、エリと南が並んで歩いてくるのが見える。
二人は、類たちに気が付くと小走りに向かって来た。
その雰囲気は、どこか殺伐としている。
「あのさ、お昼なんだけどさ……」
類がぐったりして言った。
二番通りの雑居ビル2階にあるスイーツパーラー。
そこは大勢の客で混み合っていた。
甘い香り、ピンクの壁紙、メイドのコスプレのような制服の店員。
見渡す限り客は若い女性のみ。
その窓際の広めのボックス席は、異様な雰囲気に包まれ、類と翔太、アリサとエリが、引きつった笑みを浮かべていた。
アリサとエリが類を挟んで座り、アリサの向かいに翔太が、エリの向に南が座っている。
そして、南と翔太の間、類と向かい合う位置に、ピンクのフリル付きのワンピースを着た違和感のある男が座っている。
南の弟、ミナミだ。
「ほんと、奇遇ねー!お店の前で会うなんて、運命かしら?ウフフ!」
ミナミは、厚化粧にひびが入りそうな笑顔で言った。
「シュウ。お前、今日も可愛い服着てるな!はっはっはー」
南が、ミナミに笑顔で言った。
周りの客の、珍獣を見るような視線が、類たちのいるボックス席にチラチラと向けられている。
アリサが小声で言った。
「る、ルイ兄……。最悪なんだけど。早く食べて早く帰ろ……」
「そ、そうだな……」
テーブルの下で、エリが類の太ももの上にそっと触れた。
類はそれに気づき、エリを見た。
エリは助けを求めるような顔で類を見ていた。
向かい側に座っている翔太も、死んだ目をしている。
「あ、あはは……」
類は、以前と似たような微妙な状況に、力なく笑った。
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