第11話 計略の夜(後編)

 予約した、和風居酒屋『Hell See』の個室。

 クラゲ型の宇宙人のようなものが描かれたその戸を、翔太はゆっくり引き開けた。

 

 中には女性が4人、横並びで掘りごたつ風の長方形のテーブルの左側に座っていた。

 奥に座った一名を除き、雰囲気が全員暗い。その表情も緊張しているのか、とても強張っているように見えた。

「こんばんは!」

 鈴木は陽気な声で部屋の中に入ると、すぐ入り口に座った。その際にチラッとエリに目配せをする。

 エリは女性側の幹事のため、一番手前の入り口に近い席に座っていた。

「鈴木さん、お誕生日席じゃないんだから奥に行ってください」

 翔太が冷たく言う。

「……ち、しょうがないなー」

 鈴木はそうぼやいて、テーブルの右側を奥に詰めて座った。

 その直後、女性陣の一番奥を見て顔が硬直した。

 類も「こんばんは」と、鈴木の後に続いて席に着き、お通夜のように暗い女性側を見た。

「っ!」

 類は、驚きすぎて思わず「うわっ」と声を上げそうになった。


 女性側一番奥の席に、一人だけガタイのいい体つきの人物が違和感のありすぎる気配を放って座っている。

 水色のフリルの付いたワンピースに、真っ赤な口紅と妙な光沢の長い栗色の髪。太い首と肩幅から、相当鍛えているであろう肉体が想像できる。

 そしてその人物は鈴木と類を見て不気味な笑みを浮かべている。

 先ほどまでの軽いノリはどこへやら、鈴木は完全に言葉を失い呆然としている。

 類は鳥肌が立った。

 その人物は女性側にしれっと座ってはいるが、明らかに女性ではない。

(……じょ、女装……)

 類はすぐに視線をそらし、なんとか冷静さを保とうとテーブルに乗った小皿を見つめた。

 向かい合った正真正銘の女性3人も同様の心境なのか、同じように焦点の定まらない目でテーブルの上を見つめている。

 類はもう一度、チラッと女装の男を見た。

(……この感じ、この雰囲気、どこかで……)

 最後に暗い顔の翔太が席に着き、静かに戸を閉めると言った。

「えー……と。とりあえず全員揃いましたので……、さっそく始めましょうか……」

 その声に生気はなかった。

 鈴木は、引きつった顔をしてエリと翔太をチラチラと気にして見ている。


 この風変わりな人物により、期待した合コンのノリでは最初からなかった。


「の、飲み物が来るまでの間、初対面の方もいますから、自己紹介をしますね……」

 エリが場の雰囲気を紛らわすように言った。

「じゃ僕から」

 そう言って翔太がエリのフォローに入る。

「僕は梅原です。今回この懇親会の幹事を佐々木さんと一緒にさせてもらいました……。佐々木さんと一番奥に座っている鈴木さんとは職場の同僚で、こちらの瀬戸さんとは高校と大学の時の先輩になります……。ど、どうぞよろしくお願いします……」

 真顔で言うその声には、楽しさのかけらも入っていない。

「次、私が自己紹介しますね」

 そう言ったのは、女装した人物のすぐ隣に座ったお姉さん系の女性だ。

 紺のⅤネックの落ち着いた服に、しずく型のチャームが付いた細いネックレスをしている。他の女性二人よりもやや年上と言った印象だ。

「水田と言います。幹事の佐々木さんとは、うちの会社に“ローリカー”のお菓子を置いてもらっている縁で知り合いました――」水田は隣の女装の人物を指し「――こ、こちらに座っている南さんとは……仕事上の付き合いと言いますか……。えっと……、そ、そんなところです。今日はすみません!」

 水田は震えた声で言葉を濁し、深々と頭を下げた。

 最後の“すみません”が、南を連れてきてしまったことに対しての謝罪だと、南を除く全員がすぐにわかった。

(南!?)

 類は水田のその言葉にハッとして翔太を見た。

 翔太は類と視線が合うと、察したように「うん」と大きくうなずいた。

(……やっぱりか!南の弟か!!!どおりで……)

 類は、南が“弟が合コンにはまっている”と言っていたことを思い出した。

(女性側が一人多くなる……、とか言ってたな。南、お前の弟は女性側換算なのか!?……まぁ、男側に数えられても困るが)

 その後、鈴木と、エリの横に座ったエリの中学時代の同級生だという佐藤奈々子も自己紹介をしたが、類にはさっぱり聞こえていなかった。


「じゃ、最後はアタシですね、ウフフ」

 そう言うと南の弟はわざわざ立ち上がった。

 水色のロングワンピースの裾が揺れる。その下には白タイツの太い脚。

「アタシはミナミでーす。水ちゃんとは仕事でお世話になっている間柄でーす――」名前を出された水田の顔が一瞬恐怖に満ちたのを類は見た。「――ピチピチの25歳、ただいま彼氏募集中!ウフフ」

 ミナミはそう言うと、ぶりっ子気取りで変な角度で首をかしげた。

 その拍子にかぶっていたロン毛のカツラがずれ、パサッとテーブルの上に落ちた。

「きゃぁ!」と女性3人の悲鳴。

「おわっ!」と男3人寒慄する。

「アラ、やだー!ウフフ」

 丸刈りのミナミはすぐにカツラを拾い上げ、頭にかぶった。


 もはや地獄絵図だ。

 店名同様“Hell See”な状況に、六人は互いにすがるように他の五人を見た。


「お待たせしましたー」

 そのタイミングで店員が飲み物を運んできた。

「で、ではお酒もきたし、乾杯しましょう!」

 水田が責任を感じてか、場の雰囲気を変えようと動いた。

「そうですね」

 類が同調し、各人にビールの注がれた冷えたグラスをまわす。

 翔太は、全員に飲み会が行き渡ったのを見て、声を上げた。

「そ、それじゃ、か、乾杯!」

「か、乾杯!!」

 一同がためらいながらもグラスを掲げる。

「……、……」

 一口だけ口をつける者、一気に半分ほど飲み干す者、それぞれの動きがみなぎこちない。

 全員がグラスを置くと拍手も起こらず、六人がいる個室は誰もいないかのように静まり返った。

 一人を除いて。

 ミナミは、さっそくお通しに手を付けた。


 両隣の個室からの賑やかな声が、妙によく聞こえる。

 類は六人の様子をうかがった。


 ミナミは状況をまったく察しておらず、とても楽しそうだ。

(やっぱり南は南だな。さすが兄弟、そっくりだ)

 水田はずっと下を向いて、顔をゆがませている。顔にかかったセミロングの髪が、余計に表情を暗く見せる。

(大丈夫か?なんだか泣きそうだな……)

 奈々子は気まずい顔をして、隣に座ったエリに助けを求めるような視線を送っている。

 よく見れば、淡いピンクのシフォンブラウスが、アップにまとめた髪と派手な顔立ちによく似あっているのだが、ミナミの印象があまりにも強すぎてまったく目に入ってこない。

(普通の合コンならモテるタイプだろうけど、この状況じゃなぁ……)

 類の右隣に座った鈴木は、苦虫を噛み潰したような顔をして翔太を睨みつけている。

(あはは!完全にあてが外れたな)

 翔太は目が死んでいる。

(まぁ、合コンを主催した幹事としてはそうなるよな……)

 類は左隣に座っている翔太に、周りに聞こえないよう小さな声で言った。

「翔太、合コンじゃなく普通の飲み会のノリで、それこそ“懇親会”ってことで今回はやろう」

「先輩……」

「俺はそういう体でやるから」

 ふと翔太の向いに座ったエリと目が合う。

 エリも水田同様、今にも泣きだしそうな顔をしている。

(おいおい、幹事がなんつー顔してんだ……)

 そこへ店員が「失礼しまーす」と入って来た。

「こちら“Hell See唐揚げ”でーす」

 そう言って大皿に乗った真っ赤なから揚げを、テーブルの真ん中にドンと置いて去っていった。

「うわ、すごいな。真っ赤だ」

 類は思わず山盛りに乗った唐揚げを見て声が出た。

「ウフフ、これはこの店の名物なんですよ。この中に3つだけ激辛の唐揚げが混じってて、まさに“Hell See”な味なんですよ。ウフフ」

 ミナミはそう言うと、さっそく一つ取って、自分の取り皿に乗せた。

「へー、1個じゃないんだ」

 類も興味本位にミナミに倣って唐揚げを一つ取ると自分の取り皿に乗せた。そして、まずは目の前にうつむいて座っている水田に声をかけた。

「水田さん、どうですか?唐揚げ。この中に3コ、激辛なのが入ってるそうですよ」

 そう言って皿の縁を軽く持ち上げ、水田に笑顔を向けた。

「あ……、そ、そうですね。ありがとうございます」

 水田はゆがんだ表情から困ったように笑うと、同じように唐揚げを一つ取った。

 隣で様子をうかがっていた鈴木が、苦い顔をして類に話しかけてきた。

「瀬戸さん、悪いんだけどちょっと席替わってもらえません?」

「あ、あぁ。いいですよ」

 類は察して、鈴木と場所を入れ替わった。

 目の前にミナミがニコニコして座っている。

(うっはー……。確かに、これはやっぱ鈴木さんにはキツイかも)

 類は苦笑いをした。

 正面に見るミナミは相当な迫力だ。

 ヒビ割れそうな厚塗りの化粧に、フリルの付いた袖口から見える明らかに何か鍛えていそうな厳つい手。

 普段、南で耐性がついている類も、弟の方は女装がプラスされている分、その衝撃は大きかった。

「ミナミさんてさ、お兄さん諒一って名前じゃない?」

 類はとりあえず確認しようと話を振った。

 するとミナミは驚いた顔をし、

「えぇーっ。なんで知ってるんですかぁ?そうですよー。やだもう、ウフフ」と、濃い目の化粧にヒビが入りそうな笑顔で類を見た。

「南とは前の職場の同僚だったんだ。南って名前でピンと来てさ。この辺りじゃ珍しい苗字だし。ミナミさん雰囲気似てるから、もしかしたらと思って」

 類は作り笑顔で言った。

「あーっ、わかった!瀬戸さんってあの瀬戸さんなのね!兄が言ってました。いつもお世話になっていますぅ。キャぁ、会えて嬉しいですぅ」

 そう言うとミナミは握手を求めてきた。

「(キモイ!キモイぞ!!)……こ、こちらこそ!」

 とりあえずミナミの前に手を伸ばした。

 すると手が届くか届かないかのうちにミナミのごつい手は類の手を掴み、そして力強く握った。

(い、痛い……)

 類は冷や汗混じりに笑った。

「二人は、お知り合い……?なのですか?」

 水田が曇った笑顔で言った。

「ま、間接的に?このミナミさんの兄と俺は前の職場の同僚でね……。そう、翔太も一緒だよ」

 類のその言葉に、水田が「……へー」と翔太を見た。

「ミナミさんは、やっぱ南に似てるね」

「えー?そうですかぁ?ウフフ」

「うん。いろいろと(こいつは南の弟なんだから、取り扱いも南と同じでいいだろ)」

 全員が困惑していたミナミとの接し方に、類は方向性を見出すと、あとは水田と絡めて場の雰囲気を和ませる方向に会話を持って行こうと図った。

 次第に、その会話の中に水田を挟んで奈々子が混じるようになる。


「あはは!ミナミさんって結構面白い人ですね!」

 奈々子が言った。

「そうなのかなぁ?ウフフ」

「そうだよ」

 お酒も程よく回って来たのか、水田が笑顔で同意した。

 つい30分ほど前までは、お通夜のように静まり返っていた部屋も、ようやく本来の飲み会の様相を見せ始めた。

 気が付けば、いつの間にか翔太と鈴木の席が入れ替わっている。

「あれ?翔太いつの間に……」

 ウーロンハイのグラスを片手に類が言った。

「鈴木さんに、強引に席を替わられちゃて……」

 類の隣に座った翔太は、そう言って苦笑いする。

 見れば鈴木は、エリと90度の位置になるお誕生日席に座っていた。

 エリが鈴木の会話にうなずきながら不自然な顔で笑っている。

(あーあ、佐々木さんかわいそ)

 類は横目でエリを見ると、氷で薄まったウーロンハイを一口飲んだ。

「やだー!唐揚げ、ゲキカラー」

「ミナミさん、涙出てるー!ウケるー!」

 奈々子とミナミが“Hell See唐揚げ”を食べて騒いでいる。

「みなさん飲み物大丈夫ですか?あ、瀬戸さん、それもう無くなります?」

 水田が氷だけになった類のグラスを見て言った。

「あぁ、そうだね」

「店員さん呼びますね!」

「あ、アタシがボタン押すー!」

 水田が押そうとした店員を呼ぶボタンを、ミナミが太い指でボチッと押した。

「あ、取られちゃった……」

 水田は照れたように笑った。

 その様子を奈々子が少し羨ましそうに見た。

 

 やがて1時間も過ぎると、当初予定していた合コンのノリとは違うが、やっと普通の飲み会の雰囲気になっていた。

 また席を移動したのか翔太がエリの横に、奈々子が類の左側に座っている。

「瀬戸さん、下の名前なんて言うんですか?」

 奈々子は結構酔っているのか、赤い顔で類を見て言った。

「類だよ。……中性的な名前だよね」

 グラス片手に頬杖をついて答える。

「そ、そんなことないです!可愛いです」

「か、可愛いって……」

 類は苦笑した。

「私は佐藤奈々子です。奈々子って呼んでください!」

 そう言って奈々子は右手をこめかみに当てて敬礼のような仕草をする。

「奈々子さん、ね」

「“さん”はいらないです!」

「えっ?じゃ、じゃぁ奈々子ちゃん……かな。あはは……」

「じゃあ、アタシはミナミちゃんって呼んでー、ウフフ!」

「(気持ち悪い!)そ、そうだね。ミナミちゃんね(兄の方も南だしな。紛らわしいからそれでいいか)」

 突然、パーカーのポケットに入れた携帯電話が振動した。

「あ、ごめん。電話だ」

 類は携帯電話を手に持つと、立ち上がって部屋を出た。

 そのまま奥に進み、トイレに続く暖簾のかけられた通路の前で立ち止まる。

 その壁際に寄りかかって電話に出た。

 ――「よかった、やっとつながったな」

 電話の主は茂だ。

「どうしたの?」

 ――「飲み会のところ悪い。それがな……、アリサが……」

 どうにも歯切れの悪い茂のしゃべり方だ。

「アリサがどうしたの?」

 ――「その、ルイちゃんの方をもう一度見たいらしくてな」

「え?……今夜は無理だよ」

 ――「わかってる。今夜じゃなくていいんだ」

「じゃ、近いうちにでもまたログインするよ」

 ――「そうじゃないんだ」

 茂のその言葉に類は怪訝な顔をした。

「どういうこと?」

 ――「そのな、操作しているところを見たいんだそうだ」

「操作……」

 類は顎に手を当てて宙を見た。

 そしてハッとしたように言う。

「俺の部屋に来るってこと?」

 ――「ま、まぁそういうことだな……。というわけだ。じゃ、明日よろしく」

「えぇ?明日!?ちょっとまっ!」

 そのまま電話が切れた。

「もしもし!?もしもーし!」

 類は携帯電話を見た。

 表示画面に“通話終了”の文字。

 類は額に手を当てて、目をつむった。

(明日!?なんだよ、その急な話……)

 部屋にはミヤビがいる。ミヤビはアリサに見られてまずいわけではないが、見られて困るものも部屋には転がっている。

(あー……。この時間から部屋を片づけろ、と?アリサのやつ……)

 類は大きくため息をつき、視線を落とした。

「あ、あの……」

 その声に顔を上げてみれば、エリがはにかんだ笑顔で立っていた。

 一つに結った髪と、丸襟の清楚なオフホワイトの服、濃い緑のフレアスカートを穿いてシンプルにまとめた服装は、幹事を意識しての選択のように見える。

「あ……ぁ、佐々木さん。(確か高校の後輩とか言ってたな……)どうしたの?」

「きょ、今日はありがとうございました!」

 そう言って勢いよく頭を下げた。

「えっ?えぇ?何?」

 類は困惑してエリを見た。

 エリのすぐ後ろを、他の客がトイレに行こうとウロウロしている。

「あ、佐々木さん、ちょっとこっちへ……」

 類はエリの肩口に手を当てて、誘導するように壁際に寄せた。

「あ、すみません……」

 そう言ったエリの顔が赤い。

(だいぶ酔いが回ってるのか?)

 よく見れば、襟ぐりから覗く鎖骨が妙に色っぽい。

「ど、どうしたの?」

 類は目のやり場に困りつつ、改めて聞いた。

「今日は、る……。先輩のおかげで助かりました」

「え?」

「その、ミナミさんのこと……。ほんとに最初はどうなることかと思っちゃって……」

「あぁ、あれはなー……。急な話みたいだし、幹事大変だったね」

「い、いえ。先輩が話を盛り上げてくれたので何とかなったような感じですし……」

「あの状況じゃしょうがないよ」

 類は部屋に入った時の状況を思い出し、苦笑いをした。

「……じゃ、俺は先に戻るよ」

 そう言うと類は部屋に向かって歩き出した。

「あ!先輩待ってください……」

「ん?」と振り返る。

 エリは少し恥ずかしそうに言った。

「あの……、連絡先交換してもらえませんか?」

 エリは初めからそのつもりだったのか、携帯電話を握りしめている。

「……いいよ」

 携帯電話の四角形のコードを用いた通信で、二人は連絡先を交換した。

「ありがとうございます!先輩、また連絡しますね」

 そう言ってエリは、はにかんだように笑った。

 エリの顔が赤いのは、照れているからなのか、それとも酔っぱらっているからなのか区別がつかない。

「あぁ、そうだ。中座して悪いんだけど急用ができて、早めに帰らないと行けなくなったんだ」

 類は首に手を当て、冴えない顔をして言った。

「えぇ!?」

 エリの顔が強張った。

「まぁ、翔太もいるし、大丈夫とは思うけど……」

「だ、ダメです!先輩にはいてもらわないと……」

 先ほどまで笑っていたエリが、一変して不安そうな表情を浮かべた。

「……うーん、そう言われてもなぁ」

 エリはすがるような目で類を見ている。

「しょうがない……、もう少しなら(早く帰って掃除しなきゃなんないんだけど……)」


 類とエリは一緒に部屋に戻ってきた。

 その様子を翔太はニンマリした顔で、鈴木はイラついた顔で見た。

 ミナミはいつの間にか、鈴木の横に座っている。

「瀬戸さん、ここに座ってよ」

 水田が、先ほどまで類が座っていた場所に座り、その隣を指して言った。

「……席がもう、みんなぐちゃぐちゃだな」

 類は部屋を見回して言うと、仕方なく水田の横に座った。

「先輩、先輩……」

 翔太が赤い顔をして類の横に寄ってきた。

「し、翔太。……大丈夫か?お前、相当酔ってるだろ?」

 合コンが失敗したことで半分やけになって飲んでいた翔太は、類の肩に手をかけると半開きの目でニヤッと笑って小声で言った。

「先輩……。佐々木さん、可愛いでしょ?可愛いですよね?どうです?先輩の彼女に……」

 フニャフニャしている翔太を支えるように類は翔太の腕を取った。

「翔太……(幹事がこんなに酔ってどうする)あぁ、もう……(俺だって結構酔いが回ってるのに、会計どうするんだ、これ)」


 開始から2時間ほど経過する。

 翔太と、今回の地雷であるミナミを連れてきてしまった水田は、やけになって酒を飲んでいたせいで、もはや潰れる一歩手前の状態になっていた。


 翔太は類の左側に、水田は右側にもたれかかり、類は二人をあきれた顔で支えていた。

 そして周りの様子を見る。

 テーブルの向こう側で、奈々子とミナミはすっかり意気投合し、そこに鈴木を強引に巻き込んで変に盛り上がっている。

 水田と翔太は類の両脇で、飲み過ぎで意識がフワフワしているようだ。

 この中で一番まともそうなのは……。


 エリと視線が合う。

「ちょっと、いいかな……?」

 類はエリに目配せをして言った。

 エリはテーブルの向こうから、立ち上がり、類のすぐ後ろに座った。

「佐々木さん、ごめん俺、やっぱそろそろ帰るわ……。こいつらお願いしていい?」

 類は両脇に抱えた酔っ払い二人を座布団に転がして言った。

「わ、わかりました……」

 そう言うとエリは、口をキッと結んで決意したようにうなずいた。

 そして類は適当な額をエリに渡して言った。

「足りるとは思うけど、もし足りないときは連絡して。後日不足分払うから」

「いえ、大丈夫です!むしろ多いかも」

「あとお願いするよ。ありがと、ごめんね」

 類は座布団に転がっている翔太を見た。

「翔太、俺先に帰るからな」

 翔太は眠そうな目で類を見る。

「アラー?お帰りなのー?」

 ミナミが酔っぱらった顔で言った。

「あぁ、ちょっと急用で」

「えー!類さんが帰るとつまんないかもー」

 奈々子がミナミに同調するように言った。

 引き留める女性陣とは裏腹に、鈴木は“早く帰れ”とばかりにニヤリと笑った。

「ま、また今度、機会があったら……」

 類は引きつった笑顔で答えると、逃げるように部屋を出た。

 そして、そのまま出入り口の方に向かう。

 店内のテーブル席は入った時よりもさらにガヤガヤと混みあっていた。


 下足棚から靴を取り出し履いていると、エリが見送りに来た。

「あぁ、佐々木さん……。どうしたの?」

 下足棚に片手をつきながら言う。

「……」

 エリは赤い顔でまっすぐに類を見ている。

「ん?」

「あ、あの!」

「何?お金足りなかった?」

「彼女、ですか!?」

「は?」

 類は呆気にとられた。

 エリが不安そうな顔をして言う。

「彼女に呼ばれたんですか!?」

「へっ!?いやいやいや、俺彼女いないから!」

 類は焦って答えた。

「そ、そうなんですね……」

 エリが急に安心したように笑うと、そのまま床にへたり込んだ。

「だ、大丈夫?」

「は、はい……。大丈夫です。それから先輩……」

 そう言うとエリはフラフラと立ち上がり、恥ずかしそうに類を見た。

「何?」

「……エリって呼んでください」

「へ?」

「名前、苗字じゃなくて、名前の方で呼んでほしい……です……」

 エリも思ったより酔いが回っているのか、なんだかフラフラしている。

「わ、わかった。エリちゃんね。大丈夫?」

 類は様子をうかがった。

「はい、大丈夫です!」

 エリは笑ってうなずいた。

「じゃ、俺帰るから、幹事頑張って。みんなによろしく……」

 類は手を軽く上げて挨拶をすると店の自動ドアを出た。


 振り返れば、エリがまだ見送っている。

(……幹事も大変だな)

 そして携帯電話の画面を見た。

 時計は21:43を表示している。

(思ったより時間過ぎてるな。早く帰らなきゃ……。これから掃除かよ。アリサのやつめ……)

 類は内心かなりイラつきながら、足早に自宅マンションへと帰っていった。

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