第11話 計略の夜(前編)



 原野中駅の西口からほど近い場所に建つ“株式会社ローリカー”のオフィスビル。

 休日前の19時過ぎ、すでに大半のフロアは電気が消え、非常口の緑のライトが寒々しく光っていた。

 

 その暗い中で、ところどころ点る蛍光灯の明かり。

 3階の営業部が入っているフロアも、何人か残業をしているのか、机の上に明かりが点っていた。


 「はぁ……。(紫さんに、また説教された……)」

 机のある部屋から、疲れた顔で大きくため息をつき、翔太は3階フロアの外れにあるロッカールームに入っていった。

 そして一人、帰り支度を始める。

(先輩め……。あれはアリサちゃんとデートだったのか?……見間違い?なはずないか……)

 ぐったりしながらカバンを肩にかけ、ロッカーを閉めて廊下に出た。

「お疲れ様です」

 不意に後ろから声をかけられ、(誰?)と振り向く。

 見れば、同期入社の佐々木エリが営業用の大きなカバンを抱えて立っていた。

「あ、あれ?佐々木さん?この時間まで残ってるの、珍しいね」

 翔太は少し驚いたようにエリを見た。

 エリは、紺色のタイトなスカートに白いブラウスを着て薄地のカーディガンを羽織っている。丸く可愛いらしい顔立ちが、“頼まれたら断れないタイプ”という印象を与える、翔太と同期入社の若い女性だ。

「明日から連休に入るじゃないですか?私が担当しているところはオフィスばかりなので、長期休暇に入るところの配置菓子の量を調整してきたんです。それでこんな時間になっちゃって」

 そう言って、エリは少し疲れたように笑った。

「そうなんだ。佐々木さん頑張ってるなあ」

「そ、そんなことないですよ。残業は今日だけです。私はいつも定時上がりですから」

 そう丁寧な口調で答える。

(うーん。いつもながら、同期入社なのに縮まらないこの距離感……)

 エリは翔太の2つ下の高校の後輩にあたる。翔太が第二新卒で入社したためエリとは同期入社になるが、エリの中ではずっと先輩後輩の関係が続いていた。

「佐々木さん、あのさ、いつも言ってるけどタメ口でいいからね。同期入社なんだし」

 翔太のその言葉に、エリは少し困ったように笑って言った。

「い、いえ……、梅原さんは同期というより高校の先輩のイメージの方が強くて……。なかなかタメ口にならないですよ」

 その答えに翔太は苦笑いをした。

 エリは「それでは」と言うと軽く頭を下げて翔太の前を通り過ぎ、営業部の部屋に戻ろうとした。

「あ、ちょっと待って」

 翔太が呼び止める。

「はい?」

 翔太はエリをじっと見た。

(そうだ……、エリに頼めば女性側の合コンメンバー、集められるかも……)

「なんですか?」

 エリは当惑したように翔太を見た。

「あ……。佐々木さん、今度飲み会しません?」

「え?飲み会……?ですか?」

 その言葉に驚いた顔をする。

「あ、あ、その、二人じゃないよ。何人か誘って……。その、なんて言うか。合コン?的な?あはは……」

 翔太は焦って答えた。

「あー……(梅原先輩、連休に予定がなくて焦ってる?でも、ある意味いいタイミングかも)」

 エリは何かを察したようにうなずいて言った。

「いいですよ。飲み会、やりましょう」

「ほんと!?ありがとう。良かった……」

「あのう、それで急かもしれませんが、後半の四連休のどこかの日にちでどうでしょうか……?」

「四連休かー……(先輩はたぶん連休何も予定ないだろう……)」

 翔太はエリの提案に少し考え、そして答えた。

「うん。大丈夫だと思う」

「では、詳細はあとでもう一度相談させてください。メールしますので」

 そう言うとエリは自分の机に戻っていった。

 その後姿を見送る。

 翔太はカバンから携帯電話を取り出した。

(段取りの目途はついたかな。とりあえず、先輩にメール入れておこう……)



 連休の間に挟まれた平日の朝。

 小雨が混じる曇天の空は、初夏とは思えないほど気温が下がっていた。


 翔太は、オフィスを出ると原野中駅西口にあるコンビニでホットの缶コーヒーを一つ買い、ジャケットのポケットに入れた。それをカイロ代わりに手を温める。

(うぅ、今日寒いなー)

 傘を差し、身を縮めて五番通り方向へと足早に歩いていく。

 いつもは重そうに抱えているカバンだが、今日は心なしか軽そうだ。

 

 駅前から歩いて10分もかからないうちに、五番通りに入ってすぐのところにある五階建ての雑居ビルの前で足を止めた。

 その1階に、配置菓子の箱を新しく設置した創作和風料理の居酒屋がある。

 まだ午前の早い時間帯だけあって、居酒屋も周辺の店も閉まっていた。


 翔太は雑居ビルの横の細い通路から回り込み、裏口に傘を立てかけ中に入った。

 裏口周辺はゴミ袋が山積みされ、廃材や掃除用具などが入ったロッカーなども置かれ、かなりごちゃごちゃしている。

 通路を進み、居酒屋の狭い事務所兼休憩室の前に来る。

 そのドアは外側に大きく開いていた。

 翔太は中の様子をうかがい、コンコンコンと3回ノックをすると声をかけた。

「おはようございます」

 中にいたオールバックの髪型の中年男性がそれに気付いて振り向く。

 白いシャツに黒いズボンを穿き、ひげの剃り跡も青々しいこの男は、創作和風料理の居酒屋“ヘルシー”の店主、須藤だ。

「ああ、おはようございます。梅原さん」

 須藤は、座っていたパソコンデスクの前から立ち上がり、翔太のもとに来た。

「お呼びたてして申し訳ありません」

 そう言って恐縮する。

「いえいえ。むしろ補充のご連絡をいただけるのは、こちらとしてはとても助かります」

 翔太も同じように恐縮して言った。

「昨日までの三連休で、置いてもらったお菓子が全部無くなってしまいまして……。お客さんにこんなに評判がいいとは思いませんでしたよ。もう予想外で……」

 そして困ったように笑う。

「それは嬉しいですね。こちらこそ置かせていただき、ありがとうございます」

 翔太はそう言うと、カバンから配置菓子の小型の箱を取り出した。その中身は全て“クランチョコ”が入っている。

「ん?それは?」

 須藤が不思議そうに箱を見た。

「これだけ売れるようでしたら、連休期間中だけでも、もうひと箱増やしてみてはと思いまして。どうですか?」

 そう言って笑顔で須藤の様子をうかがう。

「ふむ……、いいかもしれませんね。お菓子を置くことでウチのデザートメニューの売り上げに多少は響くかと思っていたんですが、これが全く影響が無くって……――」須藤は少し考えた様子で、続けて言う。「――レジ横に置いているからか、むしろ混雑しているときの待ち時間の繋ぎとして役に立っている感じがしますよ。なので、もう一つ増やしてもいいかな……」

 その返事を“待ってました”とばかりに、翔太はうなずいて言った。

「ありがとうございます。では、さっそくこれも置かせてもらいますね」

「えぇ。どうぞ」

 翔太は須藤の了解を取り付けると、靴を脱いで通路を進み店舗側に入っていった。

 店の内装は和風居酒屋のイメージとはかけ離れた、宇宙をイメージしたものだ。壁紙に星座や銀河のイラストが描かれている。

(……やっぱり違和感あるよなぁ、この内装。床だけ見れば板敷の和風なのに……)

 翔太は店の中を見回した。

 白い円盤状の椅子が、アダムスキー型のUFOを模したテーブルの上に逆さに乗せられ、従業員と思しき中年の女性が、“ヘルシー”の赤い炎のロゴマークが入った黒いエプロンを付けて掃除をしている。

「おはようございます」

 女性は翔太に気づくと掃除をしながら挨拶をした。

「おはようございます」

 翔太も挨拶を返し、レジ横にある膝ほどの高さの棚に乗せられた配置菓子の箱の前に立った。

 すぐ後ろから須藤がついてくる。

 須藤は配置菓子の箱を見て困ったように笑って言った。

「ね、空でしょ。連休はお客さんの入りも多いから、昨日の営業の早い時間帯で無くなってしまって……。金曜に補充してもらったばかりなのに、申し訳ないです」

「いえいえ、こちらとしては嬉しい限りですよ。ではさっそく……」

 翔太はそう言うと、カバンからタブレット端末を取り出し、売り上げ状況を入力した。

 そして、カバンから補充用の菓子を取り出すと、空になった箱に詰めた。

「須藤さん、この小型の箱の方は、これに重ねて置いても大丈夫ですか?」

 そう言って先に設置した中型の配置菓子の箱を指す。

「あぁ、大丈夫ですよ。あまり高くならないですよね?」

「えぇ。高さ的には――」配置菓子の横にあるレジを指し「――このレジと同じくらいになるので、大丈夫だと思います」

 翔太は設置場所の確認を取ると立ち膝になり、カバンから金具を取り出して中型の箱と小型の箱とを固定した。

「へぇ。連結できるんですか……」

 須藤が感心したように言った。

「はい。この箱は大きさをいろいろ組み合わせることができて、専用の金具で固定すると一つの収納棚のようにもすることができるんです……。うん、これでいいですね」

 棚を固定し終わり、立ち上がる。そして須藤を見て言った。

「もし金曜までにまた無くなりましたら、呼んでいただけるとすぐに補充にうかがいます」

 須藤はうなずいた。

「わかりました。無くなりそうな時は、また連絡しますよ」

「よろしくお願いします」

 翔太はカバンを片付けると、須藤とともに店舗側から事務所前に戻った。


「梅原さん、良かったらこれどうぞ」

 須藤はそう言って、事務所の机の上に乗っていた何かのチケットを数枚梅原に手渡した。

「これは?」

 翔太は受け取った券を見た。

 薄黄色のその券には使用期限と、小鉢の絵が中央に描かれ、その周りを不気味な炎が囲んでいるなんとも微妙なデザインだ。手作りであろう感がひしひしと伝わってくる。

「うちのクーポン券です。これ出してもらえれば平日、小鉢一品をサービスしているんですよ」

「へ、へぇ……。ありがとうございます」

 翔太は奇妙な絵柄のクーポン券から話題を逸らすように営業スマイルで話を続けた。

「連休中は、やっぱり相当お客さん入ってますか?」

「そうですねー。後半の四連休も予約が多くて、うれしい悲鳴ですよ。ただ……」

 須藤の顔が一瞬曇った。

「……どうしたんですか?」

「今朝、朝一で予約キャンセルの電話が入っちゃって」

 須藤はそう言うと苦笑いをし、頭をかいた。

 翔太もそれに合わせるように「あー……」と苦笑いをした。

「まだ連休後半の日だった影響ないんですけどね。これが当日だったりしたら、かなりきついですよ。あ、梅原さん、飲み会の予定とかありません?」

「えっ……」

 翔太は須藤の不意の問いに、

「あぁ……、一応連休中に懇親会をしようという話はあるんですが、まだ場所も人数も決まってなくて……」

 と、バカ正直に答えた。

 するとすかさず須藤が言った。

「なら、ぜひうちを使ってくださいよ!30人とか50人とか、大人数でなければすぐに対応できますから!」

「あはは……。たぶん人数は6人くらいかと思います……。(この店、立地も価格帯も悪くないんだけど、内装がなぁ……)」

「それで、日にちはいつなんですか?」

 須藤は熱い視線で翔太を見ている。

「あ……あ……、まだ、決まってなくて……連休のどこかになるとは思うんですが」

「じゃ、連休の3日目でどうです?いえ、ぜひその日でお願いします!!」

 須藤はそう言うと、翔太の右手を両手で強く握った。

「……(なんだろ、この選挙の候補者っぽいの……)えっと、そ、そうですね、考えておきます」

 須藤の言動に、その日にキャンセルが出たのだとすぐ察しが付く。

「では、時間は7時ですか?それとも6時半とか?」

 須藤は、すでに予約前提で話をしている。

 翔太は困惑した。

 配置菓子を置いてもらっている手前、むげに断るのも気が引ける。

「あ、いや、あの……(こ、断りにくい……)じゃ、7時で……」

 結局、須藤の強引ともいえる勧誘に押され、相手の言いなりで予約をした。

「ありがとうございます!ありがとうございます!」

 須藤はそう言って、営業スマイルと思しき満面の笑みで頭を下げた。

「こ、こちらこそよろしくお願いします……」

 翔太は引きつった笑顔で言った。

(あぁ……。エリに連絡しなきゃ……)



 ――その日の昼休み。


 “ローリカー”のオフィス、3階フロアのロッカールームに、翔太とエリの姿があった。

「それで断り切れなくて……。ごめん」

 翔太はエリに頭を下げていた。

「それはしょうがないですよ。それにお得意先のお店を使うのは悪いことじゃないですし、今後の関係を考えたらそれもアリだと思いますよ」

 エリはフォローするようにやさしく言った。

「うん……。でもあの店、内装がなあ……」

 翔太は店を思い出したように苦い顔をして言った。

「あぁ、そうですよね。あのお店、内装が変わってるって有名ですもんね」

「……」

「でも、料理の評判はいいんですよね。内装以外の口コミの評価も高いですし、ネットに出ている料理写真もすごくおいしそうですよ」

 エリは携帯電話に表示した“ヘルシー”の料理の写真を見て、翔太に笑顔を向けた。

「う、うん……」

 しかし、翔太は自分の軽率な発言から不本意に決まってしまったことに気分が沈んでいた。

(雰囲気は大事だよ……。先輩にはこの合コンで彼女を作ってもらわなきゃならないのに……。あのUFOテーブルじゃ……)

 翔太の計略は、初っ端から怪しい雲行きとなった。

「それで女性側なんですけど、メンバー3人揃いましたよ」

「え!?は、早い!」

 翔太は驚いてエリを見た。

「一人は、私もやはりお得意先の方なんですが、もう一人は私の中学時代の同級生で美容師をやっている子なんです。なかなかの美人さんですよ」

「そうなんだ!」

 エリの“美人”という言葉が、翔太の沈んだ心に若干の光を射した。

「梅原さんの方はどうです?」

 エリは不安気な目で翔太を見た。

「僕のところは、同じ高校の先輩と、あと」

「鈴木さんですか?」

 話を遮るようにエリが言った。

「えっ?なんで知ってるの?」

 鈴木は翔太とは同い年だが、“ローリカー”では二つ先輩にあたる同僚だ。

「この前翔太さんから飲み会の話があった少し前に、鈴木さんからも飲み会に誘われてまして……。日にちもまだ決まってなかったですし、それで今日断ろうと思って、今朝つい懇親会の話を鈴木さんにしてしまったんです……。だから、もしかしてと思って……」

「あー。そういうことね……」

「もし他に誘っている方がいたらどうしようかと」

「それなら大丈夫。もう一人は当てがあったわけじゃないから、逆にちょうどよかったよ」

「そうですか……」

 エリは少しがっかりしたような顔をした。そして続けて言う。

「そういえばもう一人の方、梅原さんの高校先輩なら、私にとっても先輩になりますね」

「あ!そうだね。佐々木さんとは4つ、かな?歳、離れてるの。だから面識はないのか……」

 翔太は思わず心の中でニヤッと笑った。

(ちょうどいい!この縁つながりで、先輩とエリをくっつけてしまおう)

 


 そして浅はかな計略をめぐらせ、当日を迎えた。


 まだ昼の明るさが残る18時前。

 翔太は女性側の幹事であるエリと打ち合わせをするため、少し早めに駅前で待ち合わせをしていた。

 駅西口を歩いていると、翔太の携帯電話に呼び出し音が鳴った。

 ――「もしもし、梅原さん!」

 焦ったようなエリの声。

「佐々木さん?どうしたの?」

 翔太は電話に出ると、歩道の端に寄って通行の邪魔にならないよう立ち止まった。

 ――「ご、ごめんなさい!ひとり人数増えました」

「えっ!?」

 ――「予約の人数変更、今から間に合うでしょうか……」

 電話越しのエリの声はとても不安そうだ。

「それは大丈夫だと思うけど……。あぁ、でも人数、3、3じゃなくなちゃうか……」

 翔太は少し考えてつぶやくように言った。

 ――「……人数は全部で7人になるのですが、……その……」

 エリは言葉を詰まらせた。

「うん?」

 ――「えっ……と、その、男女で言うと、3、3のままです」

「え?どういうこと?」

 ――「本当にすみません!その増えた方は、私のお得意先の方の知り合いだそうで……、あ、す、すみません、ちょっと電話代わりますね」

 電話口の向こうでザザッと雑音がして、違う女性が電話に出た。

 ――「梅原さんですか?初めまして、水田と申します。今回は本当にすみません!私の知り合いが急に参加したいと言い出しまして……付き合い上、どうしても断り切れなくて……」

 トーンの低い声の女性は思い詰めたように言った。

「なんか事情があるみたいですね。……わかりました。人数の追加は僕の方からお店に連絡を入れますので、気にしないでください……」


 翔太は水田からの電話を切ると、わけのわからないまま須藤に人数変更の電話を入れた。

 

 空は次第に薄暗さを増し、街の明かりが少しずつ煌めいて見え始める。

 五番通りは連休のさなかとあって、この時間でも普段よりかなり往来が多い。


 周辺の店より若干早く店を閉めた『カロ屋』では、レジカウンター前で、アリサが仏頂面で日計表を書いていた。

 そして睨みつけるように作業台の方を見る。

 その視線の先、作業台の前で茂と類が向かい合わせに座っていた。

 類はアリサの視線に、針のむしろに座っているような感覚で、キヨが内職していたブレスレッド作りの手伝をしている。

 そして目の前にいる茂に、引きつった顔をして小声で言った。

「お、叔父さん……。この前の誤解、ちゃんと解けてるんだよね?」

「ああ?あー、大丈夫だ。しっかり説明しておいたぞ、ガハハ」

 茂は能天気に笑って言った。

 類はアリサの方をチラッと見た。

 アリサは、怖い顔で類を見ている。

「ひぃ……(全然誤解、解けてるように見えないんですけど……)」

 作業台に置いた携帯電話のアラームがピピピと鳴る。

「あ!もう時間か」

 類は携帯電話を手に取り、アラームを止めると立ち上がった。

「もう行くのか?」

 茂が類を見上げて言った。

「うん。たぶん翔太がもう待ってるはず……」

 そう言って時間を確認する。

「“ヘルシー”の須藤さんには組合でお世話になってるからな。もし会ったらよろしく言っといてくれよ」

「あぁ」

 類は茂の言葉に適当に返事をすると、「じゃ、行ってくる」と言って、アリサ視線を避けるように横をサッと通り抜け、皆川家の玄関から外に出た。


 『カロ屋』から“ヘルシー”までは、歩いて数分の距離だ。

 予想通り、五番通り入り口の待ち合わせ場所に、翔太が立って待っていた。

「翔太」

 逆方向を向いていた翔太に、後ろから声をかける。

 その声に翔太は振り向いた。

「あ、先輩!またパーカーなんですか。今日くらいはもうちょっとオシャレに……――」言いかけて、不機嫌そうに類を見た。「――……カロ屋から来たんですか?」

「そうだけど」

「……アリサちゃんとは相変わらず仲良さそうで」

「何の話だ……」

 類の返事を聞き流し、翔太は元気なく「はぁ……」っと大きくため息をついた。

 いつもと違う翔太の様子に、類は首を傾げた。

「どうしたんだ?」

「……人数が増えたんですよ。一人」

「へー……。急だな」

 類はそう言いながら店の看板を見た。

「へっ!?ヘルシーって(Hell See!?)な、なぁ、翔太」

「なんですか?」

「店の名前これ……」

 類は困惑した。

「“ヘルシー”ですよ。『創作和風居酒屋Hell See』」

「いや、和風居酒屋だし“健康的”とかそっちの意味の“ヘルシー”だと思うじゃん!何で“Hell See”って……、地獄を見る方かよ!」

 類の様子に、翔太はあきれたように言った。

「先輩、何言ってるんですか今さら。五番通りの『Hell See』って言ったら(内装がおかしいことでも)結構有名ですよ」

「えぇ!?そ、そうなのか!?」

 類は顔が引きつった。

(知らなかった……。ドリアンラーメンと言い、アオミドロ薬局と言い、五番通り商店街の店のネーミングセンスはロクでもないな……)

 類は、軽いめまいとともに意識が若干遠くに行った。

「それより先輩……」

 翔太は深刻な表情で類を見た。

「な、なんだ?」

「先に謝っておきます。人数は7人ですが、内訳は男女3、3です……」

「は?」

 類は呆気に取られた。

「行けばわかります……。あとウチの同僚の鈴木が来れば全員揃うので……」

 そう言った翔太の顔に生気がない。

 翔太の計略は、増えた一人のために完全に破綻していた。

(あぁ、もう台無しだよ。先輩とエリをくっつけようと思ってたのに……)

「どうしたんだ?」

 類は、宙を見ている翔太を見て心配気味に言ったが、内心嫌な予感がした。

(こういう時の予感って、なぜか当たるんだよな……)

「悪い!遅くなったー」

 駅の方から男が駆け足で近づいてきた。

 男は若干太めの体形ではあるが、ノーカラーのインナーに黒のジャケットを羽織り、スタイリッシュに着こなしている。心なしか合コン慣れしているようにも見える。

「あ、鈴木さん。大丈夫ですよ。まだ5分前です」

 翔太が浮かない顔で言った。

「こんばんは」

 類は鈴木と呼ばれた男に挨拶をした。

「こんばんは。あ、翔太の先輩ですか?オレは翔太の同僚の鈴木です。今夜はよろしくお願いしまーす」

 鈴木はそう言ってニヤッと笑った。

「瀬戸です。こちらこそ、よ」「鈴木さん、ちょっと」

 類の挨拶は途中で翔太に遮られた。

「……」

「あん?なんだよ、翔太」

「今日は……そんなに盛り上がれないかも……」

 翔太はそう言うと店の入り口から奥を見た。

「んー?……あ、さては集まった女の子たち微妙なんだろ?」

 鈴木はニヤついた顔で言った。

「……いえ、そういうわけじゃ」

 暗い顔の翔太に、鈴木はしたり顔で言った。

「いいって、いいって!オレはエリちゃんさえいればいいの。他は眼中にないから」

「佐々木さんを狙ってるんですか?……同僚に手を出すのはやめてくださいよ。後々面倒ごとになりかねないですから」

 翔太は嫌な顔をしてサラッと釘を刺した。

「大丈夫だってー。仕事では全くそんな気配出してないだろー?――」鈴木は翔太の首に腕を回し「――オレはちゃんと公私を分けられるタイプなの」と、得意げな顔をして言った。

 類は二人の様子を冷めたまなざしで見た。

(この鈴木ってやつの狙いはエリって娘か……)

「じょ、女性側を待たせるのもなんなんで、行きましょう」

 翔太は鈴木の腕を払うように外すと、そう言って店の中に入っていった。

 類と鈴木も、その後を追う。

 

 入り口から見る店の中はガヤガヤと騒がしく、かなり混みあっていた。

 靴を下足棚に入れ、翔太の後ろに続く。

(う、宇宙……、テーブルがUFO型だ)

 天井からはロケットの飾りのモビールもぶら下がっている。

 類は店の内装に驚きつつ、黒い板敷の通路を奥に進んだ。


「ここです」

 翔太はそう言って、“予約席”と書かれた木札がぶら下がった引き戸の前で立ち止まった。

 その引き戸にはクラゲ型の宇宙人のようなものが描かれている。

 翔太は引手に手をかけて、少し緊張した顔で言った。

「先輩たち、何を見ても冷静に対応してくださいね……。お願いしますよ……」

 その言葉に、類と鈴木は釈然としない様子で顔を見合わせた。

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