第12話 臨時召集

 王都デグレードの中心地ロセッシは、王城デグレード城を抱える王都で最も賑やかな地区だ。

 ロセッシには、この異世界の王国デグレードの魔法を統括している“魔道院”や、商人や職人を取り仕切るギルドの総括のような施設もあり、王国をまとめるほぼすべての機能が集約している。


 ルルアは、朝早く魔道第二中学校にある研究室を出た。

 いつもなら空色の外套を羽織っているのだが、この日は魔道院で行われる魔道士の会議とあって、教鞭を執るようになってからは滅多に着ることのなかった濃紺色の魔道服を身にまとっている。

 もちろんその上に羽織ったマントも同色の青属帯の上位、階位名称“上紺”だ。


 低空飛行の飾りを首に下げ、風のように王都の街並みの屋根の上を飛んで行く。


 向かうは王城デグレードから南西に1.5キロメートルの距離にある、王都の中で最も高さの高い塔のような暗灰色の建物、通称“魔道院塔”だ。魔道院塔はその高さもあって、ロセッシ地区内からはどこからでもよく見える。


 塔の周辺はよく整備された公園になっており、中央通路の両側には、羽の生えた獅子のような動物を模した彫刻が、等間隔に配されている。


 ルルアはその塔敷地内の広い中央通路に降り立った。

 そのまま塔の入り口へと歩き出す。

 

 塔の入り口、重厚な黒い扉の両側に鈍い銀色の簡易な鎧を着た門兵がいる。

「おはようございます」

 ルルアが笑顔で挨拶をすると、二人の門兵は持っていた槍を足元に落とすようにトンと鳴らし、敬礼をして扉を開けた。

 丸く広いエントランス。

 5階まで吹き抜けの天井が、その広さをより強調している。

 中央の床には大きな魔法円が色違いの大理石を用いて描かれ、暗灰色の壁面には複雑な紋様の魔法円が描かれた旗が、等間隔に何枚もぶら下がっていた。


 エントランスの端、見た目はルルアと同じ年頃に見える青いマントを羽織った背の高い女性が、マントの下に着た魔道服を直している。

「イルミナ、おはよう」

 ルルアは声をかけた。

「あ、あ、おはようございます」

 女性は慌てた様子で振り向いて、挨拶をした。

「どうかしたの?」

「ルルア様……。ベルトのバックルがうまくはまらなくて……」

 イルミナは、ウエストに回したベルトに手を当てて、バックルをガチャガチャといじっている。

「普段、魔道服なんてあまり着ないものだから……。今日に限って、どうしたのかしら」

 イルミナは焦ったように言った。

「うーん、少し見せてもらえるかしら?」

 その言葉にイルミナはベルトをルルアに渡すと申し訳なさそうにルルアを見た。

 ルルアはバックルを裏返して、覗き込むように留め金を見た。

「金具が少し曲がっているわね。これが原因かしら?」

 そう言ってルルアは、バックルのその部分を指し、イルミナに見せた。

「あ……、本当だ。このくらいなら……」

 イルミナはベルトを受け取ると、バックル部分を両手で挟むように持ち、軽く目を閉じた。

 その瞬間、手の隙間から僅かな光がフワッと漏れる。

「原因がバックルなら、この修復魔法で大丈夫のはず……」

 イルミナはもう一度ベルトを締め直した。

 今度はカチッと金具が留まる。

「よかった……。原因は、やはり金具のゆがみだったようです。すみません」

 イルミナは申し訳なさそうに微笑んで軽く頭を下げた。

「うん、大丈夫そうね。じゃ、行きましょう」

 ルルアはそう言うと、エントランスの奥の丸い小さな部屋状の場所を指した。


 イルミナと二人、その中に入る。

 そこは直径4メートルほどの広さの円形の空間で、ドアは無く、塔の上の方まで吹き抜けが続いている。

「会議は15階の西小議場だったかしら?」

「そうですね」

 ルルアは、入り口の横にあるボタンを操作した。

 すると、白い床に赤紫に薄く光る円が現れ、その内側には多角形を中央に配した複雑な紋様が浮かぶ。

 そのまま二人は紋様の上に乗り、エレベータのように紋様ごと浮上していった。

 15階に着くと、二人の足元の紋様が青緑色に変わる。

 ルルアとイルミナは、その15階のフロアに降りた。

 絨毯敷きのホールを西側に進み、小議場へと向かう。


 小議場の入り口で軽く礼をして中に入る。

 場内はコの字に机が配され、正面は中央に議長席が、その両脇に理事者席などがある。

 その正面の奥に、かなり年配の白く長いひげを蓄えた男性が立っていた。

 ルルアとイルミナはその人物に深く頭を下げると、ルルアは左側に、イルミナは右側に分かれて進み、それぞれ指定されている席に着いた。

 

 ルルアが座った席の周囲には、ルルアと同じ“上紺”のマントを付けた魔道士が15人ほど、イルミナが座った席の周囲には、イルミナと同じ“青”のマントを付けた魔道士が40人ほど座っている。

 見れば“青”のマントを付けた魔道士たちの席のさらに後ろに、魔道階位の“上赤”と呼ばれる紅赤色のマントを付けた魔道士が、狭い椅子に押し込まれるように15人ほど座っていた。


「ルルアさん、おはようございます」

 左隣に座った、やや年配の聡明な顔立ちの男が話しかけてきた。

「おはようございます、テオ様。皆さん、早いお集りですね」

 ルルアは辺りを見回して言った。

「いえいえ、私も今来たところですよ。でも今日の臨時召集は何でしょうね?魔道院長名での召集なんて……――」向かい合った側の席の奥の“上赤”の魔道士たちを指し「――ほら、“上赤”の代表の方も来ていますからね。相当な重要案件なのでしょうね……」

 テオはすっきりしない顔をした。そして続けて言う。

「やはり、一昨日の青空市で起こった騒動の件と関係があるのでしょうか……」

「青空市で、何かあったのですか?」

 ルルアは少し不安気に訊いた。

「うーん、リグレット広場で魔物を暴れさせた魔道士がいましてね。故意ではないのでしょうけど。……実は昨日も、私はその件で魔道院に来ていまして。魔道士課として、その魔道士の処分の手続きをしていたわけですよ」

 テオは苦笑いをすると続けて言った。

「でも、魔物の暴走なんてよくあることですから。もしそうだとして、わざわざ院長名で召集するほどのこととも思えないんですよね」

 そう言ってため息をつく。

「そ、そうですよね……」

 ルルアの顔が一瞬強張った。

 テオは席に座っている面々を見回して言った。

「ふむ。青属帯の魔道士は、ほぼ全員が召集されていますね。……本当に、何があったのやら」

 ルルアはその声を聞き流すように軽くうなずき、視線を目の前の机に落とした。


 今回の臨時召集の案件が青空市の騒動であるなら、自分が関与したことが何か関係しているのではないかと、どこかで不安になっていた。

(……あの時、私の魔術は誰にも気づかれていなかったはず……。ルイさん以外は……)

 見世物小屋で魔物が騒いでいた時、あの状況でルルアの魔術に気づいたのは類だけだ。

(ルイさんは異世界の方ですし、……魔道院とは直接関係がない、……とすると一体)

 不安と緊張が次第に高まるのを感じる。

(……きっと大丈夫。青空市にはちゃんと“枯れ緑”のマントを身に着けて行ったし、私だとわかった者はいないはず……)

 ルルアは自分を安心させるように小さくうなずいた。


 議場内はしばらくガヤガヤしていたが、やがて時間になったのか“青”のマントを羽織った魔道士が司会を始めた。

「本日は、朝早くからお集まりいただきありがとうございます。急な召集でしたが、全員の出席をいただき、感謝申し上げます」

 司会の男は軽く頭を下げた。

「私、この度司会を務めます、魔道院魔法部魔法課のフレッド・ドルトルと申します。よろしくお願いします。では、魔道院長よりご挨拶をお願いいたします」

 司会者がそう言うと、先ほど奥にいた白く長いひげの男性が中央に立った。いかにも威厳がありそうな濃茶の地に深緑と金色のラインの入った魔導服を着、黒いマントを羽織っている。

「おはようございます。魔道院長のアルマデルです。本日は私の名において臨時に召集させていただきました」

 その言葉に場内が少しざわつく。

(……院長名での召集ですものね。欠席者がいなくて当然だわ……)

 ルルアはもう一度周囲を見回した。

 いつの間にか議場内が少しピリピリとした雰囲気に変わっている。

 挨拶が終わり、魔道院長は一番上座の席に座った。

「では、今回の臨時召集に至った経緯を魔術部獣魔課のベトール・グレさん、お願いいたします」

「はい」と返事をして、理事席に座っていた一人が立ち上がった。

 ミルク色の短めのマッシュヘアに暗灰色の瞳、童顔の顔立ちが二十歳前後の青年に見える、この“上紺”のマントを羽織ったベトールは、院長に頭を下げ、演壇に立つとまた深々と頭を下げた。

「魔術部獣魔課のベトール・グレです。この度の案件は、魔道院長の御名をもって召集するほど重要であるということをはじめにお伝え申し上げます」

 その言葉に再び議場内がざわつく。

 そして報告書のようなものをめくり話し始めた。

「発端は、一昨日の青空市で起こりました見世物小屋での魔物の暴走です。――」

(やはり……)

 ルルアは顔が強張った。無意識に膝の上で手をきつく握る。

「――すでにお聞き及びの方もいらっしゃるとは存じますが、暴走した魔物および見世物小屋の店主の魔道士とその従業員2名は、王都第三警備隊管轄の東リグレット警備隊が身柄を拘束いたしました。――」

 集まった魔道士たちは、真剣な顔でベトールの話を聞いている。

「――その東リグレット警備隊の隊長ジウからの報告によりますと、取り調べ中に再度この魔物が暴れ、やむなく殺めるに至ったとのことです。店主で飼い主の魔道士ジョゼフは、今回の騒動を引き起こしたことにより、魔道院規定に基づき、魔道階位赤属帯“豆赤”から緑属帯“上緑”へ一段降格処分となります」

 ベトールは報告書を1枚めくり、ひと呼吸ついた。

 その間に、みな一様に怪訝な顔をして周りの様子をうかがう。

 テオもつぶやくように言った。

「うーむ、その報告でしたか……。魔物の暴走はよくあることだと思うのですが……」

 魔物を飼いならすというのは、どんなに低級なものでも危険を伴う。ゆえに魔道院では、魔道階位赤属帯以上の魔道士に限って飼育を認めている。

 見世物小屋の一件は、その飼い主のクラウンの格好をしていた魔道士が魔物の暴走を止められなかったことが原因で、人の大勢集まる青空市での出来事とあって、処分は相当だ。そして、そうなればジウのように魔力の低い者、または無い者にとっては悪化する前に始末をつけるのは、至極当然のこと。

 ジウの判断に、これといって不可解な点はない。


 そのようなありがちな報告をするために“わざわざ院長名まで使って臨時に召集したのか?”

 誰しもがそう思った。

 再びベトールが報告書を見ながら話しを始める。

「報告には続きがあります。本題はここからです――」

 その言葉に、魔道士たちは再び互いに顔を見合わせた。

「――その魔物は、2年ほど前から現れるようになったウスペンスキー亜型と呼ばれている魔物です。ウスペンスキー型自体は、王都のはるか東一帯に広がる通称“カロの森”の上空で、夕刻から夜明けまでの時間に現れる魔物ですが、それによく似た姿をしています。ちょうどウスペンスキーを三分の一に縮小したような大きさです。……本来、魔物でもなんでも死ねば死体が残されます。ウスペンスキーももちろんそうです。ところが、この亜型は死体を残すこと無く消滅した、との報告を受けました」

 その言葉に、議場内がざわつく。

 とこからともなく「消えた……?」と、驚いたような声も聞こえた。

「みなさんお静かにお願いします」

 司会者が言った。


「はい!」

 その突然の声に目を向ければ、“上紺”の一番入り口側の席に座っていた女性の魔道士が手を上げて、まっすぐにベトールを見ていた。

 彼女は煌めく金髪を一つにまとめ、その脇に銀色の髪飾りを付けている。真っ赤な口紅と魔晶石の小さなピアスが“上紺”の魔導服に映える、見た目20代後半くらいの美人だ。

「シアさん……」

 ルルアはつぶやいた。

 シアは立ち上がり言った。

「魔術部獣魔課のシア・レーンです。今の報告に補足させていただきますと、これまで当課で把握している魔物の中で、いくつかの魔物は、ウスペンスキー亜型と同様に死体を残さず消えるものがございます」

 議場内はざわついたまま、それに紛れてまた誰かが言った。

「それはもしや……?」

 シアは周りを見渡して言った。

「魔王の眷属です」

 議場内が、先ほどよりもさらにざわついた。

 皆、隣り合った者と顔を見合わせ、難しい顔をして話をしている。

「えー……、皆さん、お静かに願います」

 司会者はそう言ったが、おさまる感じはない。

 魔道院長のアルマデルが、司会者に向けて、“まぁまぁ”といったような素振りを見せた。


「ルルアさん、どう思います?ウスペンスキー亜型はウスペンスキーの突然変異と考えられていましたが……。この話ですと、似ているというだけで別物なのでしょうか」

 テオが隣で難しい顔をして言った。

「そ、そうですね……」

 ルルアは今回の案件が、自分が心配していた内容ではなかったことに安堵していたが、話の流れがもっと深刻な内容になっていることに、別の不安を抱いていた。

 ベトールが話を続ける。

「ただいま、シアさんより補足いただいたように、魔王の眷属である可能性が僅かですが出てきたのです。万が一そうであれば、当課……、いえ魔道院として早急に対応しなければなりません。そこで、一刻も早く皆さんの意見をお聞きしたく臨時に召集させていただいた次第です」

 ベトールは声を張って言ったが、ざわついた場内のせいもあり、皆あまり聞いていない様子。

 上座で静観していたアルマデルが口を開いた。

「ぜひ、この件について皆様のご意見をうかがいたい」

 アルマデルの声に、僅かに議場内が静かになったが、それでもまだ少しザワザワとしている。

「はい……」

 ルルアの3つ右隣に座っていた、還暦を超えたくらいの見た目の魔道士が手を上げた。

「魔法部魔法課のミゲル・ノドです」

 そう言って立ち上がる。

 ウエーブのかかった肩まで伸びる白髪が特徴的なミゲルは、議場内を見渡すと、ひと呼吸おいて言った。

「獣魔課では、これまでウスペンスキー亜型は、ウスペンスキー型の突然変異との見解を示していたはず。それを1体の事例だけで、いきなりウスペンスキー亜型を魔王の眷属と決めるのは、いささか時期尚早かと。判断はつきかねると思いますが。何か根拠でもあるのでしょうか?」

 ベトールが苦い顔をする。

 ミゲルの発言に、議場内から「たしかに……」「そうね……」との声が漏れる。

 シアは何か言いたげな顔をしているが、考えがまとまっていない様子。

「は、はい……!」

 たどたどしい声を上げたのはイルミナだ。

(イルミナ!?)

 ルルアは、少し驚いて向かい側の席にいるイルミナを見た。

 立ち上がったイルミナの、オレンジ身を帯びた黄色い長い髪が揺れる。

「魔術部魔道具課のイルミナ・シューザイアです。私は現在、王立魔道第一中学校に出向中で、過去の魔導書の研究を行っているのですが、その中に記された魔王の眷属に関するものは、どれも例外なく死体が残らない件が出てきます。今回のウスペンスキー亜型も、そうであれば推測の域は出ませんが、可能性は十分あるかと……」

 そう言って気まずそうに座った。

「どう思います?」

 テオが顎に手を当て、思案顔でルルアに言った。

「そうですね……、可能性の一つとしては……」

 ルルアは、青空市の騒動で魔物に術をけしかけた時のことを思い出していた。

「(あの魔物にこれと言って違和感は無かったのだけど……。それにイルミナの話には少し飛躍があるかもしれない)……もう少し、ウスペンスキー亜型が消えたときの状況を知りたい」

 いつの間にか声に出ていた。

「院長!」

 テオが勢い良く手を上げた。

 その声にアルマデルが、テオを見てうなずく。

「魔法部魔道士課のテオ・フェリンです。いろいろ意見があるようですが、もう少しウスペンスキー亜型が消えたときの状況を詳しく教えていただきたい。今のままでは情報が少なすぎます」

 その言葉に、周りにいた魔道士たちも「うんうん」と、うなずき同意する。

 テオは席に座ると、ルルアに向けて目配せをした。

「あ……」

 ルルアは、恐縮したように軽く頭を下げた。

「それでは説明をさせていただきます」

 ベトールが再び演壇で声を張って言った。

「ジウ分隊長の調書によれば、ウスペンスキー亜型を捉えた際にすでに瀕死の状態であったとのこと――」

 その言葉にルルアはハッとして冷や汗が出た。

(ま、まさかあの時の呪符1枚で……?ありえない。あんな微弱な魔術で……)

「――えー、これについては、対魔装備ではなく通常武器により攻撃したため、加減ができなかったと申しております――」

 ルルアは大きくため息をついた。そして安堵した表情を浮かべた。

(よかった……)

 議場内が少しざわつく。

 ベトールは議場内を見渡し、咳払いをして続けた。

「――警備兵も当然対魔装備所持は認められているわけで、所持していなかったというのはかなり問題があるかと思います。また、偶然居合わせた“上緑”の魔道士バルドリウスによりますと、騒動が起きてから警備兵が到着するまでに、かなりの時間を要していたと申しております――」

 議場内からまた声が上がる。

「どうして?」「青空市では終日リグレット広場に警備兵を配置しているはずでは?」

「皆さん、お静かに、お静かに願いますよ」

 司会者が、議場内を見渡して言った。

 ベトールが話を続ける。

「――この2点につきましては、王都第三警備隊の方で何らかの処分があると思います。……それでジウ分隊長によりますと、詰所での拘留中に再びウスペンスキー亜型が暴走したため、捕縛用の魔道具で縛り上げたところ、そのまま消滅したとのことです。それは、まるで小さなガラスの粒のように細かく砕け、何も残さず蒸発するように消えた、と申しております」

 ルルアはテオと顔を見合わせた。

「なんか、引っかかりますね」

 テオは背もたれに深くもたれ、腕を組んで難しい顔をして言った。

「そうですね。“何も残さず”……というのがやはり気になります」

 議場内はざわついたままだ。


 ルルアは少し考えて、手を上げた。

「はい、院長」

 アルマデルが、ルルアを見てうなずいた。

「魔術部魔道具課のルルア・ウィエリウスです。私は現在出向中で、王立魔道第二中学校で教鞭を執っています。専攻は魔道具全般です。道具を使い魔法を発動させることを“魔術”と呼んでいますが、魔術ではどのような魔法を起こすかによって、使う道具や手順が事細かに決められています。これまでの研究史で、イルミナの言う通り、史料に登場する魔王の眷属が死体を残さないことは周知の事実です。しかし、魔王の眷属生成には、何かしらの媒体を用いていることも明らかとなっております。媒体を使う以上、これは一種の魔術と呼べるものです」

 ルルアは辺りを見回した。

 イルミナは複雑な表情を浮かべている。

 ミゲルは、うなずきながらルルアの話を聞いている。

 ベトールは、少し焦ったように手元の資料とルルアとを交互に見ている。

 ルルアは続けて言った。

「現に、30年ほど前に隣国フラガに現れた魔王バイエモンが、魔晶石の欠片を媒体に眷属を生成していたのは記憶に新しいところです。媒体を用いた生成であるなら、術が破られたときに、その媒体が灰や、木片になるなど、必ず何らかの形で痕跡が残されます。そこが完全な魔力のみで行われる魔法とは異なるところです。実際、目の当たりにしたものとして、魔王バイエモンの眷属は、核となった魔晶石の破片は砂となりました……。あの時の戦乱で、どれほどの同志が失われたことか……」

 ルルアのその言葉に、ざわついていた議場内が静まり返り、皆沈黙に下を向く。

「……今回のウスペンスキー亜型が、何一つ残さず完全に消滅していたのなら、私の魔道具士としての観点から言えるのは、それは完全に魔法の領域だということです。媒体を用いず魔物を生成するというのは、把握している限り史上には出てきてはいません。このことから“魔王の眷属”以外の可能性を考えるべきではないかと思います。仮に、魔王の眷属だとしても、これまでとは違う性質を持った魔王……、ということも視野に入れ、再度ウスペンスキー亜型を検証する必要があると思います」

 ルルアはそう言うと、頭を下げて席に座った。

 静かな議場内に、皆一様に顔を見合わせ、声を潜めて話をしている。

「はい」

 再びミゲルが手を上げた。

 それを見てアルマデルがうなずく。

「私も、ルルア様の意見に同意します。先にも申しましたが、今回の1例だけでは判断が付きかねます。やはり再度ウスペンスキー亜型を検証すべきでしょう。もちろん我々魔法課も協力はしますが、魔物のことであれば担当部所である獣魔課を中心に据えられるのが良いかと。皆様、いかがでしょう?」

 ミゲルはそう言って、周囲の同意を促すように場内を見回した。

 議場内は再びザワザワとし、「はい、同意します」「私も賛成です」といった声があちらこちらから聞こえる。

 魔道士たちのほぼ全員が手を上げ、同意の意思を表した。

 ルルアとテオも手を上げる。

「うむ。まずは魔道院としての意見はまとまりましたかな……」

 アルマデルが席を立ち、議場内を見渡して言った。

 魔道士たちがアルマデルに注目する。

 アルマデルは話を続けた。

「万が一、魔王の眷属であるなら、魔道院として30年前のような失態は許されません。ウスペンスキー亜型が魔王の眷属かどうか、まだ結論は出ていませんが、状況や皆様の意見から、これまでとは異なった性質を持つ魔物である可能性は十分に考えられるようです。結論を急げとは申しませんが、はっきりわかるまでは混乱を避けるため、この会議の内容はあまり表立って話題になさいませんよう願います」

 そしてゆっくりと席に着いた。

 様子を見ていたベトールはアルマデルに頭を下げ、再度演壇から声を張って言った。

「皆様、貴重なご意見ありがとうございます。それでは早急に、当課を中心にウスペンスキー亜型の再調査行うよう進めてまいります。つきましては、ウスペンスキー亜型の捕獲を、各課の皆様にもご協力いただきたくお願い申し上げます。ありがとうございました」

 ベトールは深々と頭を下げた。

 そして壇を下りる。

「他に、ご意見のある方はいらっしゃいますか?」

 司会者が議場内を見渡してそう言ったが、魔道士たちは隣同士ざわざわと話をし、聞いている様子はない。

 困ったように司会者は、アルマデルに“どうしたらいいか?”というような目を向ける。

 アルマデルはその視線に、穏やかに目を細め、首を横に振った。

「そ、それでは臨時魔道会議を閉会いたします。只今、魔道院長からもお話があった通り、この会議の内容は他言無用に願います。本日はありがとうございました」

 司会者は苦笑いをして会を閉めた。



 魔道院の1階エントランス、会議を終えた魔道士たちがいる。


 部所に戻ろうと足早に出口に向かう者、壁際に数人かたまって何やら話し込んでいる者、ルルアも魔道第二中学校に戻ろうとエントランスを足早に歩いていた。


「ルルアさん!」

 突然、後ろから声をかけられ、振り返ればテオがルルアに向かって駆けてきていた。

「テオ様……。どうなさいました?」

 ルルアは少し驚いてテオを見た。

「お呼び留めしてすみません。先ほどの件で院長が少しお話を……と……」

 そう言って辺りを気にする。

「……わかりました」

 ルルアは察したように小さくうなずくと、テオの後をついて再び魔法円のエレベータに乗った。


 テオとルルアを乗せたエレベータは上層階、魔道院長室のあるフロアに止まった。

「このフロアは……」

 ルルアは驚きながらもエレベータを降り、ホールを見回した。

 ふかふかの濃紺の絨毯、天井は高く中央に豪華なシャンデリアが吊ってある。白い壁際には、銀の鎧をまとった白い石膏像が等間隔に置かれ、今にも動き出しそうに見える。

「ルルアさん、こっちです」

 テオはそう微笑んで、ルルアを誘導するように廊下を奥に向かって歩き出した。

「あ、す、すみません……」

 ルルアは少し照れた様子でテオの横に並んだ。

 そして歩きながらつぶやくように言う。

「院長室のあるこのフロア……、何年ぶりでしょうか……」

「そんなに久しぶりですか?」

 テオが穏やかに言う。

「えぇ。出向する以前には何度か来たことがあるのですが……。そうですね、12年ぶりくらいでしょうか……」

 向かう先に黒い大きな扉がある。その両脇に“上赤”のマントを羽織った守衛がいる。

 翼竜の装飾が施されたその重厚な扉の先は、魔道院の最高権力者、魔道院長の部屋だ。

 通路の両脇にもホールで見た銀の鎧をまとった白い石膏像が何体も等間隔に置かれている。

 この石膏像は魔力によって起動する魔道兵だ。魔道院長に刃を向ける者が現れた際に、それを撃退するよう魔術が施されている。

(さすが院長のフロアだけあるわね……。石膏像の魔道兵……、以前より増えたような?)

 

 扉の前、守衛の“上赤”二人はテオとルルアに頭を下げると、一人ずつ両側の扉の前に立ち、重そうに扉をゆっくり開けた。

 そこは小さな前室。先にもう一つ同じような扉があり、守衛の“上赤”二人が同じように両脇に立っている。

 テオとルルアが前室に入ると、中にいた両脇の“上赤”が深々と礼をし、そして右側の“上赤”が言った。

「テオ様、ルルア様。院長様が中でお待ちです」

 そして、“上赤”二人、先ほどの“上赤”と同じように扉を開けた。


 広々とした部屋、よく磨かれた落ち着いた色の床と高い天井。奥の大きな窓には羽衣のような薄いカーテンがかけられている。

 部屋の奥のどっしりとした大きな机の横に、アルマデルは立っていた。

「二人とも、急遽呼び出して申し訳ないね」

 アルマデルはニコッと微笑んで言った。

「いえ」

 テオはそう言って軽く頭を下げた。

 ルルアも同じように頭を下げる。

 そこへ、同じようにアルマデルに呼ばれたであろうミゲルとベトールが入って来た。

 二人はテオとルルアを気にしつつ、同じようにアルマデルに頭を下げた。

 そして四人は互いに顔を見合わせる。

「揃ったようですね」

 アルマデルはそう言うと、部屋の右側の窓辺に置かれた応接セットの大きな椅子にどっかりと座った。

「まぁ、座ってください」

 そう言って、テーブルを挟んで向かい合うように置かれた長椅子を指す。

「はい」

 テオとルルアは奥の長椅子に、ミゲルとベトールは手前の長椅子にそれぞれ腰を下ろした。

「君たちに集まってもらったのは他でもない、少し魔王の話をしようと思いまして……」

 アルマデルは長く蓄えた髭をゆっくり手でなぞり、遠い目をした。

「今から30年ほど前ですか……。魔王バイエモンが隣国フラガ領域内に現れたのは……」

「そうですね」

 ルルアはつぶやくように答えた。

「あの時の魔王討伐戦における我が国の敗退は、魔王を生存させるだけでなく、隣国フラガが魔王バイエモンを取り込む最悪の結果となってしまいました。……現在、魔王バイエモンは、我が国に近い隣国フラガ領域の平原地帯に拠点を構えていますね……」

 アルマデルはそう言うと、眉間にしわを寄せた。

 テオが言う。

「私は、あの戦いでの敗因の大きな要素の一つとして、魔王の出現した場所にあると思っています。やはりフラガ領域内の出現というのが、ひとえに運が無かったのではないかと。戦力的には互角に……、いえそれ以上に戦える力は十分あったと思っています」

 テオは真剣な顔をしてアルマデルを見た。

「そうですね。出現場所の要素も私は大きかったとは思っていますよ……。ですが、それ以前に、我が国の、魔道院の動きが早すぎた……。隣国フラガ領内とはいっても、我が国との国境のすぐ近く。魔王の出現は、魔力の均衡を乱しますからね。我々魔道院は全戦力を持って早急に動いたわけです」

 アルマデルはそう言って、椅子にもたれ直した。

 ベトールが周りの様子を気にしながら言う。

「私は当時、まだ学生で魔王討伐戦には参加していなかったのですが、なぜ、討伐戦だったのですか?フラガではなく、我が国で魔王を取り込めば、今のようにフラガ国境に魔王がいるという脅威はなかったはず……」

 話をしていると“上赤”の魔道士二人がお茶を運んできた。

 そして、それぞれの前にティーカップを置いてゆく。

 ティーカップから温かい湯気が昇る。

「もちろん、当初はそのつもりでした……。魔力の戦力差を見せつけることで降伏させ、我が国に取り込む。これはどの国でも行っている対魔王戦での常套手段です。交渉に応じないときはその全戦力をもって討伐する」

 アルマデルはそう言うと、ため息をつき、そのまま何か考えるように沈黙した。

 その様子を見て、ルルアがベトールに言った。

「交渉は決裂したのです。こちらがあまりにも早く動きすぎたために、魔王に関する情報が不足していました。そこをフラガに突かれたのです」

 今度はミゲルが説明するようにベトールに言った。

「魔王バイエモンにはバスィエルとロジュスという二人の配下がいたのですよ。魔道院が魔王と交渉している間、フラガは秘密裏にこの二人と接触をし、領地を与えることで魔王の取り込みを図っていました……」

 テオが付け加えるようにベトールに言う。

「魔王は出現した場所からあまり動かないというのはご存知ですか?」

「いえ、詳しくは……」

 ベトールは気まずそうに言った。

 テオが話を続ける。

「魔王は、こちらの世界の者が召喚して異世界から呼び出す場合もあれば、魔王自ら時空を歪めて来る場合もあります。いずれにしろ、魔王が元居た異世界とつながった場所に固着する傾向があるのです。その理由は、大きく二つ。まず一つ目は、異世界への帰還です。魔王にとってこちらの世界に何のメリットもなければすぐに元の世界に戻ってしまうようです。それから身の危険にさらされた場合も同じ……。魔王にとってはこちらが異世界ですから、すぐに回避行動ができる場所に身を置くのでしょうね――」

 ミゲルはじっと黙ってテオの話を、目をつむって聞いている。

「――二つ目は、異世界からの魔力の供給です。この世界にも魔力は存在しますが、魔王がこの世界の魔力を取り込んで使えるとは限らないようです。魔王はこちらと繋がったその場所を通じて元居た世界から、魔力を得ていることもあるようです。そのあたりは、魔王研究を専攻されているミゲルさんの方が詳しいのでしょうけど……」

 テオはそう言ってミゲルに向けて苦笑いをした。

「いえいえ。テオ様も十分お詳しいですよ。補足するとしたら、そうですね……、魔王の定義と現在の状況について簡単にご説明いたしましょうか――」

 その話の間にアルマデルは一口お茶をすすった。

 ベトールは左隣に座っているミゲルの話を、少し強張った顔をして聞いている。

「――魔王とは、驚異的な魔力を持った異世界からの流入者を指して言うのです。現存している魔王は四名。隣国フラガのバイエモン、はるか西北の国ケレブスに100年ほど前に現れたガープ、フラガの南、リニア海域に浮かぶドット島を拠点としているコルソン、そして我が国と北のミュール国との国境の山、シオウルを拠点とするジニマル……。魔王ジニマルとは直接交戦しているわけではありませんが、ジニマルに感化されたシオウルの魔物が度々我が国に襲来していますからご存知でしょう」

 ミゲルは落ち着いた声でそう言うと、目の前に置かれたティーカップを手に取った。

 ベトールがうなずいて言う。

「えぇ。先日もその魔物の襲来がありましたからね。私も臨時に編成された討伐隊に入り、防衛にあたっていました……」

「あれは予想外の強襲でしたね……」

 テオもティーカップを手に取り言う。その言葉にベトールが黙って深くうなずいた。

 ルルアはつぶやくように言った。

「民間からもだいぶ討伐隊の志願者を募ったとか……。でも、死者が出なくて本当に良かった……」

「魔王ジニマルを我が国に引き入れることはできないのですか?ミュール国の配下にも入っていないですよね?もし、ジニマルを我が国に取り込めれば魔物の襲来はいくらか抑えられるのではないかと……」

 ベトールがミゲルに尋ねた。

「あれは……、無理でしょうね。ジニマルが現れて早80年。交渉にも応じず、かといって自ら攻めてくるわけでもない。ミュール国も手を焼いている様子。それに……、ジニマルはバイエモンより強い」

「そ、そうなのですか!?」

 ベトールが驚いたように言った。

 アルマデルがゆっくりと口を開く。

「えぇ。魔王ジニマルの強さは、バイエモンの比ではありません。魔道院の全戦力、いえ、国中の全戦力をもってしても足元にも及ばない。例えミュール国と共闘したとしても勝てる見込みは低いでしょう……」

 そう言って遠い目をする。

「そんなに……」

 ベトールが引きつった顔をする。

「だからこそ、今回の一件に私は淡い期待を寄せているのです」

 アルマデルは椅子にもたれていた姿勢を直し、真剣なまなざしで言った。

 その厳しい表情に、四人、緊張を覚える。

「もしも、ウスペンスキー亜型が魔王の眷属であるならば、一刻も早く魔王を見つけ、我が国に取り込む必要があるのです。幸いにもウスペンスキー亜型は、我が国の領域内でのみ出現しているとの報告を受けています。……表向きは互角に振舞えていても、実際我が国は、魔王バイエモンを取り込んだ隣国フラガと、魔王ジニマルに対抗する術を持っていないのです」

 その訴えるような言葉に、四人はしばらく考え込むように沈黙した。

 

 仮に、ウスペンスキー亜型を眷属とする魔王が出現していたとして、もしも魔王の取り込みに失敗したら……?

 30年前の魔王バイエモンに対する交渉の失敗が、皆の心にそう大きく影を落としている。


 それにウスペンスキー亜型の出現から、すでに2年ほどが経過している。

 大きな魔力を持つ魔王が、2年もの間、誰にも見つからずにいるというのもおかしな話だ。


 ミゲルは難しい表情でテオを見た。

 魔王研究を専攻するミゲルにとって、国内で魔王が出現したのであれば、真っ先にそれに気づくはず。しかし、ミゲルにそのような様子は一切ない。

 先の魔道院会議でも、ベトールの報告に真っ先に疑問を投げかけたのもミゲルだった。

 ミゲルは、ウスペンスキー亜型が魔王の眷属ではない可能性の高さを感じていた。

 

 ルルアも、ミゲルとは違った魔道具士としての視点から、魔王の眷属である可能性は低いのではないかと考えていた。

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