第1話 動き出した世界

ブルルル……。

ブルルル……。

携帯電話のバイブレータが振動する音が聞こえる。

とある1Kマンションの一室、狭い部屋の隅に敷かれた布団の中、類は手だけを伸ばして携帯電話を探った。

「う…うぅ……(どこだ)」

 いくら腕を伸ばしても、それらしいものの感触に手が当たらない。

「はぁ」

 ぼんやりした頭で、ようやく布団から起き上がると、目の前のパソコン机の隅っこで、携帯電話に付けられた小さな猫のストラップが、机からはみ出してぶら下がりながら振動で震えているのが見えた。

 足は布団に入ったまま、上半身だけ体を伸ばして携帯電話を取る。

 表示画面には“皆川茂”の文字。

「はい」

――「あぁ、類か?やっと出たな。今、電話大丈夫か?」

「うん。何?」

 茂が類に電話をかけてくるのは、決まって頼みごとがある時だ。無職になってからは近所に住んでいるせいもあって、その頻度はかなり高い。

――「今、遠方に買い付けに来てるんだが、今日中に帰れなくなってな……。明日なんだが、お前店番できないか?」

「え?(店番……?なんだ、ウェブサイトの件じゃないのか……)でも、叔母さんがいるでしょ?」

――「それが……。タイミング悪く、キヨのやつ同窓会で土日いないんだ」

「……アリサは?」

――「アリサはアリサで、明日は友達とどこか遊びに行くみたいで、店番の話をしたら怒って電話を切られたよ……あはは」

「……(そりゃそうだ)」

――「明日はお客さんが昼頃来る予定になっていて、どうしても店を開けておかなきゃならないんだ」

「(うーん……)お客さん?」

――「あ、何も心配しなくていいよ。特注品の引き取りで、代金はすでにもらってるんだ。品物はカウンターに乗せてあるからすぐわかると思う。あとは明日キヨに聞いてくれ。10時に家を出ると言っていたから、それまで店の方に行ってくれれば助かる」

「(まだ行くとは言ってないけど……。まぁ、何も予定ないしな)わかった。じゃぁ9時に店につくようにするよ」

――「ありがとう!いやー助かった。じゃ、よろしくな!」

返事をする間もなく、そのまま電話が切れた。

(俺は便利屋か)

携帯電話を机に置く。

 ふと窓の外を見れば、半端に開いた青いのカーテンの間から、ビルの谷間に夕方の空が見えていた。

「え?」

 机の端に置かれたデジタル表示の置時計は18時を過ぎている。

(やばい……。二度寝がこの時間……)


―― 次の日


 五番通りと交差する細い路地を入って、カロ屋の店の入り口とは別に、その路地に皆川家の玄関はある。

「おはようございます」

 インターホン越しに、類は声をかけた。

 すぐにガチャっとドアが開いて、キヨが出てきた。

 濃いめの化粧に、真珠のネックレスをし、華やかな春色のスーツをビシッと決めている。

「おはよう、類君。今日はありがとうね」

「いえ……。(あぁ、叔母さん、同窓会だっけ)」

 類は玄関から中に入り、すぐ横の店側に通じるドアを開けると休憩室を通りレジカウンターの内側から店内を見回した。

 目の前のカンターの上に細長く大きな段ボール箱が一つ置かれている。

「あ、それ今日取りに来るお客さんの品物よ」

 後ろからキヨが声をかけてきた。

「ずいぶん大きいんですね」

 長さ1、5メートルはありそうな箱を目の前に、類はそれを少し持ち上げてみた。

(案外軽い……)

「なんでも、魔法の杖らしいわよ。おほほ」

「……魔法?」

「ほら、なんだっけ?日曜日の早朝やってるアニメ、何とかって……。その中のキャラクターが持ってるものらしいわ」

「へぇ……(最近のアニメ、よくわかんないし。著作権とか、どうなってるんだろ)」

「特注だから、うちの人の手作りなんだけど、完全に同じようには作らないみたいね。だからその“何とか風”?って感じ」

「へぇ……。叔父さん、昔から器用ですからね」

「それじゃ、これ渡したら、お客さんからこの受け取りにサイン貰ってくれる?複写になってるから、後ろは控えね」

「わかりました」

類は、キヨから受領書の綴りを受け取った。

「あと、休憩室は適当に使っていいから。ポットも、お湯が沸いてるはずだから、適当にコーヒーでも飲んでて」

「はい」

「あ、あとこれも」

 キヨが思い出したように、休憩室の壁に引っかかっていた、赤いリンゴの編みぐるみが目立つキーホルダーを手に取り、類に差し出した。

「これは……?」

見れば、長さの違う鍵が2つ付いている。

「これは、そこのドアの鍵ね」

 休憩室越しに、キヨは五番通り側のガラスドアを指した。

「長い方がドアで、短い方がシャッターの鍵。家の玄関は、私が出かけるときに鍵をかけちゃうから、類君、お客さんが帰ったら、そこから出て鍵とシャッターを閉めて帰っちゃっていいからね」

「え、……でも」

「いいの、いいの。お客なんてそうそう来ないし、臨時休業よ!それに、その鍵はスペアだから、急いで返さなくていいわ」

「……わかりました」

「んじゃ、少し早いけど、私、そろそろ行ってくるわね。あとはよろしくね!」

店側と居住側を分かつドアの間からキヨが手を振る。

「はい、いってらっしゃい」

 類も軽く手をあげてキヨを見送った。

 休憩室に引っ掛けてある、胸に“カロ屋”とロゴが入った作業用の青いエプロンを身に着けると、カウンターの内側のパソコンの電源を入れ、その前にある椅子にどっかりと座った。背もたれがギシギシときしむ。

 蛍光灯が点いて、なお薄暗い店内を見回す。

 先週、翔太と来た時と何一つ変わった様子もなく、休憩室の壁に掛けられた時計の秒針が時を刻む音だけが、微かに聞こえる。

 パソコンでネットサーフィンをしていると、休憩室の奥からガチャガチャと玄関に鍵をかける音がした。

「(あぁ、叔母さん出掛けたのか……)さて、どうしようか……」

 客が来るのは昼頃らしい。それまでの間、何をして過ごそうか。

 背もたれに大きくもたれかかって、天井を見上げる。

 真上に蛍光灯が1本、冷たく灯っている。

 そのまま店の右奥に視線を移すと、組子障子に目が留まった。

「うん!?」

 何かしらの違和感を覚え、類は椅子を動かし座りなおすと、レジカウンターに肘をついて、じっと組子障子を見た。

「……?(何だろ)」

 翔太と来た時には感じなかった違和感。

それが妙に気になり、類は椅子から立ち上がるとカウンターを出て組子障子に近づいた。

「(……その昔、ひい爺さんが作ったんだよな、これ)」

 右側の戸の引手に手をかけて、軽く開く方向へと力を入れる。

 しかし、戸は引っかかって動く気配を示さない。

「うん……?なんで開かないんだ」

 類は、引手から手を放し、少し離れて組子障子を上下に眺めた。

「あぁー、はいはいはい。戸が外れてるのね。その違和感か」

 両手で右側の戸を挟むように持ち上げると、上下の溝にはめ込んだ。

 今度は軽い力でスルスルと戸が動いた。

「子供の時から見てるけど、やっぱすごいよなぁ。この戸。装飾細かい……」

 類は改めて組子障子を見た。

 建具職人だったひい爺さんが、ひい婆さんのために作ったという組子障子。

 右の戸は、左の戸と合わせたときに、大きな星型になる左端に半分になった星と、その星を囲む大きな二重の半円、その内側と外側に、直線と曲線で細かい複雑な模様が描かれている。

 開け放った右側の戸の先は、年季の入った店の壁が見える。戸と壁の隙間は20㎝ほどしかない。組子障子は、カロ屋の東側の上部に明り取り用の小窓しかない壁に沿って、それ専用の溝にはまって壁面装飾として置いてあるだけに過ぎない。

「すごい装飾なのに、こんな壁際に置いてたら、裏側から見えないよな……。(ちょっともったいない気もする……)」

 類は、次に同じように外れている左側の戸に手をかけた。

――カラコロ

 突然、ガラスドアのドアベルが店内に鳴り響いた。

「うへっ?」

 類は驚いて戸から手を離し、後ろを振り向いた。

「おはようございますー。町田と言います。注文品取りに来ましたー」

 レジ横のスチール棚の影から、Tシャツにジーンズ姿の小柄な女性がゆっくり出てきた。

「あ……、は、はい……」

「すみません、お昼頃って言ったんですが、思ったより早く着いちゃって……」

 類より少し若そうなその女性は申し訳なさそうに微笑んだ。

「いえ、準備はできていますので。中、確認しますか?」

類は組子障子から離れ、そのままカウンターに置かれた箱に手をかけた。

「はい。お願いします」

 梱包されていた紐を外すと、類は箱の中から薄葉紙で包まれた“魔法の杖”を取り出した。

 町田は類が箱から取り出す様子を見ていたが、ふと類が先ほど立っていた、奥の組子障子に視線を止めた。

「す、すごいですね、あれ……」

 驚いた表情の町田に、類は薄葉紙を剥がしながら答えた。

「あぁ、あの組子障子ですか。あれは私のひい爺さんがその昔作った物でして……」

「なんかもう、こう完全に“魔法陣”って感じですね!すごい!」

 町田は、目を輝かせて、組子障子を見ている。

「ど、どうなんでしょう……(魔法陣って何だよ……)。では、商品の確認をお願いします」

「は、はい!」

 町田の注文した商品は、まったく実用性のない代物だ。1メートルほどの木製の柄の先にプラスチック製と思わしき20センチほどの半透明な青く丸い球体が付いている。それに向かって柄の中ほどから羽の生えた龍のようなものが巻き付いている。

「うん、注文通りですね。ここに頼んでよかったぁ。こういうの、なかなか作ってくれるところなくて……」

「そうなんですか……」

「“愛天使キュー”って知ってます?日曜の朝やってるアニメなんですが」

「……い、いえ」

困惑する類に、町田はさらに話を続けようとする。

「これ、その中に出てくるローズっていう悪魔が使ってる杖なんです!それでですね」

「そ、そうなんですか……?最近のアニメ、ちょっと疎くて……。すみません、受領書にサインいただいてもよろしいですか?」

「あ、すみません」

ハッとした顔をする町田。

 カウンターの上に受領書綴りを置くと、類は町田にペンを差し出した。

「まーちーだ、っと」

 丸文字がかった漢字でサインすると、町田はペンを類に返した。

「ありがとうございます。すぐに梱包しますね」

 類は綴りから受領書を1枚剥がすと町田に渡し、商品を薄葉紙で丁寧に包んだ。

「それにしても……、本当にすごい。近くで見てもいいですか?」

町田は言うより先に、組子障子へと近づいていた。

「どうぞ」

 そこに描かれた紋様をまじまじと見る。

「きれい……(中心は五芒星、ですか。……取り囲むようにシンボルが配置)。いいですね。うちにもこういうの欲しいですよ」

「それを見たお客さん、みんなそう言いますね」

「ちなみに、これって値段いくらなんですか?」

「……値段は付けられないんですよ、それ。うちのひい爺さんが、ひい婆さんにプロポーズするときに作ったものらしくて……。まぁ、今では店の飾りですけどね」

「まぁ!素敵な話!えっと……(店員さんの)ひいお爺さんというと、年代がだいぶ前ですよね?何でこんな西洋風な模様なんだろ?文明開化?の音がする?あたり?」

「あはは……、どうでしょう(俺のひい爺さん世代が文明開化のイメージって……、俺、何歳に見られてるんだ)。そのあたりはよくわかりませんが、ひい婆さんが、この図案をひい爺さんに渡したらしいです。でも、ひい婆さんもその模様、どこで知ったのかわからないので、もうずっと謎のままなんですよ」

「へー。ふふふ、謎ですか。謎……。いいですね、神秘的です。私、そういうの大好きなんです」

「はい、できましたよ」

 類は梱包し終えた箱を持って、町田に差し出した。

「持ち手、付けます?」

「いえ、このままで。思ったより軽いし」

 町田は箱を抱きかかえるように持つと、名残り惜しそうに組子障子を見た。

「近くに住んでいたら、お店まで買いに来るんですけどね……」

「遠いんですか?」

「うん。新幹線で、3駅……」

「たしかに、ちょっと遠いですね……」

「今日は別件でたまたま近くまできたものだから……。んじゃ、またネットで注文しますね」

 そう言って、町田は箱を抱えて店を出た。

 類は町田を店の外まで見送った。やがて町田の姿が見えなくなると店の中に戻り、再び組子障子の前に立った。

「左側、外れたままだな」

 類は、左側の戸を両脇から挟むように持ち、右側の戸と同じように溝にはめた。

 左の戸を左右に動かし、滑りを確かめる。

「うん、ちゃんと動くな……。(でも、なんで外れてたんだろう)」

 左右の戸を溝の中心で合わせて閉める。

 2枚に分かれて描かれた中央の星形と円が、戸の合わせ目など気にならないくらい、寸分の狂いもなくピッタリと1つの紋様として浮かび上がる。

「あぁ、そうだ……」

 類は、ガラスドアの前で立ち止まった。

 ぶら下がったプレートは店内に向いて“閉店”の文字。

(うーん……、やっぱ閉店にしておくか)

プレートを五番通りから“閉店”の文字が見えるように裏返し、内側から鍵をかける。

(とりあえず、目的は達成だな。あとは……)

再び、パソコンの前に座り、今度はカロ屋のウェブサイトを確認する。

「あ……、アリサのやつ、やっぱり自分で直してないか」

 商品紹介のページは、まだブレスレットの写真が1枚ずれたままになっていた。

「しょうがない……」

 テキストエディタからそのページを開く。

 マウスホイールを動かし、カラム落ちしているところで手を止めた。

「そういや写真はどうなってるんだ、これ」

 ページで使用している写真がまとめて入っているフォルダを調べる。

 見れば、カラム落ちしている写真とは別に、別アングルで同じブレスレットの写真が加工されていない状態で入っていた。

「……なんだ、写真あるじゃん。日付は……昨日か」

 類は、その青いブレスレットの写真のサイズと解像度を他の2枚の写真と合わせた。

「72dpi……っと。はぁ……(<img src=”images/acce/bracelet_03b.jpg” alt=””>……めんどくせえ)」

 上書き保存し、ウェブページを確認する。

 今度はきちんと3枚の写真が横並びに並んでいる。

(店番代とウェブサイト編集代をきっちり貰わないとな……)

 机に片肘をつき左頬に左手をあてて、だるそうに画面を見つめていると、ふわっと、淡い花の香りを纏ったような温かく柔らかい風が店の中を穏やかに抜けていった。

(ん?風?どこから?)

 何気なくあたりを見回した。

開いた組子障子の向こう側に、見知らぬ景色と、空色の薄い外套を羽織ったルルアが立っていた。

類は、驚いて椅子から転げ落ちそうになった。

「あ、あんた確か……」

「ごめんなさい、驚かせてしまって……。お声がけはしたのですが……」

「る……る……あ、さん???」

「あの……、もしかして今日、お店お休みでした?」

「あ……、あぁ、いや、えっと……。と、とりあえず入って下さい」

 類は状況がつかめず、ひとまず椅子から落ちそうになっていた体勢を整え立ち上がった。

「すみません。お邪魔しますね」

 組子障子を優しく閉め、ルルアは類のいるカウンターにゆっくりと近づいた。

類は混乱したままルルアと組子障子を交互に見た。

先ほどまで壁だった組子障子の向こう側は明らかに見覚えの無い景色だった。そこから突然コスプレイヤーだと思っていた人が現れ、目の前に立っているのだ。

「えっと……今日は何か……、えっと……、す、ステキなマントですね(って、何言ってるんだ俺!!!)」

「ありがとうございます」

 優しく微笑むルルアに対し、状況が呑み込めない類は目が泳いだままだ。

「ご店主はいらっしゃらないのですか?」

「えっと……、あいにく本日は不在でして……」

類は動揺を抑えつつ答えた。

「そうなのですね……」

「あの、何かありましたか?」

「えぇ、実は、先日こちらで買い求めた呪符帳を、あっという間に使い切ってしまった生徒がおりまして、追加でまた買い求めようかと……」

「じゅ、呪符帳……?生徒?(何のことだ。呪符帳なんて聞いたことないぞ)」

 まったく要領をつかめない言葉に、類はさらに動揺が増した。

「えぇ、呪符帳です」

 困惑している類を見て、ルルアは少し困った表情を浮かべた。

「……もしかしたら、お店では違う呼び名になっているのかもしれませんね」

「そ、そうですね……。この間、買われたんですよね……。ちょっと待ってください。調べてみますね」

 類は動揺しつつも、レジ下の引き出しから、領収書綴りを取り出した。

「さ、探している間、どうぞそこに座っていてください」

レジカウンターの端に置かれた丸い椅子を指して、類が言う。

「ありがとうございます」

 類は1枚ずつ領収書綴りをめくり、先日の日付を探した。

 アリサのくねくねした文字と、茂の乱雑な文字が並ぶ複写された控えの枚数は、さほど多くはない。

その間に少しでも落ち着こうと、ゆっくり深呼吸する。

「あ(あった、たぶんこれだ……)」

 アリサの字でルルア宛に書かれたその控えには、複写された文字とは別に、アリサが直に何やら書き加えていた。

「……(〔大銅貨:1枚100円 小銀貨:……〕……?どういうことだ?こっち{リング・紐・一筆箋}とは別に大銅貨とかいうものも売ったということか?)」

「あの……」

 椅子に座ったルルアが不安そうに、類の顔を見上げる。

「あ、大丈夫です。たぶんわかりました」

そう答えて苦笑する。

 綴りを持ったまま、類はカウンターを出て、背の高い棚と積み重ねられた段ボールが並ぶ店の奥へと移動した。そして、スチール棚に収納された段ボールの側面を1つ1つ確認する。

(呪符帳ってのは、このリストで言うと、おそらく無地の一筆箋のことだよな……。こっちの大銅貨、小銀貨って方は、よくわからないな……)

 上から二つ目の段ボール箱に手を止める。

「一筆箋の箱はこれか……」

 その箱を下ろし、中を開けると10冊ずつビニールで梱包された一筆箋の束が何束か入っていた。

「ルルアさん、一筆箋何冊くらい必要ですか?」

 店の奥から、ルルアの姿が見えないままで声をかける。

「あ、はい。そうですね……。20冊ほどお願いしてもよろしいですか?」

「わかりました」

 段ボール箱から一筆箋の束を2つ出すと、類は箱をもとの場所に戻し、レジカウンター前に戻った。

「これですよね?」

 そう言って、一筆箋の束をルルアに見せる。

「そうです。これです。呪符帳。……こちらでは一筆箋と呼んでいるのですね」

「え?えぇ……。そうですね(って、こちらもなにも一筆箋以外に呼び名は無いと思うが)」

 一筆箋の束をレジカウンターに置き、その内側に戻ると、領収書綴りの一番新しいページを開いた。

(これ税込み……か?)

「100円が20冊で、税込み二千円になります」と言って、ふとルルアの顔を見ると、ルラは困惑した表情で類を見ていた。

「あの、どうかしましたか?」

「いえ……。その……、お代……。これでお願いしたいのですが……」

 ルルアが取り出したのは、歪な円形をした小さめの銀貨2枚。それをそっとレジカウンターの上に置く。

(え!?銀貨!?)

領収書綴りに直で書かれたアリサの文字が頭をよぎる。

(あ!……そういうこと、か)

 再び領収書の、先日のページを確認する。

 アリサの書き込みでは、100円が小銅貨1枚、1000円が小銀貨1枚で換算されている。ルルアが取り出した2枚の小さな銀貨は、小銀貨、すなわち2千円ということになのだろう。

(でも、いいのか?これで……)

類は、レジに置かれた小銀貨を手に取った。

鈍い光を反射するそれは形こそ歪であれ、しっかりとした重さと、花の刻印がなされている。

(おもちゃってわけでもなさそうだし、……骨董品の類か?いつからカロ屋は骨董商になったんだ?)

 疑問に思いつつも、アリサの前例に倣い、その銀貨で受領することにした。

「では小……銀貨(でいいんだよな?)、2枚。ちょうどいただきますね(……税込み???)」

「はい、すみません」

困ったように微笑むルルア。

 類は領収書を書き、1枚剥がすとルルアに渡し、一筆箋の束2つを紙袋に入れた。

「はい、どうぞ」と、それを渡す。

「ありがとうございます」

 ルルアは紙袋を受け取り、類を見た。

 その緑色の綺麗な瞳は、カラーコンタクトなどではなく、自然のものだ。

(うわぁ……、CGみたいだ……)

「ルイ……さん、でしたか?お名前……」

「え?えぇ、そうです」

 類は突然名前を言われ内心驚いた。

「ルイさんも、よくお店に立たれるのですか?」

 何を言われるかと身構えていたが、ひとまず答えられる内容に、ホッと安堵する。

「いえ、今日はたまたまですね。でも、店にはたまに来ますよ」

「そうなのですね。私は、最近このお店を利用させていただいているのですが、なかなかいいお店ですね」

ルルアはにっこりとほほ笑んだ。

「そ……、そうですか?(どこが?この辺りじゃ廃業一歩手前って言われれるんだぞ)」

「えぇ、これほど多くの種類の魔道具が置いてあるお店、王都周辺にはありませんよ」

「……へ、へぇ」

 王都がどこか知らないが、そういうものが近くにあるのだろう。

「ルルアさんは王都からこちらに買いに?」

 適当に話を合わせる。

「そうです。かなり遠いですけどね」

「歩いて?ですか?どのくらいかかります?」

「い、いいえ、歩くと1日はかかってしまう距離ですから……。私はこれを使っていますよ」

そう言って、首から下げていたペンダントを服の内側から引っ張り出した。それを類に見せる。

「……これは???」

 それは太めの皮紐に、下向きの扇型をした5センチほどの飾りがついたもので、その白い飾りの表面に細かい鳥の羽のような模様が扇形に添って掘られている。

「低空飛行用の中級魔道具ですね。この距離なら、これでここまで1時間ほどで来られますし、魔力の消費もほとんどありません」

「そ、そうなんですか……(魔力、魔道具……、ついていけねぇ)」

 類は、話の内容が意図しない方向になってきたため、これ以上会話を広げるのを避け話題を逸らす方向に切り替えた。

「それでは、何か他に必要なものございますか?」

 ルルアはその問いに、紙袋を抱えたまま、手を頬に当てて少し考えた様子で答えた。

「うーん……。以前ご店主が、細工物を作ってくださるという話を聞いたのですが……」

「え……っと(細工物……?もしかして今日の客みたいなコスプレ用の特注品のことか……?)」

 ルルアはそのまま立ち止まっている。

「(下手なことは言わないほうがいいな。)すみません、今日は叔父が不在なもので、私ではわからないですね」

「い、いえ、すみません。こちらこそ……。事前に連絡すれば良かったのですが。でも、お店が開いてくれて本当によかったです」

 ルルアはホッとしたような顔で笑った。

 実際は五番通り側に“閉店”のプレートを下げた以上、カロ屋は事実上臨時休業だ。しかし、組子障子が開いたのはまったく予想外の出来事で、そこから客が来ようなど、類は微塵も思っていなかった。

「こちらも臨時休業にしなくてよかったです……」

 類はとりあえず話を合わせた。

「先ほどお店が消えていたときは、もう、すごく落ち込みましたよ。やはり、こちらに伺うときは前もってご連絡いたしますね」

 ややため息交じりにルルアが言う。

「(店が消えていた……?)ありがとうございます。今日は、たまたまですから、こちらこそせっかく来ていただいたのに……」

「い、いえ……。では、また来ますね」

 ルルアは申し訳なさそうにそう言うと、組子障子の前に立ち、戸に手をかけた。

類が「ありがとうございました」と、カウンターの内側から声をかける。

「ルイさん、ごきげんよう」

ルルアはそう言って、組子障子の向こうに消えていった。

 ゆっくりと閉まる組子障子。

 再び、店内に静寂が戻る。

 類は急いでカウンターから出て組子障子の前に立ち、まじまじと組子障子を見た。

 上から下まで一通り見まわすも、どうみても子供の時から見慣れた、紋様が細かいだけのただの組子障子だ。

 ほんの少し、右の戸を開く。その隙間から外をのぞく。

「こ、これは……!」

 そう叫んで、思わず大きく戸を開け放った。

 組子障子のすぐ外は、大きな木が乱立する深い森が広がり、組子障子の前だけ、森の木々が途切れた小さな広場になっていた。

「どうなってるんだ?」

 類は組子障子から外へ出た。

 ルルアの姿はもう無い。

 見回せば、右も左も見たことのない樹種で構成された陰樹林の様相を呈している。

「どこ……だ……?」

 携帯電話を取り出し、位置情報を確認する。

 しかし、表示画面には“情報を取得できません”の文字。

「ち、圏外かよ!」

 類は見慣れぬ景色にわずかに恐怖を感じ、店に戻ろうと後ろを振り返った。

「え?!こ、これは……。昔の……」

 大正期に大地震で倒壊したはずのカロ屋がそこには建っていた。

それは組子障子を入り口とする、かつて建具屋だった頃の店構えだ。

 平屋に大きな瓦屋根が、木々の切れ間から光に当たってまぶしく光っている。

「写真でしか見たことなかったのに……」

 にわかには信じられない光景に、類は自分の頬をつねってみた。

「いててっ!……夢、じゃないよな、やっぱり」

 類は組子障子の内側に戻り、ゆっくりと戸を閉めた。

 店内は、先ほどと何も変わりなく、蛍光灯が薄暗く灯っている。

 類はカウンターの内側から組子障子をじっと見つめた。

 おもむろに携帯電話を取り出し、組子障子全体が映るように写真を撮る。

(何なんだ、この組子障子……)

 そのまま、携帯電話を操作し、茂に電話を掛けた。

 トゥルルル……

トゥルルル……

「……」

 しばらく呼び出しを鳴らすが、つながる気配がない。

「はぁ……」

 ため息をついて電話を切る。

 休憩室の時計が11時を指し、ピピッと11回なった。

「うーん……」

 椅子に座って、カウンター越しに組子障子を見つめる。

 組子障子の向こう側は明らかに異世界だ。

 ルルアの話から、遠くに王都があるということと、魔法を使う世界であることがわかる。

「叔父さんやアリサはどこまで知ってるんだ?」

 少なくとも、ルルアが異世界から来た存在であり、通貨として銀貨や銅貨を使っていることを承知の上で、やり取りしていることは確実だ。

 逆にルルア側から見れば、ここが異世界であることをルルアは知っているのだろうか?

「は、考えてもわかんねーや」

 類は立ち上がり、カウンターを出ると組子障子に手をかけた。

 もう一度、戸を少し開いてみる。

「うーん……」

 開いたその先は、やはり陰樹が広がる深い森だ。

 何を思ったのか、類は今開いた右側の戸を両手で挟んで持ち上げた。

 そして、ゆっくりと戸を外す。

 すると、組子障子の先に見えていた異世界の景色はあっという間に掻き消え、もとのカロ屋の壁に変った。

「なるほど……」

 類は右側の戸をそのまま壁に立て掛けた。

「異世界につながったままだと、なんだかやばい気がする……。戸はこのまま外しておくか……」

 類は、そのまま休憩室に入りエプロンを外すと元の場所に引っ掛けて、流し台に乗ったポットのプラグを抜いた。そしてカウンターの内側に戻ると、パソコンのスイッチを切り、その机の横の壁際にあるスイッチも切った。

 店内の蛍光灯が消え、ガラスドア側から弱く差し込む光だけが店内を輪郭がわかる程度に辛うじて照らした。

 先ほどガラスドアに内側からかけた鍵を外し、外に出る。

 雲一つない空が広がる。

土曜だというのに、五番通りは相変わらず閑散とし、人通りも乏しい。

(昼前だけど……、もう帰ってもいいだろ。叔母さんもそう言ってたし)

類はガラスドアに鍵をかけると、シャッターを閉め、シャッターにも鍵をかけた。

「これでよし。さて帰るか……」

 類は鍵をジーンズのポケットにしまい、五番通りを北に歩き出した。上に羽織ったグレーのダブルジップパーカーの紐が風で揺れる。

 やがて、五番通りと二番通りを貫いて走る道に出ると、そこを左に折れ、西へと向かう。駅が近づくにつれ、人通りが急に多くなる。

 二番通りに出ると、そのまま通りを突っ切ってさらに西へしばらく歩き、そこから中低層のマンションやアパートが立ち並ぶ細い路地へと入る。

その一角の、比較的新しそうなマンションの3階に類は部屋を借りている。

鍵を開けて部屋に入ると、類はパソコンのスイッチを入れた。その机の上に、部屋の鍵とカロ屋の合鍵を一緒に置く。

壁際に置かれた頑丈な木製の机は、パソコンのモニターを2つ並べておいても十分なほど、幅の広い大きなものだ。そこにキーボードやマウス、ペンタブレット、コントローラーなどが所狭しと並んでいる。もちろんキーボードは、タイプすると無駄に光るものだ。さらにサイドテーブルには、ヘッドセットなどVR関連の物がざっくり置かれていた。

おかげで狭い部屋の半分がこの机に占領されているのだ。

類は高級なオフィスチェアに浅く腰を掛けると、携帯電話をパソコンにつなぎ、先ほど撮った組子障子の写真を取り込んだ。

 それを、画像処理ソフトを使って操作し、エッジ検出をかける。

「モノクロのほうがわかりやすいか……」

 しばらくペンタブレットやマウスを使って作業していたが、やがてぐったりとしてため息をついた。

「ふぅ……、なんとか取り出せたか……」

 加工された組子障子の画像は、戸の合わせ目は消され、二重の円の中にきれいな星形の紋様が中心に浮かんでいた。

「……戸、自体というよりこの紋様の方だと思うんだよなぁ……」

 画面に映し出された紋様の星型のあたりを、軽くコンコンとノックしてみる。

が、紋様はただの複雑な紋様で、画面はただの画面のままだ。

 画像を拡大したり縮小したり全画面にしたり、色を変えてみたりと、いろいろ試してみたが、結果は同じだった。

「大きさ、あの大きさじゃないとダメなのか……?」

 類は小型のプロジェクターをつなぎ、青いカーテンが開いた窓ガラスに、組子障子と同じ大きさであろうサイズで映し出してみた。

「うーん、物に当たっているところがでこぼこで歪んでるな……」

窓際に行き、少し緊張気味に窓を開けてみる。

やはり窓の外は隣のビルの壁と、その奥に高いビルが立ち並ぶいつもと変わらない景色があるだけだった。

期待外れながらも、どこかホッとして窓を閉め、そしてプロジェクターのスイッチを切る。

「やっぱダメか。……戸、なのか……?それとも紋様が歪んでいたせいか?」

 プルルルル……

 プルルルル……

「うわっ」

突然、パーカーのポケットに入れていた携帯が震えた。

表示画面に“皆川茂”の文字。

慌てて携帯電話を操作する。

「は、はい」

――「お、類か?電話くれたみたいだな?」

「あ、うん」

――「今、原野中駅にいるから、もうすぐ着くんだが……。お客の方は大丈夫だったか?」

「うん。町田さんって人だよね?大丈夫。ちゃんと渡して受領書にもサイン貰ったよ。それより、あの組子障子どうなってるの?」

――「うあ?く、組子障子?」

明らかに動揺した茂の声。

「ルルアさんが来たよ」

――「る、るるる、るる?るあ?さん??」

――ガガガッ

携帯電話を落としたような音がした。

 電話越しにも痛いほど伝わる茂の挙動不審な様子に、類は電話での話は難しいと判断した。

「もしもし、叔父さん?……おーい」

――ガッガガ「あ、もしもし?」

「大丈夫?」

――「だ、大丈夫だ」

「それより、もうすぐ着くんだよね?ちょっと話があるから、俺、今からそっち行くわ。それに鍵も返したいし」

――「あ、あぁ。わか、わかった。じゃ店で!」

「よろしく」

類は電話を切り、画面をみた。

時刻は16時20分を表示している。

パソコンを操作し、USBメモリにGIFで組子障子の画像を保存した。そしてパソコンの電源を落とすと、鍵をもって部屋を出た。

土曜の夕方、通りは平日とはまた違った印象の往来を見せる。

スーツを着た人よりもラフな格好をしている人の方が多い印象のせいか、はたまた土曜日だという気持ちの持ちようによる違いか。

いずれにしろ二番通りは人の波が絶えることなく賑わっていた。

そんな人混みを抜け、閑散とした五番通りに出る。

さすが土曜の夕方だけあって、五番通りにも二番通りを越えて多少人が流れて来ていた。

カロ屋の店の前、通りに面した側のシャッターは閉まっている。

「うーん……」

類はシャッターを開けて入ろうかと迷ったが、ひとまず皆川家の玄関へと回ってみることにした。

ピンポーン

インターホンを押す。

返事はない。

「叔父さん?帰ってる?」

 玄関越しに声をかけ、試しに玄関ドアを開けてみる。

 ガチャリと、ドアはあっさり開いた。

「(あれ?もう帰ってきてるのか?)叔父さーん?」

 玄関から奥に向かって声をかける。

「……はーい」

 奥の店の方から、茂の声が僅かに聞こえた。

「叔父さん、入るよ」

 類は玄関から休憩室を通り、店の中に入った。

 蛍光灯が薄暗く灯り、奥の棚で何やらゴソゴソと段ボール箱を動かしている茂の姿が目に入った。

「叔父さん」

 茂は、類の声に手を止めた。

「おぉ、類。今日は店番ご苦労様な。そして、ルルアさんが来たって?」

 そう言って、店の奥からレジカウンター前にやってきた。

 レジカウンター前には、見慣れぬ段ボール箱が2箱ほど積まれている。

「うん。一筆箋買っていったよ。それより、あの組子障子、どうなってるの?」

 類は組子障子を指した。茂も組子障子を見た。

 組子障子は、午前中に右の戸を類が外したままの状態になっていた。

 茂が組子障子に近づく。

そして、左の戸が溝にはまっているのを見ると、難しい顔をした。

「類、お前、これ……外れてたの直したのか?」

 茂が外れた右の戸に手をかけて言った。

「うん。両方溝にはめたよ。そしたら……、なんか……、ルルアさんが来た」

「……、ルルアさん、何か言ってたか?」

「一筆箋を買いに来たみたいだけど、……あ、あと特注?(なんだっけ?)」

「あぁ、特注か……」

 茂は、何かわかったようにうなずいて言った。

「それより、どうなってるの?その組子障子。はめたら異世界?につながったんだけど」

 そう話す類を、茂はゆっくりと見た。

「類も、見てしまったか……」

「どういうことだよ?」

 茂が口重に言う。

「類、よく聞け。これは内密の話だ。どういう原理か知らんが、この組子障子を溝にはめて開くと、異世界につながるようになってるんだ」

「……まぁ、それは今更驚かないよ。実際、その異世界とやらを見たからな……。で、アリサはもちろん知ってるんだよな?」

「あぁ。もちろん知ってるよ。それに俺もアリサも、一度ルルアさんの案内で一緒に向こうの青空市に行ったことがあるんだ」

「マジか……」

類は驚いた。

「ここから遠いが、王都と呼ばれる大きな町があってな……。月に一度、青空市が開かれているんだ。これが面白い物をいろいろ売っててな!」

 茂は思い出したように、にやりと笑った。

「そこで買い付けたものを、多少加工してネットで売ってるんだが、これが評判が良くて」

 確かに最近のカロ屋のネット販売の品物は、変わったアクセサリーや、今朝の客が買っていったような用途不明な物が多い。それにここ半年ほどは、中二病をくすぐるような品物が急増したのも事実だ。

類はそのことをふと思い出した。

「(なるほど……)でも、向こうの通貨って銀貨とかだよね?そのへん、どうしてるの?」

「あぁ、それはルルアさんたちがこの店で支払っていった金があるから、それを使って買い付けをしてるんだ。まだそれほど向こうの世界の金は溜まってないけどな。ガハハ」

「大銅貨100円ってアリサのメモに書いてあったけど。それに消費税はどうするんだ?」

類は冷ややかに茂を見た。

「なに、相場はあっちの世界の様子を見て換算してるさ。ジャガイモとか人参とか、こっちでよく見る野菜は向こうにもあるからね、それを参考にね。税金は……ガハハ、ご愛敬!」

 茂はそのあたりまでは深く考えていない様子。

 単純に、“いい仕入先ができた”程度にしか思っていないのだろう。

「まったく……。それならそうと、先に言ってほしかったよ。銀貨とか出されても……俺、ルルアさんに訳わかんねー対応しちまったぞ」

「あはは、ルルアさんなら大丈夫だろ。カロ屋はいろんな異世界の人間に店を開いてると思っているようだからな」

「うん?どういうことだよ」

「まぁ、俺もはっきり聞いたわけじゃないから推測だが、ルルアさんはこの店自体が1つの異世界そのもので、店をいろんな異世界に転々と出現させて商売をしてると思っているらしい。だから、別の通貨を出したとしても、どこかの異世界と間違えたとでも思ったんじゃないか?」

「……まぁ、二千円ですって言ったら変な顔してたからな。……じゃ、俺たちは何者だと思ってるんだろうな」

「うーん、そりゃカロ屋の店主と、店員だろ」

茂は笑いながら、自分と類を指した。

「そりゃ、そうなんだけど……。だいたい、いつから異世界とつながってるんだよ」

 類は立ったままカウンターに肘をついて、仏頂面で組子障子を見た。

「いつからって……、カロ婆さんの頃じゃないか?親父も昔、カロ婆と異世界に行った話してたからな」

「え?お爺ちゃんが?……俺、そんな話聞いたことないけど」

「そりゃお前、話したって変わり者だと思われるだけだからな。あぁ、そうだ類、時間があるなら爺さんところ行ってやってくれ。孫のお前が行くと親父も喜ぶ」

 茂は、カウンターの前に積まれた段ボール箱を持ちあげると、店の奥に運んで行った。

「あぁ……。じゃ叔父さん、俺帰るわ」

類は椅子から立ち上がり、休憩室越しに店の奥を見て言った。

「類、異世界のことは絶対に秘密だからな!じゃ、気をつけて帰れよ。またよろしくな!」

 茂が棚の間から顔を出し、ニヤッと笑って手を振った。

 

 帰路、二番通りを抜けマンションのある細い路地に入る。

(異世界か……。あんな面白そうなこと、気にならない方がおかしいだろ……)

 類の頭の中は、もう異世界のことでいっぱいになっていた。

マンションのエントランスを抜け、エレベーターの裏にある階段に回ると、息も切らさず足早に3階まで上った。

そして通路を進み、玄関のドアの鍵を開け、いそいで部屋に入る。

玄関に鍵をかけ、パーカーのポケットから携帯電話を取り出すと、机の前に移動した。

そして異世界の情報を少しでも集めるにはどうしたらよいか、手っ取り早く異世界の情報を知っていそうな人物を探る。

(お爺ちゃんは確か、寿燦々とかいう老人ホームにいるんだよな)

 夜にはまだ早いが、これから会いに行くには中途半端な時間だ。かといって、施設に電話をするのはためらわれる。

アリサは、どうせ遊びまわっててつながらないだろう。

(そうだ……)

椅子に深く座り、パソコンの電源を入れると、取り出した携帯電話を操作し、電話をかけた。

プルルルル……、

――「はいはーい?」

相手はすぐに出た。

類の母親、愛だ。愛は茂の姉で、茂とは4つ年の差がある。

明るい甲高い声が、耳に痛い。

「もしもし?俺だけど」

――「おれ?オレ?おぉ!?もしかして、あたしにもついにオレオレ詐欺の電話がー」

「んなわけないだろ!類だよ!」

すっとぼけた対応に類は勢いよく否定した。

――「なんだ、類か。なに?」

「あのさ、カロ屋の組子障子あるだろ?あれってどうなってるの?母さんは、向こう側に行ったことがあるのか?」

 いきなり直球な質問をした。

――「あん?組子障子か、懐かしいねぇ。昔、茂とよくかくれんぼしてたなぁ……」

「お爺ちゃんも、向こう側のこと知ってるのか?」

――「ん?あんた何言ってるの?向こう側って?」

「いや、だから異世界……」と言いかけて類は言葉を濁した。

ひょっとして、母は異世界のことを知らないのではないか、という不安が頭をよぎる。

――「まぁ!類もついに異世界デビューしちゃったのねー」

その言葉で、類の不安はすべて打ち消された。

「やっぱり知ってたのか!」

――「知ってるも何も……、戸の向こう側は木ばっかりだったでしょ?なんか面白くない世界よね」

「え……?母さんは、向こう側で誰かにあわなかった?」

――「会ってないわよ。周辺全部木だったじゃない?類、あんた誰かに会ったの?」

「いや、逆にあっちから来た……」

意外だ。愛は木しか見ていないのか?

――「あら、そうなの?大丈夫なの?危なくない?」

「あぁ、大丈夫だと思う」

――「それならいいんだけど。まぁ、そっちには茂もいるしね、あまり心配はしてないけど。異世界は何があるかわからないから気を付けるんだよ」

「あぁ……(手掛かり、無し……か)」

類が落胆していることなど、電話越しからは知りようのない愛は、続けて言った。

――「あぁ、それから、あんた茂のところに就職したんだって?」

「へ!?」

 類は電話を落としそうになった。

 確かに最近カロ屋によく出入りしているが、そんな覚えはない。

 それに今日はたまたま店番を頼まれただけで、それは就職したうちに入らないだろう。

「な、なんでそんな話に?」

 類は焦った。

――「最近よく手伝ってるって話を聞いたわよ。茂のところ、アリサちゃんだけでしょ?だから類を後継ぎにしたいみたいよ」

「えぇぇぇっ!(冗談じゃない!)」

 確かに異世界に通じているカロ屋は興味深い。

 しかし、あくまでも自分の専門分野での就職を目指す類にとって、カロ屋はただの手伝いでしかない。

――「いいんじゃない?母さん良いと思うわよー。ほほほ」

まるで生気を吸い取られる話だ。

「い……いや……。ちゃんと就活します……。だから勘弁して……」

――「それから、ご飯ちゃんと食べてる?類のことだから作ってなんじゃないかと母さん心配で……」

携帯電話から耳を離す。

――「もしもし?もしもし、聞いてるの?類」

愛の話はまだ続いていたが、聞く気力なく類はそのまま電話を切った。

「やっぱ、お爺ちゃんに訊くしかないか……」

 愛からの情報は得られなかった。

 類は、パソコンの画面に映し出された組子障子の紋様をサブ画面に映し、大きくため息をついた。

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