五番通りの魔道具店
もとめ
プロローグ 雑貨店『カロ屋』
街に明かりが灯り始める晩春の夕暮れ。
二番通りは、駅からまっすぐ南に延びる大きな道だ。両脇に背の高いビルがいくつも立ち並び、低層階は様々な商店が、上層階は企業やマンションが入り、とにかく人通りが多い。
こと週末に関しては、平日の比ではない。
案の定、金曜この時間の二番通りは、帰路につく人や夕方からの買い物客、外食のため店の前で立ち止まる人など、人の波が駅方向を中心に溢れていた。
そこから細い路地を2本隔てて、二番通りと並行する五番通り商店街がある。二番通りからは距離にして約五百メートル。
二番通りを一回り小さくしたような道幅のこの商店街は、かつては二番通りと並ぶほどの賑わいを見せていた。だが、二番通りとの近さもあってか、客の多くを駅に近い二番通りに取られ、今ではシャッターが下りたままの店舗が並ぶ、南北二百メートルほどの寂れた通りになっていた。
煌びやかな二番通りとは対照的に、灯る明かりも人通りも、当然少ない。
その通りの一角、小型車がぎりぎり通れるくらいの幅の道と交差する北東の角地に、その店はある。
雑貨店『カロ屋』
四メートルほどの間口は、シャッターが半分閉まり、その上部に掲げられたトタンの看板は辛うじて“雑貨”の文字が読み取れるかどうかというほどに褪せている。
開いたシャッターのすぐ内側にガラスのドアが見える。そして、ドアの真ん中の視線の高さには青文字で“OPEN”と書かれたプレートがぶら下がっている。
そのドアが内側から大きく開いた。
ドアの上部に取り付けられたドアベルがカラコロと鳴る。
中から若い女が出てきた。
この店の娘、アリサだ。
アリサは高い位置で一つに結った髪を揺らし、手に持っていた短いホウキで店の前を掃き始めた。
動きやすそうなカーキ色のカーゴパンツに黒いスニーカーを履き、てきぱきと埃を一か所に集めていく。
夕闇の空に、時折、冷たく弱い風が閑散とした通りを抜けてゆく。
「は……は……、はっくしょん。……うぅ、夕方は半袖Tシャツじゃまだ寒いか」
アリサは細身の体を震わせて、ちり取りで埃を集めると、そそくさと店の中へと入っていった。
寒々しい蛍光灯が薄暗く灯る店内。
とても“OPEN”しているとは思えないほど、何かしらの道具や材料、木くずが散乱し、たくさんの段ボール箱が積み重なっている。
その重なり合った箱の隙間から、上部の開いた段ボール箱を一つ持って、白髪交じりの頭のガタイのいい中年の男が出てきた。
アリサの父、茂だ。
茂は首にタオルをかけ、薄手のシャツを腕までまくり上げている。
「アリサ、ちょっとこの荷物をそっちへ持って行ってくれ」
筋肉質の太い腕を伸ばし、抱えていた箱をアリサの前に突き出した。
「はーい」
アリサは箱を受け取り、L字型のレジカウンターの内側に置いてある壁際のパソコンデスクの椅子の上に置いた。
「……これ今日のお客さんの注文品?」
箱の隙間から中を覗き込む。
「あぁ、今日のは小物ばかりの既製品だ。いつもこういう注文だと楽でいいんだが……」
腰を伸ばしながら茂が言った。
「お父さん、今日のお客さんは、どっちから入ってくるの?」
「今日はこっち側のお客さん」
茂は床に散乱している何かしらの道具や木製の材料を拾い集めながら、顎を使ってシャッターとは真逆の方向を指した。
その先は、複雑な模様の組子障子。
左右2枚で1つの文様を描いている。中央に大きな星形を抱いた二重の円と、複雑な線からなる組子は、まるで西洋の魔法書に出てくるような紋様を思わせる。
カロ屋の店内で最も目立つ代物だ。
しかし、奥まった位置にあり、その大きさも相まってレジカウンターからしか、その全体を見ることはできない。
アリサはその組子障子を、目を細めて見つめた。
「ふぅ、今日は異世界側のお客さんなのね。じゃぁ、もう少しお店の中を片付けないと」
再びホウキを持つと、アリサは今し方、茂が片付けていた場所をホウキで掃き始めた。
日常会話ではまず出てくることはない“異世界”という言葉、アリサも茂も何の疑問も持たず、むしろ当たり前のように話をする。
二人にとって“異世界”とは何を指しているのか。
アリサは床に散乱していた木片や木くずをレジ横の空いたスペースに集め、ちり取りに取る。そしてレジカウンター奥にある休憩室のごみ箱へと捨てた。
「あ、そうだ」
ふと何かを思い出したように、休憩室からレジカウンターを横切ってガラスドアへと近づいた。ぶら下げてあった“OPEN”のプレートを裏返し“閉店”と漢字で書かれた面を外へ向ける。
初見であれば、なぜこのプレート、両面が同じ言語で統一されていないのかという疑問が浮かぶが、毎日目にしているアリサにとって、それはただのアホなプレートとしか映っていない。
「異世界のお客さんが来るなら、こっち側は閉店にしておかないとね」
茂が箱を店の奥の棚の上に乗せながら「あぁ」と相槌を打つ。
ガラスドア側からは、レジカウンター横に設置された背の高いスチール棚によって、組子障子は死角になっている。
「アリサ、メールでの注文が来てないかパソコン見てもらえるか?」
「えぇ?今?」
アリサは曇った顔をして、茂の方を見た。
棚と段ボールの隙間から茂が顔をのぞかせ、ニヤッと笑う。
「頼んだぞ」
そう言って、茂は再びその隙間に戻っていった。
「うぅーん。私、パソコン苦手なの知ってるでしょ!」
先ほど椅子に置いた段ボール箱をカウンターの上に移動させると、アリサは少し乱暴に椅子に座り、パソコンのマウスに手をかけた。
箱と棚の隙間から「俺も、パソコン大の苦手だ」と、笑いをこらえたような茂の声。
苦手という割には、机に真新しいミニタワーがどっしりと鎮座し、その横にその机で使うにはやや大きめのモニターが乗っている。
アリサはその23インチの画面をじっと見つめた。そしてマウスをカチカチっとクリックする。
開いたのは注文や問い合わせを受けるメールフォルダだ。
廃れた商店街に建っていることもあり、店に足を運ぶ客も年々減少する中、カロ屋の商品販売の主流は、今や店頭ではなくインターネットが中心となっているのだ。
おかげで、店内の面積の半分以上が、商品の陳列から物置へと変わってしまった。
「うーん……。12件入ってるよ。あ、これ2件特注だ……」
「お、特注来たか。とりあえずメール、全部打ち出しておいてくれ」
「はいはい……」
ぐったりした返事をして、アリサはプリンターの電源スイッチを入れた。
パソコンの画面を操作すると、ガガガっと音がしてプリンターが用紙を吐き出しはじめた。
レジカウンター奥の休憩室にある掛け時計がピッピッピ……と6回鳴る。
店内BGMも無く、プリンターが出力を終えると茂が箱を整理している音だけが聞こえる静かな店内。
その静けさを破って、カラカラと乾いた音とともに組子障子の戸が少し開いた。
「こんばんは」
か細い声と、戸の隙間から覗き込む澄んだ緑色の瞳。
「はい、いらっしゃい。あ、ルルアさん?どうぞ入って」
箱を整理していた手を止め、茂が戸の隙間に声をかけた。
「は、はい……」
返事とともに、若そうに見える女性が、フレアに広がった膝上の青緑色のワンピースのスカートを揺らし、ゆっくりと入ってきた。
「お、お久しぶりです……」
ショートボブのふわふわした緑色の髪と、かすかに香るフローラルの香り、フード付きの薄地の外套が、戸から入って来る弱い風に揺れ、いかにも異世界の人間という雰囲気を醸し出している。歳はアリサよりもやや上と思われる外見だ。
「あ、ルルアさん、いらっしゃい!」
パソコンの画面を見ていたアリサも、振り向いてカウンター越しに声をかけた。
「はぁ……(綺麗……)」
その美しさに思わずため息が漏れる。
「またお世話になります」
ルルアは静かに戸を閉め、恥ずかしそうに微笑んだ。
「注文の品、用意してあるよ。さっそくだけど、確認してもらえるかな?」
茂はそう言うと、さっそくカウンターの上に置かれた段ボール箱を開いてルルアに見せた。そして中身を一つ一つ取り出しながら、品物をレジカウンターの上に並べていく。
「カードリングが100個と、4㎜のカラー紐、赤、黄、青、緑、紫、それぞれ20本。それから無地の一筆箋が50冊ね」
アリサは、茂が読み上げた内容を伝票に書きながら、商品とルルアの顔を不思議そうに交互に見た。(……ルルアさん、個人でこんなに買うの?)
ルルアは商品を一通り手に持って確認している。
そして確認し終えると、腰のベルトに着けられた袋状の小さなカバンから巾着を取り出した。
「はい。確かに。それでは、全部でおいくらになりますか?」
茂は「えーっと……」と言いながら、腰に巻いた“カロ屋”と書かれた紺色の前掛けのポケットから計算機を取り出し、ポチポチと押した。
その表示された値をルルアに見せる。
「小銀貨8枚に大銅貨5枚になります」
「まぁ……。これ、文字が表示されるのですね。すごい……」
ルルアは小さな計算機の表示を珍しそうに覗き込んだ。
「これは、どのような魔法で動いているのですか?」
そう茂に問う。
「ま、魔法!?えぇ……と……」
茂は不意な問いに戸惑い、うまく説明できる言葉を探すが、そもそもルルアの言う“魔法”がどういうものなのかがわからない。
ルルアは何かを期待したような表情を茂に向けている。
「こ、これは……」
「これはね、小さい電池で動いてるタイプの計算機かな」
すかさずアリサが“魔法”を無視した説明をした。そして、領収書をガリガリと書いて、ビリッと1枚剥がすと、冷や汗をかいている茂を横目に見た。
「デン……?電キ……??あ、あぁ、電気系の魔法ですね」
「う?う、うん。そうかな……、アハハ」
アリサはごまかしたように笑った。
「さすがカロ屋さんですね。こんなに小さくて、機械と組み合わせられたものは見たことがなくて……。本当にこのお店は珍しい物ばかりです」
ルルアにとってはただの何気ない話題を振ったつもりが、茂とアリサのあまり的を得ない反応に、早々にこの話題から離れたようにも見えた。
「それでは、これを……」
ルルアはカウンターの上に小銀貨6枚と大銅貨5枚を置く。
もちろんルルアが来た異世界で流通している通貨だ。
当然こちらの世界での流通は無い。
しかし、なんらためらうことなくアリサはそれを受け取り、ルルアに領収書を手渡した。
「確かに。ではこちら領収書になりますね」
その間に茂は商品を箱に入れ直し、蓋をすると太めの麻紐でグルグルと巻いて箱を梱包した。
その時、再び組子障子が勢いよく開いた。
「こんばんは!」
少女が二人、ニコニコしながら元気よく入って来た。
隙間から見えた組子障子の向こう側は、夕闇が押し迫った色に変っていた。
「あら?あなたたち、付いてきたの?」
ルルアは少し驚いたような、あきれたような顔をして少女たちを見た。
「へへへっ、来ちゃった」
赤みを帯びた髪の短い少女が気まずそうに笑いながら答えた。
「セイランが行くっていうから……」
長い黒髪の少女が戸を閉めて、おどおどした口調でセイランと呼ばれた少女の袖をつつきながら言った。
「ち、違うでしょ!ルカが行きたいって言うから来たんでしょ!」
「二人とも、静かに。ご迷惑ですよ……」
「はい……」
見れば二人とも同じ服装をしている。
深緑色のスカートにそれと同じ色のシャツ、首に黄色いスカーフを巻き、一見するとどこかのガールスカウトのような格好だ。
アリサは興味津々に二人を見た。
「二人とも同じ服装だね。それって、制服……?」
「はい!これは王立魔道第2中学の制服です。私たちは2年生で、ルルア先生は魔道具の先生なんです!」
セイランが答える。
「なのです!」
ルカも、短く返事をした。
「へー、ルルアさん、先生なのかぁ」
茂が感心したように改めてルルアを見た。続けてルルアに問う。
「でも、魔道具の先生ってのはなんです?」
「うーん、簡単に言うと魔力を帯びた道具、または道具に魔力を与えて、それを使った魔法を教える、という感じですね」
「へぇ……」
あまり聞きなれぬ異世界の話に、茂は少し面食らったような声を出した。
アリサは、レジカウンターに肘をつきながら、赤みを帯びた髪のセイランと、セイランよりやや背が高い、黒髪が腰の長さまであるルカを交互に見た。
「えっと、セイランちゃん?で、こっちがルカちゃん?」
中学生にしてはもっと幼い印象だ。
「はい、セイランです!で、こっちがルカ」
「ル、ルカです」
セイランは元気よく、ルカは少し恥ずかしそうに答えた。
「私は、アリサ。二人は中学生なんだね。私は高校1年生だよ。いつも夕方から店番をしてるんだ。よろしくね!」
「はい!こちらこそ、よろしくお願いします」
二人は声をそろえて答えた。
続けてセイランがアリサに言う。
「あの……、お店の中、見せてもらってもいいですか?」
二人とも先ほどから、ソワソワした様子で店内をチラチラと見ている。
茂が、梱包した箱に簡易な持ち手を付け、ルルアに渡しながら言った。
「おぅ、どうぞ。見てってくれ!といっても奥は物置になっちまってるから、商品はこのレジ周りの棚にしかないんだけどな、ガハハ」
「はい!」
二人は喜んで、レジ前から離れていった。
セイランは、奥のバケツやホウキといった掃除用具が陳列されている棚の前に、ルカは、レジ横の文房具が置かれている棚の前に、それぞれ立ち、物珍しそうに見始めた。
その様子をアリサと茂は興味深そうに見守った。
時、ほぼ同じくして二番通り商店街。
大きなカバンを抱えたスーツ姿の背の高い青年が、足早に駅の方向へと歩いていた。
青年は肩に斜めにかけた大きめのカバンの紐を反対側の肩へ掛け直し、乱れたサラサラの髪をさっと直すと、腕にはめた時計をチラッと見た。
「もう6時かよ……」
買い物客や、仕事帰りの居酒屋目当てと思われる人々の間を縫って、しばらく歩くと通りに面したコンビニの前で足を止め、胸元から携帯電話を取り出した。
「(あぁ……、もうこの時間なら直帰でいいかなぁ)」
手慣れた様子で携帯電話操作し、それを耳に当てる。
トゥルルル……トゥルルル……
2回のコール直後に女性が電話口に出た。
――「はい、株式会社ローリカー、里山です」
「あ、里山さん?2課の梅原です。お疲れ様です。紫さんいます?」
――「お疲れ様です。少々お待ちくださいね」
電話を操作するガチャっという音がして、ありがちな保留の電子音が流れる。
梅原は腕時計を再び見た。
時計は5時58分を指している。
――「お電話変わりました。紅です」
「あ、紫さん。梅原です。すみません……。今、まだ二番通り商店街にいまして、これからもう1か所回る予定なので、直帰したいのですが……」
電話に出た紅紫は、梅原の上司だ。梅原が最も頼りにしている人物でもある。
紫は、少し考えた様子の声で答えた。
――「……わかりました。時間と、持ち出し分の管理だけは、しっかりしてください。では週明けに報告お願いします」
「はい。わかりました。ありがとうございます。では、失礼します」
少し疲れた表情で、再び携帯電話を操作するとカバンの横のポケットにしまった。
「(なんてね……。これからもう1か所なんて無いんだけど)」
梅原はそのままコンビニの中へと入っていった。
見れば2台あるレジはどちらも2、3人が列を作って会計を待っていた。店内はコンビニ限定のラジオ風のCMが流れ、新発売のフライドチキンをしつこく宣伝している。
「(うぅん、新作ゴマチキンか……。ついでだ、夕飯のおかずに買っていこうかな)」
コールドドリンクの棚のお茶のペットボトルを1本手に持つと、空いている方のレジへと並んだ。
夕方の時間帯だけあって、店の出入りは激しい。
ふと、出入り口に目を向けると、どこかで見たような後ろ姿の男性が、ちょうど店を出ていくところだった。
「(あれ?……もしかして、今の、先輩?)」
「次の方どうぞ」
店員の声に目を向ければ、前に並んだ学生風の客はすでに会計を済ませて立ち去っていた。
梅原はレジ台にお茶を置き、片手でカバンの中に財布を探りながら、もう片方の手でレジ横の保温ケースを指さした。
「あと、この新発売のゴマチキンください」
「はい。ゴマチキン1つですね?」
「はい、1つで」
店員がトングでケースからチキンを1つ取り出し、それを白い紙の袋に入れると、さらにビニールの袋に入れて梅原に手渡した。
「お会計、260円です」
「あ、はい」
慣れた手つきで、財布から取り出したコンビニのカードをレジの読み取りにかざす。
ピピッと音がして、レジの読み取りが青く光る。
「こちらレシートです。ありがとうございましたー」
店員の声を聞き流し、レシートを受け取ると足早にレジ前を離れた。
レシートに記載されたカードの残高を確認する。(うん。まだ残高残ってるな……)
自動ドアを出ると、コンビニ前のポストの横に、やはり見覚えのある人物が小瓶のドリンクを飲みかけて立っていた。
梅原よりやや背が高く、水色のシャツに黒いパーカーを緩く羽織っている。夕刻からはまだ肌寒い季節だというのにサンダル履きだ。
「瀬戸先輩?」
「お、おぉ?」
男は急に話しかけられ、一瞬驚いた表情をしたが、すぐにニコッと笑って言った。
「翔太か!久しぶりだな。誰かと思ったわ」
「どうもです。先輩、2年ぶりくらいですかねー」
「そうだな……。お前が仕事辞めて以来だな」
「あはは……、そうですね」
梅原は一瞬、気まずい顔をした。
瀬戸類と梅原翔太、二人は2歳違いで、高校と大学、そして最初の就職先も一緒という間柄だ。その就職先である『IT会社エルデピュータ』を翔太は2年前に辞めていた。
「で、転職先はどうよ?」
類がポストに寄りかかりながら言った。
「えぇ、まあまあ……ですかね」
翔太は類の横に並んで返事をし、通りの往来に視線を移す。
夕刻の二番通りは、先ほどよりもさらに人の流れが多くなっていた。
「お菓子の販売……だっけ?営業?」
「えぇ。置き薬ってあるじゃないですか?あれと自動販売機の間みたい感じで、お菓子を売ってるんですよ。今日も、商品を置いてくれてるお店や企業回って、補充してきた帰りです」
「へー……」
「あとは新しく置いてくれそうなところも、飛込で当たってみたり……。その新規開拓の営業が結構大変で……」
「ふぅん……」
興味なさげに頷きながら、類は半端に残っていたドリンクをすべて飲み干し、すぐ後ろにあるゴミ箱へと捨てた。
「……先輩はどうなんです?僕が辞めた後、チームはどうなりました?」
翔太は気まずそうに類の様子をうかがった。
類は冴えない表情のままだ。そして口重に言う。
「……あの後、お前の後を追うように何人か辞めたよ。……お前がいたチームは人不足になって、俺のチームまで動員されて……」
「マジっすか……(聞いちゃまずかったかな……)」
翔太はさらに気まずさを深めた表情になった。
「まさか、デバッカーまでやると思わなかったわ。……プログラム書きながら、デバックって……、時間無さすぎ」
「あはは……。(先輩、無表情……。怖いっす)」
さらに類が続ける。
「しばらく徹夜が続いてさ。半年後……くらいかなぁ。過労で倒れちゃって1か月入院。んで、ようやく良くなって仕事に復帰しようと思ったら、今度は会社自体が無くなってたと……。おかげで俺、今無職だぜ」
類はジーンズのポケットに左手を入れて、過去の幻影を見るような遠い目をした。
「えぇ!?会社、エルデピュータ無くなったんですか!?」
翔太は驚いて、思わず類に向きかえった。
無表情のままに「あぁ」と類が返事をする。
「じゃ、じゃ、他の連中は……?」
「さぁな。俺と同期の南や一部の連中は、他のIT企業に行ったって話だけど、他はわかんね」
類は、少し伸び気味になった髪を右手でいじりながら答えた。
翔太は、再び二番通りの往来に目を移すと、ため息をついた。
「はぁ……。まぁ、以前からかなりブラックな会社だとは思ってましたが……。案の定って感じですね」
「そ。お前や、お前以前に辞めた津田さんの読みは大当たり」
「あはは……、やめてくださいよ」
翔太は苦笑いをして言った。
津田は、翔太より少し前に辞めていった、類と同期入社の有能な女性だった。
ちらっと類を見れば、類はずっと無表情のまま宙を見つめている。
「じゃ、先輩は就活中?」
「……まぁな」
「いいところ見つかりそうですか?」
「……どうかな。……なんて言うか、ちょっと怖いんだよね。仕事が。……また、倒れたらって思うと、ね……」
そう言って類は視線を落とした。
「先輩……」
夕闇が一段と濃くなり、賑やかな二番通りのネオンサインが、より一層煌びやかに見える。
「あ!そうだ、先輩、お菓子食べません?」
「ん?お菓子?」
唐突な振りに、類はあっけにとられた顔をした。
そんなことを気にもせず、翔太は肩から下げていた大きなカバンをガサゴソと探ると、何やら1つ取り出し類に渡した。
「どうぞ」
細長い手のひらサイズのそれは、茶色と白が半々の包装紙に、真ん中に大きく“クランチョコ”と赤い文字で書かれていた。
類はそれを受け取ると、何気なく裏面をひっくり返して見た。
「『株式会社ローリカー』?地元のローカルお菓子屋じゃん。……でも、このチョコ、見たことないなぁ」
類は珍しそうに菓子のパッケージの表と裏を交互に見返した。
「はい!ここ原野中市発祥、地元に愛されたお菓子屋さん『ローリカー』の配置用限定お菓子です」
「お前……。すっかり営業マンだな」
感心したように翔太を見る。
そして、何気なしに類はチョコの包装のギザギザした部分を縦に割いて、中のチョコを食べてみた。
「どうです?結構おいしいでしょ?これ配置菓子の中で一番人気なんですよ!補充に行くと、大体どこも完売してるんです」
翔太ニコッと笑った。
「……ってか、普通にクランチチョコだな。ネーミングセンス微妙だけど、まぁ、うまいよ」
類は、口をもぐもぐしながら答えた。
「いつも試食分を持ち歩いてるんですが、今日は補充だけで終わっちゃって、試食分を渡すようなところ行かなかったんで……。まだ、かなりあるんですが、もっと食べます?」
翔太は大きなカバンを指した。
「いや……。それ、仕事で配ってるんだろ?それに……」
何かを言いかけて、瀬戸は食べかけのチョコをじっと見た。
「……(こういうの、アリサ好きそうだな)」
「ん?先輩どうかしました?」
「あ?あぁ、この近くに親戚がいるんだが、……その、従妹が、こういうの好きだったなと思って……」
「従妹さんですか?この近くに住んでるんですか?」
「あぁ。五番通りで叔父が雑貨屋をやってて、この時間なら店番してるはず……」
「へぇ……(従妹さんかぁ……)」
翔太は膨らんでいるカバンを確認した。
金曜のこの時間から、試食分のチョコを配れるような場所に飛び込み営業に行く気はさらさら無い。手っ取り早く、試食分のチョコを減らすには適当な理由をつけて誰かにあげてしまうのがよいのではないか。
翔太は、そう浅い考えを巡らせた。
「ねぇ、先輩」
「うん?」
翔太はカバンから“クランチョコ”が30個は入っていそうなビニール袋を取り出し、類に差し出した。
「これ、その従妹さんにあげてください」
「うわっ。お前……、随分持ってるな……。これ全部試食用に配ってるのか?」
「えぇ……。今日はちょっと、多く残っちゃって。(って、今週1軒も配ってないからなんだけど……)従妹さん、お菓子好きならぜひ」
「……いぁ、だからそれ仕事で配ってるんだろ?いくらなんでもそれはダメだろ……」
「いいんですよ。どうせいつも配り切れないし。余った分はうちの営業部のおやつになっちゃうんで……。それに、たまには全部無くなりましたって言ってみたいじゃないですか」
そう言って苦笑いしている翔太の顔を、類はじっと見た。
(こいつ……、ひょっとして、営業うまくいってないんじゃないのか?)
類の推測は図星だった。
営業で配り切れず戻ってくる試食分の“クランチョコ”は、ダントツで翔太が多い。もちろん、週の初めに頑張るつもりで持ち出す分量も多いからなのではあるが。
「だからどうぞ!先輩」
「いや……、だから……」
断りを言いかけて、ふと瀬戸の中に考えが浮かんだ。
“営業がうまくいってない後輩と、廃れた雑貨屋のお菓子好き”
うまくすれば両方いい方向に持っていけるのではないか?
ひとしきり考えを巡らせ、算段がついたのか「うん」とうなずくと翔太に言った。
「どうせなら俺に渡さないで直接渡してみたらどうだ?」
「えぇ?」
お菓子の袋を手に持ったまま驚く翔太に、類は軽く笑うと、その肩をポンとたたいた。
「翔太、まぁ着いてこい。もしかしたらうちでなくても叔父さんのツテで、どこか置いてもらえるかもしれないぞ」
類はそう言いながらコンビニ前を離れた。
「先輩!」
慌てて類の後を追う。
「ただ、あまりうちに新規開拓は期待するなよ」
「い、いえ。ありがとうございます!」
そして二人は二番通りの雑多な往来に消えていった。
雑貨店『カロ屋』
店の奥の、段ボール箱が高く積まれた、その手前にあるスチール棚の前にしゃがんでいるセイランとルカ。
「ねぇ、これ何だろう?」
物珍しそうにルカがその棚の一番下にあるラバーカップに手を伸ばしながら言った。
「何だろうね?魔法のステッキ……かな?」
セイランも、そのラバーカップをつついて不思議そうに見ていた。
レジ前には、丸い椅子に座ったルルアと、レジカウンター越しのアリサがお茶を飲みながら楽しそうに話をしていた。
「じゃ、今度ルルアさんの授業風景を見学に行きますね!」
「えぇ、ぜひ見に来てください」
いつの間にか、アリサはルルアの魔道具の授業を見学に行く約束を取り付けていた。
休憩室の時計が6時半を指し、ピピッと1回鳴った。
突然、ドアベルがカロコロと鳴り響く。
五番通りに面した側のガラスドアが開いた合図だ。
「えっ!?」
アリサは驚いて後ろを振り向いた。
「ういっす。お、いたいた」
飄々とした様子で店に入って来たのは類だ。
「る、ルイ兄!えっ?何で?」
「来ちゃ悪いか?」
驚いた表情のままのアリサに、類が無表情に言った。
「お邪魔しまーす……」
「えっ?えっ?」
類の後ろから、もう一人出てきたスーツ姿の男に、アリサはさらに驚きと焦りの表情を浮かべた。それに気づいたのか、類がアリサに言う。
「あぁ、こいつ俺の後輩。さっき、二番通りのコンビニでばったり会ってさ。お菓子のセールスやってるって言うから連れてきた」
「連れてきたって……。今日ルイ兄のこと呼んでないじゃん!ドアに”閉店”のプレート下がってたでしょ!何で入って来るの!?」
「何でって……。いいだろ、来ても。それよりお前、なんか怒ってる?」
「べ、別に怒ってるわけじゃ……」
よりによって、異世界からのお客が3人も来ているところに、類だけならまだしも、見知らぬ人が来てしまったのだから、アリサは秘密がバレないかと内心穏やかではない。
「す、すみません……。僕が先輩に無理言っちゃって……」
気まずい雰囲気に翔太は軽く頭を下げた。
「お前のせいじゃねーよ。俺が連れてきたんだろうが」
類はアリサに少しムッとした顔をした。
「い、いえ。今日は早めに店じまいしたところだったので……」
アリサは、焦りながら翔太に向けて取り繕うように両手を左右に振った。
そこに、レジ奥の休憩室から茂がタオルで手を拭きながら出てきた。
「お?類か。来てくれたの?何?今日うちのホームページまた不具合?」
茂は類の後ろにもう一人いるのに気づき、一瞬驚いた顔をしたが、すぐにニコッと笑って「どうも」と、梅原に向けて会釈をした。
「叔父さん、今日はちょっと別件で。後輩の話を聞いてもらおうと思って寄ったんだけど……」と話しかけて、類はレジカウンターの横のルルアに視線が止まった。
(え!?緑色の髪?……服が……変。コスプレの人?)
類から見たルルアは、ただそれだけの印象だった。
ルルアと視線が合う。ルルアは会釈をした。
類もつられて会釈を返す。
再び茂に向きを変えると、翔太の腕を引っ張って言った。
「叔父さん、こいつ梅原翔太って言うんだけど、俺の高校の時の後輩なんだ。大学も一緒で、最初に就職した会社も同じっていう腐れ縁ってやつでさ」
「ほぉ」
「今、お菓子屋のセールスやってるって言うから、話だけでも聞いてやってくれないかな?」
翔太は少し緊張した面持ちで姿勢を正した。
「閉店後でお忙しいところ、申し訳ございません。私、瀬戸さんの後輩の梅原と申します」
いつの間にカバンから取り出したのか、翔太は手に持った名刺ケースから名刺をサッと取り出し、茂に差し出した。
「こ、これはご丁寧に……。私は類の叔父の皆川茂といいます。すみませんねぇ、私はちょうど名刺切らしてまして……」
「いえ……」
茂は、手に持った翔太の名刺を、目を細めて腕を伸ばしたり縮めたりしながら見ていたが、すぐに胸ポケットから老眼鏡を取り出し、それをかけて改めて翔太の名刺を見た。
「おぉ、“株式会社ローリカー”か。いいところ勤めてるねぇ。本社は駅西だったっけ?」
「はい。そこで営業やっています」
茂は老眼鏡を外して、ニコニコしながら翔太を見た。
「そういや、五番通りの一番奥の、アオミドロ薬局さんが、おたくのお菓子を置いていたね」
「はい!アオミドロ薬局さんにも、置いてもらっています!」
「うちはアオミドロ薬局さんとは、この五番通り商店街の中でも古い付き合いでね」
茂と翔太の会話を、カウンターの横で見ていたルルアが、アリサに目配せをしてささやくように言った。
「お客さんです?私たちお邪魔になっていないかしら?」
アリサはルルアの耳元に手を当てて、小さな声で言った。
「大丈夫、多分なんかの営業。すぐ帰ると思うし。ルルアさんたちは、せっかく来たんだから、もっとゆっくりしていってよ」
そして、アリサは店内を見回した。
セイランとルカは、カウンター前の会話など耳に入らない様子で、先ほどからずっとラバーカップを手に持って、軽く振ったり床にくっつけたりしていた。
類は、いつの間にかカウンターの内側にあるパソコンの前に座って、カロ屋のウェブサイトの動作チェックを始めていた。
翔太は、カバンからお菓子販売の流れを書いたパンフレットを取り出し、茂に説明をしはじめた。
「アリサ、ちょっと」
後ろのパソコン机の前に座っていた類が呼んだ。
「うん?」
「この写真、カラム落ちしてる」
見れば、カロ屋のウェブサイト、商品紹介ページの写真は3枚横並びのはずが、1枚ずれて2枚と1枚に分かれていた。
「あ、ほんとだ……。これ、この前入れ替えた写真だ」
はみ出た青いブレスレットの写真をアリサが指さす。
「なんでだろう。同じ場所に入れたのに……」
「この落ちてる画像の大きさがあってない。少しだけ2枚より大きい」
類が指摘する。
「えぇ……。ルイ兄、なんとかしてー」
「なんとかって、画像トリミングするか縮小したらいいだろ」
「このブレスレットの写真はこのままの大きさがいいのー。大きいって言ってもほかの2枚とあまり変わんないじゃん」
「お前な……。画像の大きさは揃えた方が見栄えがいいんだぞ」
類は、あきれたようにため息交じりに言った。
「えー、縮小したら高さが2枚と合わなくなるじゃん。それにブレスレットは両端ギリギリで撮ってるからトリミングできないし……」
目を細めるアリサ。
「……うーん。やっぱりこの写真撮り直して差し替えだな。撮り直したら、カラム落ち直してやるよ」
「えぇ……、めんどくさいなぁ」
「俺の方がめんどくさいわ」
そう言って類は再びパソコンの画面に向き直った。
「はぁ……」
大きなため息をついてぐったりと肩を落とすアリサの、その様子を見ていたルルアがクスッと笑った。
ガラスドアに近いカウンター前では、“ローリカー”の配置菓子カタログを見ながら、茂と翔太がまだ話をしている。
「それで、この専用のお菓子ケースを置いてもらって、そして私どもで中のお菓子が減った分だけ補充しますので、その時に、販売の手数料をお支払いする感じになるんですよ。補充は量にもよりますが、週1ってところですかね……」
ここ人口60万人の原野中市を中心に、ローカルに販売網を展開している“株式会社ローリカー”の配置菓子は、“オフィスのブレイクタイム”をテーマにしたもので、それ専用の箱を店舗や事務所に置いてもらい、お金を入れてそこから欲しい商品を取り出すという、自動販売機に近いものだ。自動販売機と違うのは、箱はただの箱で、電気代がかからないということと、定期的に配置薬のように営業マンが補充に来るという点だ。対象は主に、就労者数の多いオフィスだが、最近はアオミドロ薬局のように店舗を構えるところにも販路を拡大している。
「へぇ、なるほどね。そういうお菓子の販売方法なんだ。でもうちはアオミドロ薬局さんとは違って、今ネット販売が中心だからなぁ。お店までは、なかなかお客さんが来なくて……」と言いかけて、翔太の視線がルルアに移ったのに気づく。
「まぁ、たまに来てくれる常連さんは少しはいるけどねぇ……」
茂は気まずそうに付け加えた。
「あ……、いえ。このお菓子はお店に来てくれるお客さんももちろんですが、皆川さんや、娘さんも、このお店で働いている方にもぜひとも利用していただきたくて、休憩時間などのお茶うけに……。えぇと、どちらかというと、そっちがメインというか……」
翔太は自身の説明の下手さに困惑しているのか、説明中もしきりに頭をかいたり、額に手を当てたり、どうもぎこちない。
その様子を気にしながらパソコンを操作していた類が、椅子の背もたれに腕をかけて少し後ろを振り向いて言った。
「翔太、試食品」
「え、あ、そ、そうでした」
翔太は大きくうなずくと、カバンから先ほど類に渡そうとしていた“クランチョコ”の入ったビニール袋を取り出した。
「これ、配置菓子限定のお菓子なんです。試食に配っているので、ぜひ食べてみてください。片手で食べられるし、量も休憩用にちょうどいいですよ」
そしてビニール袋から“クランチョコ”を取り出すと、茂とアリサに二つずつ渡した。
「お、おぉ、ありがとう……」
「あ!ありがとうございます!」
アリサはお菓子を受け取ると、すぐにニコッと笑った。
翔太は数歩カウンター前を奥に進み、ルルアにも2つ取り出して渡した。
「よかったら、どうぞ……」
「まぁ!私までもらっても良いのでしょうか?」
ルルアは予想外の出来事に少し驚いた声で言った。
「ぜひ、食べてみてください」
翔太が慣れない営業スマイルでルルアにも2つ“クランチョコ”を渡した。
ルルアはそれを両手で丁寧に受け取る。
「これは初めて見るお菓子ですね」
「ルルアさん、これ、実はかなり珍しいんだよ!」
珍しそうに見ているルルアに、アリサは腰に手を当てて“クランチョコ”を勝ち誇ったように掲げて言った。異世界のことが知られてしまったら……という先ほどまでの不安はいったいどこへ行ったのか。
「え?そうなんですか?」
ルルアが、陽気になっているアリサを見る。
類も不思議そうにアリサを見た。
「へぇ?アリサ、なんでこのお菓子知ってんの?俺も、今日初めて見たぞ」
「へへへ……。実はアオミドロ薬局さんに、たまに買いに行ってたのでーす!」
「そうなのか」
茂が驚いたように言った。
「この“クランチョコ”超おいしいんだよね!しかも配置ケース専用だから、この辺りだとアオミドロ薬局さんしかおいてないの!」
アリサは嬉しそうに“クランチョコ”を握りしめた。
「何?なに?チョコ~?」
「お菓子~?」
奥の棚の影から、アリサの声を聞きつけたセイランとルカが、それぞれ手にラバーカップを持って現れた。
「あ、セイランちゃん、ルカちゃん。二人ともこっちにおいで」
アリサは今貰った“クランチョコ”を1つずつ二人に渡そうとした。
「あ、待ってください。試食分まだたくさんありますから」
アリサを遮って、翔太がビニール袋から“クランチョコ”を取り出し、セイランとルカに同じように2つずつ渡した。
二人はラバーカップを床に置くと、両手でそれを受け取った。
「ありがとうございます。これは……?」
ルカは包装紙を不思議そうにじっと見た。
「おじさんありがとう!」
そう言うなり、セイランは勢いよく包装紙の角を斜めに切って食べはじめた。
「ど、どういたしまして……。(お……、おじさん……。僕まだ26なのに……)」
激しく苦笑いする翔太に、類がニヤッと笑う。
「おいしい!」
セイランが目を丸くして声を上げる。
「先生、ルカ、これすごくおいしいよ!」
「あ、あたしも食べるー!」
ルカは急いで封を切ると、一口“クランチョコ”をほおばった。そして同じように目を丸くしてセイランを見た。
「セイラン、これすごいおいしい!こんなの今まで食べたことないよ」
「あたしもだよ、ルカ!」
「なんか……、ここまで喜んでもらえるなんて。嬉しいですね」
チョコを食べて大喜びしている二人を見て翔太は満足げな笑みを浮かべた。
セイランとルカはすっかり“クランチョコ”に夢中のようだ。
アリサが得意げに話をする。
「だって、このお菓子レアだもん。アオミドロ薬局さんでも、この“クランチョコ”いつも高確率で売り切れてるし」
「え!?そうなんですか?すみません……」
「いぁ、あの、別に、し……、翔太さん(?)のせいじゃ……」
アリサは取り繕うように言った。
「アオミドロ薬局さんも、僕の担当でして……。毎週補充に伺っているんですが、そんなに早く無くなってるんですか、これ……」
翔太は、少し減った“クランチョコ”のビニール袋を見た。(無くなるのは週末だと思ってたのに……。実際はもっと早いのかな。はぁ……)
「まぁ、本当にすごくおいしい!」
いつの間にかルルアも“クランチョコ”を食べていた。
「でしょでしょ!」
アリサがカウンターに前のめりになってルルアに言った。
「アリサ、お前このお菓子好きなの?」
あきれた様子の類。
「大好き!おいしいし、しかも値段も手ごろっていうかちょうどいい?感じ。それに限定ってのがいいんだよね。このレア感!」
アリサは普段なかなか買うことのできないお菓子に舞い上がっている。
「あぁぁぁ……(そこまで言ってもらえると、めちゃ嬉しい)!アリサさん、ありがとうございます!良かったら全部これ貰ってください!」
翔太は残りの“クランチョコ”をビニール袋ごと差し出した。
「いいんですか!?これ、貰っちゃっていいんですね!?(返しませんよ!)」
翔太の返事を聞く前に、アリサはすでにビニール袋に手を伸ばしていた。
その様子を、セイランとルカが目をキラキラさせて期待したようにじーっと見つめている。
「あ……」
二人の視線に気づくアリサ。
「あはは、ふ、二人にもおすそ分けするわね。あはは……(ちっ)」
「やったー!!!」
アリサはビニール袋に手を入れると、適当につかんでルカの両手の上に乗せた。
「二人で分けてね!」
そう言って、まだ“クランチョコ”が残っているビニール袋の口を軽く結んで、早々と奥の休憩室へと消えていった。
「これ……、1つおいくらですか?」
ルルアが、翔太に聞いた。
「2個100円で販売しています」
「100……えん……?」
「あーあー!えっと……」
首をかしげるルルアの前に、茂が焦って飛び出し、翔太の視線をルルアから遮ると、小声で言った。
「だ、大銅貨1枚ですね」
「まぁ、それはお安い……。アリサさんの言う通り、とても良心的な値段なんですね。こんなにおいしいですし……。カカオを使っているお菓子だから、もっとお値段が張るのかと思いました」
茂は、首から下げているタオルで冷や汗を拭きながら、ごまかすように言った。
「いや、まぁ……、買いやすいですね。ははは……」
そして、カウンターの外側に出て、翔太に近づくと小声で言った。
「きょ、今日のところは、ちょっと引き取ってもらえないかね……。他のお客さんもいるし……」
「え、あ、そ、そうですね」
「ほれ、類、お友達が帰るぞ」
「ん?どうした叔父さん急に……、うわぁ、アリサ」
「ほらほら、ルイ兄、お帰りですよ~」
アリサが類の腕をつかんで、強引にレジカウンターの外側へ引っ張り出した。
「おじさんたち帰っちゃうの?」
セイランが、あたふたしている茂をよそに翔太に話しかけた。
「う、うん。お店、なんだか忙しそうみたいだしね……」
「お菓子、またくれる?」
「あはは……、オニイサンとしては買ってくれると嬉しいなぁ」
「うん!買うよ!おじさん!」
「お・に・い・さん、な」
翔太はひきつった笑顔で、ぐりぐりとセイランの頭を撫でた。
「んじゃ翔太、行こうぜ」
見れば、類は開いたガラスドアを肘で押し開けながら、すでに1歩店の外にいた。
「あ、先輩(早い)」
翔太はカバンを肩にかけなおすと、店の中に向かってお辞儀をした。
「失礼しました」
そう言って、ガラスドアから外に出る。その後に続いて茂も外に出てきた。
類がガラスドアから腕を放すと、ドアはカラコロとドアベルを小さく鳴らしながら、ゆっくりと閉まった。
「すまないね。類、翔太君。ちょっと変わったお客さんが来ていたんでね……」
察してくれとばかりに苦笑いする茂。
「いえ、こちらこそ突然お伺いして申し訳ありませんでした」
翔太が深々と頭を下げる。
「いやいや、頭を上げてくれ。こっちの都合なんだ……。それにあのお菓子、かなりお客さん受けが良いようだね。アリサも気に入ってるみたいだし……。配置菓子か……(置いておけばルルアさんはともかく、子供たちはまた来てくれそうだな……)。うん、検討してみるよ」
「ほんとですか!?ありがとうございます!」
翔太は笑顔でもう一度頭を下げた。
「んじゃ、叔父さんまた……」
類が茂に軽く手を挙げて、五番通りを北に歩き出す。
「翔太、行くぞ」
「はい!」
茂は二人を見送った。
辺りはすっかり日も落ち、蛍光灯の冷たい明かりが通りを照らす閑散とした風景へと変わっていた。
廃れた五番通り商店街を足早に歩く二人の遠く後ろの方で茂が店のシャッターを閉める音がかすかに聞こえた。
「ねぇ、先輩。彼女たち何者だったんですかね……?特に奥のカウンターのところに座ってた緑色の髪の人とか……」
翔太は、内心ずっと気になっていたことを聞いてみた。
閑散とした商店街、その一角に建つカロ屋は、明らかに潰れる一歩手前の様相を醸し出している。そんなカロ屋の客層とはとても思えない。
「うん?ただのレイヤーさんだろ?」
類は、特に驚いた様子もなく答えた。
「えっ?レイヤーって……。コスプレ?」
「あぁ。あの店、一応雑貨屋だろ?いろんなモン置いてるんだけど、最近はレイヤーさん向けの小道具関係をネット販売してるんだわ。魔法の杖やら盾やら、何かわけのわからないモンいろいろ売ってるぞ……。これが、売れ行きがいいんだ。んで、たまに店まで買いに来る客もいるってわけ」
「へぇ……。ネット販売が中心なんですね……。(それでお客があまり店に来ないと……)なるほど」
翔太はその説明に妙に納得をした。
「俺はその“雑貨店カロ屋”のウェブサイト担当ってことになってるんでね……」
「なってるって……、何かやってるんですか?」
「……何もやってないよ。前に1、2回、入力ミスで動かなくなったサイトを直してやっただけ。んで、それからは不具合が出るたびにちょいちょい呼ばれるようになったわけ」
「あはは。先輩、それ親戚とはいえ、ちゃんとお金貰ってやった方がいいですよー」
「一応貰ってるといえば貰ってる……かな」
「お、時給ですか?いくらです?」
「……いや。アリサの激マズ手料理……。時給換算不可能の、それこそ超レアものだな」
「先輩、いいですね!アリサちゃん可愛いし、うらやましいー」
「お前……。アリサの料理なんか食ったら、3日は寝込むぞ……」
「マジっすか……」
真顔で答える類に、苦笑いする翔太。
「さて翔太……、久々に会ったんだ。ちょっと飲んで帰ろうぜ!」
「はい!」
「よし、二番通り行くぞ!」
寂れた五番通りを後に、二人は煌びやかな二番通りの人の波へと姿を消していった。
あ、先輩、ゴマチキン食べます?潰れてるけど
……いらねーよ
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