エピローグ

エピローグ



 ゆっくりと意識が手繰り寄せられる。

 響くチャイムの音。継いで湧く、ざわめきと喧騒。

 ここは…教室。無意識にそう理解した。


 むくりと顔を上げると、そこは一番窓際のうららの席。真昼の日差しが降り注いでいる。 

 ふとその手元に、馴染んだ一冊の絵本があった。何度も読み返した為に少し古ぼけているけれど、大切な…。大切な、魔法の絵本。

 それにそっと手の平を寄せ、ずれていたメガネをかけ直し、窓の向こうの空を見上げた。

 教室内の周りの会話から今がお昼休みに入ったのだとわかった。おもむろに黒板の日付を確認する。


 ――…ソラが死んだ、翌日…


 そしてうららが、屋上にいるはずの時間。

 だけどうららはここにいる。今ここに、こうして。


――戻ってきたんだ、現実に。──帰ってきたんだ。


 再び見上げた窓の向こうの、青い空がじわりと滲んだ。

 だけどこのぐちゃぐちゃの感情に名前なんてなかった。


「──珍しいね、居眠りなんて」


 ふと隣りから聞こえてきた声に、うららは慌てて涙を制服の袖で拭う。

 教室で誰かに話しかけられたことなんて無いので、内心驚いた。ソラという幼なじみなんて居ないうららは、教室でずっとひとりだったから。


 突然のことにうららはどう返せばいいのか分からずに戸惑い、声の主に顔を向けることもできずひたすら視線を彷徨わせていた時。隣りの席に、別の誰かが駆け寄ってきた。


「空くん、今日こそお昼一緒に食べよーよ!」

「今日天気いいし、中庭か、屋上なんてどう?」


 女の子ふたりの明るく高い声。隣りの席の人に話しかけるその会話に、その名前に──うららは思わずぴくりと身体が反応する。

 聞き間違いだろうか。でも鼓動はこんなに逸る。


「ごめんね、先約があるから」


 さらりと返した言葉に声をかけた女の子たちは残念そうな、仕方なそうな声を漏らして彼の席から離れて行った。


 隣りの席の人がどんな人だったか、まったく思い出せない。入学してから2ヶ月、ずっと隣りにいるはずなのに、名前どころか顔すらもわからない。

 だけどさっき女の子たちが呼んだその名前に、うららの胸は熱く疼いた。僅かな痛みを伴うそれに勇気づけられるように、手元の絵本を握りしめる。


 ──約束。今度はわたしが、守らなくちゃ。


 そして意を決したように顔を上げ、うららはようやく振り返った。


「──やっと、こっちを向いたね」


 そこに居たのは──


「おはよう、お姫さま」

「……ソ、ラ…?」


 そこに居たのは紛れも無く、絵本の世界で一緒に旅をした〝ソラ〟の姿。

 ソラが、そこに居た。


「僕は一時だけ、彼に姿を貸してあげたんだ。そしてずっと、君たちを見守っていたよ。ようやく逢えたね…ここで」


 言いながら胸元から何かを取出し、戸惑ううららの手をとってそこに乗せる。

 わずかな重みに彼の温もりが馴染んだそれは、あの世界で…絵本の世界でソラに預けていた、〝鍵〟だった。ソラが倒れたあの時、お守りにと渡したもの。


「僕は、高宮空。ちょっぴり魔力の強いフツーの男子高生、かな?」

「まさか…あなた…」


 ――この人がまさか、夢みる王子…?


 目を見開くうららに、空は楽しそうに笑った。


「さぁ、なんだっていいんじゃない? 大切なのは真実よりも、今ここに居るということさ」


 姿形は一緒でも、うららの知っている〝ソラ〟とは確かに違う。その様子がなんだか可笑しくて、思わずくすりと口元が緩んだ。

 強張っていた体から力が抜けていくのを感じる。


「さて、まずは挨拶からかな」


 楽しそうにその王子さまは笑う。

 きらきら日の光が降り注いで、まるで輝くのは今なんだと告げるようだった。


 うららは初めてこの教室で、誰かと向かい合っている。そして名前を、交わそうとしている。

 手も心臓も震える。だけどきっと今が、そうなんだ。


 ――一歩、踏み出す勇気を──ソラ…


「…香月、うららです。──はじめまして」


 歩き出す。

 ここから、この場所で。



◆ ◇ ◆



 昼休みの喧噪を、足早に駆ける3つの足音が響く。

 廊下も階段も生徒たちで溢れていて、なかなか前に進めない。だけど焦る気持ちを抑えて階段を駆け下りる。生徒たちの視線を集めたけれど、気にしていられなかった。


「なんで誰もクラスくらい聞いておかねぇんだよ、うちの学校いったい何クラスあると思ってんだよクソ!」

「そんなのレオに言われたくないし自分だってそうじゃん。ていうかアオ、スタスタ歩いてるけど何か当てでもあるの?」

「1年で噂の王子様とやらがいるクラスは知っている。まずはそこからだ。外れたら全クラス回る」

「アオ、あったまいー! さすが生徒かいちょー!」

「つーかその話してたの、お前じゃなかったっけ」

「はやく会いたいなぁ、驚くよねきっと」

「まぁこのメンツで仲良く歩いてれば嫌でもみんな驚くがな」

「仲良くねぇし聞けよリオお前はよ!」

「あ、おれ扉開けるー!」



 空は青く、突き抜けるように高く。

 導かれるように、惹かれるままに扉に手をかけた。



 その扉の向こうはいつだって、新しい世界が待っている。

 ──きみにまた、出逢うのを。





〈fin.〉



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ストレイ・ハーツ~夢みる王子と願いごと~ 長月イチカ @ichika_sep

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