第8話
◆ ◇ ◆
──願いごとは? 君の、願いごとはなに?
朦朧とする意識の中、不思議な声が聞こえた。
ずっと続く痛みに、身体はもう麻痺したように動かない。
死を覚悟した、その時だった。
『──君の、願いごとは?』
――…だれ?
『僕は夢を渡る者。そして願いを叶える力を持つ者。君の願いはとても強くて、どんな場所に居てもずっと僕に聞こえていた。そして僕の心を動かした。だから僕は、叶えにきた』
僕の、願い…それならきっと、ひとつだけ。
うらら…君を、ひとりにしてしまう。それだけが心残り。それだけが悔しくて、哀しい。
ずっと一緒に居ると約束したのに。必ず守ると、約束したのに。果たせなかった…守れなかった。
『生きたいの?』
…ちがう。死は僕の変えられない運命。それは決して曲げてはいけないと、おばあさんから教わった。
『ヘレンだろう? 僕も彼女の最期に、願いを受け取ったよ』
おばあさんが…?
おばあさんは最期まで、自分が死んだあと…そして僕が死んだあとのことを、気にかけていた。うららがひとりになった時のことを。
おばあさんは不思議な力を持っていて、時折未来を視ることができた。だけど決してそれを口にすることはなく、ただ、今できることを…今できる精一杯のことをして過ごしてきた。
いつか僕にもうららを守る時が来ると、おばあさんは最期に言った。うららには聞こえない声で、そっと、僕にだけ。
その時がきたら必ずうららを守って…導いて、と。そう約束したんだ。
『では、君が願うものは?』
──僕は…僕の、願いは…ずっと夢みてきた、ただひとつの願いごとは──
『──お姫さまはね、必ず王子様が迎えにきてくれるの。どんな敵からも災いからも、守ってくれるのよ。素敵でしょう? うららも、お姫さまになりたいなぁ…そしたらずっとずっと、みんなでしあわせに暮らせるもん。ね、素敵でしょう? ソラ──』
おばあさんの描いた絵本を広げながら、小さなうららが夢をみる。
お伽話に想いを馳せて、そうやって僕らは眠りにつく。
大切で愛しい、君と過ごした時間。
君の願いを、叶えてあげたかった。君を守る〝王子さま〟に、なりたかった。
たかが犬のこの僕が、そんなこと言ったら笑われるだろうか。
それでも…それでもいい。
そして伝えたい。僕の生涯は君と居て、光に溢れていたということを。幸せだったということを。
僕がまぶたを伏せるその瞬間まで、痛々しいくらいに君は泣いていた。
無力だと自分を責めて、ごめんねと何度も繰り返しながら。今もずっと泣き続ける君に…
どうしても伝えたいんだ。
『──ではその願い、叶えよう』
最期の瞬間、その声が僕を包みこんだ。
そうして気がつくと僕は、人の姿でうららの学校の屋上に居た。ただ漠然と状況を理解するよりもはやく、その姿が視界に映った。
うららの姿が真っ青な空に吸い込まれていくその瞬間──名前を叫んだ僕の声に、君が振り返り視線を向けた。
僕の声が君に届く。僕の言葉が、君に。
──伝えたいことがある。
君を絶対に死なせやしない。
だから、行こう。一緒に行こう。
君の未来を、取り戻しに──
そうして僕は約束を果たせる力と、願いを糧にした時間を手に入れた。
導かれた絵本の世界で、夢のような君と過ごした時間。
…幸せだった。だから僕はもう、十分だから──ぜんぶ僕が持っていく。
君が前に進めるように。もう泣かないでいいように。君が抱える哀しみは、ぜんぶ僕が持っていく。
君が空いた方のその手で、いつか愛する誰かと手を繋ぎ、前を向いて歩いていけるよう…。光り輝く未来へ、歩んで行けるよう。
君がもう二度と、孤独と哀しみに迷わぬよう。
僕の願いは…叶うだろうか。
それは僕にはもう、確認できないけれど。
僕のいない世界でも、どうか笑っていて。
───うらら。
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