電脳ウィルスクラッカーズ!(仮)
逆立ちパスタ
【助けて】スマホ盗まれた【緊急】
外したエプロンを適当に丸めてロッカーに放り込む。それと交換するように、中から自分のリュックサックを取り出した。俺は更衣室の扉を静かに閉めて、事務室の奥にいる店長に声を掛けた。
「お疲れ様でーす」
「……んお、おぉ。おつかれ」
だるそうに煙草をふかして事務作業をしている店長は、俺の方を見ることなく手をひらひらさせた。俺は従業員出口の近くに置いてあるタッチパネルにそっと触れる。踊るように点灯した文字列の中から、探している項目を見つけてタッチした。退勤、
もう夕方だ。空にはオレンジと藍色のグラデーションが広がり、街には徐々に街灯が点灯し始めていた。俺はすぐさまポケットに入れていたスマートフォンを取り出して、カメラを空に向ける。
ぱしゃり。
デフォルトから変更していないシャッター音が鳴り、画面には時間を切り取られたような写真が写っていた。通行人の邪魔になるため、すぐに道の脇に退いて写真の細部を確認する。
「角度よし、光よし、色は……もうちょっといじろうかな」
かっこ悪いが、独り言を口の中で転がしながら画面をタップした。色彩調節のバーを左右に振り、気に入ったポイントで手を止める。納得のいく出来栄えに満足して緩んでしまう顔を何とか引き締めながら、俺はリュックの中で絡まっていたイヤホンを取り出す。四苦八苦して解いたそれをスマートフォンに刺して、俺はお気に入りのプレイリストを再生し始めた。
帰ったら飯食って、風呂入って、課題の送信が終わったらさっきの写真をSNSに投稿する。今日のは力作だったし、結構いいねが稼げるんじゃないか。そうなったらまた可愛い女の子アバターから褒められてしまうかもしれない。
広がる妄想で頭をいっぱいにしながら、俺は交差点の赤信号で立ち止まった。俺が住む街は交通の便がそこそこよく、人通りはそれなりに多い。休日には外出するために駅を利用する人があふれてごった返すこともしばしばだ。今日は休日前ということもあって、いつもより歩行者の数が多い気がする。さっさと帰ろう、と俺は足を進めた。
イヤホンから鳴り響くメロディーはサビに差し掛かり、信号は今にも青になろうとしている。騒がしい人込みの雑音はイヤホンのノイズキャンセリングで全て防がれていた。
信号が青になった。俺の後ろに続く人たちと、前から向かってくる人の波が横断歩道の中心でぶつかる。その合間を縫って歩いていると、向かい側からやってきた人に肩がぶつかった。こっちは避けようとしたが、相手が故意にぶつかってきた感じだ。
「すいません」
「ってーなこのイカ! どこに目つけてんだ!」
ガラの悪いヤンキーだった。短く刈り上げられた金髪と、耳に付けられたシルバーピアスがやけに目を引く。俺を威圧するように睨みつけてくるが、垂れた優しそうな目元がせっかくの威嚇を台無しにしている。
「イカ……?」
「ちっ、ボンクラがよぉ」
ぶつくさと文句を言いながら立ち去っていく。何だったんだ、今のは。というかイカってなんだ。もしかして「タコ」って言いたかったのか?俺はぶつけられて痛む肩をさすりながら、駅に向かおうとした。
そう、向かおうとしたのだ。その時、俺はイヤホンから何の音も聞こえないことに気が付いた。
「は? え、あれ?」
慌ててイヤホンを手繰り寄せてみるが、その先についているはずのスマートフォンはどこにもない。ポケットに手をやっても、いつも入っているはずの薄い鉄の板はなかった。
「落としたかな……あ」
確かに俺は見た。何をって、さっきぶつかってきたヤンキーの手に俺のスマホが握られているのをだ。それを目で追えたのは奇跡に等しい。たまらず、俺は点滅を始めた信号を無視して横断歩道を駆けだした。
「おい待てよ!」
俺のスマホをスったヤンキーは、景色に溶け込めているとはお世辞にも言えない金色の頭を揺らして俺の先を歩いている。時々辺りを警戒するようにきょろきょろと見ているが、追いかけている俺に気が付いてないところを見ると相当雑な警戒態勢らしい。馬鹿だ。
ヤンキーは、俺がバイトしている洋食屋の裏通りに入っていった。そっちの方は治安があまりよくないから近寄りたくないのだが、背に腹は代えられない。少し躊躇いつつ、俺もその後を追う。
狭い道を右へ、左へ、そしてまた左へ。見失わないようにはしているものの、もしこれで迷ったら元の道に戻れるか心配になってきた。
大分疲れてきた頃、ようやくヤンキーはある扉の前で立ち止まる。そのまま鉄製の扉を開けて、中へと姿を消した。俺は急いでその入り口に近付き、正面に掛かっている看板の文字を読む。
「なんだここ……「Genova」……ゲノ、バ?」
読めない。英語ではなさそうだ。大して英語の成績がいいわけではないので、そこは軽くスルーしてドアノブに手を掛けた。
重い扉がゆっくりと開き、中から誰かの声が聞こえてくる。片方はさっきのヤンキーだが、もう片方は知らない。男性のようだ。
「見つけてきた感染機器って、それ?」
「おう」
「お手柄だね。どうやって持ってきたの? 拾った?」
「狩ってきた」
「君は原始人か何かなの?」
和気あいあい(?)と会話していた。感染機器は恐らくスられたスマホだろうが、生憎俺は毎月定額ウィルスバスタープランと契約している。エッチな動画は見るけれど、それで変なウィルスに感染したことなんて一度もない。パソコンはあるけど。
「まあいいや。じゃあダイブの準備しようか」
「そんなもんいらねえよ、面倒くせえ。叩き壊しちまえばいいんだろ」
「野蛮だなぁ。倉庫の掃除大変だからやめてほしいんだけど」
「ま、待ってください!」
思わず俺は飛び出した。見れば、俺のスマホは地面に横たわり今まさにヤンキーに踏みつぶされようとしている。顔を青くしていると、メガネをかけたスーツの男は困ったように笑った。ヤンキーと喋っていた人だ。
「ダメじゃん、
「クエスト失敗だったか」
「言ってる場合じゃないですよ! 俺のスマホ返してください!」
スーツの男は俺に歩み寄ると、突然俺の顔を掴んできた。両頬を片手でぐわし、と掴んでじろじろとこちらを見ている。
「んだよ! 離せ!」
「うーん……晃くん、それ本当に感染機器? この子全然それっぽい症状が見えないんだけど」
「だって「匂い」がするから」
「子供みたいな言い訳しないで。君がやっても可愛くない。そういうのは幼女の口から聞きたい」
「キモ」
「そういうどストレートな悪口が一番心を傷つけるんだよ?」
やれやれ、と言いながらスーツの男は俺から離れていった。ご丁寧に胸元から取り出したハンカチで手を拭いている。そんな汚くないぞ、失礼な奴だな。ちょっと傷ついた。
「これは困ったな……」
困ったのはこっちだよ。
「だからぶっ壊せばいいんだって」
それはどう考えても確実に困る。
困惑しながらヤンキーとスーツを見比べていると、スーツは疲れたようなため息を吐いて俺に椅子を指差して勧めた。
「仕方ない。君はこのスマートフォンの持ち主みたいだし、ちょっと事情を説明してあげた方がいいかもしれないね」
「事情……?」
「今君のスマートフォンに何が起きているか、どうして晃くんがそれを盗んだのか」
スーツは倉庫の床に転がっているパイプ椅子を拾い上げて、反対側から座った。背もたれに肘を乗せて、ぎいぎいと耳障りな音を立てる。俺は渋々勧められた椅子に腰かけた。
スーツは、にっこりと笑いながら言った。
「ここはね、人の精神を食い荒らすウィルス「
「ごめんなさい、最初からわかりません」
「結構簡潔に説明したつもりなんだけど」
「お前がキモいからだろ篠原」
「酷いよね。ほんっとみんな口悪いよね」
晃、と呼ばれたヤンキーの言葉を受けて篠原という名前らしいスーツが泣きまねをする。これは確かに気持ち悪い。
「それで、そのエム? なんとかって何ですか? それが俺のスマホに感染してる?」
「そうそう、Mnet001。あらゆる電化製品に感染、潜伏することのできる万能型電脳ウィルス。パソコンにもスマホにも、テレビにも、ネットを介してるなら何でも感染するんだよ、それ」
「へえ……それが人の心を食い荒らす?」
「うん。まだウィルスの解析が進んでないからはっきりした原理は分からないんだけど、どうにも「感染した電子機器」を使用すると、どんどん感情が欠落して最後には廃人になってしまうとかなんとか。最近ニュースでよく「原因不明の感染病」だとか言われてるんだけど知らないかな」
「どーせそのボンクラはニュースなんて見てねえよ。俺が駆除対象を狩った時も全然気が付かなかったからな」
「気が付いてなかったらここまで追いかけてきてないよ?」
「うるせえ死ね」とヤンキー。
「あまりに理不尽」とスーツ。
目の前で軽快な掛け合いを繰り広げる二人を、俺は唖然としながら見るしかない。
「とにかく、君のスマートフォンはそのMnet001に感染している。えーっと……ごめん、君名前は?」
「さ、栄真澄です」
「真澄くんね、分かった。じゃあここからが本題なんだけど、このスマートフォンに潜伏しているMnet001を僕たちは駆除することが出来るんだ」
「ホントですか?」
「うん。仮想電脳空間「エレットマーレ」の中にMnet001を追い込んでから物理的に叩く」
「ぶつりてきに」
「物理的に。アバターに駆除専用の装備をつけて、ウィルスのデータを破損させる」
「はそんさせる」
目の前の男が何を言っているのか良く分からないまま、俺はただ言葉を復唱した。
仮想電脳空間「エレットマーレ」とは、いわばVR空間だ。ネット回線を立体視覚化して、そこに自分の分身と言える存在「アバター」を表示することでより感覚的にインターネットを使用できる。ネット回線を介して、世界の反対側の人間ともつながることが出来る。そんな夢のようなシステムを作り出したのがイタリアのベンチャー企業「オッキオ」だというから驚きだ。
その中にウィルスを追い込んで、破損させて駆除? それはどんなアドベンチャーなんだ。別にベンチャー企業と掛けたわけではない。
「つまりそれは、エレットマーレに潜って俺のスマートフォンの変なウィルスを退治するってことですか?」
「理解が早くて助かる! それじゃあ行こうか」
「はい?」
パイプ椅子を軋ませて嬉しそうに立ち上がったスーツは、ヤンキーが投げたフルフェイスヘルメットを軽くキャッチした。まだ椅子に座ったままの俺の頭にそれを被せる。
「習うより慣れろ、とりあえず君の大切なスマートフォンがMnet001のせいでどうなってるか確認してみよう」
「は、え、ちょっと待って」
「晃くん、スイッチ入れて」
スーツの一言で、下がったバイザーの内側に0と1の奔流があふれる。
≪Benvenuti in Eletto Male≫
俺には理解できない文字列がまとまり、一文を形成し、そしてまるでテレビの電源を落としたみたいに視界が真っ暗になった。
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