【悲報】巻き込まれた【どうすんだこれ】
ブラックアウトした視界に、ログイン用のポップアップが表示された。
≪網膜認証、又はユーザー名とパスワードを入力ください≫
俺は迷うことなく網膜認証の項目をタッチし、バイザーのスキャニングが終わるまでしばし待つ。数瞬で処理は完了し、目の前に違う文字が浮かび上がった。
≪エレットマーレへようこそ、Masumi様≫
その文字が消え、一面の黒だった視界には仮想電脳空間「エレットマーレ」のエントランスが飛び込んできた。イタリアのベンチャー企業が開発しただけあって、ログインしたユーザーが最初に目にするこのエントランスは欧州の明るい広場をモチーフにしている。俺は本物を見たことが無いけれど、単純にここがとても居心地の良い場所だと言う事は知っていた。
「……つか、いきなりログインさせてどうしろっていうんだよ」
「それはね、真澄くん」
「うわっ!」
足元から聞こえてきた高い声に、俺は思わず後ずさった。尚、各個人の会話はチャット扱いになるため他のユーザーから聞かれる事は無い。つまり、俺のこの情けない声も誰かに聞かれて笑いものにされなくて済むわけだ。
俺は恐る恐る、足元から聞こえた声の主を見た。
「ん? なにかな」
可愛い女の子のアバターだ。身長は俺のアバターの腰あたりまでしかない。猫のような耳としっぽがアクセサリ機能で付けられ、目の前の幼女の感情に呼応するみたいに動いていた。ファンタジーなピンクの髪の毛はふわふわとうなじで揺れている。西洋のお姫様が着るみたいなフリルがたくさん付いているドレスは、エントランスの雰囲気にとてもあっていた。
だが、俺のアバターのフレンド欄にこんなケモ耳の生えた幼女なんていなかったはずだ。とりあえず俺は誰何の声を上げた。
「あの、どちら様ですか」
「やだな、僕だよ僕。さっきジェノバの倉庫で会った篠原」
「は?」
俺は目を見張った。これが? あのさっきスーツを着てた男? 言動からなんとなくロリコンかな、とは思っていたけれど、まさか真性のやばい奴だったとは。
「いやあ、真澄くんも僕と似た者同士だったとはなぁ」
「何で似た者同士なんですか……というか、俺フレンド登録してないのに何でチャット参加してるんですか」
「君がエレットマーレにダイブした後にちょっとスマートフォンをいじらせてもらったよ。具体的には、君の指紋をちょっと拝借して中身を覗かせてもらった」
「犯罪じゃん!」
「善行だよ! 君を助けるつもりなんだから!」
ぷんすこ、とわざわざご丁寧に≪怒る≫エフェクトを展開させる。普通に見れば可愛い女の子なのに、これをあのスーツ男がやってると思うだけでげんなりしそうだ。
「おっと、
篠原(と呼べばいいのだろうか)は目の前の何もない空間をタッチするような素振りを見せる。すると、そこに小型のウィンドウが展開した。エレットマーレの標準仕様であるツールバーだ。
「えっと……あぁ、これこれ。送信っと」
次の瞬間、俺の前にメッセージを受信したという通知が開いた。篠原と同じように、宙に浮くウィンドウをスワイプして中身を確認する。
≪真澄くんへ 君のスマホが大ピンチ! 今すぐ助けに行こう!≫
≪こちらの座標へアバターを転送する≫
「えいっ」
「あっ」
いつの間にか俺の横に来ていた篠原は、低身長を気にすることなくぴょんっと跳ねて≪座標へアバターを転送する≫と表示されているボタンを押した。
≪座標確認。三秒後にジャンプします≫
「ちょっと、何するんですか!」
「あはは、大丈夫だよ。向こうでは晃くんが待ってるからさ」
晃くんって、確かあのヤンキーだったはずだ。俺が反論する前に、アバターの転送が始まった。
「僕もすぐそっち行くから、詳しい説明は晃くんに頼んで!」
にぱ、と笑った幼女に見送られ、俺のアバターはエントランスからログアウトした。
ログイン。着いた先は、破棄されたデータが溢れるジャンクゾーンだ。万人が見るエントランスのような精巧なプログラミングはされていないようで、どこまでも青線の骨組みが広がっている。
「こんなところ初めて来た……」
「そりゃそうだろ。ここはジェノバがMnet001を駆除するために用意したゾーンだ」
きょろきょろと辺りを見回している俺に声を掛けてきたのは、空手の胴着に黒帯を締めた青年のアバターだ。頭に巻かれたハチマキが、どこか格闘ゲームに出てくるキャラクターを彷彿とさせる。
「もしかして、君が晃くん……?」
「あ?」
胴着のアバターは俺を見て、首を傾げた。それにつられるように俺も首を斜めにすれば、彼はこういった。
「お前、誰だ?」
「栄真澄! お前が盗んだスマホの持ち主!」
「は!? お前あのボンクラなのか!?」
ヤンキーのアバターははあ、と感心と呆れをない交ぜにしたような息を漏らした。
「全然気が付かなかった」
「どういう意味だよ!」
「だって、お前のアバター女だったから」
指差されて、俺はその時やっと自分のアバターがいつも使っている物から変更していないことに気が付いた。
俺のアバターは女子高生だ。緑っぽい黒髪を後頭部の高いところで結わえた見事なポニーテールと、清楚だからという理由で選んだ紺色に白いラインが映えるセーラー服。タイは個人的な好みで赤にした。
アバターだから発汗も発熱もしないが、これが現実なら顔から火が出るほど真っ赤になっているだろう。やばい。死ぬほど恥ずかしい。
だからあの篠原って人、俺の事「似た者同士」なんて言ったのか。
「お前女だったのか? ひょろひょろしてるとは思ってたけど」
「俺は男だよ! アバターは、ちょっと理由があってこんなだけど……」
じろじろと無遠慮にこちらを見てくる晃の視線から逃れるように、スカートの裾を握りしめる。いつもリア友とエレットマーレで落ち合う時はちゃんとアクセサリを変更していたのに、今日に限って色々あり過ぎてすっかり忘れていた。
「二人ともお待たせ……仲良くなった?」
「なってねえよ!」
「なってないです……」
俺の消え入るような声とは対照的に、晃は怒鳴り声をあげた。だが、そんなことは想定内だと言わんばかりの笑顔で幼女アバターを被ったロリコンは言う。
「仲良くなったみたいで結構! それじゃ、早速お仕事を開始していこうね」
その言葉を合図にしたかのように、ジャンクゾーンの奥、破損したデータ群の向こう側から何かの音が聞こえた。例えるなら水洗トイレの洗浄音だ。途切れることなく、ずっと聞こえてくる。
「な、なんですかこの音」
「君のスマートフォンに潜伏してたMnet001だよ。まだ潜伏を始めて数日ってところだったから、君には「電脳ウィルス性精神欠乏症」に掛かってなかったんだね」
「でん……?」
「電脳ウィルス性精神欠乏症。Mnet001に精神が食い荒らされて廃人になってしまう現象を、とりあえずそういう名前で僕らは呼んでるんだ」
呑気に篠原が説明をしているが、そのMnet001が出す音は収まるどころかますます音量を上げている。
「おい、そろそろやるぞ≪クラッキー≫」
「分かってるって。今日も頼りにしてるよ、≪ナタス≫」
ナタス、と呼ばれた胴着のアバターは手に嵌めた指ぬきグローブをぐい、と引っ張って気合を入れる。クラッキーと呼ばれた幼女はツールバーから
「ほら、お出ましだ」
篠原の呟きと、破損したデータ群を蹴散らして大きな何かが現れるのはほぼ同時だった。
それは、化け物といっても遜色ないほどに大きくて醜い塊だった。VRシューティングゲームのエネミーで見たことのあるような醜悪なデザインのそれは、四つ足で歩行している。太い胴から伸びた首らしき部位の先には、カメラのレンズみたいな透明な部品がついている。現実にいたら全長目算三メートルといったところか。
≪シャシャシャシャシャシャシャ――……≫
騒音をまき散らしながら、怪物は何がもどかしいのか地団太を踏んだ。
現実ではないと分かっていても、迫力がすごくて正直ビビっている。
「思ったよりも小さいな」
「これで小さいんですか!?」
「人間一人分の精神を食い尽くしたMnet001はこんなものじじゃ済まないよ。駆除のために用意したこのエリアに入りきるか分からないレベルで大きいのも、たまにいるからね」
俺の疑問に、篠原は丁寧に答えてくれた。装備している片眼鏡を化け物に向け、じっと見つめる。そのガラスには、目に映したウィルスの情報が走っていく。
「……見た感じだとあのウィルスの弱点はあれだね、頭についてるレンズみたいな目」
「しかしうるせえウィルスだな」
「この音、もしかしてカメラかな」
篠原の言葉に、俺はハッとした。そうだ、何か聞き覚えがあると思ったら、これは俺が使っているスマホのデフォルトシャッター音だ。しかも、連写音。
俺の表情を見て何かを察したらしい幼女アバターは、化け物を見据えて胴着のアバターに言った。
「≪ナタス≫、足場は僕が組むから一気に片を付けよう」
≪ナタス≫は一つ首肯を返すと、地面を踏み込んで跳んだ。
アバターの設定を弄れば、エレットマーレの内部では身体能力を飛躍的に向上させることができる。より臨場感のあるFPSを楽しめるように、と最近オッキオがアップデートした機能だ。ただ、この機能はまだ実用化されて間もないため限られたエリアでしか使用できなかったはず。
しかし俺の思考は、目の前に広がる光景を見てそこで止まってしまった。
軽やかな身のこなしで、≪ナタス≫が宙を舞う。彼が落下しそうになった瞬間に合わせて、≪クラッキー≫が叫んだ。
「座標固定完了! ジャンクデータの硬質化を開始!」
声に合わせて、周りに散らばっていた破損したデータ群が吸い寄せられるように集まり、≪ナタス≫の足の下で板状になる。階段のように連なる板を、彼は文字通り飛ぶようなスピードで渡っていった。
「今だ!」
「うぉおらぁ!」
怪物の眼前に飛び出した≪ナタス≫の拳が、的確にレンズの目を射抜いた。
≪シャシャシャシャシャシャシャ――……≫
断末魔の叫びをあげ、怪物は霧散してそこら中に散らばるジャンクデータの仲間になった。すっかり気圧されて棒立ちになっている俺のもとに、さっきの怪物だったものの破片が落ちてくる。俺は咄嗟にそれを、手で受け止めた。
それは、小さなハートだった。俺はこれを知っている。いつも、SNSで写真を載せたときにもらえる「いいね!」のアイコンだ。
「ミッションコンプリート。Mnet001は駆除したから、あとはハードに問題がないかここからログアウトして確かめよう」
「疲れた。あとで飯」
「晃くんは食いしん坊だね」
「気持ち悪い。そういう言葉遣いが気持ち悪い」
「二回も言わなくてよくない?」
そんな会話をしながら、二人は姿を消した。ログアウトすればアバターはエレットマーレから消えるので当然だ。
俺は、しばらく何もなくなっただだっ広い空間を見つめていたが、後を追うようにツールバーから≪ログアウト≫を選択した。
≪Ci vediamo dopo!≫
英語ではないので意味が分からないお決まりの一文が流れて、俺のアバターはエレットマーレからログアウトした。
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