第23話 涼

しずくちゃん。お見舞いに来たぜ」


 雫の帰還から二日。この日の夕方、麟太郎りんたろう栞奈かんな千絵美ちえみの三人は入院中の雫を見舞うべく、陽炎かげろう中央病院を訪れていた。

 津村つむら家のリビングで発見された雫は目立った外傷も無く、幸いなことに命に別状はなかったが、呪いの影響か体力が低下しており、検査も兼ねて数日間の入院を余儀なくされていた。経過は良好で、早ければ今週中にも退院の見込みだ。


「みんな、態々ありがとうね」


 雫はベットから上体を起こし、笑顔で三人を出迎えた。

 その笑顔を見て、麟太郎は改めて雫の強さを知る。


 雫には今回の事件についての全てを話してある。雫が行方不明となる原因となった暗黒写真の呪い。それを行ったのが友人である草壁くさかべ彩乃あやのであったこと。そして、呪いによって消失した雫を涼が自らを代償として呼び戻したこと。

 麟太郎も当初はこれらの話を雫にするべきなのかを悩んだが、雫自身がそれを望んだこともあり全てを打ち明けた。

 話を聞いた直後の雫は取り乱し、大粒の涙を流して泣いた。見ている方が辛くなる程に雫は悲しんだ。事情を説明してからまだ一日しか経っておらず、こんなにも短い時間で気持ちを立て直せるはずもない。それでも雫は、気丈にも笑顔を浮かべて麟太郎たちを迎えている。


「リンくん。彩乃はどうしてる?」

「隣町の病院に入院中だよ。誰の問いかけにも答えずに、『私は悪くない』って、そう繰り返しているらしい」


 草壁彩乃は精神を病み、現在は隣町の病院でケアを受けている。雫が居なくなってしまった世界に絶望し、自分の殻に閉じこもってしまったのがその原因らしい。雫は無事に生還を果たしたわけだが、様々な事情を鑑みて現状そのことは彩乃には伝えられてはいない。


「……そうなんだ」

「あいつが憎い?」


 そう問い掛けたのは、千絵美だった。

 千絵美自身は今回の事件の顛末を聞いて、彩乃に対しては激しい怒りを覚えている。代償写真の犠牲にされた石清水いわしみず、雫を救うために自らを代償とした涼。彩乃の自己中心的な行動によって二人の人間が犠牲となってしまった。にも関わらず彩乃は自ら殻の中へと逃避したのだ。そんな彩乃を千絵美は強く軽蔑していた。


「正直言って、まだよく分からないんだ。当時の事はまるで覚えていなくて……憎いとか恨んでるとか、そういう感情がなかなか湧いてこないの」


 雫には失踪していた間の記憶が無いという。無限の闇の中を彷徨さまようような、気味の悪い感覚だけが残っていると雫自身は語っている。呪いという超常的な力が働いたのだ。記憶が抜け落ちるという現象が起こっても不思議ではないだろう。

 雫からしたら、眠りから覚めたら自らを取り巻く状況が激変していた形だ。理解が追いつかないのも仕方ない。


「石清水さんの件はどうなったの?」


 その質問には、この中で最も都市伝説や超常現象に精通している栞奈が答えた。


「警察は今でも事件と事故の両面で捜査を進めているけど、このまま迷宮入りしてしまうと思う。警察は呪いの存在なんて信じないでしょうし、仮に呪いが存在する前提で動いたとしても、呪いにより発生した死を罰することは難しいから」

「石清水さん……可哀想に、だって私の……」

「それは雫ちゃんのせいじゃない。悪いのは暴走した草壁だよ。だから、自分を責めちゃ駄目だよ」


 雫の手をしっかりと握り、千絵美はそう訴えかけた。雫の性格を考えたら石清水のことで気に病まないはずがない。だからこそ、はっきりとした言葉で雫に責任は無いと断言してあげなればいけない。


「クラスの皆も待ってるよ。雫ちゃんが一日も早く学校に戻ってくることを」


 雫が無事だったということを知った際、クラスメイトの誰もがそれを喜んだ。マイペースで普段は掴みどころのない志保子しほこも本気で泣いていた。それだけ雫の存在は大きいのだ。


「……ありがとう千絵美ちゃん。少し元気が出たよ」


 そう言って雫は微笑んだ。無理をしている様子はない自然な笑みだ。


「千絵美ちゃん、私が学校に復帰したら、その時は一緒に登校しよう」

「えっ、良いの? だって私、遅刻の常習者ではみ出し者だよ」

「だからこそ、私がきちんと毎朝連れて行ってあげる」

「分かった。もうむやみやたらと授業はサボらない」

「うん」

「雫ちゃん……こんな時に何だけどさ。私と、友達になって」


 勇気を振り絞り千絵美は告げた。今までは気恥ずかしさからなかなか言い出すことが出来なかったけど、今回の事件を経て、言葉を伝えることの大切さを千絵美は感じていた。


「何言ってるの、私達もう立派な友達だよ」

「雫ちゃん」


 雫が笑顔で千絵美に握手を求め、千絵美はその手を快く取った。


「失う友情もあれば、新たに生まれる友情もあるんだな」

「うん、世の中捨てたものじゃないね」


 麟太郎と栞奈は雫と千絵美の間に生まれた友情を、どこかほっこりとした気持ちで眺めていた。


「……栞奈、ちょっといいか」

「うん」


 雫と千絵美の和やかなムードに配慮し、麟太郎は栞奈を伴って病室の外へと出た。聞かれたら困るというわけではないが、入院中の雫の前で話すような内容でもない。


「草壁彩乃が暗黒写真と代償写真の詳細を知った経緯について、何か分かったか?」

「残念だけど、私の方では何も」


 一連の事件において解明されていない謎が一つある。それは草壁彩乃がどうして呪いの正規の手順を知っていたのかということだ。

 彩乃自身には都市伝説や呪い、地域の伝承などに詳しい素振りが無いにも関わらず、暗黒写真と代償写真の正しい手順を心得ていた。本人に事情を聞こうにも現在の彼女はまともに人と会話することは叶わず、完全に手詰まりとなっていた。


「スッキリしないな」




織部おりべ

遠野とおのか?」


 陽炎市の商店街に居を構える個人経営の書店。そこで時代小説を吟味していた茜沢あかねざわ学園の教員――織部の姿を確認し、遠野が静かに声をかける。二人は大学時代からの友人だが、卒業後は何かとタイミングが合わなかったため、顔を会わせるのは久しぶりのことだ。


「随分と久しぶりじゃないか。最近は飲みにも行けてなかったし」

「そうだな」


 友人との対面を喜ぶ織部とは対照的に、遠野の表情はどこか険しい。


「怖い顔だ、どうかしたのかい?」

「少し話したいことがあるんだ」

「それは構わないが」

「場所を変えよう」


 遠野は織部を伴って書店を後にした。


「この辺でいいだろう」


 商店街近くの路地裏で遠野が口を開いた。通行人の少ないこの場所は密談に適している。


「話というのは?」

「単刀直入に言う。草壁彩乃に入れ知恵したのはお前だな、織部」

「唐突に何を言い出すんだい」


 織部は平然とした様子で笑みさえ浮かべていた。まるで状況そのものを楽しんでいるかのようだ。


「草壁彩乃の関係者で、呪いの知識を持っている可能性があるのはお前しかいない。大学時代に俺や犬養いぬかいと一緒に各地の伝承や都市伝説について調べていたお前なら、当然暗黒写真の元となった伝承も心得ているし、犬養のノートから代償写真について知ることも可能だったはずだ」


 友人を黒幕と断定することに迷いは無かった。呼び出された時点で何を言われるのか、織部の方も察していたはずだ。


「認めるよ。草壁君に知識を授けたのはこの僕だ」


 否定も弁解も、僅かばかりの躊躇いすらなく、織部は嬉々として言ってのけた。まるでサプライズに成功したことを喜ぶ仕掛け人のように。


「あっさりと認めるんだな」

「否定してほしかったのかい?」

「友人としてはな、だけどお前らしいとも思うよ」


 最大限の皮肉を込めたつもりだった。見知った相手だから堪えているが、今にも殴り掛かってしまいそうな心境だ。


「お前の罪は重いぞ。一人が死に、俺の生徒は呪いの代償で存在が消失。呪いを実行した草壁自身も精神を病んだ」

「罪、罪とは何だい? 僕は確かに草壁君に呪いについて教えた。だがそれを行うことを彼女に強要したわけではない。悩みを抱えている様子だった彼女に噂話を囁いた、それだけだのことだよ」

「俺らと一緒に各地の伝承を調べていたお前が、呪いや都市伝説の恐ろしさを知らないわけがないだろう。不幸な結末が待っていることくらい、想像がついていたはずだ」

「……」


 織部は無言だったが笑顔は健在だ。動揺しているのかどうか、一見しただけでは判断がつかない。


「織部、お前は一体、何がしたかったんだ?」

「実験だよ」

「実験だと?」

「各地に伝わっていた伝承を現代に流布した結果、果たして何が起こるのか。試してみたくなったのさ。教職に進んだとはいえ、僕は今でも大学時代の研究を続けているつもりだよ」


 織部の言葉は段々と熱を帯びてきて、口調も演説めいたものへと変わってくる。それは自らの考え方に対する自信の表れにも思えた。


「だから自分の教え子に呪いに纏わる伝承を吹き込み、実践させたってのか?」

「その通りだ。伝承とは伝わるもの、呪いとは実践するもの。それこそが本来有るべき姿だからね」

「いかれてるぜ、お前」

「自覚はしてるよ」


 その言葉を受けて遠野は握った拳を苦々しく解く。いかれていることを自覚しているような人間に、暴力が意味を成すとはとても思えなかった。


「……自ら率先して呪いを広めるような人間の顛末なんて、きっとろくなものにならないぞ」


 友人に対して吐き捨てるようにそう言い残すと、遠野は振り返らずにその場を後にした。




「ねえ。涼ちゃんは何処に行ってしまったんだろうね」


 病室のベットから窓の外の景色を見つめつつ、雫はそんな素朴な疑問を口にする。その言葉に悲しみや怒りといった感情は感じられず、純粋な好奇心を口にしているようだった。


 栞奈と千絵美は雫のお使いで買い物に出ており、現在病室内にいるのは雫と麟太郎だけだ。


「……それは俺にも分からない。何処かに行ってしまったとしか言いようが無いんだ」


 常識外の出来事なので知識が無いことは仕方がないのだが、正しい答えを示せないことに麟太郎はもどかしさを感じる。


「何処かに行ってしまっただけなら、きっとまた会えるよね。私だって戻って来れたんだから」

「ああ、きっと会えるさ。涼の奴が何処にいようと、それが常識外れの世界だとしても、俺が絶対に見つけ出す」


 涼には言いたいことが山ほどある。心配をかけさせた罰に一発殴ってやらないと気が済まない。

 そして何よりも、雫としっかり向かい合い想いを伝えるためにも、涼とはもう一度じっくり話をしたいという気持ちがある。


「退院したら私も一緒に涼ちゃんを捜す。直接涼ちゃんに私を救ってくれたお礼と、心配かけさせたことに対する文句の一つも言わないと納得いかないもの」


 麟太郎の方を向いた雫の目には強い決意が現れていた。悲しむのを止め、彼女は前へ進むことを決意したのだ。


「話は聞かせて貰ったよ。こういう時こそ、都市伝説や超常現象に詳しい私の出番でしょ」

「その話、私達も混ぜて貰おうかな。涼君がいないのは私も嫌だもの」


 麟太郎が振り返ると、買い物袋を下げた栞奈と千絵美が病室の入り口に立っていた。何時から聞いていたかは分からないが、冗談めかした言い方に反し彼女たちの目は真剣そのものだ。


「お前ら」


 涼の人気ぶりに思わず麟太郎は思わず苦笑する。

 是が非でも涼を見つけ出さないといけないなと、改めて強く心に誓った。


「待ってろよ涼。何処にいようと、お前のことを絶対に捕まえてやるからな」


 ここには居ない涼に届くような気がして、麟太郎は窓の外へ向かってそう叫んだ。




 どこかの町のどこかの高校。

 夕暮れ時の図書室の一角で、セーラー服姿の二人の少女が雑談を交わしていた。


「ねえねえ、陽炎市に住む高校生の男の子が失踪した話しって知ってる?」


 ヘアピンで前髪を分けたロングヘアーの少女が、隣で小説を広げているショートヘアーの少女にそんな話題を振った。


「何それ?」


 対して興味無さげに耳だけを傾け、ショートヘアーの少女は小説から視線を離さない。


「何でもね、都市伝説の呪いに関わったがために、この世界からいなくなっちゃんだって」


 都市伝説や怪談の類が好きなヘアピンの少女は、興奮気味に語り始めた。


「嘘くさいな」

「嘘じゃないって、私の従姉の友達の兄弟の同級生が――」

「その時点で信憑性ゼロじゃん」


 典型的な出所の分からない導入に、ショートヘアーの少女は思わず苦笑する。


「まあまあ細かい話は置いておいて。その男子生徒はね、代償写真っていう儀式のせいで消えてしまったらしいの」

「何? 代償写真って」


 聞きなれないワードに、ショートヘアーの少女は少しだけ興味を示した。てっきり使い古されたありがちな都市伝説を語られるのだと思っていたが、新鮮な話題であれば少しは面白そうだ。


「それは私も知らない。ただ、それを実行したから消えちゃったって噂を聞いただけだから」

「……ますます胡散臭いな。詳しい内容が分からないんだったら、オチもつかないじゃんか」


 期待はずれだと言わんばかりにショートヘアーの少女は再び小説の世界へと意識を向けようとするが、ヘアピンの少女は妙に自信ありげに話を続ける。


「でもね、その男性生徒の名前も噂でちゃんと明かされてるんだよ」

「何て名前なの?」

「えっと確か、コウ、いやヨウ?」

「あやふやじゃんか」

「待ってね、今思い出す。えーと、ジョウじゃないや、り、り、り、そうだリュウだった気がする」


『残念だが、正解は涼だ』


 不意に聞こえる若い男性の苦笑交じりに言うような声。


「そうだ、涼だった」

「……ねえ、今誰かの声がしなかった?」

「そういえば男の人の声で、正解は涼だって言ったような……」


 ハッとした様子でヘアピンの少女が辺りを見渡す。声の聞こえる範囲にそれらしい人物の姿は見受けられない。そもそもここは女子高、図書室内に男性は存在しないはずだ。


 この学校にはいわゆる七不思議が存在し、その一つに「図書室の稀人まれびと」と呼ばれる噂がある。

 この図書室には時折時空の歪みが発生し、不可思議な存在の姿が視えたり声が聞こえたりすることがあるとされている。埃を被った年季の入った噂であり、校内で知っている者は少数派。一年生ということもあり、怪談好きのヘアピンの少女も七不思議についての知識はまだ持ち合わせていない。


「気のせいだよね?」

「気のせいだって、怖い話をすると何だか敏感になっちゃうしね」


 二人の見解は気のせいと言うことで一致。

 不思議な声は、もう聞こえてはこなかった。




 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

オルタナティブ 暗黒写真の双子 湖城マコト @makoto3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ