第三話

『管制塔、こちらブルーインパルス01。全機、離陸準備よし』

『こちら管制塔、ブルーインパルス01了解。上空オールクリア―。離陸どうぞ』

『了解、管制塔』


 羽原はばら二佐の指示で、四機が編隊を組んだまま離陸する。初めてこの離陸を見た時は、本当に感激したものだ。その機体に自分が乗っている。そして一年後には、自分がそのアクロに参加するための訓練を始めるのだと思うと、自然と体に力が入った。


 隊長の指示で、編隊を組みながら基地上空を旋回する四機を追うように、今度は五番機と六番機が離陸する。低空を維持しながら飛行して、一気に高度を上げるローアングルテイクオフ。五番機は、そのまま垂直に近い角度で高度を上げ、六番機は大きくバレルロールをした。


 第一区分の演技は二十六課目、時間にして三十分足らず。


 目まぐるしく変わるフォーメーションを、後ろの席で見つめながら左右を確認する。翼が触れるか触れないかギリギリの距離でありながら、機体が接触しないように、立体的に計算し尽くされたそれぞれの機体の位置。下から見るのと、こうやって実際にコックピットで見るのとでは大違いだ。


―― この飛行、悟志さとしさんも見てるのよね ――


 私が着隊する一年前から、ずっと見続けていたであろうブルー達の飛行。一番機の後ろに、私が乗っていることは聞かされているはず。今日は一体、どんな気持ちでこの飛行を見ているんだろう。


 すべての課目が終了し、六機のドルフィンが順番に地上と戻っていく。隊長である二佐は、自分以外の機体が着陸していくのを見届けてから、着陸態勢に入った。


―― 機体が滑走路に下りるまでが演技、という考えの隊長ってことか ――


 ライダー達の飛行の細部にまで目を配り、アクロの精度をさらなる高みへと導く。司令が隊長のことを、展示飛行には一切妥協しない人間だと言っていたけれど、それは誇張ではないらしい。


 着陸してエプロンへと戻ってくると、エンジンの灯が落とされコックピット内は静寂に包まれた。キャノピーが開きステップが設置される。機体から降りてからも、まだ心臓がドキドキしていた。こんなに興奮したのはいつ以来だろう。もしかしたら、初めてイーグルを飛ばした時?


 私が降りた後から二佐が降りてきた。


「ブルー初飛行おめでとう、曽根崎そねざき一尉。なにか言いたいことはあるか?」

「お見事ですとしか言いようがありません。何度かコックピット内の映像も見ましたが、実際に乗って飛ぶのとは大違いです」


 二佐は当然だとうなづく。


「アクロ中のGに関しても、それほどダメージを受けたようには見えなかったな。大したものだ」

「父から助言を受けておりましたので、それが役に立っています」


 私の言葉に興味を持ったようで、眉をピクリとあげた。


「ほお? どんな助言か、参考までに聞かせてもらえないか?」

「風を味方につけて飛ぶのは簡単だが、重力加速に関してはあきらめるしかない。自分の体を委ねてそのまま失神するか、あらがうために呼吸法を覚えるか、二つに一つしか道はないと」


 つまり戦闘機パイロットになりたければ、耐G呼吸法をなにがなんでも体得しろということだ。とたんに隊長が笑い出す。


「なんともわかりやすい助言だな」

「その助言のお蔭で、私は戦闘機のパイロットになれましたから」

「なるほど。要は小難しく考えずに体で覚えろというやつか。……おい、なんでそんな目で見る。別に他意があるわけじゃないぞ。また蒸し返すつもりか、お前達!」


 不穏な視線を感じたのか、二佐が顔をしかめながら振り返った。そこには、さっきまで一緒に飛んでいたライダー達がいた。


「いいえ、我々が用があるのは隊長でなく、曽根崎一尉のほうですよ」

「その通り。我々は一尉に言いたいことがあります。話したいのは隊長ではありません」

「わかった、好きにしろ」


 口々に隊長はお呼びでないという意味の言葉をぶつけられ、二佐は溜め息をつきながらその場で腕組みをする。その横に彼等がやってきた。まさかいまさら、なにか文句でも言い出すのだろうかと身がまえる。


 富永とみなが一尉が一歩前に出た。


「ではライダーを代表して、最年少の自分から申し上げます」


 咳ばらいをして、真面目な顔をしてみせる。


「ブルー初飛行おめでとうございます。本格的な訓練はまだ先のこととなりますが、以後よろしくお願いいたします。ようこそ曽根崎一尉、我らがブルーインパルスへ」


 一尉がそう言うと、二佐以外のその場に居合わせたドルフィンライダー達が、ニッカリと笑った。


「簡単な話さ。ラストフライトのイベントがあるのに、ファーストフライトのイベントが無いのはおかしいだろ? ……ああ、心配しなくても大丈夫、バケツシャワーはないから」


 戸惑った顔をした私に、小山田おやまだ三佐が説明する。


「まだ飛ぶことになるかどうか、わからないのにですか?」

「知っての通り、空自の戦闘機パイロットは慢性的な人材不足で、年次休暇もままならない状況だ。そんなカツカツの状態の中から、選抜されてここに来たんだ。立派なドルフィンライダーになってもらわないと困るよ。だからこれは、歓迎の言葉であると同時に激励の言葉でもある」

「ところで曽根崎。今日最終の訓練飛行、三番機か六番機に乗ってみる気はあるか?」


 さり気無い口調で、二佐が口をはさんできた。


「どちらかにですか?」

「当然だろ、体は一つしかないんだからな」


 瞬時に、試されていると理解した。配属されてきたパイロットに、どの機体を担わせるかは上が決めることではあったけど、最終的な決定権は隊長に一任されていると聞いたことがある。つまり、ここで選んだ機体の候補として、訓練が始まるということだ。


「どうする曽根崎。どうやら今日は、お前の歓迎飛行の日でもあるようだ。好きなほうを選ばせてやるぞ?」

「……」


 空自は訓練生の自主性を重んじるのが伝統だ。つまり、自らが手をのばさなければ、本当に望む夢はつかめない。妥当な三番機を選ぶか、三番機よりも技術的にハードな六番機を選ぶか、二佐はそれを私に選択しろと言っている。


「……では六番機に乗せていただきます」

「わかった」


 私が答えると、二佐が口元にかすかな笑みを浮かべるのがわかった。


「では松前まつまえ、次の訓練飛行ではよろしく頼む」

「了解しました。曽根崎一尉、よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします」


「あー、本格的に俺、振られたなあ……」


 富永一尉が無念そうな声をあげた。


「最終は、二番から四番の訓練はキャンセルだ。のんびりおやつでも食いながら、デュアルソロを見物していろ。お前の弟子が来るのはもう少し先だ」

「隊長、絶対に最初からわかってましたよね、デイジーさんが六番機を選ぶって」

「なんのことを言っているのか、わからんな」


 一尉が二佐に文句を言っているのを横目に、小山田三佐がやってきた。


「なんとなくそんな気がしていたよ。まだ先になるが、君とデュアルソロを飛ぶのを楽しみにしている」

「がんばります」

「そういうのは、俺の前で言わないでもらえますかね、ラガーさん。なんだか、お前さっさと卒業しろって言われてるみたいなんで」

「だが事実、曽根崎一尉が正規パイロットになったら卒業だろ」

「だから、気持ちの問題なんですよ、気持ちの! まったく腹が立つったら」


 松前一尉が口をへの字に曲げて、三佐に抗議しながら私を見る。


「別に曽根崎一尉に腹を立てているわけじゃないから」

「わかっています」


「トミーのせいですっかり蚊帳かやの外って感じだが、俺達のことも忘れないでくれよ?」


 梶谷かじたに一尉と、四番機の手嶋てしま三佐がやってきた。


「俺達も楽しみにしているからね」

「だから、それを俺の前で言うなって。まったく感じ悪いぞ、お前ら」

「そりゃそうだろ、むっさいオッサンより、綺麗な人と飛ぶほうがいいに決まってる」

「お前、管制の曽根崎三佐にしめられてこい。デイジー、気をつけろよ? この四番機のビターさんは、本当に油断ならないから。まあ、あと半年で卒業だから、心配ないと思うけどな!」

「おい、あとで覚えておけよ?」


 曽根崎ひなた一等空尉。私は今日、第11飛行隊、ブルーインパルスのライダーへと続く道に、第一歩を踏み出した。

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ひなた、ブルーの空への第一歩 鏡野ゆう @kagamino_you

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