3 読解編

「まずは『十六日』の暗号文からですね。この暗号文に使われている漢字をよく見てください」

 便箋をもう一度、机の上に広げる。犬塚さんは立ち上がり際、噛んでいたガムを飲み込んだ。

「また飲み込みましたね」

「しまった。またやったか。癖だな」

 机を挟む形でわたしに正対した犬塚さんは、机に両手をついて便箋を睨む。

「『藤』、『松』、『萩』、『菖』、『菊』、『芒』……。やっぱり植物が多いな。だとしたら『牡』は牡丹か?」

「菖蒲を一文字だけ抜いて『菖』と表現しているので、そうでしょうね」

「だが、やはり植物が多いくらいの感想しかないぞ」

「『藤に不如帰』『松に鶴』『萩に猪』『菖蒲に八橋』『菊に盃』『芒に月』」

「……花札?」

「その反応ということは、犬塚さんは花札知らないんですね」

「知っているのは猪鹿蝶くらいだな」

「鹿も暗号に出ています。どうやら『十六日』の暗号文に登場する漢字は、花札の二十点札および十点札を、二文字に分解したもののようです。『藤に不如帰』なら『藤』と『不』。『萩に猪』なら『萩』と『猪』」

 そして花札には普遍的な順序がある。『松』は一月、『梅』は二月というように。

「これなら二十四までの数字を表現できますね。『松』が一、『鶴』が二という順序でしょう。これをさらに一をA、二をBと当てはめれば……」

「ちょっと待て、アルファベットは二十六音ある。これだと記号どころか、アルファベットすべてを表現することすらできない」

「別にアルファベット全部が必要というわけではないですから」

 これもまたローマ字の利点である。平仮名なら五十音すべてを変換する必要があり、一字だって省略はできない。しかしローマ字には使用しない、あるいは使用頻度の極端に低いアルファベットが存在し、それらを省略しても問題は無い。

「ここから先は総当たりで確認するしかないですね。とはいえ、使用されるアルファベットと記号の総数が二十四と判明しましたから、そう難しくはないでしょう」

 ローマ字で不要なアルファベットは上から順にC、F、J、L、Q、V、X。Cは『ちゃ(cha)』『ち(chi)』『ちゅ(chu)』『ちょ(cho)』で使用するが、『ちゃ(tya)』『ち(ti)』『ちゅ(tyu)』『ちょ(tyo)』と代用可能である。Jも同様にZで代用可能なので省略。L、Q、Xはそもそも使わない。Fは『ふぁ(fa)』『ふぃ(fi)』『ふぇ(fe)』『ふぉ(fo)』があるものの、全部ハ行音で代用できる。どうしても必要なら『ふあ(hua)』のように表現しても意味は通る。Vもバ行音で表現できるので、わざわざ用意する必要はない。厳密な発音は求められていないのだから。

「使用するアルファベットは十九種まで絞れます。そこに長音符号、読点句点、エクスクラメーションマークとクエスチョンマークの五種を加えて計二十四種です」

「ハテナとビックリは必要なのか?」

「手紙ですから、必要かなと……。実は変換したところ、句点を示す漢字で終わるべきところに別の漢字があったので、文を結ぶ記号が複数あるのだろうと」

「もう訳したのか?」

「何回か試してみて、対応表は完成しました」

 メモパッドから一枚切り取って、表を書く。この暗号を解読するのに必要な表はこの通りである。


 松=A 鶴=B 梅=D 鶯=E 桜=G 幕=H

 藤=I 不=K 菖=M 八=N 牡=O 蝶=P

 萩=R 猪=S 芒=T 月=U 菊=W 盃=Y

 紅=Z

鹿=長音符号 柳=読点 小=句点 桐=? 鳳=!


そして『十六日』の暗号文とこれを照らし合わせれば……。


『藤』不松萩松『月』幕鶯小

牡藤猪藤藤萩松鹿菖鶯八盃松菊牡菖藤芒月不鶯芒松八梅鶯猪月小 

藤菖松不松萩松藤猪猪盃牡八藤藤不藤菖松猪鶯八不松桐


『I』kara『U』he.

Oisiira-menyawomituketandesu.

Imakaraissyoniikimasenka?


『I』から『U』へ。

おいしいラーメン屋を見つけたんです。

今から一緒に行きませんか?


 二文字だけ二重鍵括弧で括られていたのは、宛名のイニシャルだったからだろう。二度目の試行で『小』が句点と対応しているのは気づいたが、ラスト一文の『桐』が難問だった。これがなければ、わたしはクエスチョンマークを表から省いていた。

「この対応表は残り二つの暗号を解く上でも、重要なファクターとなります。つまりこの暗号は、普遍的な二十四の順序を持つモチーフを利用しさえすれば漢字はなんでもよかったんですよ。あらかじめどんなモチーフを利用するかを互いに示し合わせる必要もないでしょう。根本のメカニズムさえ理解していれば」

 応用すれば、すぐの『二十三日』の暗号も解ける。

「『二十三日』の暗号文には『子』、『丑』、『巳』と、干支を連想させる漢字が多く登場します。干支は十二。もう一工夫すれば二十四に数が届くというわけです」

「だけど、干支にどう一工夫する? まさか甲子とかやるんじゃないだろう?」

「甲の字が登場しない時点でそれは違いますね。要は二倍にすれば届くんですから、干支ひとつにつき、もうひとつずつ何かを連想させれば……」

 そこで思いつく。

「十二神将とかどうでしょう」

「十二神将?」

「薬師如来とそれを信仰する人を守護する十二の武将ですね。確かそれぞれ、十二支と対応していたはずですが……」

 本棚から事典を取り出して調べると、対応関係は次の通りだった。

 

 子=毘羯羅   丑=招杜羅

寅=真達羅   卯=摩虎羅

辰=波夷羅   巳=因達羅

午=珊底羅   未=頞你羅

申=安底羅   酉=迷企羅

戌=伐折羅   亥=宮毘羅


 この手の対応関係は諸説付きまとうものだが、もしこの通りでないなら別のパターンを試すまでなので気にしない。結果、試行してみてこのパターンで問題なかった。

 つまり対応表と暗号の解読は……。


子=A 毘=B 丑=D 招=E 寅=G 真=H 

卯=I 摩=K 辰=M 波=N 巳=O 因=P 

午=R 珊=S 未=T 頞=U 申=W 安=Y

 酉=Z

迷=長音符号 戌=読点 伐=句点 亥=? 宮=!

 

『卯』摩子午子『頞』真招伐

珊招摩摩子摩頞波巳丑巳午子卯毘頞丑子未未子波巳波卯戌

未巳未安頞頞丑招酉卯摩招波寅招波毘子波卯摩安頞頞摩巳頞珊頞午頞安巳頞波子摩巳未巳波卯波子未未招珊頞辰卯辰子珊招波伐

摩巳波巳頞辰招子申子珊招真子摩子波子午子酉頞珊卯辰子珊頞伐


『I』kara『U』he.

Sekkakunodoraibudattanoni,

Totyuudezikengenbanikyuukousuruyounakotoninattesumimasen.

Konoumeawasehakanarazusimasu.


『I』から『U』へ。

せっかくのドライブだったのに、

途中で事件現場に急行するようなことになってすみません。

この埋め合わせは必ずします。


「そして最後。『三十日』の暗号はもう分かりますよね?」

「黄道十二宮、だろ?」

 白羊宮から始まり双魚宮で終わる、いわゆる十二星座のことである。

「さすがの俺も、『二十三日』の暗号が干支だったから、『三十日』の方も連想して分かったよ。暗号に出てくる漢字が『金』や『牛』、『処』や『女』だからそれぞれ『金牛宮』を『金』と『牛』に、『処女宮』を『処』と『女』というふうに分解して二十四種の漢字を規定したとも考えた。だが、十二宮には同じ漢字を使うものがあるだろう。『双児宮』と『双魚宮』、『天秤宮』と『天蝎宮』って……」

「わたしもそこが気になったんですけど、すぐに解決しました。暗号に登場している漢字を見たところ、『天蝎宮』は『天』の字を削除して『蠍』の字を使っていますね。『天蝎宮』は要するにさそり座のことですから可能な変換でしょう。これなら『天秤宮』とは被らない」

 『蠍』と『蝎』の順序をどうするかで悩むけど、それは実際に配置してみて試せばいい。

「『双児宮』と『双魚宮』はどうするんだ?」

「蛇遣い座を利用します」

 暗号の最後に、『遣』という漢字が登場している。十二宮にこの字を使うものはないので、『双児宮』と『双魚宮』は両者の『双』の字を削除し、不足した二字を蛇遣い座の『蛇』と『遣』で補足しているものと思われる。

「これで二十四の漢字を用意できたので、順番に従って後は表を……」

 作るだけです。そう言おうとして、頭の端を何かがよぎる。それは羽虫が視界を一瞬遮ったような感覚だったものの、何かを閃きかけて、言葉を区切ってしまう。

 思い出してみれば、この文章、犬塚さんが作ったもののはず。暗号自体の解き方を知らないせいでうっかり蚊帳の外だったけど、彼も製作者の一人である。

 卓上のデジタル時計を見る。『8/30 SUN 10:32』。

 三つの暗号文。記されていた日付は『八月十六日』『八月二十三日』『八月三十日』。

 『十六日』の暗号文。『I』から『U』へ。おいしいラーメン屋を見つけたんです。今から一緒に行きませんか?

 おかしい。これは手紙のはず。いや、あくまで犬塚さんの同僚が作った暗号ゲームだけど、一応背景はそれで合っているはず。なら『今から』という表現は不自然だ。電子メールではないのだからタイムラグが相当発生しているはずで、『今から』という表現は使えない。

 手紙ではない? まあ、あくまでゲームだから背景に多少の矛盾があったとしても問題はない。暗号さえ解けているのなら。

 今朝、鳥栖さんと交わした会話を思い出す。今日が三十日なら二週間前は十六日。二週間前のこの日、わたしは……。

 『二十三日』の暗号文。『I』から『U』へ。せっかくのドライブだったのに、途中で事件現場に急行するようなことになってすみません。この埋め合わせは必ずします。

 ドライブに、事件現場……。最初の暗号文だけなら偶然と切り捨てることもできた推測が、ここで一蹴できなくなっている。二週間前に一緒にラーメン屋に行って、一週間前にドライブの途中で事件現場に急行する『I』と『U』。こんな奇特な人間が地球上にもう一組いるなら、今すぐ連れてきてほしい。

 これが手紙ではないのなら、過去の発言? いくら犬塚さんと交わした会話であっても、さすがに二週間前や一週間前の言葉を一言一句詳細には覚えていない。だから確認の取りようはない。

 数独の答えは覚えていたくせに。

 しかし、もし、これが、『I』から『U』への発言だとするなら。犬塚伊助から睦月雨水への発言だとするなら。

 『三十日』の暗号文。過去ではなく、現在の日付を示す暗号文。対応表と解読結果は……。


白=A 羊=B 金=D 牛=E 児=G 巨=H 蟹=I 獅=K

子=M 処=N 女=O 天=P 秤=R 蝎=S 蠍=T 人=U

馬=W 魔=Y 羯=Z

宝=長音符号 瓶=読点 魚=句点 蛇=? 遣=!


『蟹』獅白秤白『人』巨牛魚

白処白蠍白児白蝎人獅蟹金牛蝎人魚

獅牛獅獅女処蝎蟹蠍牛獅人金白蝎白蟹遣


『I』kara『U』he.

 Anatagasukidesu.

 Kekkonsitekudasai!


 『I』から『U』へ。

 あなたが好きです。

 結婚してください!


「犬塚さん」

「雨水」

 機先を制すように、わたしの発言に彼の台詞が重なる。

 それ以上、何も喋れなくなる。最後の一口を吸って、煙管の灰を灰皿へ落とす。

 いつの間に晴れたのか、雨粒が窓ガラスを叩く音も聞こえない。紫煙も雨音も、わたしの思考に介在しない。

 もう一度、三つの暗号文を見る。

 犬塚さんは、わざわざ同僚に頼んでまでこれを用意したのだ。今更のようにそれを思い出す。「結婚してください」。暗号文に落とし込むまでもなく、その気になれば、今日会ったときすぐに言えたはず。一週間前、夜景を見に行くというそれらしいイベントもあった。それを蹴って、この一言のために暗号を拵えたのはどうしてか。

 タヌキのイラストが添えられた、小学生に解かせるような暗号を持ってきた頃からほとんど進歩していない。三年も経っているのに、今回だって、わたしの横で相槌を打つだけ。

 釣り合わないと思っていたのは、犬塚さんも同じだったのかもしれない。そうだ。わたしが今朝鳥栖さんに言ったんじゃないか。「誰だって悩みますよ」って。

 なら、答えはひとつしかない。

 顔を上げると、彼と目線が合う。

「わたしの答えは……」

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暗号専門探偵・解読屋睦月 紅藍 @akaai5555

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