地産地消!ラブレター!

なかいでけい

明日の私は昨日の私を秒で裏切る

 生まれてこのかたラブレターというものを貰ったことのなかった私は、どうしてもラブレターを貰ったときに感じるらしいドキドキや、甘酸っぱい気持ちというのを味わってみたかったので、自分自身へラブレターを送ってみることにした。


 まずラブレターが私の手元にやってくるからには、私に好意を寄せている人物がいるということである。

 そういう人物を想定しなければならない。

 ただ、、というのはあまりにも都合がよすぎるうえに荒唐無稽なので、多少現実味を帯びた人物像をもってこなければならない。


 どの程度であれば妥当であろうか。

 こんな薄暗いぼろアパートの一室で、自分自身へラブレターを書いているような変質者を好きになるような人物。

 むむむ。


 しばらく考えてみたものの、まったく思い浮かばなかったので、私はとりあえずラブレターの送り主を【少女X】ということにして、彼女の容姿や性格などの具体的な部分はあとあと足していけば良いだろうと、さっそく妥協することにした。


 ――さて、この【少女X】なる人物は、私のどこが気に入ってラブレターを書いたのであろうか。


 私はここ数日の自分の行動のなかに、好意を寄せられそうなポイントが無いか思い返してみた。

 はっきり思い出せるのはおとといまでである。


 ◆おととい 

  起床

  朝食(納豆)。ネットサーフィン。

  昼食(素うどん)。ネットサーフィン。昼寝。ネットサーフィン。

  夕食(カレー)。ネットサーフィン。

  就寝


 ◆きのう

  起床

  朝食(カレー)。ネットサーフィン。

  昼食(カレーかけうどん)。ネットサーフィン。昼寝。ネットサーフィン。

  夕食(カレー)。ネットサーフィン。

  就寝


 そして今朝もカレーを食べた。

 どうりで自分の体がカレーくさいわけである。


 いや、そんなことはどうでもいいんだ。大切なのは『私は外に出ていない』という事実である。

 そういえば私はここ二、三日どころではなく、ふた月ほど外に出ていない。

 最近はパソコンでとやれば食品も買えてしまうので、私の人生には久しく「外」という概念が欠けていたのだった。

 しかしこれは困ったことになった。姿を見ていない人間のことをどうして好きになれるというのか。


 ――否。


 否である。

 別に私が外に出ていなくとも【少女X】が私の姿を見るチャンスは、幾らでもあるではないか。


 私はカーテンのわずかな隙間を見ながら思った。

 通りがかったときに、偶然この隙間に気づき、ここからのぞきこんで、私に一目ぼれしたのだ。

 それからというもの【少女X】は私の家の前を通るたびに、カーテンの隙間から私の様子を窺っていたのだ。


 うむ、完璧ではないか。

 しかし、ただ私の姿を見ただけで私を好きになってしまったというだけでは、どうにも人間だから血を吸おう的な、蚊と同じ判断基準のような気がするので、もう少し私を好きになった理由というのを掘り下げていきたい。


 【少女X】はカーテンの隙間から、いかなる私を見たのか。

 そこがポイントとなってくる。


 ここで再び、私はここ数日の自分の行動を思い出した。

 私の一日の行動の大半を占めるのはネットサーフィンである。

 おそらく【少女X】が見たのも、ネットサーフィンをする私の横顔であろう。

 まず間違いない。

 広大な混沌カオス海原シーから有用なところだけを掬いとっている時の私は、おそらくかなり真剣な顔をしているはずである。

 そしてカーテンの隙間から覗いた【少女X】の感性が、そこにっときたのだ。

 つまりこういう感じだ。


――――


 あたしは【少女X】!


 そしてここはいつも通る道! 


 アッ! あそこに見えるのはいつも通り過ぎているアパート! 


 あれ? いつも閉まっていると思っていた端っこの部屋のカーテン、良く見るとちょっと開いている! 


 ううん、気になるなあ! 覗いてみよう!


 ちらり。


 わあ! なんだか大柄な人が、自分が大汗をかいているのも忘れて、何かに没頭している! 


 なんて必死な顔だろう!


 それからというもの、あたしは毎日のようにカーテンの隙間から部屋の中をのぞき見るようになってしまった!

 

 あの人はいつだって、真剣な顔をして、何か――あれはパソコンかしら――と睨めっこしている。


 あたし惚れちゃった!


――――


 よし。

 よしこれでいこう。

 私はじとっと湿った親指と中指を合わせたのち、弾いた。ばすん、と湿度の高い音が部屋に響く。

 さっそくA4用紙に罫線だけを印刷し便せんを作り、鉛筆を手にとった。


『突然手紙をお送りするご無礼をお許しください』


 私の頭に浮かんだ最初の一行は、いきなりさきほどの【少女X】のキャラクターにそぐわないものだったので、紙を丸めて後ろに放り投げた。


 次。


『こんにちは! あたしは』


 あたしは?

 あたしはなんだ?

 あたしは誰だ?

 あたしは【少女X】です?

 いやいや、それはないだろう。

 あたしは私自身だ?

 もっとないだろ。一行目にしてしらけてしまう。

 ああ、別にここであたしは誰それだ、と続ける必要はないのか。


『こんにちは! あたしはあなたが好きです!』


 そうそう。

 そうそう、そうだ、これだ。


 以前に就職しようと思って読んだビジネスマナーの本にも書いてあったじゃないか、結論を先に書け、と。

 これならば、読む私も、ほうほう、私の事が好きなのか、と文章に引き込まれることうけあいである。

 すばらしい。

 完璧な出だしだ。


『あたしはいつも、あなたの家のカーテンの隙間から、あなたの事を見ていました』


 ふむ、それは事実に間違いないし、「少女X」が私自身の事を知った理由がなければ、読んだ私も不審がるだろうからいいのだが――


 しかしこのままだと【少女X】の実態が、覗きが趣味の変態になってしまうので、次の文章でこの印象を変えなければならない。


『覗きという行為が卑劣だという事は良く分かっています。

 あたし自身、過去に変質者に部屋を覗かれ、着替えているところの写真を学校にばら撒かれて、

 とても辛い思いをしました。いまでもそれはトラウマとなっています』


 よし、話がそれた。

 悪い印象へ向かいそうだった私の思考も、これで【少女X】への同情へ方向転換するだろう。


『そういうわけで、あたしと付き合ってください!』


 ああ!

 自分で書いていてドキドキしてしまった。良い傾向だ。


『もし付きあってもらえるのなら――』


 そこで私の筆は止まった。

 ただ「お返事まっています」で終わらすこともできる。

 これを貰った私は、この手紙に書かれるであろう住所へ「いいともお姫様」的な手紙を返せばいいのだから、簡単だ。

 だが何かが違う、と私はためらっていた。

 そう、【少女X】はいつだって部屋の中にいる私の姿ばかりみているのだ。

 彼女が想像を働かせ、私が外に出られない特殊な境遇であると考え、気を利かせるということもあるのではないか。


 つまり――


『もし付きあってもらえるのなら、カーテンの外側に「○」と書かれた紙を貼り付けておいてください』


 なんて気が利くんだ!

 すばらしい!

 しかしこのままだと、絶対に「○」が貰えるという奢りが鼻につくので、それを打ち消す必要がある。


『駄目なら「×」と書かれた紙を張り付けてください』


 よし、これでよかろう。

 私は手紙を読み返した。

 ――何かが足りない。

 

 そう、

 この手紙から分かるのは、【少女X】がトラウマを持っているというだけだ。

 それ以外の私へ対しての売り込み文句が無い。

 何せ私は【少女X】の事を全くしらないのだ。

 彼女はこの手紙の中で、自分自身のことを私に伝える必要がある。

 私は後回しにしていた、少女のキャラクター付けを行うことにした。


 まず【少女X】というくらいなのだから、18才以下でなければならない。

 毎日私の家の裏を通るということは、それはこの裏を通学路にしているということだろう。

 通学路。

 ああ、そうか。彼女は学校へ通っているのだ。

 18才以下、ということは高校生だろうか。

 【少女Ⅹ】なのだから、女子高校生ということになる。


 こうして【少女X】は【高校生】という要素を手に入れた。次。


 【少女X】は通学途中に、ふとカーテンの隙間が気になるのだ。

 この5センチほどのわずかな隙間をみつける、観察力を持っていなければならない。

 観察力から連想されるのは眼鏡だ。

 そう、【少女X】は眼鏡をかけているのだ。

 これは眼鏡娘が大好きな私にとって、たいへん喜ばしいことだった。


 【少女X】は【眼鏡】という要素を手に入れた。


 つづいて私は、カーテンの隙間から部屋を覗き込んでいる【少女X】の姿を思い浮かべた。

 この地面から少し高いところにある窓から、中を覗き込む少女。

 彼女は窓の淵に手をかけ、つま先立ちをしている。

 ふむ、窓が高いところにあるとはいっても、つま先立ちをしなければ覗きこめないということは、

 彼女の身長は130センチほどということになる。

 かなり小柄だ。

 そして覗きこんだ彼女は邪魔な前髪を片手で押えるのだ。

 なるほど、多少髪が長いということだ。

 しかしそれでも、窓と自分の間に邪魔なものがあって、なかなか上手く覗く事ができない。なぜなら――

 【少女X】は胸が大きいからだ。


 【少女X】はさらに【背が低い】および【髪が長い】および【巨乳】という要素を手に入れた。


 【少女X】の姿が、かなり具体的なものになってきた。

 しかし、見えてきたのはほとんど外見的要素ばかりである。


『私は眼鏡をかけているのですが、髪の毛が眼鏡の内側へはいって来ていつも苦労しています。それに背が小さいのに胸が大きいのは変だといって、友達にからかわれます』


 むむむ。

 何かがおかしい。

 そう、外見を手紙に書くということは、いくら文章中でそれが気に入らない風を装っていても、結局内心では外見に自身があるということなのだ。


 それでは【少女X】の性格が歪んだものになってしまう。


 【少女X】はそんな事は書かないのだ。


 つまり【少女X】はこれだけの加点要素を持っていながら、全くそれを気にかけていないのだ。


 【少女X】は、自分の良いところに気づいていない、自分にはいいところなど全くないと思っているような娘なのだ。

 だから書くべきは――


『取り柄なんて全然もっていない、ダメなあたしですが、付き合ってもらえませんか』


 だ!

 この一文だけで、胸が締め付けられるようである。


『こんにちは! あたしはあなたが好きです!

 あたしはいつも、あなたの家のカーテンの隙間から、あなたの事を見ていました。

 覗きという行為が卑劣だという事は良く分かっています。

 あたし自身、過去に変質者に部屋を覗かれ、着替えているところの写真を学校にばら撒かれて、とても辛い思いをしました。

 いまでもそれはトラウマとなっています。

 取り柄なんて全然もっていない、ダメなあたしですが、付き合ってもらえませんか?

 もし付きあってもらえるのなら、カーテンの外側に「○」と書かれた紙を貼り付けておいてください。

 駄目なら「×」と書かれた紙を張り付けてください』


 私は凄まじい充足感とともに、それを3つ折りにして封筒へ入れた。


 封筒に私の住所と名前を書こうと思ったが、よくよく考えてみれば、私の家を知っている【少女X】はわざわざポストに手紙を投かんする必要などなく、私の家の新聞受けへ直接入れに来ればいいのだ。


 こうしてここに、ラブレターが完成した。


 あとはこれを私の家の新聞受けに入れるだけである。


 私は万年床から腰をあげると、新聞受けの蓋をあけて、そこに手紙を置いた。


 さっそく私は、、という事実に小躍りしそうになったが、無理やりその早く開けて読みたい、という気持ちを押さえこんだ。


 1日ですべて終えてしまってはもったいない。

 手紙を取り出し、読むのは明日にしようじゃないか。

 その日私は、ドキドキしてなかなか眠る事ができなかった。

 こうして心拍数が無暗に上がっているだけで、苦労して書いた甲斐があったというものである。


 などと考えているうちに、私は眠っていた。


――――――――――――――――――


 翌朝目がさめた私は、二日酔いに痛む頭を抱えながら、なんだか昨日ひどくつまらない事をしたような気分になって、とても落ち込んでいた。

 

 いや実際、私は昨日ひどくつまらない、馬鹿げたことをしたのだ。

 私は新聞受けの方をみながら、心臓がずっしり重くなるのを感じた。

 昨日はどうしてあんな事をしてしまったのだろう、という後悔しかなかった。

 私は恐る恐る、新聞受けをあけると、自分の手汗でバリバリになった茶封筒を出した。


 当初の目的はなんであったか。


 ラブレターを貰ったときの、ドキドキ感や甘酸っぱい気持ちを味わってみたい。


 そう、そうだ。

 たしかに昨日の私は気持ち悪かった。

 不気味だった。

 冷静になれば完全に自分が混乱の境地に立っていた事はたしかだった。

 それでも――

 それでもまだ、希望があるかもしれない。

 昨日の私が、奇跡を起こしてくれるかもしれない。

 私は便せんを取り出した。


 便せんも手汗でバリバリになり、鉛筆の文字も汗で滲んでいた。

 そして書かれた私への好意を伝える字は、間違いなく、当然のごとく、わざわざこんな前置きをする必要もなく、私の字だった。


 1日経った自分の吐しゃ物を口の中へ突っ込まれているような気分になった。


 頭の中では、昨日私が私へ向けて書いたラブレターの本文が、ぐるぐると般若心経のように無感情に繰り返えされていた。


 私は泣いた。

 私は自分自身を呪った。

 昨日勢いでラブレターを書いた自分を呪い、

 そして今朝になってから突然冷静になってしまった自分を呪った。


『こんにちは! あたしはあなたが好きです!』

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