すべての発端はほうれん草のキッシュに有った

納戸丁字

すべての発端はほうれん草のキッシュに有った

 その日の昼食、キッシュの三口目を頬張ったのと、対面の席につく恋人がその話題を切り出して来たのはほぼ同時のことであった。

 曰く、一緒に故郷へ赴いてとある行事に参加してくれないか、と。


 友人づきあいを始めたきっかけは同じ留学生としての連帯感から。それ以上の関係へ踏み込んでいったのは、やはりウマが合ったからなのだろうと思う。そういった関係になって数年が経ち、今夏には私の実家に滞在したりもして、多分このまま一緒になるのではないか……少なくともそのようなムードは漂っていた、ように思う。なのでこれはじゅうぶんに予期していた事ではあった。率直な感慨を言葉にするならば「とうとう来たか」といったものになる。


 かの人の故郷というのは現在暮らしている国からも相当に離れた極地の、更に少数民族保護地区の、更に更に少数派の人々が暮らす集落である。

 件の少数民族の多数派(勿論、彼らとて本国においては充分以上にマイノリティーである)とは信仰する宗教がルーツから全く異なる彼らであるが、良くも悪くも濃厚な交流はあまり無いまま双方ともに「生活習慣がちょっと違う人達」程度の認識を保ったまま千年以上が経過し今に至るという事であった。

 我が恋人のように故郷を出て高等教育を受ける人々もそれなりに居るのだが、これはインターネットの発達による恩恵と、元々が移動と勤勉さを推奨する文化であることが大きいとのことであった。

 何が言いたいかというと、要するに物凄く独特過ぎる風習が現代にいたるまで継承されているし、それは故郷を出た人々にとっても例外では無い、という話である。

 といっても、そうした特有の習俗に私を、いわば「巻き込んだ」ことはこれまで一度たりとも無かったし、せいぜいがディナーをしに行った先で、スープの皿を前にちょっとの間口元でモゴモゴ言わせてるのを問うてみたら「短縮版のお祈り」と返して来た程度のことである。食のタブーどころか「食える物の積極的な探索の推奨(ただしあからさまな毒は避けること)」という、3歳児までの遍く人類が遵守していそうなルールがある始末だ。なんというか、ゆるい。どうも余剰人員をあまり抱えられない土地事情に因るものなのか、あまり「仲間を増やすこと」に関心を抱いていないらしい。


 ――外部へのこうした「程よい無関心さ」は、少数の構成人員による円滑なコミュニティ運営を命題として内向きに働くこととなり――

 恋人が己の抱える事情をつまびらかに説明する一方、私はかの少数民族について記した世界でも数少ない論文の一節を思い返していた。(そう、恋人の故郷の事を知りたくて一通り調べてみた事が有ったのだ。翻訳されたものはおろか、かの集落を吸収した例の大国の言語によるものが数えるほどしか見つからなかった)

 要するに、世帯を共にする者同士は同族からの承認を得る必要があるそうなのだ。これはどちらかと言えば意に沿わぬ関係を持たされる側への配慮として働く意味合いが強いらしく、手続きとしてはややしつこい程に双方の合意について確認するフェーズが存在する。(しかも、パートナーシップを結ぶのは男女に限定されないと来た。「へえー、意外とリベラル」と言ったら、やや渋面で「人間が増えすぎると具合の悪い土地柄なんだよ。どうしても増やしたい人だけおやんなさい、って事」と返された。とは異なる、と言いたかったのかもしれない)

 集落の外部に生活拠点を置く場合、不参加で構わないとされているそうだが、こういうのは当人の価値観も絡む話になるようだ。

 つまり、適切な手順を踏まずに家庭を持つというのは、彼らの地元では「相当なクズじゃないとやらない事」らしく、そうした後ろめたさがどうしても付きまとうという事だった。

 一通りの話を聞いた私は一つだけ質問をした。参加した方が気持ちは軽くなりそう? この問いにイエスと返って来た時点で私の腹は決まった。


 決まった、と思ったのだが。まさかこんなに薄着、いや薄着というか、裸体に装身具、所によりボディペイント、みたいな恰好にさせられるとは。

 手順なんぞ知る筈も無い余所者の私のために特別に付けて下さった介添え人(温和な雰囲気の年配者であったが、着物や髪型が馴染みの習俗とかけ離れていた為、それ以上のプロフィールはわからなかった。どうもリアクションからするに同性ではあったらしい)に手際よく裸に剥かれてあれよあれよという間に飾り付けられている間はこちらも状況に翻弄されているだけで良かったので、ある意味では楽だったが、いざ天幕の下で独りきりにされると「その後の展開」という奴を否応なしに想像してしまう。

 いや確かにコレ、カップルのお披露目的な文脈でしか無いのかもしれないけど、どう考えてもこの場で一発致すのまで織り込み済みな奴ですね! そういうのがご町内にモロバレになる奴ですね! いやでも、大方の婚姻って「私たちセックスしてます」って暗に宣言してるのは同じか?

 こうして悶々としているのは文明に毒された自分だけなのか、それともこの部族はこういう悶々を古来より連綿と乗り越えて生きて来たんだろうか……生命とは……生きるとは……辺りまで思考が飛びかけた辺りで、垂れ幕の向こうから見知った顔がひょっこりと姿を現した。


 その時、恋人が浮かべた表情が「君がここに居てくれて心から嬉しい」以外の何物でも無かったのは、私からあらゆる後悔や疑念を吹っ飛ばすのに充分なインパクトを持っていた。


 私が通う大学のカフェテリアで出されるキッシュは、具とソースはいつだってとても美味しい。しかしどういう訳だか底部のパイ生地は滑り止めシリコンマットとどっこいどっこいに感じられるほどの謎の伸びと頑丈さをしていて、要するに、固い。使い捨てフォークではとても歯が立たず、苦闘の末にいつしか諦めた私は、キッシュを直に丸かじりするようになっていた。


 振り返れば、あの人の前でそれができるようになった時点で、お互いにもう殆ど家族のような存在になっていた。


 キッシュを齧る時ですら自分を恥じずに居られる。そういう相手の為なら、まあ裸体を晒すくらい、私にとっては全然どうってことない。どうもこれはそういう話のようであった。

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