第2話 十字路の捜査官

 家を出て、散歩コースを歩いていた私は十字路に入りました。いつもの様に真っ直ぐ抜けようとした時、右の道から嫌な気配を感じました。奴がこっちに歩いて来るのが見えます。

 苦手な相手なので気付かないフリをして、早足で通り抜けます。距離が離れていたので、気付かれずに通れたと思っていたのですが、


「おい」


 と声をかけられてしまいました。あいつは目が良いので仕方ないのですが。それでも、気付かないフリをして先に進むと、


「おい!ったら、ツムギ」


 名前を呼ばれたので止まります。仕方がないので、もと来た道を引き返しました。十字路まで戻ると、奴が待ち構えていました。私は挨拶をします。


「お、おはよう。レン」


 私は出来るだけ作り笑顔をしました。本当の笑顔を見せるのは、お義兄にいさまだけと決めています。


「ああ」


 そっちから呼んでおいて、素っ気ない返事なのです。それはないだろう、なのです。

 顔は怖いし、目つきも悪いです。確かに顔はシュッとしていて、身体も無駄が無く引き締まっていて、羨ましいですが・・・

 私なんか、つい最近、お義兄さまに、


「ツムギ・・・ 少し太った?おやつの食べ過ぎかなぁ・・・」


 なんて言われて、大好きなおやつを減らして、運動をしているというのに・・・

 それはともかく、とにかくレンの顔は怖いし、目つきも悪いのです。しかもですね、あまり喋る方ではありませんが、口を開けば上から目線で、少し偉そうにしているのが、何より気に入りません。

 なのに、なぜか私の周りでは人気がある様なのです。クールな感じが良いみたいなのですが、私には全く分かりません。


「そんなに急いで何処に行く?」


 何処にだっていいではありませんか。そんなの私の勝手です。


「別に急いでなんかいませんよ。それよりも、レンの方こそ今日は朝からお仕事なんですね?」

「ああ、まぁな。昨日、発生した事件で犯人がこっちの方に逃げて来たらしい。だから、俺はそいつを追ってここまで来た。まだ捕まっていないし、危ないから気をつけろ」

 

 レンは警察のお仕事をしています。犯人を捜し出し、見つけて捕まえるというお仕事です。

 優秀らしく、表彰を何個も貰っているとか。そんなに貰ってどうするのでしょうか? 私だったら、お義兄さまに頭をナデナデしてもらったり、抱っこをして頂ければ他は何も入りません。

 レンが優秀であるのは、エリートのだからだと教えてもらいました。レンの両親も優秀で同じ様に、警察の仕事をしていたとの事です。今は現役を引退して、家でのんびりと生活を送っている様です。

 兄弟も揃って優秀らしく、他の所で警察の仕事をしているみたいで、兄弟バラバラで生活を送っている様です。


「大丈夫ですって。逃げ足だけは速いですから」


 いざとなれば、狭い所だって高い所だって平気です。


「アホか、お前は。そういう事じゃない」


 いくらなんでも、アホ、は無いでしょう。私は頬を膨らませてそっぽを向き、


「どういう事よ・・・」


 と聞き返しました。


「ツムギは好奇心旺盛だ。知らない人に声をかけられたら、近寄って行くだろ?」

「そんな事、しません!」


 私はそんな尻軽じゃありません。私はお義兄さまだけと、決めているのです。本当に失礼な奴です。


「犯人が捕まるまでは、家で大人しくしとけって事だ」


 どうやら、心配はしてくれている様です。レンは確かに口数が少なくて不愛想で、何を考えているのか未だに分かりませんが、間違った事をしている所を見つけたら、すぐに注意しに来ます。

 アメとムチといいますか、メリハリがあるといいますか・・・

 そういう点では、意外と人気があるのは理解できます。が、私がレンの事が苦手なのは、この先もずっと変わらないのです。


「それにお前は、変に首を突っ込んで余計にややこしくするからな」


 これでも、心配をしてくれているのでしょうか? だったら、もっと他に言いようが無かったのでしょうか?

 まぁ一応、言い方は悪いですが、心配してくれているのだと、解釈しておきましょう。ただ、言われっぱなしというのも納得がいきません。


「余計にややこしく、とは失礼ですね。あの時は情報提供をしたじゃないですか」


 実際、その時は話が混乱してしまいました。非常に恥ずかしい話ですが、もう過去の話、いい加減に忘れて欲しいのです。


「ま、そういう事にしておこ」


 過去の事に触れる事はあっても、必要以上に過去をほじくらないのがレンの良い所ではあります。

 そうです! 毎日、街中をパトロールしているレンならお義兄さまを見かけているかもしれません。

 しかし、レンに協力をしてもらうのは気が進みません。


「そ・・・そういえば、お義兄さまを見かけませんでしたか?朝から姿を見ていないのですが・・・」


 一分一秒でも早く、お義兄さまを見つけて抱きしめて欲しいのです。じゃないと、心配と不安で胸がはちきれそうなのです。

 また、あの時みたいに見捨てられるのはゴメンなのです。ダメです、弱気になっては・・・ まだ、そうだと決まった訳ではありません。

 ふと、我に返った私はレンからの返事が無かった事に気付き、顔を覗くとすごく不機嫌になっていました。しかも、私を睨んでいるではありませんか。


「な、なにかな?」


 何処か具合でも悪いのでしょうか? それとも私、何か気まずい事でも言ってしまったのでしょうか? 言った覚えはありませんが・・・

 レンは更に目が鋭くなり、歯を食いしばっています。何だか怒っています。


「二言目には、お義兄さま、かよ」


 私は怖くなって一歩、身を引きました。忘れていました。レンの前でお義兄さまの事を話すのは、禁句でした。

 でも、だからって別に、レンにお義兄さまは関係ないじゃありませんか。何でお義兄さまの事を聞いただけで怒られないといけないんですか。


「レンには関係ないでしょ! お義兄さまが心配だから、聞いただけじゃないですか」


そのどこが悪いというのでしょうか。


「それが気に食わないんだよ。お義兄さま、お義兄さまって」


 レンの声が低くなりました。

 本気で怒っている証拠です。

 私はビビッてしまいました。

 レンは続けます。


「お前のお義兄さんは大人だ。ツムギも立派な大人だろ? いい加減に甘えるのはやめたらどうだ?」


 そんな事を言われても困ります。大人になったからと言って・・・


「大人になったからって、甘えちゃいけないわけ?」


 甘えたくなる夜だってあります。あの時を思い出せば、思い出すほど・・・


「そうは言っていない。甘えすぎも良くないと言っているだけだ。俺だって甘えたくなる時もあるが、そこは自制しないと」


 レンの言っている事は間違っていないと思います。だけど、正しいとも思いません。


「私にはそんな事出来ません。私の事、何も知らないくせに・・・」


 思わず涙が出そうになります。


「ツムギだって、俺の事は何も知らないだろ?」

「知っているよ。レンは警察の仕事をしていて、優秀で犯人を見つけて捕まえて、賞も沢山貰って、家族だって・・・」

「そうじゃない!」


 レンは私の言葉を遮りました。


「そんな事は誰でも知っている事だ」


 これ以上、何があると言うのでしょうか。


「表面上の事は分かっていても、内面までは分からないだろ?」

「な、何を言っているのですか?」


 全く言っている意味が分かりません。


「だから・・・ つまり・・・ 俺が今まで、どういう気持ちでいたかまでは、分からないだろって言っているんだ」


 レンの気持ちなんて、分かるわけありません。だって、いつも無表情で何を考えているのか分からないから。


「わかんないよ、レンの気持ちなんて」

「なあ、ツムギ・・・」


 と言ったレンの表情が急に和らぎました。とても温かくて優しい表情に。


「俺は、初めて会った時からこの気持ちだった」


 やめて、その先の事は言わないで・・・欲しい。お願いですから。


「俺は、ツムギが ― 」


 レンはそこまで言葉を区切り、思いっきり息を吸いました。


「好きだ!」


 レンは短く言いました。満足した表情で、自信に満ち溢れています。でも・・・


「 ― ごめんなさい」


 レンの気持ちに応える事はできません。私は、


「お義兄さまが好きなの」


 と告げました。

 本当はお義兄さましか好きになれない、信用できない、が正しいのだと思う。レンの事が苦手なだけで嫌いじゃない。信用できない訳じゃないし、好きになれない訳でもない。だけど・・・

 また、お義兄さまと言ったので怒られると思っていたのですが、レンは怒りませんでした。


「やはりな。まぁ、分かってはいた」


 そんなに優しくしないで欲しいです。私の心が揺らいでしまうじゃないですか。確かに、無口で無表情だけど、どこか優しいところがあるの事実です。私はそれに甘えていたというのですか?


「 ― 優しくしないで下さい・・・」


 また、甘えてしまうじゃないですか。


「俺は、惚れた相手には優しくするさ」

「やめた方がいいよ。それを利用するよ」

「いいさ、俺がツムギを嫌いになるまでは」


 レンは頑固なんです。私はこの場から逃げ出したくなりました。一秒でもこの場にいたくありません。


「私はレンの事が嫌いよ」

「ああ、知っている」


 惚れた相手に嫌いと言われても、優しくするレンはきっと、強い心の持ち主なんだと思います。

 私だったらきっと、落ち込んで家から一歩も出る気持ちになれないでしょう。


「バーーーカッ!!」


 私は叫んで、一目散に走り出しました。後ろを振り返らず、レンを見ない様に。

 じゃあ、なんであの時、助けてくれなかったのでしょうか。と思うのは酷な話ですけど、そう思わずにはいられません。

 だって、もしあの時、助けてくれたなら私はきっと、レンを・・・

 と、そこで言葉を飲み込みました。また、考えたら気持ちが揺らぎそうになるから。

 私は目頭が熱くなって来るのを感じながら走り続けました。

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路地裏のお嬢様 折口 つかさ @uruu-ruuru

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