琥珀色のティータイム

音崎 琳

琥珀色のティータイム

「ふーん。それで?」

 ロレイシア・トーレはティーカップを口から離すと、なんとも雑な相槌を打った。豪華なソファに、座るのではなく寝そべっているところが、また適当さを強調している。靴はそこらに脱ぎすててあって、落ち着いたピンクのドレスの裾から、レースの靴下に覆われた白い素足が覗いていた。

「それで、じゃないですよ!」

 憤慨して叫んだのは、ルイス・バーネット。椅子に腰かけてはいるものの、足が床に届かずにぷらぷらと揺れている。

「結局、さんざん捜しまわって、セント=アラン通りの、カフェの前で捕まえました」

 ルイスは怒った調子で言うと、テーブルの上のバスケットからパンを取って、大きくかぶりついた。次の瞬間、目を白黒させて叫ぶ。

「に、にがっ……! ななな、何ですかこれは! 何でこんなものをテーブルに出しておくんですか、ロレイシアさま!」

「はっずれー」

 ロレイシアはにんまり笑うと、ティースプーンでルイスの額を突いた。

「熱っ!」

「そのパン、残りはね、辛いのと、甘いのと、酸っぱいのと、シークレットだから」

 甘いのも、半端じゃないのよ、激甘なのよ、とウィンクする。

「シークレットって……」

 ルイスは恐るおそる、バスケットを覗きこんだ。中には、見た目だけは同じパンが、あと四つ残っている。

「そ、シークレット。食べたら死んじゃうかもよ。そういう意味では、ルイスが食べたのはアタリかもね」

「アタリというより、ハズレ四つと大ハズレ一つじゃないですか……」

 ルイスは額についた紅茶のしずくを拭いながら、ため息をついた。

 そう、このトーレ侯爵家の御令嬢は、こういう人なのだ。ルイスがトーレ家を出て半年になるが、ロレイシアは全く変わっていなかった。

「ま、ダイアにはなじんできたみたいね」

「……ロレイシアさまのエゴ加減も、相変わらずのようですね。いきなり話を戻しますか」

 ロレイシアは豊かな藍色の髪の先を弄びながら、ふふんと笑った。

「何か言った?」

「いえ何も」

「で、どう? 黒猫さんは」

「まさか、ここまで大変だとは思いもしませんでしたよ……まったく、猫なのをいいことにひょいひょい抜け出して! 自分の名前がダイア・ホランドだってこと、忘れてるんじゃないでしょうか」

「あらあら、そんなこと言っちゃっていいのかしら? 今は猫とはいえ、ホランド公爵家の一人息子よ? その上、貴方の今の主でしょ」

「いいんです!」

 ルイスは腕組みをしてそっぽを向いた。

「で? 貴方は私に、愚痴を言うために来たのかしら?」

「ああ、忘れるところでした」

 ルイスは赤面すると、懐から手紙を取りだした。

「ロレイシアさまに、これを、と」

 とん、と椅子から降りると、ロレイシアに手紙をさし出す。封筒の表には手書きの字で、『我が愛しの婚約者へ』とあった。

「なあんだ、ダイアのお使いだったんだ。ずいぶん厚い手紙ねえ」

「猫なのに、器用ですよねえ」

「どうせタイプライターでしょ」

「猫の手でペンを握れというんですか、貴女という人は!」

 あはは、と笑ったあと、ロレイシアは笑みを消して、ぼんやりと手紙を見つめた。その視線が、自分の代筆した宛名に投げかけられているようで、ルイスはしばらく気まずい思いで彼女の横顔を眺めていた。

「……用件も済ませたことですし、僕はそろそろ帰ります」

 ロレイシアは何も言わずに、まだ手紙を見ている。

「では」

「……ねえ」

 ロレイシアは呟いた。

「え?」

 すでに彼女に背を向けていたルイスは、驚いてふりかえった。ロレイシアは、今度は窓の外に目を向けている。

 傾いてきた日が、金色の光を彼女に注いでいた。

(空耳、だったのかな)

 再び扉に向かおうとしたとき、ロレイシアが小さな声で言った。

「ルーはまた……トーレ家に、帰ってくる……?」

「お嬢さま、僕は……」

 ルイスは返事をしようと口をひらいて、結局何も言えないことに気づいて、口をつぐんでうつむいた。

 部屋に射しこむ琥珀色の光の中で、ふたりは動きすら止めたまま、無言だった。

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