テセウスの船(科楽倶楽部/移民船世界観)
「なんで地球の歴史なんて勉強しなきゃいけないの!」
マラーシュは電子ノートを机にたたきつける。ぱすん、と気が抜けた音を立てたノートは、幾度目かの苦行にも耐え、モノクロの文字を表面に映し続けた。
周囲から『しー!』という声なき声が飛んで来る。マラーシュは少しばかりバツが悪そうに視線を走らせ、教科書を鞄から取り出しテーブルへ置いた。
『極東地域の伝統的神殿建築』
仰々しい文字が教科書の表紙を飾っている。紙の本……電子書籍で無く、重い重い紙の本だと言うこともまた、マラーシュをいらだたせていた。
そして、いらだたせる最大の要因は、もちろんその、中身だった。
釘を使わないという工法は木材を大量に使用するもので、現実味が無い。しかも、良質なものでないとならないとされ、ますます使い勝手がよろしくない。神様だとかホトケ様だとか、無神論な家に育ったマラーシュには全くピンとこない。
マラーシュの家業は建築業だった。
あまたの民族の伝統的な建物を学びつつ、最新技術を詰め込んだ家やビルや宗教建築物をも手がける。
学校で歴史を学び、家に帰れば特に建築物について父親から補講を受ける。
古代ヨーロッパの石を使った巨大建築、古代アジアの木造建築、岩を人力で繰り抜く方法に、南洋の小島の植物を使った掘っ立て小屋。氷を使った保温術に、釘を使わない工法やら、特殊な縄での締め方やら。
――そんなものが一体何の役に立つの。
マラーシュは現代的な工法を解説した本が好きだった。ゴムの積層構造を用いた耐震建築、鉄骨の耐久性。樹脂を使った断熱素材に、その耐久性。技術の粋を究めた数々の構造は船の中でも一般的に用いられるものであったし、目指す星でも必ず使用されるはずだと信じていた。使われるものなら、伝えなくてはならないし、その意義もまた感じてはいたが。
――五○○○年前に流行った巨大建築なんて、一体何の役に立つの。
「だって僕らは地球人じゃないか」
マラーシュが憤慨しながら椅子を引くのを眺めていたクラスメイトのキッサスは、一時だけ目を丸くして当たり前のように小さな声で言葉を返した。
キッサスは地球自然史の教科書を捲る。キッサスの家は土木を専門としており、キッサスは砂漠、熱帯雨林、温暖湿潤気候帯、寒帯、極地方、ありとあらゆる地方の土地の特性について学んでいた。
例えば、寒帯の土は半ば凍っており積もった枯れ葉は腐らない。対して熱帯雨林では、石の礎が無ければ腐ってしまう。砂漠は水を溜めることが出来ず、温暖気候では傾斜地の保全が必要。
マラーシュはキッサスがリーダーに表示させている教科書を目に留めため息を吐く。どれもコレも、船の中で開発された最新素材で一発解決するものばかりだ。
「地球はなくなるのに?」
マラーシュはどかりと椅子に座り込む。
ふたたび『しーーー!!』と声なき声が飛んできて、マラーシュは少しだけ居心地悪そうに肩をすくめた。
「地球がなくなっても僕らは地球人だろ」
キッサスは電子ノートに目を落とす。答える声はとても小さい。
「ルーツが地球にあるだけだわ」
マラーシュは目をすがめる。ため息を吐く。頬をゆがめ、心底嫌だという顔で、紙の本の栞のページを開いていく。
嫌でも、試験は待ってくれない。
「馬鹿馬鹿しい」
マラーシュはそこでようやく口を閉ざした。自習室に静寂が戻ってきた。
「新しい星では新しい技術で新しい建物を建てるべきなのよ」
夕方色に変わった道をマラーシュとキッサスは歩いて行く。遠慮も無くマラーシュは言い放ち、足下の小石を蹴った。
「地球がなくなるとしたら、僕らが地球を継承していかなきゃ行けない。そのための移民じゃないか」
キッサスはいつもの癖で道を周囲を眺めて回る。学校を出てしばらくは、技術継承のための農地が広がる。左に田圃。右に果樹園。田圃は一段低く作られて、そこに水が入れられている。水田という、極東の畑のかたちである。水を張った田圃の周囲には草が隙間無く植えられている。根がかたちを保持するのだと、読んだ知識が目の前にある。
慣れた道でも時折新たな発見がある。それがキッサスには楽しい。
「新しい星に降り立ったら、そこの星の人になるんだわ。かたちばかりの見たことも無い地球なんてを引き摺っていったってしょうが無いじゃない」
マラーシュは頭上を見上げる。移民船の円筒型の居住区の反対側が夕日色に染まっている。
「だって、この船の中でさえ、地球と同じ建て方なんてしないのよ?」
船には地震が無い。船には嵐がない。地震の耐久性など不要だし、嵐に耐える窓も要らない。使える技術ももちろんあるが……不要な過剰な技術の方が圧倒的に多かった。
「新しい星がテラフォーミングされたとしてそれは地球じゃないもの」
「でも!」
キッサスは遮るように声を出した。田圃は終わり、乾いた畑が現れる。植えられる野菜は多種多様だ。土に合せるとも、野菜に合わせて土を作るとも聞いている。どちらだけでも無く、どちらもまたあるのだろう。
「地球の知恵は絶対役に立つはずだろう!?」
テラフォーミングの結果、水の多い土地だったら。痩せ細った土地だったら。氷の融けない土地だったら。水の溜らない土地だったら。
「それは地球を引き摺っていくこととは違うわ!」
えい。マラーシュの足が大きく振られる。
「地球由来でも私達は私達よ!」
蹴られた小石は、農地に合せた砂利道から、石油由来の鉱物道路へ。コロコロコロコロ転がっていく。
キッサスはふと鉱物道路の縁に足をかけ、背後を振り返る。夕日色の光を受けて、キッサスの影が、砂利道に淡く落ちている。
――新しい星に降りたなら。
「なにやってんの!?」
――影はもっと濃いのだろうか。
キッサスは向き直る。好きになれない鉱物道路を踏みしめて、マラーシュの隣に小走りで並ぶ。
「ごめん、なんでもない」
――地球のように。
「それより、マラーシュ、寝殿造りの基礎石ってさぁ……」
地球がなくなろうとしている今、向かう先は第二の地球と言えるのか、それともやはり全く別の新しい星としか言えないのか。
――わからない。
キッサスは思う。
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お題リクエスト:歌峰由子様
お題:科楽倶楽部~移民船世界観、テセウスの船
※移民船世界観については、
https://ipuzoro.web.fc2.com/karaku/karaku_index.html
をご参照下さい。
SSシリーズ 森村直也 @hpjhal
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