コンビニまで数十分、死ぬこと無数。

中田祐三

第1話

プカリと目が醒めると窓枠から太陽が除きこんでいた。


 強い日差しに開いたばかりの瞳を瞑る。 頭はグラグラと重く、たまに硬質な痛みがズバズバと脳髄に走り、身体は汗で濡れきってTシャツがべったりと皮膚に張りついている。


 今日も今日とて体調は変わらない。


 億劫な身体を持ち上げて、窓を開けるとビシビシと『毒』が全身に入り込んできた。


 だがガラスのフィルターでかろうじて防いでいた『それ』による不快感よりも部屋にこもった腐りかけの弁当や生ものと十分に熟成された生ゴミの方がまだ辛い。


 大丈夫。 空気の入れ替えをする間だけだ。 だから持ってくれ。


 自身に語りかけると、その自身である自身自体から返事が帰ってきた。


『いや無理だよ、もう駄目なんだよ、お前はもう死んでるんだ』


 いやいやそんなわけはない。 それならどうしてこんなに辛いんだ? 死んでるんなら何も感じないはずだろう?


『馬鹿だな、お前は…お前みたいなクズが死んで楽になるはずがないだろう?お前はそのままグズグズに腐ってもずっとその痛みを味わうんだよ』


 そんな馬鹿なことがあってたまるか! 嘘だ! 嘘だ! 嘘だ! 嘘だ!


 頭の中のもう一人の自分を威圧するように壁を殴りつけた。 すでに何度も殴っていたことでボコボコにへこんでいた壁にとうとう穴が開いた。


 そこの穴からも声が聞こえる。 ヒュウヒュウと風が通る音と同時に地の底から響くような低音でそいつは、


『終わりだよ終わりだよ終わりだよ終わりだよ終わりだよ 終わりだよ終わりだよ終わりだよ終わりだよ終わりだよ終わりだよ終わりだよ終わりだよ』


 やかましく連呼してくるそれがあまりにもうるさいので今度はテーブルに頭を思い切り叩きつける。


『無駄だよ無駄だよ、無駄だよ…無駄だよ……無駄だよ…無駄…だよ…無…駄…だよ……無……駄…………………」


 沈黙。 やっと黙りやがった。


 痛みによるアドレナリンによっておしゃべりな口を閉じるためにはこの方法しかないのだが、いい加減別の方法を考えないと身体が持たん。 


 脳の内部のクラクラではなくてショックによる脳細胞の大量虐殺でぐらついていては何も出来ない。


「いや、何もすることが出来ないのは同じか…ああそれよりも穴を塞がないと、またうるさいのが増えちまう」


 薄汚れた部屋で一人呟きながら、いま自ら空けた穴に指を触れる。


 築35年のボロアパートとはいえ、壁の穴を修理するとなったらいくら掛かるだろう? 


 文無しの俺にそんな金があるはずがない。 せめてもの応急処置としてすぐ近くに脱ぎ捨てられていたパンツを穴にねじ込んだ。


 もしかしたら我ながら劇臭のこれによって『穴』もしゃべらなくなるかも、ははっざまあみろっ…この『毒』が!


 静かになったところで部屋を見渡す。 


 敷きっぱなしで薄汚れて板チョコのような布団。 脱ぎ散らかした服と下着。 


 そして数日前に引きちぎってしまって首吊りのようにぶら下がったカーテンレールを手で払いのけて立ち上がると、ゴミ捨て場で拾ってきた冷蔵庫を開ける。


 腐って原型を留めていない『何か』とカビの生えた味噌汁だけしかない。


「買いに行くしかねえのか」


 苛立つ気持ちを冷蔵庫の扉にぶつけて乱暴に閉めた。  




 玄関の扉を開ける。


 足元で俺が死んでいた。


 おそらく心臓発作だろうか? 苦悶の表情で胸を押さえて転がっている。


 これは『奴ら』の仕業だ。 そう『毒』が俺を狂わせようと、あるいは死に誘おうとこれを見せつけているのだ。


 死んだ自分と目があう。 助けてくれと訴えながら足元に居る自分を踏まないように慎重に足を上げて乗り越える。


 これだから外に出るのは嫌なんだ。 自室ならば壁とガラスがある程度は『毒』からの干渉を防いでくれるが、屋外ならば純度百パーセントの毒が頭に入り込んできて脳髄を激しくシェイクして浸透してくる。


 例えるならコンドーム無しの生セックスみたいなものだ。 


 何の隔たりも無い肉欲MAXで気持ちよさも倍MAXして快楽中枢をかき回す。


 しかし『毒』がかき回すのは不快指数のみで、うざい、臭い、痛みしかないのだ。


 ほら今だって階段の一段一段ごとに俺が転がってる。


 口元から緑色の反吐を吐いて白く濁った目で壁にもたれかかる。


 その下で目玉に指を突っ込みながら開いた口元にハエが溜まる。


 さらに逆隣ではおそらく『毒』に耐えかねたのだろう、ボコっとへこんだ頭のあったところからピンク色の脳みそが見えて、それを苗床にしたハエとウジが早く来いよと誘うように蠢いている。


 ブーン。 ブーン。 ブーン。 


 ああうるせえ、耳の中に入ってくる音が段々と頭の中で聞こえてくる。


 このまま皮膚を破って肉を抉り頭骨を砕いて頭の中でやかましいこいつを引きずり出したくなる衝動に駆られる。


 駄目だ。 気をしっかり持て、こんなところで挫けていたら終わっちまう。


 視線の先にはまだまだたくさんの俺の死体が待ち構えているのだから。




 アパートから徒歩十分の道のりはその三倍の時間をかけてなんとか辿り着いた。


 その間に見た『死の可能性』は数えることすら馬鹿らしい。


 信号機の上に吊るされて腸を垂れ流した自分。 鳥類に食い荒らされて頭皮がペロリと捲れて倒れている自分。 オーソドックスに車に引かれてペラペラになってアスファルトにくっ付いた自分。 強烈な衝撃でバラバラになって目の前で転がってくる首を蹴り飛ばすとニヤリと歯を見せた。 


 それらを乗り越えてコンビニの中に入ると、品棚に詰め込まれて空虚な笑みを浮かべた俺を掻き分けて、カップラーメンを手に取る。


 飲み物がある冷蔵庫には霜をあちらこちらに貼り付けた俺が叫んでいる。


 噛みつかれそうなのでお茶を飲もうと思っていたが諦めて下段にある水のペットボトルを買うことにした。


 レジに並べばコンニャクやら田楽と共に煮込まれた自分が俺を睨む。


 それを無視しつつも、震える手で小銭を乱暴に置くと足早に店を出た。


 店員の「ありがとうございました」の声さえ呪詛に思える。 


 駄目だ駄目だ! 『毒』の攻撃に惑わされるな! 


 あいつは、あいつらはこうやって徐々に精神を疲労させて心が折れるのを狙っているのだから…。


 ポキリと折れてしまえばどうなる?


 そうなればここまでに散々見せられた『可能性の中の俺』になってしまう。 あるいは二度とこの世界に戻れないくらいに電波に毒されていくことだろう。


 負けるか! 負けてたまるか! 


 余計なことを考えて引きずり込まれないように必死で心の中で叫ぶ。 


 その間にも多種多様な死で彩られた『俺』が虎視眈々と俺を呼ぶ。


 それに耐えながら自らの足で自分自身を踏みつけて道を進む。


 グチャグチャグチャ。 ブチッ! グチャグチャ。 ブチッ! グチャグチャグチャグチャグチャ。


 グチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャ。


 グチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャ。


 転がった眼球を踏み潰し、こぼれた内臓を踏みしめていく。 


 靴の裏はべとつき、足が重くなる。 跳ねた血のぬるさが足首まで感じる。


 それを耐え続け、やっとアパートの下まで辿り着くことが出来た。


 道のりは短い、しかし心の距離は実際よりも遠い。


 すでに限界だ。 疲労した精神に肉体が引きずられて息は荒く、足は鉛のように重い。


 もう少しだ。 もう少しだ。


 自分を鼓舞しながら絡みつく腸を振り払いながら階段を昇る。


 あっ…ヤバイ! 強烈なのがくる!


予兆の刹那、耳元で声が響く。 それはとても大きく、へばりつくほどにドロリとしていて地の底から響くような怖気の走る音。


『助けて助けて助けて助けて助けて助けて死にたくない死にたくない死にたくない死にたくないどうして俺だけどうして俺だけどうして俺だけお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだ殺してやる殺してやる殺してやるお前のせいだ居yだ助けて死にたくない助けて助けて助けて助けてお前のせいだお前のせいだこっちに来いこっちに来いこっちに来いこっちに来いこっちに来いこっちに来いこっちに来いこっちに来い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い助けて助けて助けて助けて殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる』


 何人何十何百何千もの怨嗟の声が耳元で木霊する。


 うるさいうるさいうるさい! 


 耳を塞ぐが少しも小さくならない。 むしろすればするほどに声は頭の中で響き続ける。


「無駄だ無駄だお前もこっちに来いお前のせいなんだお前も死ね殺してやる殺してやる寝てようが起きてようが殺す殺す殺すお前を必ず殺す殺してやる死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねお前のせいだ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねお前のせいだ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねええええ!」


 限界だ! 足がもつれるのも構わず這い蹲るように階段を駆け上り、玄関のドアを開けて転がるように室内に入り込む。


「死ね死ね…死ね…死…ね…死……ね……」


 扉を閉めたことで音は小さくなった。 だがまだ聞こえてくる。 


 コンビニの袋を投げ出し、テーブルを蹴り飛ばして最短距離で窓まで辿り着いて力一杯窓を閉めて鍵をかけた。


 そこまで終えたところで音が聞こえなくなるまで必死に壁や床に頭をたたきつけながら耐えていくと少しずつだが音は小さくなっていき、やがて消えた。


 脂汗を拭いながら腕を見ると自ら爪を立てたことで両腕には赤い線が出来て、そこから血が滲んでいる。


 頭を上げたところでポタリと床に血が垂れる。 


 どうやら頭からも血をだしているらしい。 


 俺はその血痕を見つめながらいつまで自分は耐え続けられるのか?


 近く来るであろう限界を考えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

コンビニまで数十分、死ぬこと無数。 中田祐三 @syousetugaki123456

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画