サインは、スローカーブ

佐倉伸哉

1. 準々決勝




 九月、快晴の石川県立野球場に澄んだ金属音が響いた。

 夏の甲子園大会が幕を閉じてから一ヶ月、早くも次を見据えた戦いが始まっていた。

 三年生が引退して顔ぶれの変わった野球部は俗に“新人戦”と呼ばれる大会に参加するが、この大会は翌月に開催される秋の北信越大会の県予選も兼ねている。その為、春のセンバツを目指す各校は甲子園行きの切符を賭けて凌ぎを削っていた。

 石川県では私立の星城・金澤学園・学友館の三校が実力・戦力共に抜きん出ており、この十年あまりは何れかの高校が夏の大会で甲子園行きの切符を手にしている。一方、過疎と少子化の進む能登地方では部員数が足りず近隣の高校と合同チームを組んだり他部からの応援を借りたりする形で出場するチームも出てきている。

 さて、話を戻して石川県立野球場。現在は泉野高校と小松工業の試合が行われている。泉野高が二点リードして迎えた九回表、小松工の攻撃。二アウトから六番バッターが一二塁間を破るクリーンヒットを放った場面だ。

 (キレイに打たれたな~……)

 マウンドに立つ岡野は打たれた方角をぼんやりと眺めながら思った。苛立ちも悔しさも焦りも一切感じていない。ちょっと甘く入ったストレートを痛打された事実を淡々と受け止めていた。あとアウト一つで勝てるという状況で気持ちの緩みも無い。単純なコントロールミスだった。

 追い詰められた状況から土壇場でランナーが出たことで三塁側のアルプスは一気に湧き立った。このままの勢いで連打が続けば同点あるいは逆転もあると期待が膨らみ、今日一番の盛り上がりを見せていた。

 するとキャッチャーの新藤が主審にタイムを要求して、マウンドへ駆け寄って来た。

 「今のは仕方ない。切り替えて次でアウトを取ろう」

 恐らく流れを傾けたくないと一旦間を置くのが狙いだろう。あとは九回に突入して疲れがあるか確認するのも含まれていると思う。

 「打順は下位だし、次のバッターは今日ノーヒットに抑えている。さっきの失投を除けばボール自体に力はあるから心配しなくても大丈夫。いつも通り投げていこう!」

 言いたい事を伝えると新藤はミットで胸をポンと一回叩くと、再び守備位置へ戻っていった。

 (いつも通り、なんだけどなぁ)

 遠ざかっていく背中を目で追いながら岡野は心の中で小さく呟いた。新藤が腰を下ろすのと同じタイミングで次のバッターが右打席に入ってきた。ビハインドということもあり気合の声を一つ咆えてからバットを構える。

 気合入っているなー、と岡野は率直にそう思った。どちらかと言えば自分はサバサバしている方なので共感は湧かない。“冷めてる”という表現が一番正しいかも知れない。でも、勝てば嬉しいし負ければ悔しい。そういう感情は人並みにある。ただ、他人みたいに感情の振り幅が大きくないだけだ。

 相手の今日の成績を振り返る。第一打席からセカンドゴロ、レフトフライ、サードへのファールフライ。新藤の言った通り、抑えられている。当たりも詰まらせたりバットの先端だったりで“打たれた”という印象は無い。この印象が意外と重要で、良いイメージを持っていると精神的にゆとりを持てたりいつも以上のパフォーマンスを発揮したりする効果がある……らしい。物知りで頭の良い新藤から聞いた言葉である。

 (いつも通り、いつも通り……)

 岡野は普段と同じように息を大きく吸い込んでからゆっくりと吐き出す。そして新藤から送られてきたサインに一つ頷いてから投球動作へ入る。

 左足をゆっくりと上げるとじっくりタメを作り、それから上げていた左足を前へ大きく踏み出しながら右腕を横から思い切り振る―――

 ムチのようにしならせた腕から放たれて白球は新藤の構えるミットへ勢いよく吸い込まれていった。

 「ストライク!!」

 外角低めへ投じたストレートが決まり、主審がストライクを宣告する。今のボールは自分でも気持ち良く投げられたと思った。やっぱり自信のある球がストライクになると率直に嬉しい。

 大多数のピッチャーが上から振り下ろすように投げるオーバースローだが、岡野は珍しく横から投げるサイドスローの選手だった。

 野球を始めた頃はみんなと同じように上から投げていたが、ある日見たアメリカ・メジャーリーグのピッチャーが格好良かったという理由で真似して横から投げるようになったのだ。百六〇キロを超えるストレートを武器に強打者を次々と三振に仕留めていく様に一目で魅了されたのを今でも鮮明に覚えている。

 もっとも、岡野は憧れのピッチャーのように恵まれた長身でもなくスピードも平均以下で、豪腕を武器にバッタバッタと斬り捨てていくタイプというよりものらりくらりと打ち取る技巧派タイプという感じであるが。

 それでも高校野球でサイドスローのピッチャーは滅多に居ないので、見慣れてないせいか強くない学校相手なら一巡目は簡単に抑えられた。タイミングを掴み始める二巡目以降は普通に打たれるようになるが、それでもある程度は効果がある……らしい。

 次も同じコースにストレートを要求される。今度はバッターもバットを出してきたが空振り。二ストライクと追い込んだ。

 三球目は打者の膝元へ落ちていくシンカー。シンカーは高校に入学してから新藤に勧められて修得したボールだが、それ程変化しないにも関わらず意外と右打者相手なら詰まらせてゴロを量産出来るので多用している。しかし、今回は外れてボール。

 四球目。ならば緩急と高低差で空振りを誘うべく外角高めへストレート。しかし、釣り球に反応せずボール。これで二ボール二ストライク。

 追い込んでからボールを重ねて平行カウントとなった五球目。ここでもしボールになればフルカウントとなって一塁ランナーは自動的に走ってくる。長打を打たれれば一点を失ってさらに同点のランナーが得点圏に残る。四球で歩かせても得点圏にランナーを背負うことになる上に同点のランナーも一塁に置く形になる。どちらにしても苦しい状況になることに変わりはない。出来るならここで勝負を決めてしまいたい。

 次に投じたのは―――直前のストレートと対照的にふわりと宙に舞った後に右打者から逃げながら落ちていく軌道のスローカーブ。遅いボールに打者もタイミングを合わせて当てに行くも、バットの先に引っ掛けてしまった。力なく前へ撥ねた打球はマウンドの岡野の正面に飛び、これを落ち着いて捕球すると一塁へ送球。ファーストが岡野から送られてきたボールをしっかり受け取ると、塁審の右手が上がった。

 三アウトで試合終了。二対〇で泉野高が勝利した。

 これで泉野高は北信越大会石川県予選の準決勝へ駒を進めることとなった。今年度北信越大会は石川県で開催されるので出場枠は通常より一つ増えて三つ、次勝てば確実に地区予選へ出場することが出来る。

 準決勝は次の土曜日に行われ、もし仮に負けても翌日に行われる三位決定戦に出ることになるので二連戦は確定となった。

 ナインが勝利の歓喜に湧く中、岡野は全く別のことを考えていた。

 (……あー、早く帰りたい)

 九回を投げ終えて疲れた岡野は気だるそうに空を見つめながら、淡々とクールダウンに勤しんだ。

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