7. 準決勝・九回裏(中)


 第一打席は運良く三振に仕留めたけど第二打席ではライト前ヒット、第三打席では左中間に落ちるツーベースを打たれている。第一打席の初球ではあわやホームランの大飛球を打たれたこともあり、あまり良い印象を抱いていない。

 勝負は避けたいがランナーも溜めたくない。一点でも失えばそれまで攻めあぐねていた悪い流れを払拭した航空能登の強力打線が畳み掛けてくるのは確実、そのまま勢いに呑まれて逆転負け―――も十分に考えられる。ここは是が非でも抑えなければいけない。

 一度瞼を閉じて静かに呼吸を整える。打たれたイメージを出来る限り払拭させ、自分の中で気持ちの整理がつくと目を開けた。

 第二打席では外角低めのストレートを巧みに流し打ちされ、第三打席では内角低めへ沈むシンカーを強引に引っ張られた。広角に打てる技術を持ち、特定のコースを苦としていない。長打狙いの大振り一辺倒でなく状況に応じてコンパクトなスイングもしてくる。

 はっきり言えば隙の無い相手だ。第一打席の空振り三振も初球のハプニングを利用して空振りを誘った結果であり、その後はどのボールにも空振りせず捉えられている。

 初球。アウトコースのボールゾーンからストライクゾーンへ切り込むシンカー。福山は見逃して一ストライク。

 大リーグのヤンキースや広島カープで活躍した黒田博樹投手は左打者の内側からストライクゾーンへ変化するツーシームやシンカーでストライクを奪う“フロント・ドア”という技術を用いていた。今回はその逆で、外側のアウトコースからストライクへ変化する“バック・ドア”であった。当然ながらストライクゾーンに入ってくるボールなので狙われれば痛打される可能性は高く、狙ったコースへ正確に投げられるコントロールも要求される。

 新藤の指導の下、この“バック・ドア”を修得すべく岡野は練習を重ね、今では三割の確率で成功するまで向上した。決して成功確率は高くないボールを選択したのも、この状況でも動じない岡野の度胸を新藤が買ったからだろう。

 まずストライクを一つ取れたことで心理的に余裕が生まれた。二球目は外角低めの隅を狙うも僅かに外れて一ボール一ストライク。三球目は福山の膝元へ沈み込むシンカーを福山がバットに当てるも三塁線を切れてファールになる。

 カウントは一ボール二ストライク。これで追い込んだ。

 ここで凡打を誘うべく新藤はスローカーブを要求したが、岡野は首を振った。今度は引っ掛けさせるべくストレートを要求したが、これもまた首を振る。

 新藤は主審に一旦タイムを求め、マウンドへ駆け寄ってきた。

 「どうしたんだ?珍しいな」

 一応『首を振る』サインもあるが、基本的に岡野は新藤のサインに首を振って拒否することは無かった。投球の組み立てや打者との駆け引きを面倒くさいと感じる岡野は女房役の新藤に全て丸投げしている状態だった。

 ピッチングはピッチャーとキャッチャーの共同作業と思っていたので、岡野が納得しなかったり不満があったりすれば拒んでも構わないと言っていたが、どうしてまたこの場面で出たのか新藤には理解出来なかった。

 すると岡野はとんでもないことを口にした。

 「……もう一回、三振を奪いたい」

 身の丈に合わない我が儘だとは自分でも重々承知していた。それでも、第一打席で空振り三振を奪った時に感じた喜びや興奮を忘れられなかった。そして、自分の意思を伝えれば必ず応えてくれると信じていた。

 呆然とした顔をしたのはほんの一瞬だけで、小さく息を吐いてから新藤は告げた。

 「……分かった。ただし、一球だけだぞ。ダメだったら運が無かったと諦めてくれ」

 たった数十秒の間に岡野の要望に応えるプランを導き出したらしい。やはり出来る男は違う。我が儘に付き合ってくれる女房役へ感謝の意を込めて僅かに頭を下げた。

 それから新藤は一言二言カモフラージュで適当に雑談を交わすと、守備位置へ戻っていく。新藤が腰を下ろすと主審が再開を宣告した。

 (―――えっ!?)

 新藤から送られてきたサインに思わず面喰ったが、それも自分の無茶な要望の為だと呑み込む。構えられたミットへ目掛けて思い切り腕を振る。

 勢いのあるストレートが胸元付近に投じられて、福山は咄嗟に避けようと大きく体を仰け反らせた。これには場内もざわつく。

 新藤は『一球だけ』と指定してきた。つまり、このボールは勝負球への布石。だからこそ全力で投げたのだ。

 二ボールにストライクの平行カウントとなり、五球目。勝負球として選択したのは―――スローカーブ!!

 ベースの手前から徐々に変化を始め、打者から逃げるように落ちていく。対して福山は軸足となる右足に全体重を乗せてしっかりとタメを作り、緩やかに曲がるボールをスタンドへ運ぶべく万全の態勢で待つ。そして、満を持して左足を踏み込み体を捻りながら自分の持てる全力をバットに乗せてスイングする。

 白球は……渾身のフルスイングされたバットの下をするりと通り抜け、新藤の構えたミットの中に収まった。福山は勢い余って体を一回転させて地面に尻餅をついてしまった。

 空振りした瞬間、岡野は思わず拳を握って小さくガッツポーズが出た。第一打席では運良く三振に仕留めたが続く二打席で打たれていて、どうしても負けたままで終わりたくない気持ちが強かった。自分が今投げられる最高のボールで勝負出来て、本当に心の底から嬉しかった。

 決して三振を狙うタイプではないけれど、それでも欲しいと思った時に望み通り三振が取れるとやっぱり野球、ピッチャーをやってきて良かったと思う。

 高揚した気持ちが治まらないまま次のバッターが左打席に入ってきた。落ち着こうと深呼吸するがなかなか鎮まらず、ふわふわとした感覚がまだ体内に残っている。

 こちらの表情で察したのか新藤は初球外角高めへ外すストレートを要求してきた。ここは一球外して気持ちを立て直そうとする配慮なのだろう。岡野も同感で、一旦頷いてから投球モーションに入る。

 (落ち着いて、落ち着いて……)

 心の内で自分へ言い聞かせるように何度も何度も繰り返す。だが、結果的には裏目に出た。

 意識し過ぎるあまり体に余計な力が加わり、コントロールに支障が出てしまった。外すつもりが僅かにストライク寄りにずれ、バッターも好球必打の構えだったらしく迷わずスイングしてきた。

 甘めに入ったストレートを芯で捉えると、快音が球場に響いた。低い弾道ながら痛烈な打球が三遊間方向へ突き進んでいく。これは確実に抜けたと岡野は直感した。

 しかし―――

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