6. 準決勝・九回裏(前)

 試合は互いに点を奪えない緊迫した投手戦となった。直球とフォークのコンビネーションで三振の山を築いていく泉野高は想定の範囲内だが、抜きん出た実力とは言い難い技巧派ピッチャーである岡野の前に航空能登が凡打の山を重ねるのは意外な展開だった。緩急を駆使してゴロを打たせる投球に徹したのが功を奏した。

 六回裏終了時点で航空能登から奪ったアウトの内訳は内野ゴロ五個、外野フライ四個、内野フライ二個、三振も二回裏に福山から奪ったものも含めて二個。それに対して出したランナーはヒットが五本、ツーベースが一本、それに四球が二個。

 決してランナーが出ていない訳でも、得点圏にランナーが進んでいない訳でもない。ここ一番で泉野高の堅守に阻まれ、あと一本が果てしなく遠いのだ。

 実際に併殺二つ、盗塁失敗一つとランナーを出しても次の塁へ進塁させることを防ぐことで、事前に失点に繋がる芽を摘んでいたのだ。

 五回には四球とヒットで一アウト一二塁とするも次のバッターをショートへの併殺で何とか切り抜けた。

 さらに六回裏は一塁にランナーを置いた状況で四番の福山にレフトへツーベースを打たれて二アウトながら二三塁の大ピンチとなったが、次のバッターをセカンドゴロに抑えて何とか凌ぎきった。

 七回表。それまで好投していた航空能登のピッチャーが突如崩れた。先頭の一番打者に四球で歩かせると続く二番打者の打席でキャッチャーが低めのフォークを後逸、ランナーは二塁へ。泉野高は今日初めて得点圏にランナーが進んだ。

 二番三番を連続三振にして二アウトとしたが、四番の新藤が二ストライクから四球ファールで粘った末に、センターの前へポトリと落ちるポテンヒットを放った。これで遂に均衡が破れた。

 さらに続く打者を四球で歩かせて一二塁となって次のバッターが放ったショート正面の当たりをトンネル、打球が左中間を転がる間に一塁ランナーも生還してリードを三点に広げた。

 五回六回と得点圏にランナーを背負う苦しい状況になったが、味方の援護が入ってから岡野は立ち直りの兆しを見せた。航空能登は中盤から早いカウントから積極的に仕掛けてきたが、新藤は早い段階でその傾向を見抜くと敢えて打たせるよう仕向けて岡野の球数を抑える作戦に出た。これが功を奏して岡野は省エネ投球で七回八回を危なげなく三者凡退で締めた。

 そして迎えた九回。泉野高の攻撃はあっさりと二アウトとなり、次のバッターも三球三振であっさり終了した。最後のバッターが三振になったのを見届けると、岡野はスポーツドリンクを一口飲んでからマウンドへ向かう。

 下馬評では“県外出身者を多数擁する航空能登が圧倒的有利、泉野高は精神的支柱の新藤頼みで非常に厳しい”という見方が大勢を占めていた。それが蓋を開けてみれば三点リードで泉野高が優勢に立っている。

 あとアウト三つで試合が決まる。ここまで八イニングを無失点に抑えてきた岡野であったが、まだ実感が湧かない。

 一塁側に陣取る航空能登の応援団から送られる声援が、九回になってより熱を帯びた。打順は三番から、自然と三点差を引っくり返して大逆転勝利……というドラマを望んでいるのだろう。

 岡野はどうして切羽詰った表情をしているのか理解が出来なかった。夏の大会みたいに今日負ければ全て終わりという訳ではなく、今日がダメでも明日の三位決定戦で勝てれば北信越大会に出場出来るのだ。勝てる確率が高い今日の試合で決めておきたい心境は分かるけど、今日負ければ全てが終わると悲観するのも違うように思う。

 イニング前の投球練習を終えると、新藤がマウンドへ歩み寄ってきた。

 「疲れはないか?」

 「大丈夫、平気」

 立ち上がりはこちらの調子を窺うようにじっくり待つ姿勢だったが、二巡目からは追い込まれる前から積極的にバットを振ってきたので、いつもより球数を少なく抑えられた。そのおかげで疲れも幾分感じない。

 「……一応聞いておくけど、緊張したりしてないか?」

 「いや?別に」

 すると新藤は一拍間を置いてから口を開いた。

 「自分では意識してないかも知れないが、重大な局面をあまり経験していない人間は無意識の内に体が固くなったり気持ちが萎縮したりする事が多い。勝利目前にミスを連発して逆転負け……というケースはそれだ。“球場に魔物が棲む”と言われるが、魔物は自分の心の中に居る。それだけ、頭に入れておいて欲しい」

 思わせぶりな忠告を伝えると、新藤は元の位置に戻っていった。心配性だなとその時は軽く考えていて気にも留めなかった。

 だが、直後に新藤がわざわざ言っていたことを痛感させられた。

 一ボールからの二球目。低めへ投じたストレートを弾き返したがショートの真正面へ飛ぶ。しかし、痛烈な打球をショートがグラブから零れてしまい、急いで拾ってから一塁へ送球するが間に合わず内野安打となった。ノーアウトで先頭打者が出塁したことで航空能登の応援席からは今日一番の声援が湧き上がる。

 エラーしたショートが岡野に向けて申し訳なさそうに片手で詫びた。気にするなと岡野はグラブを上げて応じる。

 ただ、厄介な場面でランナーを出してしまった。次のバッターは四番の福山。


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