8. 準決勝・九回裏(後)


 定位置より若干三塁寄りに守っていたショートが反応、瞬時に横っ飛びしただけでなく懸命に腕を伸ばしてグラブを打球へ近づける。

 誰もが抜けると思った打球は……決死のダイビングヘッドを披露したショートのグラブに吸い込まれた。ユニフォームを泥だらけにしてグラブを掲げると、場内から割れんばかりの歓声が上がった。

 まるで獲物に飛び掛るチーターのような迷いのない俊敏な跳躍、打球を見た瞬間から踏み出した初動の一歩、これまで地道に積み重ねてきた努力、そして先程のミスを挽回しようと奮起する気持ち。これ等全てが揃ったからこそ生まれたビックプレーだった。

 ヒットだと確信してスタートを切っていた一塁ランナーが慌てて一塁へ踵を返す。ショートのファインプレーにより二アウト。

 岡野はファインプレーをしたショートへ称賛と感謝の気持ちを込めて拍手を送る。するとやや照れながら「気を抜くなよ」と口だけ動かして言った。

 押せ押せムードに水を差されて追い詰められた航空能登の応援席から送られる熱烈な声援を背中に受けて、六番バッターが打席へゆっくりと入ってくる。その瞳には“絶対に繋いでやる”という闘争心の炎で滾っていた。

 あとアウト一つで勝利を掴む場面であるが、楽観は禁物だ。先日の準々決勝でも二アウトからヒットを打たれているし、直前の打者でも味方のファインプレーに助けられたがヒット性の当たりを打たれている。プロ野球の世界でも九回二アウト二ストライクからキャッチャーが後逸して逆転負けを喫したケースがある。最後のアウトを取るまで気を緩めてはいけない。

 静かに息を吸い込み、ゆっくりと細く長く吐き出す。心臓の鼓動を感じながら、二回三回と繰り返す。

 いつものルーティーンを終えたらバッターと対峙する。三点リードしてるから二点までなら失点しても大丈夫。あと一つアウトを取るだけだ。ポジティブに捉えて自分が精神的優位にあることを意識させる。

 初球。意表を突いて真ん中低めへ落ちるスローカーブ。コントロールミスかと錯覚したバッターがスイングしてしまい、一ストライク。

 二球目。今度は外角へ逃げるスローカーブで打ち気を誘う。堪えて一ボール一ストライク。

 三球目。外角低めへストレート。スイングするがスタンド裏へ飛んでいくファール。一ボール二ストライク。

 遂に、追い込んだ。背筋がゾクッとなったので一旦間合いを入れたくて一つ一塁へ牽制を挟む。

 四球目。内角低めへ沈むシンカーで詰まらせようとしたが巧みにカットされてファール。カウント変わらず、一ボール二ストライク。

 五球目。対角の外角高めへストレートを投げるが、これも必死に喰らい付いてファール。同じくカウント変わらず、一ボール二ストライク。

 “最後のバッターになってたまるか”バッターの強い執念が懸命の粘りに結び付いている。誰だって負けるのは嫌なんだ。例え追い詰められても僅かな可能性に賭けて勝負を投げ出さない。勿論、こちらから勝ちを譲る気持ちはさらさら無いが。

 意地のぶつかり合いで体内に溜まった張り詰めた空気を一度吐き出してから、岡野は右腕を縦にグルリと一回転する。一度気持ちをリセットした上で、打者に再び臨む姿勢を作る。

 六球目。打者の懐から曲がるスローカーブに窮屈な体勢でスイング、ボールの下を叩いてしまった。打球は前へ飛んだもののフラフラと弱々しく舞い上がる。

 ピッチャーフライ。即座に判断すると、岡野はマウンドから二歩前へ出て落下点に入る。

 風はほとんど吹いていない。落ちてくる白球の行方から目を離さずに待てばいいのだ。ドキドキと胸が高鳴るのを直に感じながらグラブを構える。

 刻一刻と白球の輪郭が大きくなる。揺れることなく真っ直ぐ落ちてきたボールは、岡野が構えるグラブへ音も無く着地した。

 勝った―――

 自らの手で勝利を掴んだ瞬間、それまで緊張で凝り固まっていた全身の筋肉が解れるのが分かった。春のセンバツ出場を争う北信越大会への切符を勝ち取った喜びよりも、息詰まる接戦がやっと終わった安堵の方が大きかった。

 敗戦のショックにうなだれたり唇を噛んだりする航空能登のナインがベンチから一斉に出てホームベースを挟んだ反対側に整列する。泉野高の選手も並ぶが、こちらは対照的に皆一様に弾けんばかりの笑顔を浮かべている。

 「互いに、礼!」

 「「ありがとうございました!!」」

 主審の声を合図に両軍揃って挨拶する。かなり気合の入った声を出すのは“礼に始まり礼に終わる”の国だからかなと、ふと思った。他の国だったらどうなんだろうか。

 反対側に立つ航空能登の選手の中には悔しさから瞳に涙を浮かべている者が居た。当然と言えば当然か。星城や学友館みたいな格上の学校に負けるなら納得も出来るが、ウチは万年一回戦を勝ち抜けるか怪しい格下の公立校。侮ってないが心のどこかで“勝てる相手、勝って当然”と考えていたに違いない。その分だけショックも大きいのだろう。

 明らかな態度に出すのを失礼とは思わないが、そんな気持ちだと翌日の試合に響くのではないかと逆に心配になった。

 (……明日の相手はどっちかな?)

 この後の試合で向こうのブロックの準決勝が行われる。ここまで順当に勝ち上がった学友館か、準々決勝で延長戦の末に金澤学園との激闘を制した星城か。巷では“事実上の決勝”と言われているので、どちらが勝っても厳しい試合になるのは変わりない。

 一応新藤からは『明日の先発は無い』と伝えられている。ただ、明日先発するのは夏に内野からピッチャーへコンバートした一年生で九回を投げきるスタミナはまだ無いので、恐らく明日も短いイニングでリリーフ登板があると考えていい。

 (まぁ、とりあえず、疲れた)

 全身を包み込むような気だるさを感じながら、今夜はよく眠れるなとぼんやり思った。

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