Episode18:穢れなき子供たちへ

 汗ばんだ九月の風も、十月になると急に冷たくなる。街路樹が紅葉し始め、行きかう人々の服装も徐々に秋色に変わってゆく。秋の長い雨の日が終わって、雲ひとつない晴天の日を迎えていた。

 肋骨骨折全治二ヵ月。内臓の一部を損傷したうえ手術後安静を強いられて、一週間前にやっと退院できたばかり。けが人のながれは特に仕事もさせてもらえず、一ノ瀬と共に社屋で留守番をする。


「事務を覚えるにはいい機会じゃないか」


 事務机に向かって文字やパソコンに一時間以上向き合うと眠気がする。頭より身体を動かすのが主だった流にとって、これほど辛いことはない。それでも、一ノ瀬の手取り足取りで少しずつだが覚えてきた。


「新しい事務の人、雇えばいいのに。俺じゃとてもじゃないけど勤まらないよ」


 深いことを考えもせずにすぐに口に出す流を、一ノ瀬は渋い顔で怒鳴った。


「事務は雇わん。そんなことしたら、なぎさが帰りづらくなるじゃないか」


 事件から既にひと月が経っていた。

 最終的に、なぎさは救い出されたが──、遅すぎたのだ。最悪のケース。一ノ瀬たちに、心身ともに傷ついた彼女を慰める手立てはなかった。緊急避妊にカウンセリング、そして療養。回復の見込みはまだない。

 元々異性には奥手だった彼女の秘密を、事件後、一ノ瀬は流たちに告げた。


「義理の父親による強姦で、彼女は中学の頃、子供を産んでいたそうだ。その子は赤ちゃんポストに入って、どこか遠くの知らないところで幸せになっているはずだと、話してくれたことがあったよ。ただでさえ男性不信だったのに、彼女は男だらけの職場で気丈に働いた。明るく振舞っていた。その過去を蒸し返すような出来事でなぎさの受けた傷は深く、簡単には立ち直れないだろうという話だ」


 なぎさの席を取っておくのは、一ノ瀬なりの優しさなんだろうと流は思う。事務机もロッカーも、彼女の気に入りのコーヒーカップも、事件などなかったかのように整然と居座っている。

 一時は新聞の一面記事を独占した黒い影のニュースは、いつの間にか消え去っていた。街に放置された機体も、最後の一つが先日解体されて運び出された。後に残ったのは壊れた街と、ほんの少しの記憶。規模の大きい台風に巻き込まれたと思えば、納得できなくもないような程度だ。

 それでも時々、思い出したようにニュースが流れる。

 資源ブローカーと謎のロボット製作会社の存在、少年グループとの関係や資金の流れ。少しずつだが解明している。先に捕まった集団強姦の犯人グループの証言で、カケルたち未成年を使った資金集めの実態が明らかになると、ワイドショーはこぞって『利用された少年たち・彼らを犯罪へと導くものは何か』などと銘打って、特番を組む。

 実際、カケルたちが捕まっても、金属資源の盗難はなくならなかった。別の少年グループがまた関与しているのかどうか。また黒い影のようなものが現れる可能性を示唆しているのか。

 結論の出ない押し問答にも、そろそろ飽き飽きしてきた。


「映画や小説みたいに、事件の最初から最後まで関われるわけないんだよ、一般人は。流、お前も災難だったな。まさか、また同じようなことが起こるんじゃないかとか、思ってんじゃないだろうな」


 社長席にいつもの如くでんと座り、組んだ足を机の上に放り投げて一ノ瀬は流を馬鹿にした。


「勘弁してくれよ。ああいうのはもう、こりごり。主人公生活はもう終わりでいいって」


 やる気のない流は、そう言って事務机に伏す。

 あの時の胸の高鳴りは確かに心地よかった。普段のいらいらと募ったストレスも全て砕け散ってしまうくらい、のめりこんでいた。区役所の江川が言うように、あんな事態でもどこかで楽しんで笑う自分がいたのだと、全てが終わってから理解する。だが、あの小さく色褪せた手のひらと、真っ赤な海に沈むカケルの死に顔を思い出すと、それは不謹慎で愚かしい行動以外の何物でもなかった。

 いい加減、今日の仕事にも飽き、机に伏したまま鉛筆を転げているところに、チャイムが鳴った。


「お客だ。流、出て来い」


 渋々立ち上がり、玄関口へと足を向ける。

 観音開きの曇りガラスの扉、開け放したドアの半分から、女性の姿が見えた。


「いらっしゃいませ。便利屋一ノ瀬に何か御用ですか」


 女性は軽く会釈をし、にこやかに笑った。


「こんにちは、流君。大分元気になったみたいね」


 岬刑事だ。長いマフラーとストレートヘアが風に揺らめいている。


「久しぶり。元気だよ。身体はね」


 流は照れ笑いし、応接コーナーに案内した。

 給湯室で流が慣れないお茶汲みに奮闘している間、岬は一ノ瀬と二人、向かい合って話をした。事件以後、電話で連絡を取り合っていたものの、会うのは久しぶりだった。


「区役所の江川によると、区が管理する持ち主のいなくなった廃屋や廃ビルで、次々に謎のパソコンや記憶媒体が見つかっているらしい。今、その対処に追われてるんだとか。最初にあんなグロ映像を見つけてしまったのはウチの会社の連中だが、それは偶然だった可能性もあると思う。刑事さんは、どう見る?」


 本数を少なくしたタバコをふかしながら、一ノ瀬は真剣な眼差しで岬に考えをぶつけた。


「偶然を装った必然、かも知れないわね。過去の依頼を洗いざらい探してみる必要はありそうだわ。案外、ちょっとしたことが引き金になっていることもあるものよ」


「それは俺も考えた。カケルとかいう少年が中心で起こしたなぎさの誘拐も、元を辿れば俺が施設から流だけを引き取ったことが原因だったらしい。俺はただ、自分が見つけたあの小さな子供を、なんとかして一人前の真っ当な大人に育てたかっただけだったんだがなァ。まさか、妬みからあんな事件に発展していくなんて。人の心は、理解できんもんだね」


 テーブル上の灰皿に、火をつけて間もないタバコを捨てる。ぐりぐりと先端をこねるようにして火を消し、一ノ瀬はやり切れなさそうに大きく溜息をついた。


「刑事さんは、ダンナや子供はおらんのか」


「私、ですか」


 岬は一瞬声を詰まらせる。が、すぐに、


「今は、一人ですよ。昔はいたんですけどね」


 寂しそうなその声に、一ノ瀬はしまったと薄い後頭部をかきむしった。


「子供は死産して、墓にいます。こんな仕事でしょ、上手くいかなくて。まともに子供が産めない身体なんですよ。だから、正直今の部署にいるのは辛いんですよね。かわいそうな子供たちを相手にすると、彼らが自分の子供だったらと、こんな私でも胸が痛くなるんです」


 変な話をすみませんと、彼女は一ノ瀬から視線をそらした。うっすらと浮かべた涙が、小さく光っていた。

 給湯室からコーヒーの甘い香りが立ち込め、慣れない手つきでお盆を持つ流が現れる。「お口に合うか分かりませんが」などと、どこで覚えたのか変な言葉遣いでカップを差し出した。


「田村がね、『岬刑事には何かある』と言うもんでね。そういう事情でしたか」


 何かを納得したように、一ノ瀬は何度も頷く。

 話の読めぬ流は、いぶかしげに一ノ瀬の顔を覗き込み、頭をかしげながら少し離れた事務机の椅子に腰掛けた。


「そういえば、流、施設の園長にこの間、会ってきたぞ」


 斜め後ろの流を振り向いて、一ノ瀬が言う。


「お前のことをえらく心配してた。事件の後、手が付けられなくなってやしないかって。『流ももうすぐ二十歳、大人ですから心配無用』と伝えたが。……言い過ぎたかな」


「……余計なお世話だよ」


「ついでだから、あのカケルという少年のことも尋ねてきた。いろいろあったらしいな。お前ら」


 久々に聞いたカケルの名前に、流はピンと反応して、顔を上げた。


「やはり、あの少年と流君は、古くに付き合いがあったのですか」


 と、岬。


「ああ。彼もまた生まれて間もなく親に捨てられ、その施設に引き取られたらしい。物心付いてから預けられた流は、年下のカケルに相当辛く当たったんだと。情緒不安定な流が執拗ないじめを繰り返し、その上何度も警察沙汰になりかけたんだとか。今、あんなに落ち着いてるのは一ノ瀬さんのお陰ですよと褒められちまったよ」


 最後の台詞はいらないな、と思いながら、流はカケルの最期の台詞を思い返していた。


――『もし、お前の言うように「幸せになれる権利」なんてものがあるとしたら、俺はどこでそれを失ったんだろう』


 寂しそうなその台詞は、もしかして、自分のものだったかもしれない。

 幼い日に一ノ瀬に救われ、引き取られて便利屋で働くことになっていなければ、きっとカケルのように闇の世界へと入っていたのだろうと。

 思えば思うほど、涙が溢れ出た。なぜ泣くのか、自分でも分からぬほどに。


 

 この、不条理な世界。

 無垢なる子供の心をもてあそぶ世界。


 心穢れなき子供たちへ。

 願わくば、等しく幸せでいられますように。



<終わり>

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

穢れなき子供たちへ 天崎 剣 @amasaki_ken

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ