第35話 第二次審査
望月さん、改め茜さんと呼び始めてから翌週のこと。
僕ら二人は、電車とバスに小一時間揺られながら、EMCミュージックスクールと言う専門学校に訪れていた。
とは言っても、この専門学校に興味があり、見学に来たわけではない。
そう、ここが来たる『SONIC YOUTH』二次審査の会場であり、そして来たる二次審査はまさしく今日であった。
二次審査は、この専門学校の中にある音楽スタジオで行われるようで、スタジオ審査には前年度の例から予習してきたとおりだとすると、審査員が数名立ち会うらしい。
一次の音源審査では、誰の顔も見ることはなかったが、審査員が付く、などと言われれば一気に『オーディション感』と言うものが押し寄せてくる。
僕は、まだビルの自動ドアを潜ってすらいないというのに、手に汗握るどころか、溢れだす汗で手を洗っているような感覚に陥るほどに緊張はピークに達していた。
そんな僕をよそに、茜さんは「なにしているのだ、早く入るぞ」と僕を急かすほど余裕の表情で先に自動ドアを潜っている。
まぁ、確かにこんな所で緊張していても仕方がないのだけれど、そんなことは解っているのだけれど、そういう理屈でどうにかできる問題ではない。
僕は茜さんに緊張を悟られないよう、控えめに深呼吸をしてから後に続いたが、エレベーターのスイッチを押した茜さんは僕の方を見るなり「ははっ、緊張しているのか。だらしない男だな!」と笑った。
今回の審査では、全国九つに分けたエリアから、さらに振るいを掛けるらしい。
前年度の進行を参考にすると、僕らのエリアでは三十組ほどが通過していて、ここでそれが大体半分から三分の一になる。
そして三次審査では、その中から最終審査に向け一組か二組選ぶことになるのだ。
エレベーターは四階に止まると、ドアが開く。
その正面に、SONIC YOUTHの審査会場の受付があった。
それを見つけるなり、茜さんはそそくさと受付の女性に話しかける。
「SONIC YOUTH二次審査を受けに来た、あすなろです」
「あ、はいかしこまりました。あすなろさんは……第三スタジオで四番目ですね」
「大体何時ごろですか?」
「そうですね、一組目の開始が十三時からなので、大体十三時三十分くらいには準備しておいてください。審査内容は随時変わっていくので、スタジオ内での審査員の指示に従ってください」
「わかりました!という事みたいだぞ、善一。まだ十二時だし、昼食でもいくか」
茜さんは、緊張で微動だにしない僕をよそに、またそそくさとエレベーターに乗り込む。
僕もあわててそれに乗り込んでから、茜さんと受付の会話を反芻する。
「茜さん、審査内容が随時変わるって、どういうことだと思う?」
「お、緊張しているくせにちゃんと聞いていたとは、目ざとい奴だな」
「う、うるさいなぁ。しかし二次審査の案内にも『新曲一曲を作ってきてください』としか書いてなかったし、公式サイトにも『二次審査:スタジオ審査』としか書かれてないから、内容が気になってはいたんだよ」
僕が少し心細いような感じで話すと、茜さんは「心配するな」と言わんばかりにまたにひひと笑う。
「形式を決めると、審査の幅が狭まるんだろう。ま、なるようになるだろうし、私と善一なら大丈夫だ!」
そんなことより、なんて言いながら茜さんは携帯の地図アプリで近くの飲食店を探し始める。
確かに、茜さんの言う通り今ここでああでもないこうでもないという話をすることは不毛なのかもしれない。
それよりかは、今大事なのはこの緊張を如何にか本番までに抑えて、ベストなコンディションで審査に臨むことだ。
そのためには……まぁ、昼食をとることが先決だろう。
「ファストフードかファミレスが近くにあるな!善一はどちらがいい?」
「……ファミレスで」
「よし、じゃあパスタでも食べるか!」
ちなみに、僕がファストフードを断ったのは、なんとなく喉によくなさそうだという、頭の悪い考えからであった。
会場から最寄りのファミレスは、アクセスの問題なのか立地の問題なのか、土曜日の昼間でもそんなに人は多くなかった。
茜さんは、宣言通りパスタを注文したので、僕も何となく決めるのが面倒なので同じものを頼む。
僕らは毎週のスタジオ代でお小遣いを浪費する貧乏学生なので、ドリンクバーは頼まずに水で我慢する。
「ま、さっきの話だが多分、曲目の問題だろうな」
茜さんは席に落ち着くと、唐突に話題をぶり返してきたので、一瞬何の話か分からず狼狽していると「審査の話だ」と付け足した。
「曲目って、新曲をやるんじゃないの?」
「まぁ、書いてあったのだからそれはやるんだろうし、多分応募した曲もやるんだろう」
「なるほど……。じゃあ最初から二曲やってもらうって書いておけばいいんじゃないの?」
僕がそういうと、茜さんはちょっと悪戯っぽく微笑んだ。
「私たちが四番目で、一番目は十三時からだ。ちょっと説明や雑談が入るとして、二曲。一曲四分として二曲審査で大体十分か。長めにとるなら十五分でもいい」
「ちょっとまって、でも受付の人は僕らに十三時三十分には準備できるようにって言ってなかった?」
「巻くことがあるんだろ。多分、随時審査内容が変わるというのは、そういう事だ」
いつもより少しだけ邪悪な雰囲気で茜さんはにひひと笑う。
「一曲で終わる可能性もあるってこと……?」
「音源だけが良いバンドなんて沢山いるからな。ミックスダウンの流れは善一も見ただろうが、演奏が多少下手でもあの行程である程度までは底上げすることが出来る。まぁ、そういうバンドは一曲目ではねられるという事だろうし、新曲を用意させているのも、多分短い期間でどれ程固められているのか、と言うのが見たいのだろうな」
茜さんは飄々としているようで、ちゃんと分析を自分でしているようだ。
しかしそんな話を聞くと、俄然このオーディションが一筋縄ではいかない、僕にとってハードルが高いものに見えてくる。
「ま、そう固くなるな。だからこそ私たちは大丈夫だ!確かな私のギターと、確かな善一の歌声があるからな!」
「そうは言うけれどさ……」
「そんなことを言いつつも、私もまるで緊張をしていないと言う訳でもない。しかしまぁ、土壇場でいつも以上を出せるわけでもないだろう?」
「うーん……まぁ、それもそうだな」
そんな会話をしているうちに、僕たちの前に注文したパスタが運ばれてきたので、いったん緊張は忘れて食べることにした。
茜さんの言う通り、いつも以上を出せるわけではない。そんなことは本当は言われなくても解ってはいるのだけれど、口に出して言われたことで少しだけ心は軽くなるというものだ。
本当、やれるだけのことをやるだけだ。思い返せば、僕らにとってこれはまだ初めての挑戦だ。
大学の受験とは違い、落ちてもまだまだ次々とある。そのうちの一つだと思えばいい。
そんなことを考えていると、よくよく考えれば僕らは大学受験も控えている身分だという事を思い出し、違う意味で気が重くなったのは余談なのだが……。
昼食を済ませてから、僕たちは専門学校のビルに戻った。
時間は十三時二十分。言われていた時間よりも十分早い。
受付に再度ユニット名を言って戻った旨を伝えると、三番スタジオの前に案内された。
スタジオの前は、普段使っているLUKEのように、四人程腰かけられるスペースがいくつかあった。
そこには既に何組か居て、皆オーディション前の準備をしている。
「私もちょっと準備しておくか」
と、茜さんはギターケースからアコギを取り出して、チューニングを始めた。
茜さんがチューニングを終えて、少し控えめの音でストレッチを始めると、視線が一気に茜さんの方に集まるのを感じた。
皆驚いた表情をしている。やはり茜さんのギタースキルは、同世代からしたら目を見張るものがあるのだろう。しかも女子だ。僕も何も知らない向こう側の人間ならば似たような表情をしていたかもしれない。
まぁ、僕の場合は彼女が居なければここに居ることすらあり得ないので、ありようのない話なのだが。
そうこうしていると、三番スタジオのドアが開いた。
神妙な面持ちで出てきたのは、恐らく僕らより前のアーティストなのだろう。
どうやら三人組のバンドのようだった。
彼らの表情は緊張と不安の入り混じった複雑なものだった。
もしかすると、思っていた以上に反応が良くなかったのかもしれない。
思っていた実力を出せなかったのかも。
その様子を見て、僕はそっと息を飲んだ。やはり、このオーディションのハードルは容易いものではない。
そう考えていると、ポンと優しく背中をたたかれた。
「気にするな。私たちには、私たちの力があるだろ」
茜さんは、そう言ってにひひと笑う。本当に今日は、彼女に救われては張りつめて、の堂々巡りだ。そんなバカみたいなことをしている場合ではない。
「えー、次は……『あすなろ』のみなさんいらっしゃいますか」
スタッフの一人が、三番スタジオの入り口から僕たちを探している。
言っている間に僕たちの番だ。もう、やれることをやるしかない。
「はい、僕達です」
僕は自分を叩きあげる様に、茜さんより先に返事をする。
「さ、行こう」
「にひひ、頼もしくなったではないか!」
僕らは、意を決してスタジオの中に足を踏み入れた。
スタジオの中は、普通の音楽スタジオの様相と殆ど相違ないが、ドラムセットやアンプの配置などが、少し変わっていた。
入り口から見て横長のスタジオ内には、入り口側に審査員席、そして右側奥にバンドセットが据えられている。
僕らは「あすなろです、よろしくお願いします」と審査員に挨拶をすると、誘導に従って配置についた。
すると、三名いる審査員の中で、真ん中の少し髭を生やした薄いサングラスの男性がまずマイクをもって口を開いた。
「えー、今回このエリアの審査長を務めています、
「よろしくお願いします」
「あすなろのお二人は、ユニットという事でいいのかな?」
「えぇ、そうです」
「作詞作曲はどっちが?」
「えー、コードやアレンジは彼女が。メロ付けと作詞は僕がやっています」
「わかりました。それでは、まず今日持ってきた新しい曲を聞かせてください」
「はい」
僕が短く返事をすると、茜さんのギターのカウントが始まった。
そして、今日のためにずっと練りこんできた曲が始まる。
この曲は、ミドルテンポの『アルクステンレス』とは少し違い、ローテンポのロックバラードをイメージした曲だ。
イメージは空を飛ぶ鳥の群れ。そして自由な大空に対して、根底にある生物としての使命。泥臭い軍隊にも似た、皮肉めいた自由の中の不自由と言うテーマを書いた渾身の一曲だ。
僕は、マイクスタンドからマイクは外さずに、渾身の歌声をぶつける。
後ろに組んだ手は、先程の緊張とは違う、興奮に近い汗をかいていた。
人の前で歌うのは、これでまだ二度目だ。だからこそ出せる衝動は、僕らにとって武器になる。この瞬間、僕はそう感じていた。
曲がサビに訪れると、僕は今まで溜め込んでいた緊張と興奮をぶつける様に、力いっぱいの感情を放った。
押し殺してきたわけではない。押さえつけていたわけでもない。表に出さなかったわけでもない。ただ、僕は忘れていたのだ、多分。
自分の根底にある、我儘な感情を。
そして僕は思い出す。歌を歌うその瞬間に、その感情が僕の中に渦巻いていることを。
僕の感情は、歌によって生かされている。そしてその感情は、歌う事で人に届いている。
そして僕は知る。感情が誰かに届く喜びを。
これが――僕の歌だ。
歌い終わった僕は、ありがとうございましたと言う前に汗だくになり息を切らしていた。
僕の代わりに、茜さんが「ありがとうございます」と言った。
すると、審査長がまたマイクをもって口を開いた。
「えー、ごめんタイトル聞いてなかったね」
「ああ、すみま……せん……。タイトルは……『スコードロン』と言います」
「スコードロン……。解りました、ありがとう。君は真面目そうに見えるけど、凄く感情的に歌うね」
「ありがとう……ございます……」
褒め言葉なのかはわからないが、とにかくお礼を言った。しかし、本気を出し過ぎて息切れが収まらないので、僕は脇に用意してあった水を二口ほど呷った。
すると、審査長の右の男性が、まず「審査員の水口です」と名乗ってからコメントを続けた。
「ギターの……望月さんは中学生時代賞取ってるみたいだけど、実際レベルが高くて驚きました。いや、一本でも聴きごたえがあって、それにボーカルの邪魔もしていない。非常に良いギターを弾いてます」
「う……にひひ、ありがとうございます!」
茜さんは、少し照れるようなそぶりを見せる。
そして再び審査長がマイクを持つ。
「もう一曲聞かせてくれるかい?この応募曲、『アルクステンレス』と言う曲を聞かせてください」
僕らは顔を見合わせる。一先ずは及第点だ。先程の話のように、巻かれることはなさそうだ。
それに、審査員からのコメントも良い。
僕らの音楽は、届いている。そう確かな手ごたえを感じた。
しかし、僕らは二人とも、この後の展開までは全く予想だにしていなかったのである。
僕は『スコードロン』と同様、渾身の感情をぶつけながら、『アルクステンレス』を歌いきった。
この曲は、完成してから何度も音源を聴いて練習を重ねている。
だから、はっきり言って『スコードロン』よりもクオリティを高く聞かせられたはずだ。
気付けば緊張もとっくにどこかへ吹き飛んでいた。
「えー、凄く良かったです。新曲と違って余裕もあって、完成度も高いですね。音源はバンド版もあったけれど、アコースティックだけでも下手なバンドより大分良い」
僕ら二人は、顔を再び見合わせ、心の中でガッツポーズをしていた束の間、信じられない言葉が審査長から零れた。
「もう一曲聴きたいな」
「えっ?!」
驚いたのは、僕達だけではなく、両隣に座る審査員も審査長の顔を見ていた。
審査を終える段取りを始めようとしていたスタッフが、慌てて元の位置に帰っていく。
これにはたまらず、茜さんが先に口を開いた。
「す、すみません。私たちは今年の春に結成したばかりで、善一もその時に音楽を始めたばかりで……その……」
衝撃的だ。一曲で切られるどころか、用意していない三曲目まで要求されるなんて、いくらある程度コンテスト経験がある茜さんでも、こんなこと想定できるわけがない。
しかし、三曲目を要求されたという事は、期待されているという事だ。
もしくは試されているか。
これはどう考えても、他のアーティストよりも目に見えたアドバンテージだ。そんなことは僕にもわかる。だからこそ、これに応えられないというのは、非常に惜しい。
僕は、困り果てている茜さんの顔を見る。
「いや、やろう。茜さん」
気付けば、僕はとんでもないことを口走っていた。
「いや、でも善一……。いくら何でも作りかけの曲をやるわけには……」
「そうじゃないよ。一曲あるだろ――僕らの初めての渾身の一曲が」
僕がそういうと、茜さんはハッとした顔をする。
先程までの緊張は嘘の様で、僕はこの時それを通り越してどうかしていたのかもしれない。
でも、僕は「君の歌をもう少し聞きたい」と言われたことに対して多分、感動していたのだと思う。
だから、全力でそれに応えたかっただけだった。
SONIC YOUTHは、言うまでもなくオリジナル楽曲を評価されるオーディションだ。
さぁ、吉と出るか凶と出るか。そんなことはもうどうでもいい。
僕の言葉に「乗った!」と言わんばかりに嬉々としてカウントを取る茜さんを煽る様に僕は渾身の歌声で『To Be With You』を歌った。
君がクズと呼んだ世界で 水二七 市松 @mizunaichimatu
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