第34話 茜さん
「へぇ、スタジオ審査?」
「そう、それがもう来週に控えてるんだ」
昼休みの屋上で、フェンスに西垣君と並んでもたれながら胡坐をかいて、昼ご飯を食べている。
目の前は、女子二人が楽しそうに会話を繰り広げながら昼食をとっているのを僕らは見守りながら、あまり者同士仲良く話しながら――精一杯の皮肉だけど――昼食をとるのが恒例となっている。
「ほぉー、そりゃでも結構凄い事じゃねえのか」
「そうでも無い。ほら、野球で言うとまだ市内大会を突破しただけみたいな感じだよ」
「あぁ、成程……。結構先は長ぇわけだ」
西垣君が、世間話がてらに僕たちの活動のことを尋ねて来たので、僕は簡単に答えてあげた。
そんな他愛もない会話をしている僕らの目の前では、軽快に女子トークが繰り広げられている。
まぁ、聞こえてくる限りの内容は、基本的に好きなアーティストの話題であったり、本の話であったり、普段僕とするような会話と大差はないようだけれど。
それでもやっぱり、その相手が男子生徒であるか、女子生徒であるかはきっと大きな違いなのだろうと、僕は勝手に思って安心している。
と、まぁこんな感じで、最近の昼食は新しい仲間を迎え入れての四人体制で行われることが多くなっていた。
望月さんの学校生活が徐々に豊かになって、喜ばしい限りだと思っていた。
だというのに、当の本人は放課後になると、帰り支度をする僕に向かって何だかふくれっ面を向けてはむぅむぅと唸っているのである。
「えー……と。望月さん、僕は何か君の癇に障るようなことをしてしまったかな?心当たりがないんだけど」
僕が恐る恐る彼女が怒って(?)いる理由を聞いてみても
「何でもないのだっ!」
の一点張りなのである。正直言ってお手上げだ。
何の前触れもなく彼女がこんな調子なので、どうしようもない。
実も蓋も無い話だとは思うが、正直放っておけばそのうち元通りになるんじゃ、とか思っているので、どっちでもいいとは思うのだけれど。
しかし、一週間後にはスタジオ審査が迫っているのだし、先日完成させた新曲の完成度も上げていかなくてはいけないこんな時に、くだらない理由で滞ってしまうのもなんなので、仕方なく僕はこの件を掘り下げていくことにする。
「望月さん、僕らは一応パートナーなんだし、やっぱり気に入らないことがあるのならば言ってもらった方が有難いよ」
すると、彼女はカッと目を見開いて僕の顔をにらみつける。
僕がそう言ったのは、どうやら悪手だったようだ。
「そうだ善一!私たちは、同じ音楽を共にするパートナーだ、そうだな!」
「あ、あぁ。そうだよ、間違いない」
僕は彼女の勢いに若干気圧される。それをお構いなしと言わんばかりに、彼女はどんどん前のめりに僕に詰め寄る。
「ただの友達ではない、いわば仲間なのだ!唯一無二と言ってもいい、少なくとも私にとってはな」
「あ、あぁ。僕にとっても、多分そうだと思うけれど」
「そう!なんというか、善一は特別なのだっ!私とて、勿論友達に優劣など付けたくはないが、それでもやはり善一は……そう、種類の話だ!特別な種類と言うか、存在と言うか……」
彼女が何を言わんとするか、詳細は解らないけれど、言葉にしているうちにだんだん恥ずかしくなったのか、勢いは尻すぼみになってきている。
「つ、つまりだな……私が何を言いたいか解るだろう、善一?」
「ごめん、さっぱり解らない」
「なんで解らないんだっ!」
まるで子供の駄々のようにじたばたする望月さんを宥めつつ、僕はため息をついた。
「ちょっと落ち着いて、望月さん。僕にできることなら協力するから……」
「それ!それだ善一!!それを言っているのだ善一!!」
僕が呆れていると、望月さんは誰もいない教室に木霊するほどの勢いで僕に再度詰め寄った。
「な、なんだよ藪から棒に」
「望月さんって!!私は、最初から呼んでいるのだぞ、善一と!!」
「あ、あぁそりゃあ言われてみればそうだけど。最初は馴れ馴れしいなとは思ったよ」
「紡も、茜ちゃんと呼んでくれているのだ。知り合って間もないというのに、茜ちゃんと下の名前で!」
どうやら、望月さんはそれに気づいてしまったようである。
確かに、僕は他人行儀に彼女のことを望月さんと呼び続けているのだが、僕としてはそもそも男子生徒が気安く女子を下の名前で呼ぶのもいかがなものかと思ってしまうタイプなので、正直気にしたこともない。
しかし彼女は要するに、親しい友人であるはずの僕よりも、新しく出来た若宮さんの方が距離を詰めるのに積極的であることに怒っているのだった。
いや、勘違いしないでほしいのだが、僕だって彼女と距離を詰める努力を何もしていないわけではない。
女子と男子でハンデがあるのは、念頭に置いてもらいたいものだと抗議したいところではあったが、彼女はどうやらもうそんなことは言っても無駄と言わんばかりに頭に血が上ってしまっている。
というか、僕としては名前で呼ぶかどうかなんて、割とどうでもいいと思う……なんてことを言えばきっと、顔を真っ赤にして怒り狂ってしまいそうだったのでそれは胸にしまっておくことにした。
「言わんとすることは解ったよ。でもなんていうか、恥ずかしくないかい?下の名前を呼び捨てにするなんて、それこそ交際していると勘違いされそうだしさ」
僕は率直な意見を述べると
「こっ……!!!」
と、中途半端な発声を残して望月さんは押し黙ってしまった。
「まぁ、それはともかくとして、確かに僕が君に対して詰め寄る距離を推し測っているような一面があったことは認めるよ。でもこれ以上周りから余計な勘違いされる要素を自ら進んで増やす必要もないような気がしないでもないというかさ……」
そんな言葉をするすると口にしながら僕はふと思う。
何だか言い訳をしているみたいだ……。というか、多分僕もこう尤もらしく言ってはいるものの、結局は彼女の名前を呼ぶことは、少し恥ずかしいのである。
しかしそんな思いも、彼女の少し涙ぐんだ顔を見ると消し飛ばされてしまうのであった。
「わ、私はそれでも……善一に名前で呼んでほしいのだ……」
ぽつりと彼女はそう呟くと、拗ねてしまったようにそっとそっぽを向いてしまった。
完敗である。彼女の端正な顔も、小柄な体つきも相まって、なんというか言う事を聞いてあげなければこちらに非があるような立ち振る舞いは、正直反則だ。
多分、これは僕じゃなくたって多少のいう事は聞いてしまうのだろう。そう信じたい。
「わかった、わかったよ。負けたよ。確かに僕ばかり名前で呼ばれているのは少しフェアじゃないもんな」
僕がそういうと、彼女はこちらに向き直り、ぱぁっと顔を輝かせた。
「ほ、本当か!!じゃ、じゃあ……」
期待の眼差しをこちらに向ける……。
なんというか、自然に名前呼びにシフトしていくわけではなく、こう宣言して名前を呼ぶのってなんだか、緊張するな……。
そんなことを思いながら、僕は照れ隠しに頬をかく。
「えー……と。茜、さん」
そう呼ぶと、彼女はにひひと笑いながら満足そうに頷いた。
「うん、うんそうだ。そうだぞ善一。私は茜だ!」
多分、この時の僕は緊張と恥じらいで顔を真っ赤にしていたのだろう。
何しろ、よく考えなくても僕は、女性の名前を呼んだのはこれが初めてなのである。
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