ありきたりな敬具を

 綺麗なんて、嘘っぱちだ。

 廊下を走る足音も、教室からの笑い声も。鳥が羽ばたく音も草木の匂いも、何より僕自身だって。

 期待と不安と妬みは甘く混ぜられ、当然の顔で今日を生きていく。僕の事なんか知らず、僕の事を置いて。

 今日という存在が本当に現実として形を成すかはわからず、神様なんかは僕を見捨てて世界を撫でていく。いつ終わるかもわからないおもちゃ箱で、僕は売れ残ってしまった劣化品だから。

 世界の気まぐれで捨てらた毎日で見向きもされない僕は今日も一人、教室のちっぽけな特等席で傍観をする。


 まるで人と人を小さな箱に閉じ込めたのかと錯覚してしまうような世界は、音とオトが混ざり合い何もかもを支配する。聞こえない、聞きたくもない遠くの喧騒を通り抜け、僕はそっと肩を落とした。

 まだ一般客もきていない、こんなにも朝早い時間でも賑やかな声は普段以上で。あぁ、今日も世界は僕が必要ないんだ。

「……」

 ふと目に止まった場所には、物置部屋のようにされた画材だらけの部室。がらくただらけの部屋の中にはあの時と変わらない色とりどりな世界が広がっていて、それを見てしまうと僕の頬は自然と緩んでいた。代わりと言わんばかりに廊下へと並べられた絵達はまるで感情を持っているようで、その中にはもちろん彼女のだってある。

 そのさらに横に位置する教室から漏れ出る音は、音と音が行き交う交差点だ。一粒一粒はっきりと、かと思えば流れるように繋がるように。知識のない僕にはわからないそれには彼女の音があるかなんて聞き分けはできなくて、どこか申し訳なさすらも感じてしまっていた。

 そんな世界を横目に歩き、階段の前で立ち止まる。白衣の彼がよく煙を吹いている、屋上へと繋がる階段。

「……暇だし」

 別に僕がここから抜けたところで、クラスの出し物には影響しない。誰も気づかないし、誰も探さないから。

 ゆっくり、一つ一つ。

 錆びついた階段は物言わぬ顔で、今日も小さな声で僕の事を呼んでいた。普段よりもどこか遠く感じてしまうそれがひどく悲しくも思え目を伏せると、ありきたりな幸せを逃がす。どうせ誰も、拾ってはくれないから。

「なにも、変わらない……」

 見つめた先にあるのは、いつもと同じように屋上でかけられている立ち入り禁止のウェルカムボード。それを無視してドアノブへ手をかけると、風の音に乗せられて聞こえてくる喧騒がどこか愛おしく、僕はどうしようもない感情と共にそっと頬を緩めた。

 落とした視線の先には小さな人影ばかりで、僕の事なんて誰も見ていない。それがどこか寂しくて、苦しくも感じてしまった。これが僕の、望んだ事なのに。

 ふらりふらりとゆっくり、柵にもたれかかる。視界に広がる青空と雲は漫画の世界を切り取ったようで、僕に現実を見せてくれない。わかっている、今こそが現実だって事くらい。

「……その、さ」

 小さく、小さく零すように言葉を紡ぐ。

「……僕の話を、聞いてくれ」

 空に放ったその言葉を聞いてくれる人なんて、もちろん誰もいなかった。


 ***


 普通はどこにあって、どこが普通なんだろうか。

 幼いながらに感じていたそれは僕にとって違和感でしかなく、その感情こそが僕の普通だと思っていた。

 普通がフツウではなく、その思考こそがふつうである。その考えが僕には理解できず、世界はこれが平等だと思っていた。


 ――お前って、ちょっと変わってるよな

 

 誰に言われたかは、もう覚えていない。

 それでもちょっと変わっているなんて、そんなのわからなかった。僕は結局僕でしかなく、他の人間がわからないのだから。しょせんは僕だって同じ穴の狢なんだと、あの時にはっきりと理解をした。僕は、人の心がわからないんだって。

「みんな、同じだと思っていた」

 違ったんだ、何もかも。

 僕の物差しはしょせん僕のもので、人の物差しの幅はわからない。僕よりも小さければ、比べものにならないくらい大きいかもしれない。平等なんて言葉は存在せず、同じなんて線引きはどこにもない。それなのに目に見えない何かは僕達を同じにし、世界を平等という名の殻で固めてしまった。これじゃ何も、掴めない。

「見れば、わかるのかな」 

 小さく空へ、言葉を放つ。

 ふわりと浮かんだ感情は行き場もなければ捨てる場所すらなくて、僕に今日も出ていけと叫んでいた。行き場なんてない、どこに追い出そうとしているのか、僕には理解できない。

 いつだったか教室の片隅で、小さくノートの白い場所に書いたのはそんな感情。

 どこにも吐き出せないそれはどうにもならず、僕はただひたすらに綴る事しかできなかった。

「……わからない」

 何もかもが、僕自身が。

 世界に嫌われた、見捨てられた人間が行き着くのなんてゴミ箱でしかなく、僕だってゴミ箱に相応しい人間なのだ。陽の当たる場所が似合う人間が、こんな感情を持つのはきっと許されないから。


 あぁ――思えば想うほど、息苦しく生き苦しい。


 込み上げる苦しさは質量を増し、僕にこれでもかと言うくらいにのしかかってくる。きっと神様は、これからもこうして僕達に不平等な世界を作り続ける。誰も望んでいない、そんな理想論の世界を。

 それならば、いっその事僕は――


「僕は世界を、傍観する」

 

 僕という世界が動きを止める、その日まで。

 言葉を見て、人を観る。光も闇も、裏も表も。チグハグに切り離されたそれらを見れば、僕の求める答えはどこかに存在するのかもしれない。何もやらず、ただひたすらに。

 それが見つかる、いつかまで。

 僕は世界を、傍観するんだ。


 ***


「…………」

 観客なんて存在しない、独りよがりの独演会場。

 溜息を添えながら目を細めて、首を振る。風に乗って聞こえてくる声達は変わりなく、むしろその大きさを増している気がした。あぁ、世界は今日も他人事で進んでいるんだ。

「本当に僕は、ぼくなのだろうか」

 ここまで見つめてきた世界も、僕を支配する名前のない感情も。

 見てきたものが本物かだなんて誰にもわからないし、誰も答えてくれない。もしかしたら信じていた世界達も、僕の中での幻想でしかないのかもしれないから。

 何を信じればいいかもどれを見ればいいのかも曖昧になっていた僕には、同意してくれる人間なんていない。僕は、疲れたんだ。


「なぁ、そうだろ――梶原」

 

 手を伸ばした先には、誰もいない。

 綱渡りの世界はどれだけ触れても不安定で、今日だってこうして僕は生きている。世界を撫でて、世界を羨み。

 そっと目を閉じて肩から力を抜くと、まるで誰かが包み込んでくれているようで。

 僕は頬を緩ませながら静かに、弧を描いたんだ。

 

 これは誰にも救われる事のなかった、静かに傍観を決め込んだ世界のお話。

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拝啓、世界を傍観する僕へ よすが 爽晴 @souha

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