1.「雨の日の訪問者」



 随分と、懐かしい夢を見た。

 降りしきる雨の中、ヘンリーは目を覚ました。寝ていたのは硬い床の上で、流石に二日連続でベッドを使わせてもらうのは申し訳ないと思いったからだ。

 まあもっとも、部屋の主人はついぞ帰ってこなかったようだが。

 身体を起こし、軽く伸びをする。


「んっ……」


 すんすんと鼻を鳴らすと、相変わらず酷い埃の臭いに混じって、自分も大概になっていることに気づく。

 そういえば、最後に風呂に入ったのはいつだったか。

 いい機会だ。まとまったお金も入ったことだし、風呂にでも行くべきだ。

 結局あの後ルバートには会えず、代わりに面識のない受付嬢に金貨を二十枚も渡された。しかし、ルバートには引き合わせてはくれなかった。


 とはいえ、金貨は金貨である。金本位制であるこの国の相場で言えば、破格の報酬だ。

 これがあれば武器をちゃんとした手入れに出すことだってできるし、タルパに断って宿に泊まることもできる。

 いつまでたっても彼の厚意に甘えるのは、流石にまずい。それに、このままだといつ自分の秘密が明らかになってしまうか、気が気じゃない。


 家から出立した際に、せめてもの慰みとして兄が渡してくれたペンダントを胸元から手繰り寄せる。銀製の、緑の結晶が嵌め込まれたそれを見る。

 叔父がこれの価値に気づいていなかったのは、幸いと言うべきか。


 ともかく、タルパの無事を祈るしかない。

 少なくとも、治癒院の代金やら何やら、返さないといけないのだから。生きていてくれないと困る。


 そんなことを考えていると、不意に扉をノックする音が響いた。

 やっとか。

 とはいえ、嬉しかった。

 

「待ってくれ。今、開けるよ」


 しかし、扉を叩いたのはタルパではなく。

 組合の受付嬢だった。


「あっ、ヘンリーさん! 良かったぁ、無事だったんですね!」

「う、うん。ところで」


 何でここに?

 というか、何故タルパの自宅を知っているのか。冒険者の情報は帳簿で管理されているだろうが、末端にまで知れ渡っているとしたらザル過ぎないだろうか。


「あ、いや、違うんですよ? ほら、タルパさん、ちょっと抜けてるところあるじゃないですか? 一度、討伐証明の部位をそのまま、そのまま腐らせてしまったことがあって。だから、時々出向いては様子を見てるんです」


 大物の依頼ともなると、証明のために頭部を持ち帰ることもままあるという。それを腐らせれば、たしかに問題だ。


「な、なるほど。たしかにそれは大変だね。ところで、僕には一体何のようだったのかな?」

「あっ、すいません!」

「いや、かまわないけど」


「私ってばついつい話が逸れちゃうんですよね」と、少し恥ずかしそうに彼女は笑った。

 それに釣られてか、こちらも少し微笑む。


「えっとですね、そのぅ……」

「随分歯切れが悪いけど、どうかしたのかな?」

「実は、ですね。領主様からの直々のご指名で───その、ヘンリーさんを連れてこい、と」


 申し訳なさそうに、彼女は言った。

 どうにも、自分は想像以上のおおごとに巻き込まれているらしい。


 *


「まあ、かけたまえ。さて、何でここに呼ばれたのかはわかるかな?」


 アザレアの属するフランツ領を治める領主、エルンスト・フランツ辺境伯の住まう領主館は、ヘンリーが想像していた以上に質素なものだった。

 申し訳程度にカーペットが敷かれているが、それだって薄汚れていて、ところどころがほつれているような有様で。

 年の頃は三十半ば程だろう。禿頭に、鍛えた上げられた肉体。一見武曽と見紛うばかりだが、


「いえ、自分には何が何だかさっぱり」


 本当のことだった。

 思い当たる節は1つだけあったが、多分それは違う。

 そう返すと、すこし大げさに驚いたように、


「それは本当か? ルバートから説明は聞いていないのか?」

「ええ、実のところ、組合長とは昨日の依頼以降会っていません」

「ふーむ、それは弱ったな。しかし、そうなると。どこから話したものかな」


 そう言うと、エルンスト辺境伯は宙を仰ぎ、考え込み始めた。

 しばらくすると、


「まあ一先ずは、だ。今回の依頼、ご苦労様だったな。さて、何か聞きたいことはあるか?」


 そう言うと、意地悪げに口の端を歪める。

 僧侶のような見た目とは裏腹に、どうにもやり難い相手だった。貴族としては異端かもしれないが、腹芸はどう考えてもヘンリーよりは得意そうだ。

 かと言って、ここで素直に聞くのも面白くはなかった。


「そういえば。ここは閣下の所有する私邸とのことですが、街の活気とは裏腹に、どうにも閣下は質素倹約を好むお方のようですね」


 貴族の邸宅は、文字通り家格を表すものだ。それも辺境伯ともなれば、相応の地位を持つ。おまけに、あれだけ街に活気があれば、税収はどこに流れたのか。


 だがそれは、当然相手の求めていた反応なんかではない。むしろただの不敬でしかない。

 しかし、エルンストは怒りすらしなかった。

 むしろくつくつと笑いをこらえるのに必死なようだった。


「どうか、なさいましたか?」


 そう素知らぬ顔で聞くと、やはり堪えきれぬといったように笑った。今度は隠しもしなかった。


「くっ、くくくく。いや、なに。これは随分と痛いところを突いてくる、と思ってな。それとも、やっぱり血筋というやつか? なあ、ヘンリエッタ・・・・・・Oミュゼット・・・・・くん?」


 今度はこちらが驚く番だった。

 どこでその情報を手に入れたのか。

 腰に帯びた剣の柄を、手で弄る。空気が一気にひりついた。


「どこでそれを?」

「おっと、まあ落ち着け。刃傷沙汰とは穏やかじゃあない。それに、ここは俺の街なんだ。そしてお前は、俺の街の住人だ。だから俺がお前のことを知ってても、何もおかしなことじゃない。だろう?」

「返すようですが、一市民の情報をそんなに知りたがるなんて、何か恐れていることでも?」


 そう聞くと、途端に相手は笑みを止めた。

 すると先ほどとは打って変わった真剣な目つきで、


「ああ、恐れているとも。当然さ。当然のことだ。ましてや、他国を追放された貴族なんて、見逃していいはずがない」

「それで? 閣下は私をどうするおつもりですか?」


 そうだ、相手とヘンリーは向かい合うように座っており、その間を阻むものも、邪魔する者もいない。そして相手は丸腰で、自分は武装している。

 とはいえ、それは最悪の選択肢でもあった。そんな卑劣な行いをするくらいなら、首を掻っ切った方がまだマシというぐらいだ。


「いや、誤解はしないでほしい。俺はお前と敵対するつもりはないし、このことを第三者に話すつもりも毛頭ない」

「では、閣下は私に何を望まれるのですか?」

「いや、何も」

「でしたら───」


 私は戻らさせていただきます。

 そう告げようとして、


「まあ待て。時にお前はこの街を見て、どう思った?」

「……活気に満ち溢れていて、大変素晴らしい街だと思います。帝国とは、違いすぎます」

「素晴らしい街、か。だがね、それは見かけの話に過ぎない。時にお前は、『冒険者制度』とは何か、知っているか?」


 そんなこと、当然ヘンリーは知っていた。

 まだ成ってからの日は浅いとはいえ、まがいなりにもヘンリーも冒険者だ。


 冒険者制度とは、即ち労働者組合の新しい一形態だと聞く。

 商業組合や職人組合とは違い、主たるのは街の雑事や魔物退治を専門に請け負う。

 さらに入会が認められれば、第一市民権の獲得に、北方諸国間での一部通行税の免除。正に至れり尽くせりだろう。

 だが、こんなやり方をすれば各地の領主たちが抗議するであろうことも間違いない。しかし現実としてそれを抑え込み、さらにはジルコニア王国だけではなく、数カ国間で導入すらされているのだ。

 これは驚嘆に値することだった。


「と、いうのは表向きの話でな。設立されたのは約二十年ほど前から。世に言う亜人戦争が終わって、亜人共和が解体されてからの話だ。

 ───当時は酷いもんでね。戦争に勝ったと言うのに得るものは殆どなく、街には失業者が溢れかえった。おまけに兵隊は野盗化する有様だし、そこかしこで暴力沙汰が絶えなかった。さらには戦時中に築いた砦を魔物に占領される始末だ。

 おまけに亜人共和によって押さえ込まれていた南方の国々も、虎視眈々とこちらき宣戦布告する機会を狙っていたときたもんだ。

 ───そこで、だ。国は一計を案じて、『生活幇助組合』を立ち上げたのさ。これが冒険者組合の前身だ」


 実のところ、帝国はこの戦争に二度ほど出兵したことがある。

 だが、二回とも結果は惨憺たる有様だったと聞く。各国の兵の足並みが揃わなかったのもあるが、とにもかくにも、亜人はゲリラ戦が上手かった。

 数こそ多くはないが、勾配や地の利を活かし、縦横無尽に暴れまくったらしい。

 父もこの戦争に参加したらしいが、酷いものだったとよく言っていた。

 犠牲に対して利がさして得られないのが分かると、直ぐに兵を戻し、武器の輸出で財源の確保を図った。


「そこでテストケースとして、こっちで試験的に導入された。街も立て直され、失業者の割合も大幅に減った。めでたしめでたしと言うわけだ。とはいえ、魔物を殺したところで貨幣を落とすわけでも、金になるわけでもない。半ば公共事業みたいなもんだ。『大災禍』の際に各国から援助があったとはいえ、国庫から出すしかなくてな、だからどこもカツカツなんだ。

 ───これが一つ目だ。さて、他にあるかな?」


 わざわざ聞いていないところまで教えてくれる辺り、この御仁はこう見えてお喋り好きなのかもしれない。

 とはいえ、質問に答えてくれたというのは事実だ。それに、援助を施した国に帝国は含まれていない。耳の痛い話でもある。


「失礼しました、閣下。出すぎた真似をお許しください。次いで先ほどの言は、うわごとの類とお切り捨てください」

「はは、構わないとも。───では、二つ目に行くとしようか」

「二つ目、とは?」


「───知りたがっていただろう? ゴブリンの巣で見たであろう、あの巨大な魔物についてだよ」

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鉄輪のタルパ @pechi344

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