第二章 剣を掲げよ、冒険者たちよ

プロローグ②

 ヘンリエッタ・・・・・・・O・ミュゼットの、彼女に関する、忘れ難い三つの記憶の話をするとしよう。


 一つ目は、抜けるように高い青空の日のこと。そよそよと吹く風に、踊るようにうねる草はらの上。その日、自分は憧れを見た。

 焦がれたのは、自らの父であるユアン・O・ミュゼットのその美しい剣舞だ。


 私の父であるユアンときたらモノグサで、貴族としての威厳にかけると専らの評判で、「成り上がり」と陰口を叩かれるような始末であった。

 おまけに寄る年波にも勝てず、シワは増え、前髪も徐々に後退してきている。とどめには若い女中メイドにしょっちゅうセクハラする助平親父で、それを兄に咎められる様なんて情けなくて仕方なかった。

 そんなモノグサ中年で、ハゲ気味で、スケベであるユアンに誇れるものがたった一つだけある。

 何度か、御前試合でユアンの戦っている姿を見たことがある。それは普段の彼からはおよそ想像もつかないような、清廉で、それでいて典雅な、まさに“舞い”と呼ぶにふさわしいものだった。

 その腕前と評判の及ぶところは、皇帝陛下ですらも賛辞を尽くし、師事しようという騎士も後を絶たないというところで。

 さらには、その剣の腕前一つで御前試合を勝ち上がり、皇帝会議にすら参加を許される二十六貴族に列挙されるという快挙すら成し遂げた。

 口さがない貴族は彼を「成り上がりの田舎貴族」と揶揄するが、平民たちからは英雄視すらされていた。

 だがユアンはそれをさして誇ろうともせず、ましてや鼻に掛けるでもなく、ひとりの家庭人としてあることを第一とした。

 実際のところ、私はそんな父が大好きであった。自慢だった。たとい誰がなんと言おうと、世界最高の父親だった。


 ある日、自分は父に『あの剣舞をもう一度見たい』と無理にせがんだことがある。

 最初は渋ったが、てこでも動かぬという私の熱気に根負けしたのか、やがて『しょうがない』と首筋をぽりぽり掻いて、書斎から出てきてくれた。

 そのまま私の手を引いて中庭に立ち、私のためだけに剣舞を披露してくれた。やはり剣を振るう父の姿は勇ましく、美しく。

 それはまさしく、一陣の風となって。

 春嵐のごとく、私の胸の中に吹きすさんだ。

 自分もまた剣をとろうと決意した、まさにその瞬間になった。



 二つ目は、その父が身罷った日のことだ。

 そんな素晴らしき父の生は、病でもって締めくくられた。どれだけ身体を鍛えようと、人に慕われようと、病に打ち勝つことはできない。

 私は泣いた。三日三晩泣き尽くした。涙枯れ果てもう声も出ぬとなってなお、嗚咽は留まることはなかった。

 弔事には多くのものたちが参列した。今は亡き先代皇帝、同じ貴族たち、何ちゃら騎士団の団長とやらまで。

 弔った皆は口を揃えて、自らの父がどれだけ素晴らしいかを説いた。そんなことはとうに知っていた。だけど、やっぱり他人の口から聞けると嬉しかったのも事実だ。



 三つ目は、父が死んでから三年が経ち、先代が崩御し、さらには反りの合わない叔父が新しく二十六貴族に勅許された日のことだ。

 その日のことは、未だ記憶に新しい。

 降りしきる雨が、冷えた身体を打っていた。

 私は家から、帝国から放逐されたのだ。

 残念なことに、思い当たる節なんていくつもあった。

 婚約者の横っ面をひっぱたいたことか? それとも、叔父上に面と向かって『卑怯者』と言ったことか? 或いは、未だに剣を捨てようとはしなかったからか。

 ともかく、私は剣術だけでなく、父の悪いところまで倣ってしまったようだった。



 さらに追い討ちをかけるように新しく皇帝となった聖上は、叔父を含む一派の貴族の傀儡そのものであった。

 国の舵取りが暗闇へと帆を張って向かい始めたのは、誰の目にも明らかに見えた。

 爵位を継ぐことが出来ない私は、それを指をくわえて見ることしか許されていなかった。

 貴族たちは横暴を極めた。平民から搾取し、自分たちは豪奢な生活に溺れた。

 私はそれが許せなかった。許せるはずなどなかった。


 ───だから、決意した。


 かつての父のように、自分も剣一つで諸国を駆け回ろう。いつか憧れたあの姿に、届けるように。

 そして、認めさせる。認めさせなきゃいけない。

 そう、私は。

 冷え切った身体に灯った熱を、

 我が心には正義の剣を、

 英雄にならなければ、いけない。

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