空でやけっぱちな声が響く

四葉くらめ

空でやけっぱちな声が響く

お題:犬猿の仲、空、バス


 私はバスの一番左前の席に座っていた。バスは規則的なエンジン音を掻き鳴らし、まるで泳ぐように前へと進んでいる。

 バスの中に人間は二人だけだ。高校の制服を着た私と、もう一人は私と同じ高校の男子用制服を着た男だ。男はバスの一番後ろに座っている。

 それだけである。「運転手を除いて」などといった副詞句が省略されているわけではなく、本当に二人だけなのだ。私の席からは運転手のいない運転席が見え、そこではハンドルが勝手に右へ左へと回っている。ときどきクラッチハンドルが動くのがやけにリアルで、誰もいないのではなく透明人間がいるんじゃないかと錯覚しそうになる。しかし、そこに誰もいないことはさっき私が運転席に座ることで既に証明されていた。

 右に向けていた視線を今度は左――窓側へと向ける。窓の外では時々白い物が通り過ぎ、遠くに山の稜線が見える。そして下を見ると道路がとても小さく見えている。道路だけではない。下では家々の屋根や、学校の校庭なども見える。その小ささから、このバスと地面の間にかなりの距離があることが分かる。

 バスは規則的なエンジン音を掻き鳴らし、まるで泳ぐように前へと進んでいる。

 地面からの震動は、伝わってこない。


   ◇◆◇◆◇◆


「で? どーなってんだよこれ?」

 後ろの男が苛立たしげに三度目になる問いを空中へと放る。

「さぁ」

 私はこの男が嫌いだ。犬猿の仲と言ってもいいだろう。この男はデリカシーが皆無で、私と話すたびに私を怒らせ、彼自身も怒る。今の彼が苛立たしげにしているのもこのよく分からない状況のせいなのか、それとも私と二人きりにさせられているからなのか、怪しいところだ。

「相変わらず腹立つ女だな……。話しかけてんだから本読むの止めろよ」

「本読んでんだから話しかけんじゃないわよ」

「お前、この状況なんとかしようと思わねぇのかよ」

「何? その議論はもう三回目だけど、そう言うからには何かしらの案は出たのよね?」

「お、お前はどうなんだよ?」

「そもそも考えてないわ」

「なっ、お前。じゃあこのままでいいのかよ!?」

 パタリ

 本を閉じる。私は一瞬、本を鞄の中にしまうか否か迷ったが、しまわずに膝の上に置く。どうせ、この言い合いもすぐに終わってまた読み始めるだろうからだ。

「じゃあ、あなたの考えを聞かせて貰える? 解決策は出ないなりとも何かしらは考えていたのよね? 今の口ぶりからすると」

「え……、えーっと、そうだな……」

 どうやら、何も考えていなかったらしい。

 私は本を開――

「待て待て待て! じゃあもう一回、このバスの中に閉じ込められる直前のことを思い出してみようぜ!? な!?」

 ――けるのを止め、ため息を吐きながら、記憶を遡る。

「と言っても、私はいつも通り通学に使っているバスに乗って――」

「嘘吐け、お前いつもはもっと前のバスに乗ってんだろ」

「なんで知ってるの? ストーカー?」

「ちっげぇよ! 俺はお前と通学中に合わないようにいつもお前より遅いバスに乗ってんの! なのにお前、俺のバスに乗ってきやがって。遅刻か? 寝坊か? 優等生さんも寝坊なんてすることあるんだなぁ? おい?」

「ちょっと人聞きの悪いこと言わないでくれる? 昨日、猫の動画を見てたら深夜になっちゃって、今日少し起きるのが遅くなっただけよ」

「それ寝坊じゃね――のかよ!?」

 寝坊ではない。決して。

 自らの意思で目覚まし時計を止めてベッドから起き上がらなかったのだから、計画的起床の範疇だ。

「それで、私がバスに乗ったときにはもう他の客はいなかった。っていうか運転手もいなかったんだけど、先に乗ってたあなたは気づかなかったの? 客も運転手もいないバスによくもずっと乗ってたわね? その注意散漫さは尊敬するわ」

「お前、俺の言葉を無視した挙げ句に軽蔑の視線浴びせながら尊敬するの止めろ。俺はちょっと考え事してたから周りを見てなかったんだよ」

「ふーん? 考え事って?」

 この考えなしの男が考え事とはまた滑稽な話だ。

「べ、別にお前にゃ関係ねーよ」

「あっそ。まあいいわ。で、その後私がおかしいと思ったときにはもうバスが走り出して、そのまま空に昇っていったのよね」

 正直さっぱりだ。

 エンジン音、バスの内装、シートの感触。そのすべてが現実感に溢れていたが、起こっている状況がまるで夢だ。しかし、夢ということもあり得ない。なぜなら私の夢にあの男が出てくるというのが現実的で無いからだ。夢の内容に現実的というのはおかしいかもしれないが。


   ◇◆◇◆◇◆


 それから数分、私は外を見ていた。

 どうやらこのバスは一定の周期で同じルートを周回しているようだ。今私の下に広がっている住宅街の景色はさっきも見た。

「ん? なんだこれ?」

 私が声のした方を向くと、あいつがある座席の下から紙切れを見つけたようだった。

「『ミッション1/5:凄いハイテンションでマイムマイムを踊れ!(振り付けはてきとうでいい)』」

「…………」

「…………」

 やけにエンジン音がうるさい。

「えーっと、そのぉ」

 彼が何かを言いたそうにしている。それに私はできる限り――少なくとも彼には向けたことの無いような笑顔で、

「頑張って!」

「うおおい! お前、俺だけに踊らせるつもりかよ!? 一人でハイテンションにマイムマイム踊れってか!? 一人で!」

「ぷっ」

 やばい、想像しただけで笑ってしまった。

「笑ってんじゃねぇよ!? フォークダンスなんだから一人じゃ踊れねぇだろ!」

 絶対に嫌だ。

「じゃあこうしましょうか。私はマイムマイムの歌詞をサビしか知らないの。そんな状態で踊りたく無いわ。もし私を踊らせたかったら歌詞を全部教えてちょうだい」

「そんなの覚えてねーよ!」

 まあ、そうでしょうね。私だって覚えてないだろうと思ってこんな条件出したんだもの。

 私は口元に笑みを浮かべながら、小説のページを捲る。

『#1

 さばくの まん中 ふしぎなはなし

 みんなが集まる 命の水だ


 ※

 マイム マイム マイム マイム

 マイム ベッサッソン

 マイム マイム マイム マイム

 マイム ベッサッソン

 ヘイ ヘイ ヘイ ヘイ!

 マイム マイム マイム マイム マイム ベッサッソン

 マイム マイム マイム マイム マイム ベッサッソン


 #2

 らくだも集まり キャラバン休む

 緑のオアシス 夢かとばかり


 ※へ


 #3

 お祈りわすれりゃ これまた ふしぎ

 たちまち消えさる 魔法の水だ


 ※へ


 ※へ


 マイム マイム マイム マイム

 マイム ベッサッソン

 マイム マイム マイム マイム

 マイム ベッサッソン

 ヘイ ヘイ ヘイ ヘイ!

 マイム マイム マイム マイム マイム ベッサッソン

 マイム マイム マイム マイム マイム ヘイ!』


「どうやら、私も踊らなきゃいけないようね……」

「え?」

 ページを捲った先には物語の続きなんて一切書かれておらず、ひたすらにマイムマイムの歌詞が印刷されていた。しかも最後はサビを三連続で歌わなければならないらしい。

 マイムマイムの歌詞が書かれたページを未だに踊ろうか悩んでる彼に見せつける。

「いいわ、踊ってやろうじゃない。やってやるわよ! でも『振り付けはてきとうでいい』ってどういうこと?」

「確かマイムマイムって大勢で手を繋いでやる踊りだから、二人じゃそもそもできないんじゃねーの」

 なるほど。そういうことか。

 私と彼はバスの中ほどの広い部分で向かい合い、両手を取る。するとどこからともなくBGMが鳴り出した。

 とりあえず踊る。ある程度の声は出すが、テンション高いってどういう風に判定されるんだろうか。

 そう思いながら三番を歌いきって終わ――らない!?

「なんでよ!?」

「あれじゃねーの! テンションが低いって見做されてんだろ! お前恥ずかしがってないでもっと声出せ!」

「それはあんたもでしょうが! 振りが小さいのよテンション上げなさいよ!」

 もうなんかよく分からなくなってきた。私は一体何をやってるんだろう。空飛ぶバスの中で犬猿の仲の男子と一緒に尋常じゃ無いテンションでマイムマイムを踊っている。


「「――マイム マイム マイム マイム マイム ヘイ!」」


 そして、今度はきちんと判定を貰えたのか、曲が止まる。

 つ、疲れた……。

「ねぇ……」

「あんだよ……」

「さっきの紙……ミッション「1/5」って書いてあったわよね……」

「今は疲れてんだから思い出させんなよ……」



 その後、更に難度の高いミッション四つを私たちはなんとか達成していき、バスは学校近くのバス停に到着した。

 かなり長い時間バスの中にいたはずなのだが、不思議なことにバスは予定通りの時間に着いていた。

 バスを降りる。私と彼はフラフラになりながら体感数時間ぶりの地面を踏みしめる。

「なぁ……」

「何よ……」

 彼の顔を見る。いつもなら嫌悪感が湧き出てくるところだが、もうそんな元気も無い。彼の方も顔から生気が抜けていた。

「今日もう帰らねぇ?」

「…………賛成」

 サボりの提案なんて普通は乗らないところだが、なんと言ったって今日は普通じゃ無い。

 私たちは次のバスが来るまでベンチでぐったりとしていた。



 ここで徒歩を選択しなかったことを、数分後、私たちはめちゃくちゃ後悔することになる。


   〈了〉

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空でやけっぱちな声が響く 四葉くらめ @kurame_yotsuba

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