第10話

 秋の月夜に、獣の姿が浮かび上がった。

 超高層ビル群の屋上、戦いを制した狼は、勝利の雄叫びを上げる。

 足元に散らばるキメラの残骸を踏み潰し、側で待機していた観客に片手を上げ、合図すると、その獣は瞬く間に、人間の男へと姿を変えた。

 パチパチとまばらな拍手。


「魁、変化も大分スムーズになってきたじゃないか。戦い方も以前よりスマートになった。やっと、修正プログラムが効いてきたってことだな」


 スーツ姿の七三の男。柳澤生体研究所の所長、柳澤圭司だ。

 ジャケットが夜風をはらんで、パタパタと音を立て、ネクタイがそよぐ。


「そうだな……。『野獣』から『人間』に戻るのは、前は結構辛かった。悔しいが、今はいい感じだよ。流石、教授」


 魁は、いやみったらしく近づいてくる柳澤と、その奥で待機する女性に目を向ける。

 白衣を着た、若い女性が、彼の視線に気付き、にこりと挨拶を交わす。


「……なんか、だいぶさまになってきたよな、あいつ」


「悪いが、相当使える。なかなかの逸材だ。お前が出会ったのも、意外と偶然じゃないのかも知れんな」


 柳澤は横目でちらりと彼女を流し見た。

 女は階段を駆け上がってきた研究所員たちと共に、てきぱきと事後処理を始める。機材を運び、操作し、肉片を始末し……。もう何年も、こんな現場に立ち会っていたかのような、そんな動き。


「橘病院のお嬢さんがこんな血生臭いことをしているなんて、世間にはお見せできんな。よくあの院長が許してくれたものだ」


 柳澤は感心したように頷き、手をこまねいた。


「柳澤……、お前、あいつが橘病院の娘だって知ってて近づいたんだろ?」


 魁は柳澤の肩に手を回し、彼女に聞こえないようにコソコソ耳元で囁いた。


「まさか。偶然だ」


「嘘付け。院長ともグルだな」


「憶測でモノをい言うな」


「あそこで俺と和泉が出会ったのが偶然だったとしても、彼女が橘病院の娘でなかったら、こういう結末はありえなかったはずだ」


「何を言い出す」


「でなきゃ『一般人には知られちゃいけない』ことをわざわざ喋るために研究所に呼び込んだりさ、しないだろ? わかってんだよ、お前の腹黒さは」


 魁はぐりぐりと、柳澤の整った頭に、自分の雑把なつんつん髪を押し付けた。柳澤も負けずに、自分より頭半分背の高い魁に、背伸びして頭を押し付ける。


「私をすぐに悪者扱いするな。……私はお前たちの今後を思って、常に行動しているだけだ。可哀想な、私の、子供だからな」


「うへぇ。誰が」


 魁は汚いものを触ったかのように、大袈裟に柳澤から離れる。

 すっかりぼさぼさになった髪をコッソリとき、柳澤は乱れた着衣を直した。


「俺、知ってんだぜ。本当は、和泉にはもう一つ選択肢があったってこと。……『記憶処理』だっけ? 出来るんだろ?」


 今日の魁は冴えている。普段難しいことを喋る男ではないだけに、彼は拍子抜けし、絡みづらいようだ。

 肘で柳澤のわき腹を突き、答えを急かす魁に、仕方なしに答える。


「──もし、あの場で彼女が、『死』か『野獣』か、どちらかを選んだ場合は、迷わず記憶を消すつもりでいたのは認めるよ。院長の娘さんだしな。だが、彼女は三つ目の選択肢を作り、選んだ。アレだけ怯えていたにも関わらず、だ。強い娘だよ」


 柳澤は、彼女と、その奥に広がる夜景を、眩しそうに眺めた。

 彼女はあの時、「魁と同じ世界にい続けるために、研究者として『野獣プロジェクト』に携わる」道を選んでいた。大学を卒業するまでの間は、アルバイトとして、その後、正式にプロジェクトに参加することを約束して。生半可な気持ちではそのような決断をすることはないだろう。彼女なりに、魁という存在とであって、何かしら感じることがあったのだろう。

 秋の風が身に染みる。九月も半ばに近づけば、夜はぐっと冷え込む。ただでさえ、都会の風は冷たい。

 風に乗って血の臭いがたちこめる。魁の獣の感性がぴくりと反応し、ぞわぞわっと、全身の神経に伝わる。それでも、今までのように自分を失って、捕食に走らないだけありがたい。


「記憶を消してしまえば……、何も、こんな凄惨な場所で、俺の後始末なんてすること、なかったのにな」


 魁はポツリと呟いた。

 本音を言えば……、彼女には、普通の暮らしに戻ってほしかった。自分と同じ、闇の世界で暮らすことを、避けてほしかった。だが……。


「何言ってんのよ、魁。私は後悔していないわよ?」


 後始末を終え、和泉が魁と柳澤へ寄って来る。

 真夜中のビルの上でも、彼女の姿は美しく輝いて見える。闇に落とした宝石箱の、その中でひときわ輝く、ダイヤモンドのように。


「ウチのお父さんも、いずれは私に『野獣プロジェクト』のことを話すつもりだったみたいだし。遅かれ早かれ、私はこの中に混じることになっていたみたいよ?」


 その笑顔に救われる。迷いのない瞳。こんなにも暗澹とした、残酷なゲームも、彼女の美しさを奪うことは出来ないのだ。


「ところで……、澪ちゃんは? 今日もお留守番?」と、和泉。


「そうそう。俺がヴァージョンアップしたら、すっかり自分の出番がなくなったとかで……、ふてくされてるよ。『柳澤の奴、余計なことしやがって』とか言ってな」


 魁の言葉に、柳澤は目を逸らし、こう答える。


「私は、ハッピーエンドは嫌いなのだよ。片方がよくなれば、片方に都合が悪くなる。それが世の中の摂理だ。全てが満たされる結末などありえない。……本当の幸せなどという都合のいいものなど、この世には存在しないのだから」


「そうだな……」魁が続ける。


「あの時、和泉の記憶が消えても、もしかしたら、どこかで俺のことを思い出してしまっていただろうな。……携帯電話の忘れ物、あの時の血のついた服、全部マンションに置き去りだったし。それに、澪のことだって……」


 そして、口をつぐむ。


「澪と、和泉と、どっちを選ぶか、決まったのか? 両方か?」


 柳澤の皮肉。カチンと来る魁。


「それは……。今話すことじゃないだろ?! 撤去だよ! 撤去!! 戦闘は終わったんだから、これ以上ごたごたを増やすなよ、柳澤!!」


 いつもはにこりともしない柳澤が、ぷっと吹き出し、大声で笑い出す。つられて、魁も和泉も、コレでもかとばかりに大笑いする。

 風は冷たい。身体の芯から凍らせるほどに。夜の闇も、果てしなく暗い。その黒に呑み込まれてしまえば、身も心も、堕ちる所まで堕ち、どんどん黒く染まっていく。

 それでも……、月が夜空に輝くように、己の命をきらめかせる、眩しすぎるほどに。

 満月に近づいた月が、今日は一段と輝いている。

 澄み切った夜空、雲ひとつない。

『野獣』たちは、幻影のように、闇へと消えていった。



<終わり>

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野獣 天崎 剣 @amasaki_ken

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