第3話 老兵と狼


 数日後、真黒はアパートの自室で珈琲コーヒーを飲みながら、地方新聞へ目を通していた。部屋には少し大きな机と、何も並べられていない棚が所狭しと置かれている。探偵っぽい雰囲気の部屋にしたいと言う真黒の要望でこうなったのだが、大半は何の役にも立たないガラクタである。しかもそれだけで狭い部屋はぎゅうぎゅう詰めだ。


「おはようございます、早いっすね」

「見たまえひろし君、例の事件のことで新聞は持ち切りだ。近所の話では、今夜辺り死んだ学生の通夜となるらしい」

「随分と遅いんですね」

「事件だし色々あるんだろ、司法解剖とか」


 手渡された新聞に目を通すと、一面にデカデカと事件の事が書かれている。

──夏休みの合宿で殺人か!? 被害者は高校生2名と教師!!──


「警察はまだ事件の詳しい内容を公開して無いんですか?」

「遺族を配慮しての事だろうね、せめて葬式が終わるまではと。地元メディアだからある程度融通が効くけど、他所のマスコミ相手ではこうもいかないだろうな」


 鼻の利く週刊誌などは、既に詳細を嗅ぎ付けてネタにしていることだろう。事件が事件なだけに、配慮するよう根回しをしてもどこまでそれが持つか……。


「という訳で、今晩は君に学生の通夜へ行って貰いたいんだ。理由はわかるね?」

「死んだ学生の情報を集めるためっすね。でも男子学生と女子学生、両方俺が行くんですか?」

「男子学生、柿崎の家だけでいい、今晩行われるのもそこだ。女子学生の方は財閥ざいばつの娘、赤の他人の入り込む隙は無いだろう」

「あの殺された子、財閥の娘だったのか……。わかりました」


 引き出しの金庫(昨日買ったのだろう)から数万円を取り出しひろしに渡す。これでスーツとはいわないが、もう少しチャラくない服を買って来るよう言い、領収書を切って貰うことまで念を押した。雰囲気だけは本格的だ。


プルルルル……


 ここで電話が鳴る。朝早くから、しかもこんなところへ一体誰だ?


「……私だ」


──何が『私だ』だ! 人の携帯に何度もワン切りしやがってこの野郎!


 真黒が電話に出ると、聞き覚えのある罵声が飛ぶ。

 電話の主は沢で会ったベテラン刑事 、草間であった。


──今日の午前10時だ。30分程なら付き合ってやる。

「ん、わかった。時間通り向かおう、協力に感謝する」

──こっちは忙しい身なんだからな。それと妙な真似はするんじゃないぞ。

「その件は大丈夫だ。10時だな、切るぞ」


ガチャン


「聞いての通り、ようやくお目通り叶うってわけだ」

「今の電話、もしかしてこの前の刑事さんっすか?」


 実はここ数日間、真黒は草間から貰った名刺の電話番号へかけまくっていた。勿論納得がいく事件の真相を聞くためにである。だが忙しいという理由で何度も断られ、最後には電話に出なくなっていたのを真黒が頭にきて、アパートの電話からワン切りしまくったのだった。ワン切りする方もする方だが、それを着信拒否にしなかった方も流石といえる。


「ここを出る時は鍵を忘れないようにな」

「もう出かけるんですか? 10時までかなり時間ありますけど」

「何事もゆとりのある行動が大切だよ」


 まだ7時にもなっていないというのに真黒は出掛けて行った。


「ふん、いかにも田舎の警察署といったところだな」


 10時5分前きっかり、真黒は約束通り警察署に現れた。手には大きな袋をぶら下げている、中身は商店街で買ったリンゴだ。受付の女性に渡そうとするも困惑され、拘置されている人間では無く警察への差し入れだと説明し、笑われた。


「相変わらず騒々そうぞうしい男だな、君は」


 草間刑事が外から現れた。真黒は面食らうも「外回りなのだから当然か」と納得し、そのまま奥へと案内される。運転免許の更新に訪れた人間を横目に、2人は一番奥の部屋へと入って行った。


「よく俺のような一般人に話す気になってくれたな」

「これ以上何かされたら堪ったもんじゃないからな。何度も念を押すが、納得したらすぐ帰ってくれ。こっちは一秒でも惜しいんだ」

「わかっている、こっちも手短に頼みたい」

「さてどこから、と言いたいが、始めから簡潔に全部説明してやろう。お前もそれがいいだろう?」

「あぁ、頼む」


 部屋に婦人警官が入って来た。自販機で買ったお茶と資料がディスクへと置かれる。喉の乾いていた2人は一気にお茶を飲み干した。


「まずは事件当事者の確認からだ」


第二高等学校 2年A組 伊集院いじゅういんひかる 16歳

腹部、胸部を複数個所刺され死亡 顔に切り傷あり

第二高等学校 化学教師 佐山さやま健蔵たけぞう 45歳

胸部を刺された後、背中を刺され死亡

備考:アルコール反応、薬物反応共にあり

第二高等学校 2年C組 柿崎かきざき真也しんや 16歳

転落死による全身打撲、骨折あり

凶器による刺し傷無し

備考:アルコール反応あり


「以上が殺された3名。以下は一緒に居た学生だ」


第二高等学校 2年B組 川原かわはら七瀬ななせ

備考:オカルト部 部長

第二高等学校 2年C組 間々田ままだあつし

備考:オカルト部 副部長

第二高等学校 1年C組 梶浦かじうらかなえ

備考:オカルト部 部員 一時体調不良

第二高等学校 1年C組 竹本まどか

備考:オカルト部 部員 第一発見者


「合宿に参加したメンバーはこれで全員だ。オカルト部の部員は他にも居るが、普段は幽霊部員で部活にも参加していないらしい」

「ん? これはどういうことだ?」


 おもむろに当事者リストへ反応を示す真黒。


「薬物反応の出た教師の事だろ? これから順に説明してやる」

「あ、ああ。そうだ、頼む」


 本当は殺された学生の名前に突っ込みたかったが、敢えて黙っていた。

 そして、草間刑事の事件概要説明が始まったのだ。


「事件まず、第一被害者である『伊集院ひかる』が午後7時前、部屋から消えたことから始まる」

「それまでは各自、部屋に居たんだな?」

「女子学生4人の部屋、男子学生の2人の部屋、教師の部屋と3部屋あった。そして30分前、つまり午後6時30分にはどの部屋にも全員いたことが確認されている」

「なぜそう言える?」

「各部屋に夕食の運ばれた時刻だったからだ」

「待て、俺の部屋に運ばれて来たのは7時を大分過ぎてだぞ?」

「さては後回しにされたな? まぁ小さな民宿だ、勘弁してやれ。くっくっく」


 にやけながらそうなだめ、更に草間は説明を続けた。

 被害者である伊集院は夕食を食べ終え、少し出かけると言い残し部屋を出た。他の女子学生らは気も留めず、もう一度浴場へ行こうという話になった。しかし、部長の川原だけは教師である佐山の部屋を訪れたらしい。


「夜行うレクリエーションのことについて、打ち合わせに行ったそうだ」

「オカルト部らしく、肝試しでも考えていたってのか?」

「まぁそんなところだな」


 しかし男子学生の部屋の前を通った時、佐山の声が聞こえてノックをした。川原がドアを開けると、そこでは男子と佐山がビールを飲んでいたではないか。


「未成年が教師同伴で飲酒!? おい警察! 一体この町はどうなっているんだ!」

「何でも警察にあたるんじゃねぇよ! ただ唯一残ったこの間々田って奴は飲んでなかったらしい。たが証拠を隠滅いんめつしようとしやがったから、そのことで叱ってやった」

「自分は飲んでなくても見つかるとまずいと思ったんだな。で、それから?」

「佐山は川原に呼ばれ、自分の部屋へ一緒に戻った。そこで川原は異臭に気が付き、部屋の窓を開けたそうだ。それが……」


「薬物の匂いだろう。教師の佐山は薬物をやっていた、そうだな?」

 

 真黒の言葉に、草間刑事はギラリと目を光らせ頷いた。


「佐山の部屋を捜索したところ、覚醒剤かくせいざいが見つかった。詳しい司法解剖の結果、日頃から常習していた事も判明した。皮肉なもんだ、化学教師が覚醒剤に手を出すとは」


 それから少しの間、川原は佐山が男子学生と飲酒していたことや、部屋の異臭にも特に問い詰めずに話をしていた。ところが窓の外から女の悲鳴が聞こえ、2人に戦慄せんりつが走る。驚いて佐山は部屋を飛び出し、女子生徒の部屋を確認するが誰も居ない。間も無くして1年の女子2人が浴場から戻って来るも、伊集院の姿はそこになかった。


「待ってくれ、それは何時頃だ?」

「正確にはわからんが……7時から7時30分の間だろう。何か思い当たるのか?」


(俺があの時聞いた悲鳴なのか…? だが何か違和感がある気もするが……)


「とにかくだ。佐山が確認のため男子部屋まで覗いたが、柿崎も居なくなっていた。間々田が言うには少し前、柿崎は気分が悪いと部屋を出て行ったそうだ」

「となると、柿崎が消えたのは7時から7時30分となるな」

「佐山は学生たちに部屋に残れと言い残し、外へ1人で探しに行った」


 その後少しして、男子学生の間々田が外へ佐山を探しに行った。心配になった女子生徒たちが右往左往していたところ、民宿の亭主に呼び止められて事態が発覚する。亭主は1人で探すつもりだったが、学生らも後からついて来てしまったらしい。

 亭主と女子学生3人はなるべく離れないように4人を探した。間々田とはすぐ合流できたが、伊集院ら3人が見つからない。山林を5人で捜索しているうち、1年生の竹本が佐山の死体を発見し、悲鳴を上げる。


「……以上が事件の流れ。後はお前も知っている通りだ」

「成程、俺の聞いた悲鳴は殺された被害者ではなく、発見者の悲鳴だったのか」


 違和感の謎は解けた。と、ここで草間刑事は他の書類を取り出し見せる。

 書類はコピーされた写真のようで、一目で犯行に使われた凶器とわかった。


「吊り橋のすぐ下で発見された。こいつを見つけるのに警察官一人が怪我をしたぞ。案外、呪いのアイテムだったりしてな」

「驚いたな刑事さん、あんたでも冗談を言うんだな」


 咳払いする草間を尻目に、真黒は写真を詳しく見た。凶器は一見おもちゃのような見た目、例えるなら海賊ゲームでたるに刺すナイフによく似ている。趣味の店に模造品として同じ物が販売されていたが、本来は刃がついていない物だそうだ。


「部長の川原が言うには、これは部室にあった備品で数か月前からなくなっていたとの事だ。無くなる前もナイフに刃は付けられていなかった。犯人はこのナイフを前もって入手し、後から刃を付けた……つまり、だ」


「今回の事件、突発ではなく計画的犯行の可能性が高い」


「ほう、冴えてるじゃないか」

「からかうな、その程度素人でもわかる」


 次に草間刑事はもう1枚の写真を見せる。


「同じく現場、川底に沈んでいたスマートフォンだ。殺された伊集院の物である事が遺族との確認で分かった」

「待て。なんで山林で殺された伊集院のスマホが川底から出てくる?」


 草間刑事は腕を組む。一瞬の困った表情を真黒は見逃さなかった。


「データの吸い上げはできなかったが、何か犯人にとって不都合があったんだろう」

「だから殺した後で犯人はスマホを抜き取り、沢に投げ捨てた?」

「恐らくはな。部屋に残された柿崎の携帯を調べたが、伊集院と通話した履歴は発見されなかった。そもそも、伊集院の電話番号が登録されていなかったんだ」

「他の学生の携帯は?」

「勿論調べた、教師も含めてだ。しかし伊集院との通話履歴が唯一見つかったのは、部長の川原のスマホからだけ。それも1週間前で、通話内容は合宿の日程確認とのことだ」


(ぐむむ……)


 真黒は草間と同様に腕を組む。ここに来て疑問が生じた。刺した犯人が柿崎だとして、何故柿崎は伊集院のスマホを沢へと捨てた? 何故自分の携帯は部屋に置いた? そもそも伊集院のスマホを捨てたのは本当に柿崎なのか?


(ここだ……ここが重要な気がする。動機……そうだ、犯行の動機だ!)


「刑事さん、やはり警察は柿崎を犯人として見ているのか? だとすれば動機は?」

「これ以上は駄目だ。警察の見解や動向をほいそれとは教えられん」

「草間刑事、あんたもこの事件には違和感を感じている筈だ! 頼む!」

「駄目なものは駄目だ! 説明はもう十分だろう! 出て行ってくれ!」


 ディスクへ頭を下げる真黒に対し、草間がドアに手を掛けようとした、その時だ!


「いいのかい、5年前の火災事件の繰り返しになっても?」


「……なんだと?」


 驚いて草間は真黒の方を見る。目はギラリとし、今にも襲い掛かってこんばかりの獣の目をしていた。まるでこちらの心を射貫かんばかりの目。内心度肝を抜かされたが、草間も負けじと睨み返す。


「この町の過去に起こった事件、図書館で調べさせて貰ったよ。駅前のビルで起きた大火災、警察の捜査がずさんで世間からかなりの批判を浴びたな」


「それが今どう関係あるっ!?」


「その事件をあんたが担当していたかどうかは知らない。だが刑事さん、あんたならこう思った筈だ。もっとマシに捜査できたんじゃないのか……もしくは俺が担当していればもっとうまくやれた、とね」


 気づけば草間は、真黒の目の前に居た。


「警察を舐めるなよ真黒克己……貴様本当に只の一般人か?」

「ミスターブラックだ。先日探偵を始めた」

「クソッタレがっ!!」


ドンッ!


 憤りをディスクへとぶつけ、後ろを向くと静かに話し始める。


「……今から俺の話すことは警察の捜査とは関係ない。個人的な見解で独り言だ」

「……(こくっ)」

「初めに会った時お前が話した通り、俺も動機は怨恨えんこんと見ている。以前から…1年生の頃から殺された伊集院と柿崎は犬猿の仲だったそうだ。とは言っても、柿崎は口下手で一方的にののしられている事が多かったみたいだがな」

「……」

「柿崎は体が弱い方ではなかったが、その頃から慣れない高校生活も相まって喘息ぜんそくを引き起こしたらしい。普段から吸入器を使っていた」

「その吸入器は?」

「部屋で発見された。調べたが柿崎以外の指紋は出ず、中身も通常の薬だった」

「ふむ……」


 ここで再び草間はこちらを向くと、ディスクに置いてある当事者名簿を指す。


「1年生からの証言だが、こっそり伊集院と柿崎が話をしているのを耳にしていた。『合宿中、普段のしがらみは無しにしましょう』とね。これを聞いて1年生はホッとしたらしい。それだけ2人のいざこざが普段から酷かったという訳だ」

「だったら何故事件は起こったんだ?」


 草間は大きく息を吐き、目を閉じた。


「……柿崎は伊集院殺害を計画していたが、ここで迷いが生じた。計画を実行すべきか中止すべきか、葛藤に苦しんだだろう。親しかった間々田と伊集院のことについて話していたところ、佐山がビールを持ち込んで全てが終わった。慣れないアルコールで気分が高揚し、何らかの方法で事前に呼び出した伊集院を刺した」


「その現場を見た教師も刺し、我に返って橋から投身した……そう言いたいのか?」


「……そうだ」

「ビールのアルコールと怨恨だけで、本当に柿崎が刺したと思うか? 覚醒剤は?」

「覚醒剤がビールの缶に付着し、それを摂取した可能性も考えた。だが缶からも柿崎の体からも、薬物の反応は出なかった」

「だからと言って、ビール一杯程度で人間が殺人鬼に豹変ひょうへんすると本当に思えるか? 携帯とスマホはどうだ? 通話履歴の改竄かいざんなど簡単にできる。水没してデータが吸い出せなくても、電話会社へ連絡すれば履歴が確かめられる筈だ」

「……」


 とても警察とは思えぬ苦しい見解に、真黒は片端から疑問をぶつけ突っ込んだ。

 しかし、草間刑事は黙って頭を抱えてしまった。


「……限界だ」

「……何?」

「ここで限界なんだよ、俺たちの捜査のな……」


(捜査の限界……?)


 『限界』長年勤め上げてきた、公僕こうぼくの口から出たその言葉。万策ばんさくきてたたずむ老兵のような姿に狼は声を上げず、次の言葉を待った。


「……被害者の伊集院ひかるは伊集院財閥の愛娘、通話履歴が残せる会員登録をしていた筈だ。遺族へ遺留品の確認に行った時、電話会社への問い合わせ依頼を願い出たが断られた。もうこれ以上娘に関わらないでくれ、と半分脅し態度でな……」


 その後で、警察の上層から草間へ命令が下る。伊集院財閥への接触は抜きで捜査を進めろ、と。上層の命令は絶対。逆らえば様々な弊害へいがいを産み、今後の警察の行動にも支障が出るだろう。当然草間の首一つで済む話ではない。


「……笑いたければ笑え。所詮、警察も権力には逆らえんのだ」

「…………」


ドンドンドン


『草間さーん、そろそろ行きますよー!』


 外から若い警官の声に、草間刑事は腕時計を確認する。


「おっと、時間が過ぎちまったか」

「ここまでか……。だが礼を言おう草間刑事、今日のことは胸に閉まっておく」


 2人は立ち上がり、部屋を後にした。


「一つだけ教えてくれ。何故俺なんかにそこまで話す気になってくれた?」

「さてな、これ以上は何も話さんぞ。うっかり5年前の事まで話しちまいそうだ」


 先程まで互いに腹の中を探り合い、今でも信用し合う仲になったわけではない。

 だが草間の表情はどこか晴れやかで、真黒の顔は少し和らいでいる。


『話にならんっ!! 上の奴を出せ!! うちに来た刑事はどこにいる!!!』


 2人の奇妙な友情ムードは、突如受付の方からの怒鳴り声にかき消された。

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