クロノジユウビト ─呪に秘められた想い─

木林藤二

第1話 民宿での惨劇


 一軒の民宿は、古くから伝わる由緒正しき宿でもなければ、周辺が観光地な訳でもない。辺りは山、山、山、それ以外に何も無いこの宿に、何故か人は絶えず訪れる。

 理由はそこに宿があるから、ではなくていわく付きの宿だからだ。なんでも泊まって怪談話をすると、かなりの高確率で怪異に見舞われるらしい。

 普通ならそんな不気味な、しかも何もない山奥になど泊ろうとは考えないだろう。だが世の中にはオカルトマニアがゴマンといるらしく、このインターネットのご時世だ。特に今のような夏場になると、予約が殺到するらしい。


 民宿は今夜も満室であった。その一室での出来事……。


「……先生、真黒まぐろ先生! いい加減起きて下さいよっ!」


 酒を飲んでいびきをかいていた男を揺り動かす、室内で帽子をかぶった青年。彼の名は「瀬戸内せとうちひろし」、今まで定職に就かずニートをしていた。ひょんなことから、この男「真黒まぐろ克己かつみ(やはり無職)」に拾われて行動を共にしている。


「……んあ? なんだひろし君……夕餉ゆうげはマグロか? キャンセルだ」


 再び寝入ろうとする真黒を見て「うわ面倒臭ぇなこの人」とひろしは思った。なんでもこの男の『真黒克己』と言う名は、世を忍ぶ仮の名だそうな。なぜ仮名など名乗っているかは知らないが、たまに呼ばれていることに気が付かないので非常にやりづらい。


「そうじゃなくて、先生を起こそうと名前を呼んだんじゃないっすか」

「……あぁ、そういうことか。私のことはMr.Blackミスター・ブラックと呼べと、前にも言ったろう」


 冗談じゃない、呼ぶ方の身にもなって欲しい。


「嫌ですよ。とにかく折角こうして来たのに、寝てたら勿体ないじゃないですか」

「勿体ないお化けが出るかもしれんな」

(……なんだそれ?)


 昭和のジョークは平成生まれに通じなかった。軽く溜息をつき、灰皿に乗っていた葉巻に火を付けると、ふぅっと煙を吐く。


「大体さ、この宿本当にお化け出るの? 山の中で静かなのはいいけど、他の部屋がうるさくて雰囲気台無しなんだけど」

「そりゃあ仕方ないっすよ。泊ってる客がみんな学生なんすから」

「近頃の若い子の考えることはわからんね。俺が若い頃、心霊スポット巡りといえば廃墟かトンネルと相場が決まっていたぞ。コンビニで酒買って、ギャーギャー騒いで帰って来る。楽しいし安く済む、いいことだらけだ」

「いや、それ警察に見つかったら補導されますから」


 ここでふすまをノックする音、民宿の女将と若い女性が禅を運んできた。女将の方は7~80歳くらいと大分年老いている。若い女性は20代くらいだろうか、この宿で住み込みで働いているようだった。


「ようこそおいで下さいました。すみませんねぇ、若い学生さんが騒がしいようで。何かありましたらこちらへ遠慮なく言ってくださいね」

 

 客同士のトラブルを避けるためだろう。先程の話を聞いていたのか。


「まぁ多少は我慢しますよ。ところで最近じゃ学生だけでも宿に泊れるんですか?」

「いえいえ、流石に同伴の先生がいらっしゃいますよ。他のお客様へ迷惑にならないよう、注意して欲しいと一度申し上げたんですけどねぇ。何でも地元高校のオカルト研究会だとか。丁度夏休みなのでこの宿を利用されてるのです」

「オカ研ねぇ……ひろし君は高校の時どんな部活に入ってた?」

「え? 俺っすか? ……バスケやってましたけど一年で高校ごと辞めました」

「そ、そうか。しかしオカ研とは珍しいな。俺の高校じゃ文化部といえば漫研と演劇があったぐらいだぞ。理研もあったけど人気なくて無くなったし」


 女将たちから酌を受け、夕餉の山菜に舌鼓を打つ真黒。流石に山奥でマグロの刺身は出なかったが、天麩羅てんぷらと蜂の子が酒によく合う。

 話に花が咲き始めたところで再び襖を叩く音。


「お義母さん、ちょっと……」


 40過ぎたと思われる女性が顔を出し、女将を手招きする。大方この宿の若女将といったところか。


「どうしたい? ……すみませんねぇお客さん。みかちゃん、お相手よろしくね」

「はい、女将さん」


 若い女性を残し、女将は部屋を出て行ってしまった。


「何かあったのかな」

「さぁ? ところでお客さんたちはどうしてこの宿に? やっぱり例の噂ですか?」

「えー、えっとぉ」


 返答に困ったひろしは真黒の方を向く。実を言うと、この宿に来た理由というのが大変下らなかった。ある日、真黒がひろしを捉まえ「心霊パワースポット巡りをして超能力者になろう、旅費は全て俺が持つ」と言い出したのが切っ掛けだ。面白そうだと始めはついて来たひろしだったが、とりわけ何も起こらずに正直段々飽きていた。何で自分はこんなおっさんと二人で旅をしているのだろうと……。


「……ま、そんなとこだな」

「あっはっはっは! いいんですよ、お客さんはみんなそれ目当てですから」

「あ、やっぱそうなんすか?」

「そうですよ! だって他に何も無いじゃないですか。そうじゃなきゃこんなところ誰も好き好んで来ませ……あ、今のは女将さんに内緒で」


 みかは慌てて口に手をやるが、顔は笑っている。


「それで、みかちゃんは見たことはあるのかい?」

 

 真黒はだらんと両手を下げる振りをすると、みかは手を振った。


「ぜ~んぜん。お客さんの中には見たって方がいて、HPホームページに体験談を書き込んだりしてますけどねぇ。お陰でこの宿もやっていけてるわけでありがたいのですけど」

「なーんだ、やっぱりそんなとこか。……だそうですよ先生」

「予想はしてたさ。まぁ噂の真相はともかく、ここもそう悪いところではないと思うぞ俺は。静かで町の喧噪を忘れることが出来るし、途中から車で来れないところがなお良い。ひろし君だってここへ来る途中の吊り橋、ワクワクしたろう?」


 するとみかはパチンと手を叩き、嬉しそうにする。


「そう、そうなんですよ! 多少は不便がありますけど住めば都ですよ! あ、東の山道さんどうは行かれました? 大自然って感じがして、散歩にはとてもいいんですよ!」


 山奥に何も無い事を認めつつも、みかは好きでここにいるようだ。天職というのはこういうものなのだろう。職の無い男二人にしてみれば、羨ましい限りである。


「ん? 今叫び声が聞こえなかったか?」


 唐突な真黒の一言に、ひろしとみかは動きを止めた。


「……や、やだなぁ先生。やめて下さいよ」


 真黒は立ち上がり、窓を開ける。外は宵闇が広がっているだけで何も見えないが、確かに遠くで叫び声が聞こえたのだ。呼応するかのようにみかは立ちあがると、襖を開けて出て行こうとする。


「私、ちょっと様子見て来ます!」

「俺も行こう。何があるかわからないからね」

「ちょ! 俺だけ置いてかないでくださいよっ!」


 結局三人で外へ出ることになった。ついさっきまで人の歩き回る音や、TVの音で煩かった廊下が静まり返っている。学生が泊っていた筈だがどうしたことだろうか。まさか寝てしまっているわけではあるまい?

 何故か嫌な空気が漂う……。ギシギシと木の階段を降りると正面玄関が見えた。

 と、玄関越しに懐中電灯の光。


(こんな夜中に皆で外に? 花火でもして遊んでたのか?)


 玄関の前で何事かと立ち止まる三人。間も無くガラガラと玄関の戸は開けられて、女の子が2人入って来た。この宿に泊まっていた学生だろう。浴衣に上着を羽織った一人は顔を真っ赤にして泣いていている。

 次に入って来たのはメガネを掛けた浴衣着の男の子。具合の悪そうな女の子を抱きかかえている。最後に入って来たのが体格の良さ気な男で、若女将の亭主だった。

 亭主は入ってくるなり玄関に施錠をする。その様子に学生たちは慌てた。


「待ってください! まだ柿崎かきざき君が外に!」

「し、しかしもう外を捜すのは止めた方がいい! 警察を呼ぶから後は任せよう!」


 皆、尋常ではない。騒ぎに女将と若女将が走って来た。


「どうだったの? 先生たちは一緒じゃなかったの!?」

「その先生だが、この先で血を流し倒れていた! おかあちゃんすぐ警察呼んでや! お前は家の戸締りを早う! もしかしたらヤバい奴がうろついてるかも知れん!」

「えぇっ!?」

「そ、そんな……!」


 亭主は青ざめた表情で奥へと歩いて行ってしまった。女将二人は我に返り、学生に落ち着くよう言い残すとそれぞれ去っていく。と、具合の悪そうだった女の子が突然うずくまり、床に戻してしまった。


梶浦かじうらさん、大丈夫!?」

「一階の部屋に寝かせましょう。後は私がやりますので、皆さんは二階のお部屋に戻って下さい! 窓は絶対に開けないで!」


 みかは梶浦と呼ばれた女子生徒を抱きかかえ、一階の部屋に連れて行こうとする。ここでひろしが動いた。


「みかさん、バケツと雑巾どこっすか? 俺、手伝いますよ!」

「え、でも……」

「俺こういうの慣れてるんで! 困った時はお互い様っすよ!」

「お、頼れる男ひろし! そういう訳だから、ここは俺たちに任せてくれ」


 真黒とひろしがそう促すと、眼鏡の男子学生は頭を下げる。


「……すみません、見ず知らずの方に……。川原、竹本さんと二階に行っててくれ。僕もちょっとトイレ行って来る……」

間々田ままだ君……大丈夫?」

「あぁ……」


 余程の光景を目の当たりにしたのだろう。間々田と呼ばれた学生は口元を抑えると歩いて行ってしまった。途中で狭い廊下を宿の亭主とすれ違う。


「……すんませんね、お客さんにこんなことさせて。……具合悪い人多そうやな。おーい、みかちゃん! 薬ここへ置いて行くで!」


 持ってきた救急箱から薬を二瓶取り出し、玄関に置く。そして再び救急箱を持つと玄関を開け始めた。もう片方の手にはゴルフクラブが握られている。


「旦那、こんな状況でどこに?」

「柿崎っちゅう学生さんがまだ外にいるらしいんですわ。この山奥じゃ警察が来るのも早くて一時間、早く見つけてやらねばならんでしょう。さっきの先生たちももしかしたらまだ息が……いや、見た感じ絶望的でしたが」

「ちょっと待ってください! 今『たち』って言いました!?」


 玄関の鍵を開けた亭主、一瞬動きを止める。


「……もう一人、女子学生も傍に倒れてたんです」


 この言葉にひろしと真黒は驚き顔を見合わせた。


「なんてこった! 俺も一緒に行こう! 修羅場の数なら誰にも負けんつもりでね!」「お客さん、本当にすいません! 心強い限りです!」

「ひろし君はここで待っていてくれ」

「俺も後から行きますよっ! タイマンなら負けたことないんで! 先生たちこそ気を付けてくださいよ!」


 玄関を施錠するようひろしに告げ、二人は暗い山林へと飲まれていった。


「この先です、二人が倒れてたのは」


 亭主の案内で懐中電灯を手に歩く真黒。歩いている間も警戒は怠らない。暗い茂みから、いつ殺人鬼が飛び出してくるともわからないからだ。

 暫く歩くと視界が開けた場所に、一本の大木が立っているのが見えた。その手前にぼんやりと白い物が目に映る。照らしてみると、男性が倒れていることがわかった。調べてみると背中から刺されたようで、白い服には血がベットリと付いている。

 真黒は一瞬顔をしかめるも、近づいて教師と思わしき男の脈を診る。念の為、首に触れようとしたところで、胸部にも刺された跡を発見する。おびただしく流れている血の量から生死の確認は不要と悟った。


「近づいたり触れたりせん方がええでしょう。警察の邪魔になりますんで」

「確かに。して、女子生徒は?」

「こっちです」

「……こいつは酷いな」

「えぇ……。畜生、誰がこんなむごい真似を……」


 女子生徒は、先程の教師より更に酷い状態で木に掛かっていた。美人だったであろう顔は鋭く真一文字に引き裂かれ、胸部や腹部は複数個所刺されていたのか、血で真っ赤に染められていた。


「しかし何故女の子と教師がこんな場所に?」

「一緒に部屋に居た子が言うには、30分以上前に部屋を出て行ったそうなんです。その後、部屋へ戻らない事に気付いた先生が探しに行ったと家内が…」

「で、外へ探しに出た先生も殺されたという訳か……成程」


 その時、光が真黒の顔を照らした。咄嗟とっさに身構え、隣にいた亭主もゴルフクラブを握りしめる。


「誰だっ!?」


『あ、先生ですよね?』


 ひろしだった。思わず2人は胸を撫で下ろす。


「あぁ驚いた、君か」

「宿に居てくれと言ったじゃないか!」

「後から行くって言いましたよ。鍵はみかさんに掛けて貰ったので大丈夫です。 ……ところでその人、本当に死んでるんですか?」


 ひろしが興味津々きょうみしんしんに近づくのを見て、真黒はやれやれといった表情。


「よせ、見ない方がいい」

「大丈夫、樹海へ死体見に行ったことあったんで……うわぁ、確かにこれはエグい。一体に何で刺したんでしょうか? 犯人は居なくなった学生?」

「そうだ学生を探さないと!名前は『柿崎』だったか。 何か知っているかもな」


 三人は辺りを警戒しつつ、この場を離れ柿崎という学生を探すことにした。先程のひろしが言ったように、二人を殺したのが柿崎という可能性もあるのだ。その場合、精神状態はかなり危険なことが予想される。いつ飛び掛かられても反応できるよう、周囲をくまなく探しながら名前を呼び続けた。


「おーい! 柿崎くーん!」

「居たら返事してくれー!」

「駄目だ駄目だ、そんな小さな声じゃ」



「柿崎ィィィィィィィ──────!!!!!」


 辺りの空気がビリビリと振動する程の大声に、ひろしと亭主は思わず耳を抑える。声は何度も山の中を木霊するも、人の返事は聞こえてこなかった。

 

「沢に下りてみましょう。もしかするとそっちかも」


 三人はロープが張られた柵をまたぐと、丸太で作られた階段を下って川に出た。轟々と流れる水の音以外何も聞こえず、辺りは静けさで満ち、空に月が出ていない。川が真っ黒で恐ろし気な感じすら覚えた。懐中電灯で照らすも、特に変わった様子は見つけられなかった。


「岩場で流れも速く、お客さんには近づかないよう呼び掛けてるんですがね」

「それでロープが張られてたんすね」

「あの橋から落ちたら助からんだろうな」


 そう言って上に掛かっている吊り橋を懐中電灯で照らす。


「吊り橋を渡って行った可能性は?」

「無くはないでしょう。しかし、こう広い山の中だと三人で探すのは危険だ。奥まで行くと熊も出るのです。後は警察に任せて、我々は一旦戻りましょう」

「……仕方ない、そうするか」


 宿に戻ると皆が一斉に三人を出迎えた。それに対し、真黒たちは首を横に振ることしかできず、一同暗い表情を浮かべる。とにかく警察が来るのを待ち、絶対に宿から出ないことを確認し合うと各自解散となる。部屋に戻る途中、竹本という女の子が「怪異だわ……私たち呪われちゃったのよ……」と呟いた。


 真黒とひろしが部屋に戻ると布団が敷かれていた。すかさず真黒は横になる。


「うっし! ひろし君、もう寝るぞ」


 そう言って電気を消そうとする真黒にひろしは慌てる。


「とても寝れる雰囲気じゃないっすよ! これから警察が来るんでしょう? 俺たちきっと事情聴取とかされますよ? 」

「だから少しでも寝ておくんだ。目を閉じて横になってるだけでも違うからな」


 言われ渋々ひろしも布団へ横になるが、当然興奮して眠れなどしない。自分たちは殺人事件に立ち入ってしまったのだ、何より今も犯人がどこかをうろついているかと思うと気が気ではない。


「なぁ、ひろし君」

「はい?」


 暗い部屋の中、真黒は声を掛けて来た。


「これは遂に見つけたかもしれんな。俺たちのやるべきことが」

「やるべきこと? なんすかそれ?」

「探偵だよ。超能力者に目覚めるのはもうやめだ。俺たち探偵になろう、事件を解決させるんだ。もしかするとそっちの方が面白いかも知れん」

「な、何言ってんすか急に!?」


 本当に何を言い出すんだこのおっさんは。


「ふっふっふ、そう考えると楽しくなって来たぞ。さあ明日から大忙しだ」


 きっと真黒は疲れているのだろう。そう思い、ひろしは黙って横になる事を決め込んだ。しかし数10分後、二人は到着した警察に叩き起こされるのだった。

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