ピタゴラ青春スイッチ

四葉くらめ

ピタゴラ青春スイッチ

お題:ぱいあーるにじょう(πr²)、ピタゴラスイッチ、青春


『ぱいあーるにじょうって「おっぱいあるじょー?」に聞こえね?』

 ぽんっ

 そんな軽い音を響かせたスマホの画面を見てみると、友人からのとてつもなくしょうも無いメッセージが届いていた。

『聞こえないよ、馬鹿』

 そう短く返信してから、スマホを机に置く。

 カーテンを閉め切り、電気もつけていないこの部屋ではスマホの画面が少し眩しかった。


   ◇◆◇◆◇◆


 学校に行かなくなったのは……確か中二の秋頃だ。僕は私立の中学に通っていた。全国的にはさほど有名ではないものの、県の中では誰もが知っている――そんな学校だった。

 受かった当初は嬉しかったが、学校生活を送るうちに何かが違うような気がしてきた。なんというか、小学校のような楽しさが無いのだ。とにかく問題を解かせ、テストですべてが決まる。部活なんてやってる人間はほとんどいなくて、テストの順位で友達が増え、その逆に減ったりもする。

 落ちこぼれたのか? そう聞かれたら少し頭を悩ませるかもしれない。テストの点数的には別に悪かったわけではない。むしろ平均よりは上の方だっただろう。でも僕があの環境を楽しいと思えなかったということは、やっぱりそれは落ちこぼれているのかもしれない。

 始まりは唐突だ。雨の日だった。

 なんで雨の日にまであんなところに行かなくちゃいけないんだろう。

 そう思った僕は玄関の前で数秒間空を見上げてからまた家の中に入ったのだ。

 それからすこしずつ学校に行くことが減っていった。次に家から出ることが、そして部屋から出ることが減っていった。

 気づけば引きこもりの完成だ。最初は親に学校に行かない理由を詰問されたものだが、僕が何も言わないと分かるともう何も言ってこなくなった。

 淡泊なのだろうか。親ならもう少し何か言ってきてもいいような気もするし、でもあまり頻繁に言い寄られても面倒なだけというのもある。実際、引きこもっている側としては放っておかれるのはとても気が楽で、心が乱されることは無かった。

 そうして、そのまま僕は中学三年の冬を迎えていた。


   ◇◆◇◆◇◆


『円が難しすぎる。っていうか円周率にπなんて文字つけた昔の人間って絶対ムッツリだと思う』

『円周率の語源はπερίμετρος(ペリメトロス;円周)だよ』

 そんなの教科書のコラムか何かに書いてあったじゃん。

 この毎日僕にメッセージを送ってくる暇人は、小学校のときの友人だ。こいつは普通に公立中学に入学して、それからは遊ぶことはほとんどなくなったものの、メッセージは僕が引きこもる前から毎日送りあっていた。

 毎日一通。その大半はどうでもいい内容だったけれど、そのどうでも良さが僕は好きだった。

 僕とこの友人は二人ともピタゴラスイッチが好きだった。

 ピタゴラスイッチというのは……あれなんて言えばいいのかな? 色々な仕掛けを使ってゴールを目指すみたいな?

 あるいは、複雑なドミノ倒しと言った方がイメージは掴みやすいかもしれない。ドミノ倒しはドミノが伝わってゴールを目指すものだけど、ピタゴラスイッチの場合は、ビー玉とか、台車とか、とにかく何を使っても構わない。

「小学校のとき作ったっけな」

 スーパーで余ってる段ボールをもらってきたり、少ないお小遣いを持ち合って道具を買ったり、あとは動画投稿サイトにアップされてるピタゴラスイッチを見て研究したり。

 それでオリジナルのピタゴラスイッチを作ったら動画を撮りながらスタートするのだ。もちろん最初から上手くいくなんてことは滅多に無くて、大抵どこかで止まってしまう。何度も撮り直してようやく成功したものを自分たちもアップする。

 最初の感想を貰えた時は嬉しかったし、けなされた時は泣きそうにもなった。コメントがまったくつかないときもあった。

「あのときが僕の青春だったのかな……」

 分からない。少なくとも今のこの状態が青春では無いことは確かだ。

 その頃の青春を追憶するためか、僕はブラウザソフトを起動して動画投稿サイトで自分の過去の動画を探す。

『いけっ、いけっ。止まるなよ~』

『もうお小遣いないんだからお願いします!』

 動画にはテンションの高い二人の少年の声が含まれている。

 どこかの公園を背景に、少年たちのピタゴラスイッチは一つずつ仕掛けを作動させていく。

『よーし、最後!』

『やったぁ! これでようやくアップできるね!』

 本当に、うるさいぐらいにテンションが高い。当たり前だ。この時は確か数十回目にしてようやくの成功だったのだ。

 動画はそのまましばらく止められず、バックで少年たちがはしゃいでる声が聞こえ続ける。

 ピタゴラスイッチか。

 今、またやり始めたら僕は青春を送れるんだろうか。

「いや、無理でしょ。そもそも部屋から出る気になれないし」

 きっと、僕は中学に入ったときに、あの公園にでも青春を置いてきてしまったのだろう。

 そんなことを思いながらぼーっとしていると、次の動画が始まった。それもまたピタゴラスイッチの動画のようだったが、見たことのないものだ。

 投稿者は……

「ぱいあーるにじょう?」

 円の面積の公式だが、全部ひらがなで書いてあるせいでアホっぽく見える。

 そのピタゴラスイッチには円形の仕掛けが多様に使われ、最後に『πr²』という文字が浮かび上がるのが特徴だった。

 ときには蝋燭の火で、ときには和紙に穴を開けて、ときには水の跡で。

 投稿者の名前とその最後のキメ方がなぜか凄く印象に残った。


   ◇◆◇◆◇◆


『ピタゴラスイッチ一緒に作りたい』

『悪いけど今は無理だよ。っていうかしばらく無理』

 たまにこうやって誘われることはあったが、引きこもるようになってからは全部断っていた。それでもこいつは根気強くなんども誘ってくる。

 僕はいつも通りスマホを机に置きパソコンをいじり始める。するとしばらくして再度、メッセージの通知音が鳴った。

 珍しいな。あいつが更に返してくるなんて……。

 なんとなく、嫌な予感がしながらメッセージを見てみると、短く

『引きこもってるから?』

 と書かれていた。

『知ってたの?』

『そりゃいつもカーテン閉めてたらな」

『それもそうだね』

『出てくるの難しいのか?』

『うん』

 そこであとはあいつが『そうか』とか言えば今回の会話は終わりになるはずだった。しかしあいつが次に送ってきたメッセージはそもそも日本語ではなく――

『http://……』

 URL?

 アドレスからすると動画投稿サイトのURLらしい。タップしてみるとライブ映像に飛んだ。

 ライブ映像? あいつ今から何かする気なのか?

 ライブが始まるとそこにはピタゴラスイッチが映し出された。

 ピタゴラスイッチのライブ? んな無茶な!?

 ピタゴラスイッチはそんな一発勝負でできるもんじゃない。何度も撮り直してようやく成功が得られるのだ。

 コメントにも『なんでライブww』などと言ったコメントが多数来ている。

 そして、始まりのビー玉がゆっくりと転がり始める。

 どうやらスマホは移動式三脚か何かに固定しているようで、仕掛けが進むのと共に画面もスムーズにスライドしていく。

「!?」

 とある画面で僕は背景に目が釘付けになる。

 そこは小学校の頃に僕とあいつがピタゴラスイッチを作って、動画を撮っていた公園だった。

「――っ!」

 僕はスマホを持ったまま立ち上がってドアノブを掴む。しかし、回すことができなかった。力を入れているつもりなのに、まったく回らないのだ。

「くそっ」

 動画に視線を向ける。たまたまドアノブと似たような回すことによって動く仕掛けのところだった。

 その仕掛けが回るのと同時に腕を捻る。回った!

 弾けるようにドアを開き、そのまま玄関へ駆ける。パジャマのままだったけど、そんなことはどうでもいい。

 靴を履いて外に出た。陽の光がとてつもなく眩しい。でもこんなのに負けてはいられない。

 道順を思い出すこと無く走り出す。道順なんて体が覚えていた。

 体を全然動かしていなかったから、すぐに息が切れる。靴下を履いてこなかったせいですぐに靴擦れをした。踵が痛い。それにパジャマしか着ていないせいで寒い。でも止まるわけにはいかない。

 僕は、僕の青春を置いてきた場所に行かなきゃいけない!

 公園までは歩いて10分ほどだ。走れば5分もかからない。

 いた!

 公園に着くと奴はすぐに見つかった。三脚を片付けている最中のようで、その背中は少ししょんぼりしているように見えた。

「……久しぶり」

「やっと出てきやがったか」

 ピタゴラスイッチを見てみると、最後の仕掛け――『πr²』を表示する仕掛けだけが上手く動いていなかった。

 え――? 『πr²』って、ちょ、ま。

「お、お前が『ぱいあーるにじょう』だったの!?」

「あ? 『ぱいあーるにじょう』のこと知ってたのか?」

「あ、ああ。まあ、ね。ピタゴラスイッチの調査はずっとやってたからさ」

 昨日、偶然見つけたというのは言わないでおく。

「へぇ、そうだったのか。なんか嬉しいな」

「それで? 走ってたからライブ途中からちらちらってしか見れなかったんだけど、失敗だったの?」

「あー、まあな……。やっぱり一発で成功させるのは難しいわ。お前にリアルタイムで見せたくてライブにしたんだけど」

 まあ、コイツって結構おっちょこちょいで見逃しとか多かったからな。

「しかたないなぁ。僕も手伝ってあげる」

「はは、そう言ってくれると思ってたぜ?」

 そうして、僕はこの公園でまた青春を手にしたのだと思う。


   〈了〉

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