あとがき

 まず、今回初めて「山本五十子の決断」をご覧になるという方もいらっしゃるかもしれないので、簡単に説明を。

 「山本五十子の決断」は、人類が海水に拒絶反応を示す環境で唯一例外である一〇代の少女達が海軍乙女として活躍する世界で、時は我々の知るそれと酷似した世界大戦、少女達を通じて史実の海軍軍人達の長所も短所も含めた魅力そして生き様を知って欲しいという願いをこめて平成二六年に書き始めた美少女架空戦記ライトノベルです。

 小説家になろう・カクヨムで平成二八年に完結したWEB版及び平成二九年~平成三〇年にKADOKAWAから書籍化したファンタジア文庫版一巻二巻がミッドウェー海戦、平成三一年にイカロス出版のMC☆あくしずBOOKSから書籍化した「山本五十子の決断 燦」がWEB版・ファンタジア文庫版のその先の戦いを描いた物語とすれば、この「外伝・南海の花束」は開戦前夜からマレー沖海戦までを描いた前日譚で、本編より先に読んで頂いて問題ありません。

 もしお気に召したなら、WEB版でも本でも電子書籍でも、本編を探し求めて頂ければ幸いです。

 普段、あまり親近感を覚えにくい、遠い歴史上の人物の意外な楽しいエピソード、お茶目だったりドジだったりするところ、けれどそんな人達が過酷過ぎるあの時代に直面し何を語りどのように生きたのか、そのどちらも精一杯伝えたい。

 歴史と戦争という重いテーマをエンターテイメントにする責任を感じつつ、もともと歴史に詳しくなかった方々が、この作品に出会い五十子達の生き様に涙してくださり歴史に興味を持ったと聞くたびに、歴史小説でなく敢えてライトノベルを書いた意味があったという喜びを新たにします。


 そして、「山本五十子の決断」を既によくご存じの方へ。

 この外伝はファンタジア文庫版二巻発売を記念して平成三〇年にWEBで一話のみ公開しましたが、その後「山本五十子の決断 燦」の書き下ろし作業を優先して止まってしまっていたもので、大変長らくお待たせし、本当に申し訳ありませんでした。

 書籍化前から文学フリマでサークルをご一緒させて頂いていたボレロ村上さん(村上原野さん)のご縁で、今年の第三三回文学フリマ東京で合同誌「Recollection」にお誘いを頂いた時、未完結のままになってしまっているこの外伝を完結させねばならないと真っ先に思いました。

 当初、この外伝に五十子はじめ本編の登場人物は一切登場しない予定でした。続編で登場する小澤智里のお披露目を主目的に、冒頭でマレー沖海戦、二で開戦前のサイゴンからコタバル上陸、三でマレー沖海戦当日のブリトン視点と、本編未登場だった智里含め全て新キャラで進め、当時もう五十子の物語はやりきったと感じていたのと、この世界に新しい物語を書く余地がこれだけあるとアピールする狙いでした。

 ですがその後、ファンの方々とお話していて、皆さん五十子とレギュラーメンバーをもっと見たいのだと痛感し、私自身、山本五十子のまだ書けていないエピソードがありましたので、考えを改め、開戦前夜の帝都での五十子と嶋野の会話、岩国での連合艦隊最後の作戦会議の場面など五十子とレギュラーメンバーの前日譚を大幅に増やさせて頂きました。

 新キャラも出しています。第二艦隊の近藤中将は、史実において三国同盟に賛成し政治的に山本五十六と相容れず、小澤も戦前の夜間訓練の事故をめぐって近藤と遺恨がありましたが、近藤も決して無能ではなく最前線で活躍した武闘派なので、実力者として描きたいと思いました。あまり長く登場させられなかったのが残念です。人間には色んな側面があります。辻政信(そのまま)については、美化しないよう彼の問題点がはっきりわかるようにしつつ、「絶対悪」とする考えには組せずに功罪のバランスに注意して書いたつもりですが、いかがだったでしょうか。

 前日譚なので、レギュラーメンバーの描き方についても本編との違いを感じられるかもしれません。

 渡辺寿子と黒島亀子は既に連合艦隊司令部に馴染んでいますが、後から来た宇垣束はこの時まだ浮いています。史実の宇垣纒が参謀長らしく振る舞うようになって山本五十六と打ち解けるのは、ミッドウェー海戦の惨敗で黒島亀人がパニックになる時まで待たないといけません。それまで、連合艦隊司令部に宇垣の居場所は無く、司令部の皆で料亭に行くのでも、宇垣だけ違う店といった状態でした。ミッドウェー海戦は、山本が宇垣の部屋に行ったり、宇垣の仕留めた焼き鳥を食べて喜んだりするようになり、山本は死ぬ前に宇垣に刀を贈って、宇垣はその刀を持って特攻しています。私の作品では、宇垣束が皆と打ち解け積極的に作戦に協力するようになったのは、主人公の洋平が現れたからです。

 嶋野は、いつもより性格が丸く見えるかもしれません。WEB版の嶋野はもっと毒がありました。書籍化に伴いファンタジアの方針で嶋野をライバルヒロイン化したことや、私自身、三巻でへるにゃーさんの描いて下さったどちらかというと穏やかな嶋野の顔を見続けた影響かもしれません(笑)。ただ、WEB版の嶋野も五十子がいないところでは陰湿な嫌がらせをしますが、五十子のことは同格な上に国民的人気があるので恐れているところもあり、内心で憧れや嫉妬を持っているところもあり、五十子本人に向かっては嫌味は言っても直接攻撃はしませんでした。また、今回の嶋野は、開戦が決まってかなり上機嫌です。五十子が開戦反対なのは当然知っていて、嶋野なりの正義もあるとはいえ、いわば五十子に対する最大級の嫌がらせに成功したわけですから。それでも、ここで同期の絆の象徴である養命酒を贈るのは、嶋野なりの愛情表現だなと書いていて感じました。

 井上が嶋野の悪口を言うところ、史実ではここで山本五十六は「嶋さんはオメデタイんだ」と答えていますが、五十子は敢えて言わず、代わりに「今更誰が良い悪いと言っても始まらない」と答えています。これは史実で五十六が同期で親友の堀悌吉にあてた手紙の一節です。

 嶋野の史実エピソードは永野軍令部総長と嶋田海軍大臣を融合しています。日付変更線を忘れて「奇襲は月曜日だから週の始めで米軍は疲れている」と陛下に上奏してしまったのは永野軍令部総長です。一方で、もし山本五十六が連合艦隊司令長官を辞めてしまうと、中央に戻ってこられると困ると思っているのは同期の嶋田海軍大臣です。嶋田は「東條の男妾」と揶揄されていましたが、陛下への忠義で戦争回避しようとして陸軍内でも孤立していた東條総理を物資の要求で急かすことで無自覚に追い詰めてしまいます。

 岩国の最後の作戦会議で、中止になっても途中で帰れないという南雲達に山本五十六が激怒する史実エピソードは、当初、史実そのままに五十子が怒り、あの優しい五十子がそこまで追い詰められていたというシーンにしようとしていましたが、よく考えて、史実通り怒りますが、その後すぐに自分を取り戻し、史実の五十六の言葉だけでなく自分の言葉でフォローを入れるようにしました。五十六ではない、五十子だからこそです。史実だと五十六が怒り皆黙って終わりですが、五十子がフォローしたから、その後の草鹿峰の言葉に繋がります。

 ここは洋平のまだ来ていない、放っておけば皆が史実通りに振る舞い破滅へ向かっていく、閉じた世界です。五十子の言う「天命」「定め」というのは五十六が堀への手紙で嘆いたそのままの言葉です。だからといって全てが史実通りな必要は無く、そうでないと史実と違う少女達にした意味が無いですから、洋平が来る前から、何かきっかけさえあれば変わる下地はあったということですね。

 コタバル上陸は、ラ・メール症状のある世界でどうやって男性兵の上陸作戦をやるのかという読者からの疑問に答えるシーンで、正直、こういう世界なら縄梯子で移乗は難しく、神州丸のような揚陸艦がもっと発達している気もしますが、そこは今までのルールで史実通りの輸送船にしました。「燦」のマッカーサーのガダルカナル上陸は史実に無いフィクションなので、捕鯨船を揚陸艦代わりにしましたが。この世界の上陸作戦が陸戦隊の少女達の犠牲の上に成り立つことはお見せできたと思います。

 「プリンセス・オブ・ウェールズ」は、WEB版・ファンタジア文庫版の時からこの艦名なので踏襲しました。この世界ならではということで、ご想像にお任せします。

 後は、今回は商業出版を前提としていない分、いかに合法的に登場人物に飲酒させるかにこだわりました(笑)。フランスは日本と違い未成年の飲酒を禁止しておらず、そして日本でも養命酒は近年まで例外的に薬として子どもにも飲ませていた物です。


 この外伝を掲載させて頂いた第三三回文学フリマ東京の合同誌「Recollection Vol.1」でラストの壱岐春香大尉の素晴らしい挿絵を描いて下さったえみーさんには、感謝してもしきれません。

 また、私達を文学フリマで出会わせてくれた、SF作家であり稀代の陶芸家であったボレロ村上さん(村上原野さん)には、生前大変お世話になりました。今回の作品には、彼への追悼の気持ちも込めました。

 そして、これまで「山本五十子の決断」に関わって下さった関係者の皆様、支えてくれた母、文学フリマで合同誌を買って下さった方、これまで「山本五十子の決断」を応援して下さった全ての方に、心から御礼と、お詫びを申し上げます。

 「山本五十子の決断 燦」を出せた後。武漢で発生し昨年から本邦で猛威をふるうようになった新型肺炎禍で私の本業の飲食店も大きな打撃を受けまして、休業を繰り返しているので時間ができたように思われるでしょうが、実際には、新しく次々と降ってくる私の一存ではどうすることもできない諸問題に振り回されて忙殺され、店の人手も減っていったので仕事は増えていき、また、時間はあっても精神的に疲弊して、一時は小説が書けなくなりました。

 ファンの方々や、幼い頃から私の創作を応援してきてくれた母に申し訳ないと思いつつ。

 WEB版を書いていたサラリーマン時代は、どんなに忙しくても辛いことがあっても、それこそ休憩時間にトイレでガラケーにポチポチと打ち込んだり、合間合間に時間を見つけて小説を書くのが生き甲斐だったのですが……。

 商業出版できるかとか、出版できたとして売れるかとかは関係ない、純粋に創作することが楽しみで生きる喜びだったあの頃に戻れたらと思いながら、日々新しく辛い出来事が起こる本業で心身がいっぱいいっぱいで。

 先述の村上さんは、書籍化前から「山本五十子の決断」を応援してくれて、ご自身が主催する合同誌「暗黒定数式」に誘って下さって私の創作意欲を支えてくれていた方なのですが、去年くも膜下出血で急逝してしまわれショックでした。

 ですから、文学フリマに参加して合同誌を出しませんかというえみーさんの呼びかけには、本当に心が救われたんです。

 このお誘いがなかったら、もう自分には創作はできないと諦めて、心が死んだまま、作家であることをやめてしまっていたかもしれません。

 参加を決めてからも、七月にまた仕事で大きなトラブルが発生し、これも急に上から降って湧いたことで私の一存ではどうすることもできなかったのですが、会社の民事上の紛争に数か月忙殺され、その渦中で刑事事件……私個人には全く非の無いことで逆恨みされ暴行される被害にもあい警察や検察とのやり取りもあって、体調不良も重なり危ないところでしたが、皆さんの支えで何とか書ききることができました。

 締切を何度も延ばさせてしまい、えみーさんにはご迷惑をおかけしました。

 でもおかげで、書いている間に、歯車にたまっていた土埃が落ちていくような、書く楽しさを思い出していく感覚がありました。

 これを機に、「山本五十子の決断」以外のプロット止まりや書き途中の新作も含め、また頑張りたいと、そう思えました。


 第三三回文学フリマ東京当日。

 ぎりぎりまで原稿で手一杯でtwitter等での告知が直前になったにもかかわらず、また、会場がモノレールでしか来られない遠方であったにもかかわらず。本当に多くのファンの方々が訪れてくださって、おかげさまで大盛況でした。

 恐らくほとんど人が来ない中で一二時から一七時までじっとパイプ椅子に座っていることになると覚悟して、お尻が痛くならないようクッションと、読書本やお菓子を大量に持参していったのですが、ひっきりなしにファンの方がいらして下さったのでそんな暇は一切なく、挨拶とサインを続けていたら五時間があっという間に終わっていました。

 むしろ、次の方をお待たせしてしまうこともあり、せっかくいらして下さったお一人お一人とゆっくりお話ができなくて申し訳なかったです。

 書籍化前から応援して下さっている方、数年前のサイン会やファンミーティングから皆勤賞でいらして下さっている方、大切なお仕事や先約があったのに無理をしていらして下さった方々がいらして、「山本五十子の決断」と五十子達がこんなにも愛されていたんだと痛感し、感激と申し訳なさで胸がいっぱいになりました。

 休憩ゼロ、飲み物を一滴も飲まずに気付いたら閉会時間になっていて喉が渇きましたが、おかげで打ち上げのお酒が美味しかったこと!

 思ったのは、山本五十子を書いたのは私ですが、私が凄いのではなくて、山本五十子が凄いんです。こんなに愛して頂いて。これからも、新作を書きつつも、山本五十子の世界を書き続けていかねばならないと思います。

 昨年からの情勢で中止されることも多かった文学フリマが、今回無事に開催されたことも喜ばしいことです。

 お世話になっていて「山本五十子の決断 燦」の出版記念パーティーにもいらして頂いた運営関係者の方もブースを訪れて下さいましたが、運営の皆様には本当に頭が下がります。

 他サークルの皆様も、参加お疲れ様でした。

 次の商業出版を目指して頑張りつつ、今回の外伝のような形で短編を公開しファンの皆様と直接お会いしたり気軽にサイン会ができる文学フリマも貴重な場所なので、これからも参加していきたいと思います。

 

 今後とも、如月と「山本五十子の決断」を何卒よろしくお願い申し上げます。


 如月真弘

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山本五十子の決断・外伝 南海の花束 如月真弘 @mahirokisaragi

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