終號 南海の花束

 光文一六年一二月一八日、フランク領インドシナ、ツドウモ。


「ここの地名は『ツドウモ』で合っているのか?」

「は、『ツドウム』『ツダウム』『ツドモー』など進出する役所・企業で呼称が統一されておらず困っております。現地の人間は『トゥユゥモッ』という風に発音していまして、カタカナ表記が困難です」


 マレー沖海戦終結から一週間。小澤智里はボルネオ島やジャワ島バンドンへの上陸支援の合間を縫って、ブリトン戦艦二隻を沈めた立役者である海軍航空隊の基地を訪れていた。

 ここツドウモはサイゴン中心部から北へ約四〇キロ、車でおよそ三〇分。

 進駐時にフランク軍から借り受けた飛行場を、中型攻撃機が使用できるように滑走路一二〇〇メートルから一四〇〇メートルに延伸、当初地盤が柔らかく着陸時に機体の脚が折れるトラブルが続発したため填圧し直している。


「元山航空隊は九六式陸攻の被撃墜一、被弾・要修理が四、搭乗員七名が戦死。美幌航空隊は要修理一三。鹿屋航空隊は一式陸攻の被撃墜二、大破二、要修理八、要工廠送りが二、搭乗員一四名が戦死しました」

「機体と搭乗員の補充はどうなっている?」

「台湾・高雄航空隊より既に到着し、整備も完了しております」


 第二二航空戦隊司令の松永貞子少将の説明を受けながら、智里は駐機された一式陸攻の前で足を止めた。

 水上部隊で魚雷戦を挑む前に航空雷撃だけで戦艦二隻が沈んだことは、智里にとっても予想外の戦果だった。

 柱島泊地にいる山本五十子も、「プリンセス・オブ・ウェールズ」は良くて大破と予想していたと聞く。

 海軍乙女の前半生水雷畑を歩んだ智里にとって水上部隊の出番が無かったのは残念だが、後半生の航空主兵論者としては喜ばしかった。

 しかし。


「……被撃墜三、大破二、要修理二七、戦死二一名、か。敵戦闘機は一機もいなかったのに、対空砲火だけでここまでやられるとはな」


 後から入った情報では、ブリトンは当初「プリンセス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」だけでなく空母「インドミタブル」も派遣するつもりだったそうだ。それがたまたま座礁して、代わりの空母も間に合わず、最後の頼みの基地航空隊はコタバル飛行場の陥落で混乱しており、戦艦だけの出撃になった。もし予定通り空母が同行していて、艦上戦闘機で迎撃されていたら? 現に「プリンセス・オブ・ウェールズ」は、九月の地中海マルタを巡る戦いでは空母「アーク・ロイアル」の護衛を受けて、ナパロニ空軍の陸攻サヴォイア・マルケッティの雷撃を退けている。

 濃緑色と茶色の迷彩塗装が施された一式陸攻の機体を、智里は凝視した。

 機首から尾端まで太い葉巻形と呼ばれる一式陸攻は、一見するといかにも重厚そうで頑丈そうだが、実際には極限まで軽量化されており、機体の曲線は抵抗を少しでも減らそうと空気力学的に計算し尽くされ一切の無駄が無い。強度もぎりぎりだ。

 追求したのは飛行艇並みの航続距離と、戦闘機並みの高速軽快さ。

 海軍軍縮条約下でヴィンランド・ブリトンに対し空母も含めて劣勢を強いられた艦隊戦力を補うため、南太平洋に点在する委任統治領の島々を「不沈空母」に見立て、軍縮条約の対象外である陸上発進の攻撃機の航続距離を伸ばし、雷爆撃によって敵艦隊を漸減する。

 設計当時は戦闘機に匹敵する高速によって、被弾することは有り得ず、仮に被弾しても全金属製なので木製布張りの機体と比べ火災発生の可能性は少ないとされ、一時は戦闘機無用論さえ喧伝された。

 だが実際には、「豆鉄砲」の七・七ミリ機銃から発射される重量僅か十数グラムの焼夷弾が主翼に二発当たっただけで、火だるまになり墜落することがわかった。猛訓練で鍛え上げ、搭乗時間一〇〇〇時間を超えるかけがえのない熟練搭乗員七名と一緒にだ。

 原因は、海軍が求めた二六〇〇浬以上の航続距離を可能にするため必要な六〇〇〇リットルにも及ぶ燃料を胴体内に収容しようとすると、今度は軽量化が実現しないため、被弾し易い主翼の中を水密にし直接燃料を注入するインテグラル・タンクを採用したことにある。

 ヴィンランド軍の「空飛ぶ要塞」と呼ばれる新鋭爆撃機が、堅牢な防弾装備を施して搭乗員の命を守っているのとは対照的だった。

 限られたエンジン馬力で要求性能を満たすには、他に方法が無かったのだ。


「空技廠からは、翼に防弾ゴムを貼って炭酸ガス式の自動消火装置を付ける改善案が早くから出されていた。反対してきたのは我々用兵側だ」

「陸攻のアドバンテージを損なうことになります。マレーを確保すれば良質な天然ゴムはいくらでも手に入りますが……自重増加が避けられず、航続距離と速力が低下します。今回だって航続距離ぎりぎりの戦いでした。爆弾搭載量も減って、運用に支障が」

「攻撃前に撃墜されてしまえば元も子もないがな。そこは熟練搭乗員の技量で補ってもらうしかない。……犠牲は、覚悟の上だ」


 智里は拳を握り、爪を立てた。

 戦艦二隻が沈んだ結果を受けて、敵の防御の壁は厚くなるだろう。戦闘機の護衛無しで戦艦を突出させるような失敗は二度としないだろうし、対空装備も一層強化される。

 対するこちらは戦うたびに替えの効かない搭乗員を失い、航空隊の練度は落ちていく。今回のような大戦果が、後どれだけ再現できるだろうか。

 そこまで考えて、智里は首を横に振る。


「長期戦になれば、どの道この国に勝ち目は無い」


 工業生産力も科学技術も、人的資源も、引き離されるばかりだろう。今が力のピーク。どんなにもっても一年半だ。


「先のことを心配するより、今はとにかく開戦まで蓄えてきた人と物を惜しまずぶつけ、圧倒的な勝利でもって早期講和の糸口を掴むしかない。それが我々の責任だ。部下を死地に送るのもな」


 真珠湾攻撃の三〇分前に行われるはずだったヴィンランドへの最後通牒の手交が、外務省の不手際で攻撃開始の一時間後となり、「卑劣な騙し討ち」としてヴィンランド大統領が国民を煽る格好の材料にされてしまったことに、智里は内心で落胆していた。

 モンロー主義で戦争介入に消極的だったヴィンランド世論は「リメンバー・パールハーバー」のスローガンの下に団結した。

 「ヴィンランドの軍と国民の士気を救うべからざる程にまで阻喪させ、一気に講和に導く」という五十子の願いとは裏腹に。


「……さしあたっては目の前の任務だ。陸軍のマレー攻略は予想以上に順調でね。ブリトンが工事に半年かけたジットラ・ライン、我々は突破に三カ月かかると見ていたが、僅か半日で突破してしまった」


 一千キロのマレー半島においてブリトン軍は橋梁を爆破しながら撤退、後方から砲撃で修理を妨害する遅滞戦術をとった。

 これに対し陸軍は作戦主任参謀・辻政信中佐が前線に出て挺身隊を直接指導、僅かに中戦車一個中隊と軽戦車・軽装甲車・砲兵それぞれ一個中隊でもって夜に紛れ、撤退前の敵中を突破、橋梁を次々制圧して破壊を阻止し、さらに備蓄された敵の豊富な武器弾薬燃料食糧を奪って補給に代えた。「速やかに敵に対し決戦を求め、初動において獲得する極大の戦果により、いち早く敵軍の戦意を破摧するにあり。我が最も得意とする攻勢と機動とによりて敵の消極鈍重に乗じ、常に機先を制してその戦力いまだ完からざるを撃ち、一挙これを潰滅に陥らしむるにあり」これは辻がかつて光文一四年に起案し、ノモンハン事件に影響を与えた北方紛争処理要綱の一節である。

 辻は今回、己のドクトリンを実践し、ノモンハンでの汚名を返上した形だ。


「マレーの快進撃を受けて南方総軍は、油田があるスマトラ島パレンバンの占領を予定より繰り上げたいと言ってきている。戦闘で油田が破壊されることを考慮し、輸送船団には技術者と重要機材を載せるので無傷で届けて欲しいとのことだ。制空権確保のため、君達航空隊にはマレーで占領したばかりのクワンタン飛行場に移ってもらう」


 海上交通の要衝でありブリトンの植民地支配の象徴でもあるシンガポールを陥落させ、南方の油田を確保すれば、再び早期講和のチャンスが作れる。

 後は国家の首脳部が、政戦両略の一致により速やかに戦争を終結させてくれることを祈るしかない。一軍人にできるのは、戦うことだけ。

 その渦中で死ねるなら本望だ。

 捕虜の証言によれば「プリンセス・オブ・ウェールズ」に乗艦していたブリトン東洋艦隊司令長官のフィリップス提督は、部下の退艦要請を「ノー、サンキュー」と断り、退艦する将兵に手を振って死んだという。

 いずれ、自分も――


「松永司令にお話があります!」


 一式陸攻の列の間から、一人の海軍乙女が駆けてきた。


「小澤長官? しっ、失礼しました!」

「構わんよ。君は確か……」


 少女は飛行服姿だが、戦闘機乗りのように洒落たマフラーは巻いていない。代わりにリボンの髪飾りをしていて、智里は五十子の一〇代前半の頃を思い出した。


「鹿屋航空隊第三中隊長の壱岐春香大尉だね。『レパルス』の撃沈よくやった」


 松永司令が相好を崩す。一方の壱岐春香は緊張した表情のまま。髪飾りのリボンの色は白だ。


「司令、無理を承知でお願いがあります。先日の出撃で我が隊は戦友一四名を失いました。また、『レパルス』の敵兵が諦めず最後まで撃ってきた敢闘精神にも感銘を受けました。どうか慰霊をさせて頂けないでしょうか」

「慰霊、か……気持ちはわかるけど、今は戦いの真っ最中だ」

「任務でまたマレー沖を通る時で結構です! 何かの形で……」


 壱岐春香は必死だった。

 戦国時代の武将・松永久秀の子孫でもある松永貞子少将は、部下の嘆願に困ったように目を瞬かせる。

 色々と逸話が残る先祖ほど型破りではないものの、茶目っ気もあって話のわかる将官と評判だ。これは隣に自分がいるせいかと、智里は咳払いした。


「そうだ松永。アナンバス諸島のシアンタンにあるブリトンの港と無線電信所な、今度占領したいから航空隊に威力偵察を頼む話をしていたと思うが、丁度良い、彼女の隊に行ってもらったらどうかな」


 マレー半島東岸沖の島で、ここの港が使えるとわかればシンガポール攻略のための良い前進基地になる。ついでに、海戦のあったクアンタン沖も通る。松永司令は咄嗟に頷いて、


「そうでした。任務だ、壱岐大尉。港の写真を撮って、無線電信所は爆撃で破壊して欲しい。今から行けるか?」

「は……はい! 是非やらせて下さい!」


 春香は一瞬驚いた後、表情を輝かせる。弾かれたように準備にかかろうとする彼女を、智里は呼び止めた。


「壱岐大尉。『レパルス』に命中した魚雷は、君の機でなく撃墜された二機のものだと報告したそうだね。本当かな?」

「それは……」


 智里は笑った。いつものような皮肉めいた笑いでなく、親愛を込めた。

 航続距離と引き換えに防弾の無い機体に乗せて、使い捨ての弓矢の矢として、この先も死地に投じるであろう部下に。


「君は優しいな、壱岐大尉。部下に優しく、敵にも優しい。そういう人間を、私はもう一人知っているよ。かくいう私の上官でね。偉大だが、不幸なお方だ」


 自分は、あの人とは違う。けれど、せめて今だけは。


「死ぬなよ」


 智里は春香の手を握った。







 アナンバス諸島への任務には、春香の中隊だけでなく鹿屋航空隊の全三個中隊が参加してくれることになった。

 予定高度の四〇〇〇メートルまで上昇し、水平飛行に移る。電熱服や酸素マスクが必要ないぎりぎりの高度だ。 

 いったん爆撃進路に入ると、編隊の間隔を密にし水平直線で飛び続けねばならない。一式陸攻がカタログスペック上どれだけ高速軽快でも、回避行動が全くとれなくなるため危険に晒される。

 アナンバス諸島はシンガポールに近く迎撃を覚悟していたが、幸い敵戦闘機も高射砲もいなかった。

 中隊ごとに単縦陣になり、定められた進路を一直線に進む。水平爆撃では、先頭を飛ぶ隊長機が爆撃嚮導機として照準を行い、後続の列機は嚮導機に従い一斉に爆弾を投下する。

 爆撃手の春香は責任重大だ。機首爆撃席に座り、今日は足元にある爆撃照準器を覗き込む。

 機は敵無線電信所の上空に達しつつある。自機の高度、速度、風速と風向を入力しつつ、


「よーそろー、よーそろー……チョイ右ー……よーそろー……」


 伝声管で進路の修正を指示する。

 操縦員の小日向達とは、北方事変で水平爆撃を何度も経験している。お互い癖を熟知しているから、最低限の修正で機体が思い通りに動き、照準が定まっていく。


「チョイひだーりー……よーそろー、よーそろー……よーい、テーッ!」


 春香の号令で、小日向が操縦席の投下杷柄を引いた。

 爆管が作動し、弾倉から爆弾が投下される。それと同時に、後続機も爆弾を落とした。

 使用したのは二五〇キロの九八式二五番陸用爆弾。弾頭は鋳鋼で、厚さ四〇〇ミリの鉄筋コンクリートを貫通する。

 機体が軽くなり、浮き上がるのを感じた。目標上空で旋回する。


「概ね命中! 目標の破壊を確認!」


 航空写真も無事撮り終え、春香達は帰路につく。

 電信員の奥山が無線機の周波数をAHKのラジオに合わせると、ここ数日繰り返し流れるリズミカルな歌が、機内の風鳴りに混じった。

 滅びたり敵東洋艦隊! マレー半島クワンタン沖に沈む! 沈む「プリンセス・オブ・ウェールズ」! 沈む「レパルス」!


「これ凄いよね。私達の戦闘が内地でもう歌になってるだなんて……」


 ニュース歌謡といって、起こった出来事にその日のうちに歌詞と曲をつけて放送するのだそうだ。

 この曲も、大本営発表があった一二月一〇日の午後四時からたった三時間で作られ、午後七時のニュースで歌われた。

 「プリンセス・オブ・ウェールズ」のところは艦名が長いせいでやや強引だが、力のこもった歌い方からは、敵主力艦撃沈の報に沸き立つ本国の人々の感激と興奮が伝わってくる。

 自分達のことを「勲し赫たり海の荒鷲」とか「わがつわものら」などと表現されるのは、何というかくすぐったいが、嬉しくないといえば当然嘘になった。

 本国の人達が、こんなに喜んでくれている。今までの大変な訓練や、危険な戦いの日々が報われたと思う。


 ……死んだ仲間達は、報われただろうか。


「隊長、間もなく先日の戦闘があった海域の上空です」


 主偵察員の萩原が知らせてくれた。

 春香は中隊の高度を三〇〇メートルまで落とす。


 花束は、幼馴染を亡くした副偵察員の前川が、出撃前に用意してくれていた。

 白い菊の花束を二つ。

 基地の近くにフランク人が営む花屋があって、そこで作ってもらったそうだ。フランクでは一一月二日が伴天連教の「死者の日」といって葦原のお盆に近く、お墓に菊の花を供えるらしい。

 ただ、伴天連教の「死者の日」は死者の魂が天国に行けるよう祈る日で、死者が帰ってくるのをお迎えするお盆とは少し違う。


 帰ってきて欲しいとばかり思うのは、突然の別れからまだ日が浅いせいだろうか。

 地上では楽しくて、空では頼りになった、死んでしまった仲間。まだ一緒に夜店で食べて遊びたかった。まだ一緒に空を飛びたかった。


 最初に見えてきたのは「レパルス」だった。

 水深五〇メートルくらいの、水が澄んだ浅い海だからよく見える。船体は完全に転覆しているが、沈没時に爆発が無かったから綺麗だ。

 桜井達の二番機と本田達の三番機、それに元山航空隊の九六式陸攻も、一緒に沈んでいる。

 桜井達は一瞬だったけど、本田達の最期は、目に焼き付いている。


 春香は連絡通路を歩いて側方銃座まで行き、引戸になっている窓を上にスライドさせた。

 背筋をぴんと伸ばし、戦死した仲間を想いながら、右手で挙手の礼をする。

 春香以外の搭乗員も皆、同時に敬礼した。


 左手に花束。

 南海の風が機内に吹き込んできて、軽量な物だと機外に出しても吹き戻されてしまう。

 春香が身を乗り出しても押し戻されて、それがまるで、見えない仲間達の手のように感じつつ、


「受け取って」


 頑張って花束を外へ投げた。

 白い花弁は風に受け取られ、くるくると何度も目の前を舞った。


 「プリンセス・オブ・ウェールズ」のところにも行って、同じように二つ目の献花をする。

 こちらも水深が浅くて、澄んだ水面の下に転覆した船体がくっきり見える。軍の偉い人達が、勿体無いから引き揚げたいと言っているのもわかる。


 この海で戦死したブリトン将兵のことも想って敬礼した。

 時間が経つほど鮮明になってくる、青い瞳の少女達が甲板で最後まで必死に機銃を撃っていた光景。


 きっと自分は生きている限り、歳をとっても忘れることはないだろう。

 どこまでいけるかわからないけれど。語り続けたい。

 この海に眠る戦士達のことを。大切な仲間のことを。尊敬すべき敵のことを。


 記憶しよう。永久にこの日を。







(山本五十子の決断・外伝 ―南海の花束― 完)

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