第3話 金田一盗作の冒険


 僕、金田一盗作です。

 戦前は東京のとある有名作家の門下生でしたが、復員後は私立探偵のまねごとをしています。金田一盗作という名前は本名ではありません。本当は金田かなだ耕作といいます。もともと金田一シリーズのファンで、作家見習いのとき盗作ばかりしていたので、先生から金田一盗作をペンネームにするように言われたのです。

 今、香川県の四つ門島という島に船で向かっています。本土からの直接の便はなく、小豆島からの定期連絡船です。

 一緒にいるのは飯室響子という娘さんで、空襲でご家族を亡くされた後は、岡山に疎開されていたのですが、今回島に用があるとかで、僕が付き添いで来ています。六尺近い背丈に、やや色黒で彫りの深い顔は混血児のようです。脚が長いのでモンペがくるぶしまで届きません。


「これモンペじゃなくって、サブリナパンツっていう丈の短いズボン。そっちこそ、よくそんなよれよれの羽織袴とパナマ帽が手に入ったわね。髪が縮れてしかもぼさぼさだけど、もしかしてヅラ? 面白そうなキャラ見つけたのはいいけど、そんな語り口でこの先持つの? しかも時代設定が終戦直後。それに、金田一盗作って、もっとましな名前なかったの?」

 お郷さんはそう言って、愛らしい笑顔を浮かべました。


 僕とお郷さんの他に、珍念さんというお坊さんも一緒です。今は島にあるお寺の住職ですが、戦前は笠松ビルヂングという会社の管理人をされておられました。GHQにビルが押収されてからは、闇市で荒っぽく稼ぎ、羽振りが良かったんです。それが警察に目をつけられて、島に逃げてきたというもっぱらの噂です。

「誰が珍念だよ。小坊主じゃないから珍念はやめてくれよ。たしかに頭がスキンヘッドだから僧侶と言われても仕方ないけど」


 これから僕達が向かうのは、珍念さんのお寺にある四重の塔です。袈沙摩津婆武留之塔というのが正式名ですが、島の人たちは四つ首塔と呼んでいます。

 その昔、四つ門島に平家の落人が流れ着いたとき、島の人たちは酒盛りでもてなしました。四人が酔った頃合いを見て、島の人たちは一斉に竹槍で襲いかかったのです。

 落人は無惨に殺害され、首を刎ねられました。その後、落人の祟りとしか思えない災いが相次ぎ、島の人たちは落人の首を祀る四重の塔を建立しました。


 実は僕は、島の分限者である四つ神家から依頼を受けて、この塔を調査しに来たのです。

 誰もいないはずの塔の中から、若い女性の声が聞こえる。そんな噂が島の人々の間に広がり、真相を確かめに来たのです。


「真相は、中に若い女性がいたのです。はい、終了。金田一先生、ご苦労様でした」

 空襲以来、お郷さんは時々知恵遅れの子供のような事を言うようになりました。

「飛行機が来る。きょうてえよ~」などと叫んではところかまわず走り回るのです。

「無理に岡山弁使わない!」

「ところで珍念さん」

 僕は、和尚さんのほうに向き直りました。

「その珍念ってやめてよ」


「お~い、島が見えたぞ」

 金田一盗作が船頭と同じ方向を見やると、周囲二里ほどの小島が浮かび上がっていた。高い山や険しい崖などはなく、一見のどかな田舎を思わせるが、折しも島の上空には不気味な黒雲が覆い被さり、今にも落雷が落ちそうだ。それはこれから起こる大惨劇を暗示しているようだった。金田一盗作は、その光景を死ぬまで忘れることができなかった。


「急に三人称になって、しかもまだ死んでもいないのに、死ぬまで忘れないって」

 そう言ってお郷さんは、僕の冗談につき合ってくれました。笑うとえくぼが目立ちます。彼女の笑顔は金田一盗作にとってひとときの安らぎであった。そして彼自身も、間もなく彼女から笑顔が消えるであろうことを予感していた。しかし、僕は勇気を出して、この事件に立ち向かうことに決めました。


「ややこしいから一人称と三人称を混ぜないで」


 私はそう言いましたが、本当は三人称が嫌いだったのです。金田一先生の心の声を聞くことだけが、戦争で全てを失った私の生き甲斐だったのです。


「お願いだから、私の心の声を勝手に地の文に使わないで。誰も読んでないけど、もし読んだとしたらわけがわからないでしょ」


 和尚さんは、琵琶を鳴らしながら、

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす……」と、平家物語の冒頭をうなるように唱えています。金田一盗作の耳には、まるでこれから始まる「四つ門島奇譚」のオープニングテーマのように聞こえた。親父の事業が駄目になったせいで俺は八歳で仏門に出された。そこでも「おまえのような俗物は仏の道にむかん。琵琶法師にでもなれ、この蛸頭」と言われて追い出された。そこから俺は世の中の奴らを見返してやると奮起して、土地を買い漁った。だけど、悪運は長続きしなかった。あのバブル崩壊で全てを失った。そんな私を拾ってくれたのが、独り言を言う便利屋さんでした。最初の約束で私は探偵、所長は便利屋と決めていたのに、それが今では私が犬の散歩をしています。金田一盗作が島に来ることになった事情は、島の有力者四つ神与兵衛翁の遺言によるものだった。顧問弁護士の古館秋人は、これから起こる遺産相続争いを避けるため、彼をこの島に呼び寄せたのだった。俺は、危険な違法サイトを覗いたせいで、童話を書くはめになった馬鹿な探偵だ。だが、やられたらやり返す。あの童話サイトの奴ら、ただじゃすまさねえからな。僕、金田一盗作です。古館さんから依頼を受けた件ですが、一度神戸に行って、与兵衛翁の過去を調べてみたいと思います。こうして、四つ神家の一族の間に骨肉相争う惨劇が幕を開いたのだった。


「おまえら、何わけのわかんないことしゃべってんだ!」

 船頭は怒りのあまり、櫂を漕ぐ手を止めた。

「私じゃなくて、この人が一人五役で独り言話してるだけ」

 船頭の怒りは金田一ではなく、女助手に向かった。

「おう、デカいねえちゃん。船に乗るんならマナーってもんがあるだろう。女学校で習わなかったか? 戦災孤児だかなんだかしらんが、いまどきそんなもん、珍しくもなんともねえ。島に行きたかったら、大人しくしてな。ただでさえ体がでかいんだから、あんたが騒ぐと、船が揺れて仕方がねえ」

「船が揺れるのは私のせいじゃなくて、船が小さいからでしょ。こんなちんけな船にぎっしり乗客詰め込んで、それでいて料金馬鹿高い」

「なんだと、このアマ。やろうってんのかい?」

 船頭は櫂を上に構えた。

「私、探偵だから格闘技の訓練受けてるの」

 といって、女は不適な笑みを浮かべた。

「村上水軍の子孫をなめんじゃねえぞ!」

 ついに船頭の怒りは爆発し、金田一までが犠牲になった。

「ちょっと、変な格好のお客さん。他のお客さんから五月蠅いって苦情が入ってるんで、静かにしてもらえませんか。それに私は櫂を漕ぐ船頭じゃなくて乗組員ですし、これでも一応会社員ですから」



 ……。

 ……。

 沈黙。


 長い沈黙を破ったのは意外なことに、応接間の片隅に控えていた古館弁護士だった。

「すると金田一先生は、最初の三件は単なるカムフラージュで、犯人の本当の狙いは四つ神多門殺害にあったんですね?」

「本当に恐ろしいことです」

 金田一がぼりぼりと頭を掻くと、周りにフケが飛び散った。


「汚いわね。このために、わざと頭洗わなかったでしょう?」

 お郷さんは、珍しく声を荒げました。


「ですが、金田一先生。四つ神美砂には動機がありません」

「おっしゃる通り、美砂には多門を殺す理由がない。ですが彼女が単なる操り人形、真犯人の意のままに動いていたとしたら?」

「真犯人? 他に真犯人がいるのですか?」

「誰ですか。その真犯人というのは?」

 長門刑事も身を乗り出した。

「信じられないでしょうが、四つ神与兵衛翁です」

「馬、馬鹿な。与兵衛さんはもうとっくに死んでいるんですよ」

 古館弁護士は、目の前の小柄な探偵が気が触れてしまったのではないかと疑った。


「はい。続きは来週号」

 お郷さんは、強引に僕の話を止めました。


 はしけが桟橋に着いたが、三人とも島に上陸する気が起きなかった。

「やっぱり、うち、帰る~」

 お郷さんなどは、駄々っ子のように泣きわめいています。

「とっとと降りやがれ、本土の糞ども!」

 船頭さんに叱られて三人は呪われた島に足を踏み入れてしまいました。これからどうなるのでしょう。


「艀って大型船が着けない場所で乗る小さい船のことだろ。言ってること無茶苦茶だな。ああ、やっと着いた。少し船酔いしたかもな」

 笠松不動産社長はコンクリートの岸壁に両足を着けた瞬間、コリをほぐすように首を回しながら、そう言ったとさ。彼は船が苦手だった。その理由は親父が俺を海に突き落としたせいで、俺は漁師にだけはならないことを堅く心に誓ったとさ。めでたし、めでたし。


「キャラが安定してないんだけど、今の誰?」

 そう言う私自身、自分が誰なのかわかりませんでした。はっきりしているのは、私が塔に行かなければ、いつまで経っても、冬の女王様が塔から出られないということです。だから、私はこの島に来ました。そこで私の正体が明らかになるはずです。


「また私? 記憶喪失という設定ね」

 これから私達三人は、島で唯一の民宿安村に向かいます。塔のある寺はかなり昔に廃屋になって、今は塔だけを民宿のご主人が中心となって管理しています。

 私はこの島とは関係がありませんので、安村さんには足立ねねさんと名乗ります。島の人はねねさんの顔を知らないから問題ありません。それに、ねねさんはもさっとした特徴のない顔立ちなので、誰でもねねさんになることができます。

 見た目は平凡なねねさんですが、裏の顔があります。私がこの島に来ることになったのも、彼女にギャンブルに誘われたからです。裏の顔といえば裏野ハイツというボロアパートが有名ですが、今年の夏、私は裏野ハイツに行こうとしたんですが、聞き違いをして田子の浦まで出かけてしまいました。


 聞き違いというお郷さんの言葉を聞いたとき、和尚さんは突然立ち止まりました。顔色もすぐれません。

「どうされました?」

 僕がそう尋ねても、

「聞き違いじゃが仕方がない」と言うだけです。


 盗作の耳には、たしかにそれが、

「聞き違いじゃが仕方がない」と聞き取れたのであった。


 聞き違い……?

 まさか、それは、

「本作品には今日の人権擁護の見地に照らして、不適切と思われる語句や表現がありますが、作品発表時の時代背景と文学性を考え、オリジナル作品そのままの表現に留めました」

 という例のアレをそのまま出すわけにはいかず、聞き違いという微妙に異なる表現で代弁したのではないだろうか。


「お、お、和尚さん。今、な、なんとおっしゃいました?」

 金田一盗作は興奮するとどもる癖がある。「も、もしかして放送禁止用語では?」

 だが、そのとき和尚は盗作のほうに向き直ると、

「『聞き違いじゃが仕方がない』というのは金田一さん、あんたの聞き違いだよ。俺は『聞き違いじゃあ仕方がない』と言ったのに、あんたがおかしなふうに詮索するから、いろいろと誤解を招くことになったんじゃ」

 と、和尚さんは僕のほうに向き直って言いました。


「さすが盗作の達人、金田一盗作先生ね。巨匠の名作ミステリの重要箇所をわざとらしく盗作するなんて。だけど、これ一部のミステリファンにしか理解できないけど、どうするつもり?」

「パロディなんて所詮はそんなものです。万人が原作を知ってるわけじゃありませんから」

 僕は、お郷さんに対しそう開き直りました。


 島には周囲を囲うように主要道路が通っています。港からその道路を過ぎると、この島の名前の由来となった門のひとつ、秋門があります。その門の両脇に数軒の商店があります。僕らが向かう民宿はその中の一軒で、本業は魚料理の店です。


 そこで遅めの昼食をとりました。ご主人の安村さんは、人なつっこく僕らに接し、

「お嬢さんが足立さんのところの娘さん? 小さい頃、正月なんかに島に遊びに来たけど、随分、大きくなったね」

 と驚いていました。

「大きくなりすぎたな」

 と和尚さんが不謹慎な発言をすると、お郷さんはテーブルの下から長い脚で和尚さんのすねを蹴り上げました。

「痛っ!」


 食事が終わると、和尚さんは先にお寺に向かわれました。お郷さんが春姫様の服に着替えている間、僕は荷物を奥の和室に運びました。ここは普段、宿泊に使っています。僕は旅の疲れが出て、うとうととしてしまいました。もし誰かが部屋に入ってきても気付かなかったでしょう。


「行きますよ」という安村さんの奥さんの言葉で目覚めました。

 モンペ姿だったお郷さんが、お伽噺の絵本に出てくる乙姫様のようなあでやかな衣装を身につけています。春のお姫様らしく黄色の単衣で明るい印象ですが、予想どおりサイズが合わないようで、動きがぎこちないです。

「そんなことないわ。全然余裕」

 と言って、無理に体を動かそうとするので、

「そんなに動いたら服が破れる」と奥さんに注意されました。


 それから、僕とお郷さん、安村さんの奥さんの三人で、四つ首塔に向かいました。塔のある寺はとてもわかりやすく、四つの門から続く道が交わる、島のほぼ中央の場所にあります。

 上りの坂道を歩いている途中、「さっきから何ひとりで話してるの?」と奥さんに尋ねられました。

「劇団員なんです。芝居の稽古だと思ってください」と僕自身が説明しました。

「あら、そういうことね」

 納得していただけたようです。



「あ、あれだわ」

 私は、とうとう四つ首塔をのぞむ丘の中腹に辿り着きました。

 こんもりと木々が茂る森に囲まれ、まだ本堂は見えませんが、塔の上から半分ほどが、不気味な偉容を現しています。

 天に向かってそびえ立つその姿は、まるで古代から続く因習の呪縛から解き放たれることを願っているかのように思えました。


 四つ首塔……そこは、数々の悲劇を生んだ死亡の塔。

 四つ首塔……行き場を失った忌まわしき怨念の集まる場所。

「ホラー表現は怖いからやめて」

 飯室響子は、恐怖のあまり目を大きく見開き、放心状態のようにうわごとを言い始めた。

「この塔は呪われている……この塔は呪いの塔だ……フハハハハ」

「だから、怖いって」

「無駄なことしゃべってないで、さっさと歩くよ」


 それから十分ほどで塔の前に着きました。

 四つの階それぞれにある瓦屋根は緩やかに反り返り、当時の宮大工の腕がしのばれますが、他の有名な塔に較べ安っぽい感じがします。高さはそれほどありませんし、土台は漆喰の壁がないので、床下の根田などが丸見えです。欄干もないので、中に閉じこめられれば、窮屈な生活が待っているはずです。


 ひとつしかない入り口の観音開きの扉は閉まったままです。 

「この中に冬の女王、いえ冬姫様がいるのね」

 お郷さんは気を引き締め、そう言いました。

「それでは春姫様、心の準備はできましたか?」

 安村さんの奥さんが聞きました。

「お願いします」


 安村さんの奥さんが扉を開けると、そこには雪のように白い衣装を纏われた冬姫様がお姿を現されました。久しぶりに外の空気を吸った後、両手を大きく上に上げて、歓喜の声で叫びました。


「やっと出られた……ああ、つまんなかった」

 それからお郷さんの前に行くと、「あなたが春姫様ね」といって、彼女に抱きつきました。

「根をあげないで、がんばってね。どんなに苦しくても待ち続けるのよ」

 と春の女王を励ましたのです。

 お郷さんは、「ええ」としか言えませんでした。

「それでは、春姫様」

 安村さんの奥さんは、お郷さんの肩に手をかけ、小さくうなずきました。

「はい」 

 お郷さんはしゃなりしゃなりと中に歩いていきました。その後ろ姿には威厳があって、僕は声をかけることができませんでした。

 安村さんの奥さんは外から扉を閉めました。

「これで、冬春の儀は終了です」

 僕と冬の女王は拍手をしました。意外とあっけなく感じたのは、僕がただの見物人にすぎないからでしょう。きっと、本人達にとっては、一刻も早く終わって欲しい苦行に違いありません。

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