第2話 グリーン車内の惨劇


「それからあの、所長」

 彼女は言い出しにくそうにもじもじしている。「そろそろ自己紹介のほうを」


 そうだった。話に夢中で一番肝心なことを忘れていた。

 俺の名は比由らあちゃ。ニックネームでも外国人でもない。父親が尾鷲市役所の窓口と喧嘩しておかしな名前になってしまった。

 それだけなら最近のキラキラネームのガキどもといい勝負だが、俺は子供の頃とんでもない経験をしている。


 あれは小一の夏のことだった。

 俺が暮らしていた漁師町では忍者の目撃例が後を絶たず、「忍者に注意」の看板があちこちにかかげてあった。

 怖い者しらずだった当時の俺は、そんなことなどどこ吹く風で、

「忍者なんているわけないさ。寝ぼけた人が見間違えただけさ」

 と街の人々を馬鹿にしていた。

 すっかり油断していた俺を老忍者が浚っていった。


 俺は監禁されていたわけではないが、不思議なことに逃げようとしてもすぐにつかまってしまい、故郷に戻るまで五年の歳月がかかった。

 前の学校に転校生という形で戻ることになったが、同級生は俺のことを忘れてはいなかった。しばらくの間、「帰ってきたラーチャー」と呼ばれることになった。

 小学校はなんとか卒業したが、学校生活になじめない俺は、中学に行くことを拒絶した。一応入学した形にはなっているようだが、義務教育から解放されるためにアメリカ合衆国に渡った。


 自由の女神を目にしたのは、東欧からの移民達と同じ船だった。

「あれが自由の女神だっぺ? こんでいよいよ、おら達もアメリカン・ドリームをつかめるっぺ」

 俺の横でコワルスキー少年が訛った英語でそう言った。

「ミートゥー」と俺も言った。その瞬間、人種の違いを越え、俺達の間に同胞意識が芽生えた。

 しかし、現実はそう甘いものではなかった。


 ブロンクスの路上で飢え死にしそうになっていた俺を救ってくれたのは、近くでバーを経営している黒人夫婦だった。

 俺はカクテルの作り方を教わり、店を手伝った。馴染みの客から、

「日本人は小さいって聞いてるけど、おまえはデカイんだな」と言われた。

 十三歳ですでに六フィートを越えていた俺は、アスリートとして将来を有望視された。

 しかし、俺が選んだのは船員の道だった。

 漁師の家系に生まれ育った俺の血が騒いだからだ。


「ふっ、海風が俺を呼んでいるぜ」が俺の口癖だった。

 二の腕に碇のタトゥーを入れ、よく荒くれ者達と喧嘩をした。大勢の大人を相手に最初は負けていても、ほうれん草を食べると筋肉隆々になる俺は無敵だった。ラーチャー・ザ・セーラーマンというタイトルのミュージカル作品としてブロードウェーで長期公演されもした。なんと主演は俺自身だ。


 そんな俺が日本に帰国したのは、豪華客船で起きた殺人事件がきっかけだった。

 俺はビリヤードルームの掃除をしようとしたが、男性客が一人まだ残っていた。彼はキューを持ったまま、立ちすくんでいる。


「セニョール、どうされました?」

「ああ、失礼。考え事をしていたもので」

「もしかして、例の殺人事件ですか」

 彼は目を見開いて驚いた。

「どうしてあなたは関係者以外知るはずがない事件のことを知っているのです。それはあなたが犯人だからです」

「違う。俺はやっていない。ほんの出来心だった。絶対にやっていない。殺すつもりはなかった。だから絶対にやっていないって」

「随分動揺されてますね」

 俺は絶体絶命の状況に置かれた。そこで、

「あ、あんなところにカラス天狗がいる」

 と叫び逃げ出したが、五分後、またビリヤード室に戻った。

「逃げても無駄だとわかったようですね。実は私は合衆国の警察のものです。休暇中ですし、この船での捜査権はありませんが、マドリード警察にあなたを引き渡すつもりです」男性はニューヨーク市警の警部だった。「ところで隣にいる美女はどなたです?」

 俺は人殺し女を警部の手に引き渡した。この事件はスペインと米国の新聞で取り上げられ、警部は一躍時の人となった。俺は彼にスカウトされ、ニューヨーク市警で刑事として活躍した。 


 正座に耐えかねた響子はあぐらをかいていた。

「よっ! さすが真打ち。冬の法螺2016」

 と言って、拍手をしている。

 俺は作り話を話しているわけではない。ほんの少し脚色しただけだ。

「まだ終わっちゃいねえぜ。これから面白くなるところだ」

「聞かなくてもわかってる。所長の大活躍で他の刑事の仕事がなくなり、失意のうちに日本に帰国。刑事の経験を生かし、ラーチャー&スミスバーニー探偵社を設立」

「話す前なのに、なんでわかるんだ?」

「これまで嫌というほど聞かされているからよ。しかも毎回内容がすこしずつ変わってるし」



 いろいろ知人に当たったが、五百万円を都合できなかった響子は、足立ねねの代わりに塔に籠もることになった。

 ねねから服の着替えなど必要なものは向こうで提供されると聞いて、荷物は最小限ですませることにした。俺から見れば、サイズ的に合わない気がするが、どうせ塔から出られないのだから、何を着ても同じだろう。


 いや、塔から出られないわけではない。

 四つ首塔ぼや騒動大作戦は必ず成功する。

 薪を集めるための、のこぎりを二本も用意してきたのだ。もちろん一本は俺用だ。もう一本は世紀の暇人笠松大五が使う。


 その日の朝まだ暗い頃、俺達三人は、俺の愛車に相乗りして駅に向かっていた。

 俺の車は、外車専門ディーラーで購入した、イタリアの名門マセラティ社のグランカブリオだ。俺のコートと同じホワイトカラーで、ルーフを開閉することもでき、ときにはオープンカーで開放的な気分に浸った。だが、事情により日本の軽自動車サイズに改造し、ルーフは閉じたままだ。


「本当にマセラティだったら、このまま高速走って現地まで向かえばいいけど、年代ものの軽に三人乗りで、荷物も多くてきついから、新幹線ということか」

 後部座席の笠松大五が文句を言った。朝っぱらからうるさい男だ。

 笠松ビルのオーナー兼管理人で、することがないから将棋ばかりしている。

「嫌なら無理についてこなくていいんだぜ。薪くらい俺一人で充分だ」

 と俺が言うと、今度は響子が文句をつけた。

「所長の言うように、一人でも焚き火はできるでしょう。だけど、火が小さいと説得力にかけます。それに万が一塔に火が燃え移って、本物の火事にでもなったら大変だから、人が多い方がいい。捕らわれの私が逃げ出せなくて、焼け死ぬかもしれないし」

「捕らわれは言い過ぎだよ。外に出られないというのはあくまで建前で、どうせ塔にいるのは昼のうちだけで、近くに家とか借りてくれるんだろう。どんな辺鄙なところでも、いまどきそんな無茶苦茶な風習あるわけがない」

 笠松は呑気なものだ。

「それなら、俺達が行く必要がどこにある?」

 俺は、怒りに満ちた声でそう聞いた。旅行気分で現地に向かうバブル男が許せなかったのだ。

「旅行気分じゃなくて、俺は旅行に行くんだよ。ノコギリなんか荷物が嵩張るから置いていけばいいのに」

「万が一のため。私もたぶん大丈夫と思うけど、なんか聞いた話だと想像を絶するど田舎で、世間一般の常識なんか一切通じなくて、未だに夜這いの風習があるとかないとか。昔は食人とかあったらしくて」

「それ絶対大げさに言ってる。誰かと同じで冬の法螺だ」

 響子の不安を笠松は笑った。


 笑っていられるのは、今のうちだけだ。

 間もなく俺達は、四つ首塔の本当の恐ろしさを知ることになるのだった。千年前と同じように、獄門台の上に四人の首が並ぶ。最初に置かれる首は、今笑っている笠松大五だった。


「俺の子供の頃、法螺吹き男爵って童話があったけど、今のあんたのことだな」

 残念ながら笠松の読みは外れていた。俺は法螺吹き男爵ではなく、ハーメルンの法螺吹き男だった。小六のとき、復学した学級の担任からそう呼ばれたのだ。



 それからしばらくして、俺達は新幹線の指定席車輌に乗車していた。

「どうしてグリーン車じゃないの?」

 わがままな響子がそうすねている。

 彼女は、俺がどれだけ苦労して、闇ルートからチケットを手に入れたのか知りもしない。取引の相手は車内販売の女性職員だった。ブツの引き渡しのとき、

「このことが会社にばれると、私はクビだから、絶対に黙っていてね」

 と念を押された。

 ちょうどその時、その売り子が俺の横を通り過ぎようとしていた。

 俺は、懐から万札を一枚とりだすと、小声で、

「これでグリーン席三人分、手配できないかな?」と声をかけた。

「はい?」彼女はきょとんとしている。「静岡茶でよろしいですか?」

 俺は周囲の客に秘密がばれるのを恐れ、

「し、静岡駅まで自由席の鈍行」

 と言ってごまかした。

「?」

「すいません」

 前の席にいる響子が謝った。


 その車輌は片側は三人がけの座席で、もう片方が二人がけだ。俺達は二人がけの方に座っていて、響子の隣、窓側は笠松だ。それだけなら別にどうということもないのだが、車内は空いていて、三人がけのほうに一人も座っていない座席もある。それなのに、俺だけのけ者にするような形で、二人がけの方を指定するとはどういうことだ。


「所長が闇ルートでチケット買ったんじゃなかったんですか?」

 俺は彼女の質問には答えず、

「いいんだ。いいんだ。僕だけひとりぼっちでいれば」

 と大声でわめいた。

「そうやって迷惑かけられるから、他人の振りをしているんです。ただし、何をしでかすかわからないから、すぐ後ろにいてもらったんです。お願いですからもう声をかけないでください」

 と彼女は冷たく言った。

 笠松はいびきをかいて寝ている。俺はいびき親父より迷惑な存在なのか。

「迷惑です」

「全ては君がグリーン車に乗りたいというから、こんなことになったんだ」

「自分で作ったことを本気にしないでください」


 それから長い退屈な時間をすごさねばならなかった。

「たかが国内旅行程度に片道七時間もかかるとは、科学の進歩もたいしたことはないな」

 俺がそこまで言い切るのは、脚力に絶対の自信があったからだ。

 俺は飛脚時代、東海道一の韋駄天と呼ばれた。途中の宿場町で休むようなことはなく、江戸から京まで一刻(およそ2時間)もあれば充分だった。

 参勤交代の行列と何度も遭遇したが、知らぬ振りをして走り去った。

「これ、そこの飛脚。無礼であろう。止まれ。止まらぬか」

「てやんでい。悔しかったらおいらに追いついてみな」

 大名家の抱える強豪剣士といえども、誰も俺に追いつけなかった。


 ところがある日、どこぞの大名行列と出くわしたとき、脇の林の中から十名ほどの浪人どもが現れ、殿様の籠めがけて、刀を抜いて襲いかかるのを目撃した。

「天誅!」

 そのうちの一人が駕籠の小窓を開け、刀を突き刺そうとする。

「お命頂戴。ご免!」

 そのとき、俺が咄嗟に投げた小石が浪人の手に当たり、それからすぐにお付きの者達の手で手勢は斬り捨てられた。

「そこの飛脚殿、礼を申す」

 籠から出てきた相手は、薩摩藩主島津重年公だった。そのことが縁で俺は島津家に召し抱えられ、十年後には城代家老の要職にも就けた。


「あまりに馬鹿馬鹿しくて突っ込む気もしない」

 そう言いながら、前の席の女が俺の話に突っ込んだ。別に彼女に聞かせようとして話していたわけではない。

「俺と関わらないんじゃなかったのか?」

「問題を起こしてないかチェックしているだけです」

 隣の親父はまだいびきをかいていた。生きている笠松大五の姿を見たのは、それが最後だった。


 偶然にも俺はこのとき、ホームセンター系の売人から三千円で購入したロレックスで時刻を確認した。時刻は午前九時十五分。後にわかることだが、その時刻に犯人には完璧なアリバイがあった。


「午前十時に香川県の四つ門島にいた人物が、ほぼ同時刻に浜松付近を走行中の新幹線内で起きた殺人事件の実行犯ということはありえません」

 そう主張する所轄の担当刑事に俺はこう言った。

「君は大切なことをひとつ見落としている」

「何です? その大切な事というのは?」

「縺ゅ>縺・∴縺� ・撰シ托シ抵シ�・・スゑス� ・ク・ケ・コ・ア・イ・ウ・エ・オ ・ァ・ィ・ゥ・ェ繧ゥ譁・ュ怜喧縺代ヱ繧ソ繝シ繝ウ讖溯・繝サ遐皮ゥカ・樞包シ搾シ・ソ・。繹ア竭竇。」

 と俺は答えた。

「そうか。その発想はなかった。それで奴のアリバイが崩せる。さすが警視総監の甥御さん。ありがとうございます。比由先生」

 刑事は飛び上がって喜んだ。


「肝心な部分が都合よく文字化け?」

 響子がまた突っ込んできた。

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