Mr.ハードボイルド~四つ首塔
@kkb
第1話 冬のホラー2016
俺の事務所がある笠松ビル一階の廊下を挟んだ向かいに、笠松保育園がある。
雑居ビル内の施設で子供の数も少なく、アンドロメダ組やシーラカンス組といったクラス分けをしておらず、歳の違う子供達が一緒に遊んでいる。それでも長幼の序はあり、来年小学校にあがる年長者は年長組と呼ばれ、年下の子供達から恐れられている。
年長組のあらきまことは、義務教育であるはずの小学校から入学を拒絶されるほどの大バカで、その件で教育委員会がいろいろと揉めている。
昨日もこいつと廊下でばったり出くわして、
「ランドセル買ってもらったんだって。どうせ使わないから無駄な出費をしたな」
と母親のいる前で俺が言うと、あらきは、
「おまえがバカだ」と真剣なまなざしで俺を批判した。俺も負けじと、
「おまえもな」と言い返しておいた。
廊下にいるうちは強気を装ったが、事務所に入ると、
「バカにバカと言われる俺は何なんだ」
と、自分の情けなさに涙が止まらなかった。
一体、俺のどこがバカなんだ。これでも一応、知能検査でインチキしてIQ230の人類記録をうち立てた天才なんだぞ。ひらがなとカタカナしか読めないガキにバカと言われる筋合いはない。
そう自分を慰めていたが、突然、自分が本物の馬鹿だと気づいた。
そうだ、俺はまだ「ゴミ屋敷のシンデレラ事件」を解決していなかった。
ゴミ屋敷のシンデレラ事件とは、ゴミ屋敷に住む女子大生足立ねねの失踪が引き金になって起きた一連の騒動だ。俺が扱った数々の難事件のなかでも、特に難解極まるもので、アームチェアディテクティブ(安楽椅子探偵)であるこの俺が、昭和の社会派ミステリの刑事のようにわざわざ列車で地方に出向いてまで調査した超難事件だった。
事件そのものは俺ひとりの手で解決したが、最大の謎が曖昧にしたままだった。
足立ねねは、何故ゴミ屋敷に住んでいるのか?
父親の転勤で、築十年の建て売り住宅にひとりで暮らすことになった彼女は、わざと家の周りをゴミで囲い、中は綺麗なまま、二階の窓から脚立を使い出入りしていた。
訪問販売や宗教団体の勧誘を避けるためだとそのときは解釈したが、その程度のことのためにそこまでするのはおかしい。
今の俺にはその理由がわからない。しかし、間もなくそれがわかる出来事が起きることになる。そう言いながらまだ起きていないのは矛盾しているが、なんとなくそんな気がするからそう予言したのだ。
普通の小説ならすぐ前の文章はわざわざ言うことはない。何故、俺がそんなことを言うかというと、この文章は事件が起きた後でまとめたものではなく、リアルタイムで俺が語っているからだ。
単に頭の中で思っているのではなく、実際に声に出している。ハードボイルド小説を読み過ぎて、実際にハードボイルド探偵になった俺は、小説の主人公のように常に一人称で語っているのだ。小説でいうと、地の文を実際に声を出して話していることになる。
だから、俺の近くにいる者は俺のことを奇妙な目で見る。
「あの人何か、変なこと話しながら歩いている」
と、その頭の悪そうな通行人は俺のほうを見て言った。
「頭の悪そうって何だよ」
俺は馬鹿と関わっている暇がないので、先を急いだ。
「こっちこそおまえみたいな馬鹿と関わりたくないよ」
といった具合だ。
それから二日後の朝。
事務所のドアを開けると、アシスタントの飯室響子が床の上で土下座していた。その状態で俺が来るのを待っていたらしい。
プライドと身長の高い彼女がそこまでするとは、よほどのことがあったに違いない。
「ハニー、話しにくいから、そこの椅子に座って。君の席はへこんでるからすぐわかるよ」
彼女の体重のせいで、応接セットのソファはクッションがつぶれかかっている。
おかしい。
いつもなら「私は太ってないのに、人をデブ扱いするな」と怒るところだが、
「所長、この通りです。五百万円貸してください」
と真面目な顔で懇願している。
彼女が近頃ゴミ屋敷に出入りしているのは俺も知っている。あそこは江戸時代の矢場のようにやばいところだ。いかさまポーカーのカモにされ、払えないなら東南アジアのシンジケートにでも売り飛ばすとでも脅されたのだろう。
「君も探偵の端くれなら、闇の組織と渡り合えるくらいに成長してもらいたいもんだ」
と俺が言うと、
「そのくらいなら私にも何とか対処できます。ところが、今回だけはどうにもならないんです」
「どういうことだ?」
彼女は、土下座したまま事情を説明した。
いつもならこの辺りで、土下座のくだりは単なる俺の妄想で、
「私はそんなことしていません」
と彼女が突っ込むところだが、今回はありのままの事実を描写している。
彼女の話をまとめると、
ゴミ屋敷のシンデレラ事件の関係で、私立探偵飯室響子は足立ねねと知り合った。ねねに誘われ、ポーカーにはまった響子は、負け続けて多額の負債を負うことになる。響子自身も違法賭博に手を出したことで、警察にも相談できず、金を工面できる当てもない。
金を払えない場合は、ねねの代わりに人身御供になるよう要求された。
足立ねねの父親は、瀬戸内海の四つ門島という島の出身である。小さな島なので島全体で一つの村だ。村の名は四つ門村ではなく、四つ墓村という。その中心部には四つ首塔という四重の塔が建っている。不気味な名前には、それなりの由来がある。
源平合戦の折り、四人の平家の落ち武者がこの島に逃れた。源氏の追求を恐れた島人は、四人をだまし討ちし、獄門台の上に首を並べた。
その四人の祟りと思われる出来事が頻発し、島人は四人の魂を鎮めるため遺骨の体の部分を墓に埋葬し、さらに頭部の骨を納めた塔を建立した。それでも祟りは収まらず、島の娘を塔に籠もらせた。すると祟りはぴたりと収まった。
それ以来、この島では、若い娘が塔に籠もって暮らし続けている。いつまでも同じ人物が住み続けるのは無理なので、季節が変わると交替する習わしとなった。
それが近年、少子高齢化で島に若い女性がいなくなり、島の出身者の血縁が候補となった。家族と同居していた頃は、ねねの父親が断固として断ってきたのでよかったが、父親が転勤し、母親も父についていったので、母方の祖母とねねの二人になった。さらに祖母が病死すると、島から来た連中がしつこく迫り、ねねは固定電話を解約し、産廃業者に頼んで家の周りをゴミで囲み、ゴミの裏に脚立を隠して二階から外に出入りする生活を送った。
ところが、島出身でないので事情をよく知らない母親が、ゴミの撤去をこれまた産廃業者の田中産業に頼み、探偵事務所なのに便利屋のようなこともしている我がラーチャー&スミスバーニー探偵社に田中が応援を要請したので、俺が事件に関わることになった。
ねねは、島の人間が自分を見つけたのは、ゴミを片づけた当社のせいだと言い張り、響子に金を返さなくていいから、自分の代わりに塔に入るよう要求しているのだ。
「所長のおっしゃる通りでございます。補足させていただきますと、四つ門島の由来は、島の東西南北にある四つの門から名付けられたと言われ、四つの門はそれぞれ、春門、夏門、秋門、冬門といいます。落ち武者の四つの墓があることから、村の名は四つ墓村と呼ばれ、四人の首の骨を納めた塔は四つ首塔と言います」
足がしびれた響子は、姿勢を崩している。
「どこかで聞いたような名前だが、不吉な予感がするな。そこに行こうとすると、脅迫状が届くかもしれない」
「そうなんです。それで行かなくてすむように、ほんの五百万でいいから貸していただけませんか」
都心の最高級タワーマンションに住み、バビロンの大富豪と呼ばれた俺だ。五百万くらいわけはない。だが、一円も使わずに問題は解決できる。
「その程度のことなら、君が塔に籠もればいいだけの話だ。たった三ヶ月だろう。あっという間だ」
「それがそうはいかないんです」
「どういうことだ?」
「一応、季節が代われば交替するというルールなんですけど、次の生け贄がみつかるまで出られないんです。今入っている人は、去年の冬に入ったまま出られなくて、もう一年経っています。さすがにこれ以上はまずいので、島の人達は相当焦ってるみたいです。
足立さんのような島とは縁が遠い人にまで話が来るくらいです。私が入った後、後任が見つからない可能性が高いんじゃないかと。誰も人身御供にはなりたくないですから」
「その生け贄とか人身御供という言い方がまずいんじゃないかな。別に犯罪を犯した囚人じゃないから。どうせなら女王とでも呼べばいい。冬の女王様は、春の女王様が来ないので塔から出られない。どこかの素人が思いついた下手くそな童話みたいでいいじゃないか」
「女王どころか囚人以下です」
響子によると、四重の塔には電気ガスはおろか、水道もトイレもない。他の人間は塔の中に入ってはいけない決まりで、もちろん中の女性は一歩も外にでることは許されない。
食料と水は外にいる世話係から渡してもらう。トイレは簡易式を使い、世話係に渡して、中身を処理してもらう。
世話係のほうも、自分の仕事と掛け持ちしながら世話をするので、ときどき忘れたりする。江戸時代に再建されたものの、建物は老朽化しており、隙間から風が入ってきて、虫さされにも苦しめられる。
まさにこの世の地獄、四つ首塔。
下水施設がない糞地獄。
女王様は塔から出られないなんて、お伽噺の世界では美しく聞こえるが、現実にそれを行うと、糞まみれの生活が待っている。
ブルボン王朝時代のフランスと聞くと優雅に思えるが、事実は糞まみれだった。貴婦人のスカートが傘のように開いていたのは、そのまま用を足すためだった。外に出ればそこらじゅう糞だらけだったので、ハイヒールの踵が高いのだ。
「糞、糞って言わないで。考えただけでノイローゼになりそう」
「そうだ、いい考えがある」
俺がそう言っても、彼女はあまり期待していないようだ。確かにいつも俺の思いつきは、周囲をがっかりさせてきた。だが、今回は違う。
名付けて、四つ首塔ボヤ騒動大作戦だ。凝りに凝った作戦名からは内容をうかがい知ることはできないので、詳しく解説しよう。
「解説なくても大丈夫です。全然センスがなくて無駄に長い作戦名だけど、いいたいことはすぐわかるから。塔のすぐそばで大々的にたき火をして、小火騒動を起こして、救出されて、こんな危ない行事はご免ですとごねて、そのまま帰ってしまうのね」
響子の顔が明るく輝いた。俺のアイデアに救いの道を見いだしたのだ。
「その通り。その発想はなかったわ。だってよそ様の土地で許可なく焚き火なんかしたら、立派な犯罪ですもの」
「それなら死ぬまで塔にいるんだな」
俺は冷たく言い放った。
「非情なタフガイで、危ない橋を渡るのも平気な所長なら、ぼやのひとつやふたつなんとでもなるんじゃありません? それに万が一警察につかまっても、昔の部下が警察庁長官で、叔父様が警視総監だから簡単にもみ消せるでしょう」
確かに俺の力を持ってすれば、島ごと燃え尽くしたとしてもどうにでもなる。
「それに何でもするって宣伝してますよね?」
それを言われると弱い。
というのも、元々うちは便利屋だったからだ。大手探偵事務所にいた響子を引き抜いた時点で、「便利屋らあちゃん」の看板を「ラーチャー&スミスバーニー探偵社」にかけかえたが、いまだに便利屋の仕事を断り切れないでずるずる続けている。宣伝文句は、何でもおまかせ便利屋探偵。一般雑用、害虫駆除、清掃全般、不要品回収、浮気調査、人探し、不可能犯罪解決等々。
ちなみにスミスバーニーなる人物は存在しない。
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